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目の前を腕を組んだアーサーが行ったり来たりする。それを目で追いながら佐和はこっそりため息をついた。
「……殿下」
「俺は落ち着いている!!」
まだ何も言っていないのに、食いつくように怒鳴ってきたアーサーに佐和は体をすくませた。
朝からアーサーはずっとこうだ。私室の中を行ったり来たりしている。また歩き出したアーサーを見つめながら、佐和は腕を組んで考え込んだ。
今日の正午つまりあと少ししたら、バランが死刑になる。
それを阻止して上げたいけれど、アーサーは直接手を出せない。手を出せば、王子として糾弾される。
マーリンが魔法を使って助けようにも、そうしたら今度はマーリンがアーサーに殺されてしまう。
そもそもマーリンは今、牢屋の中で身動きが取れない。
どうすればいいのか、結局一晩中考えても全く何も思いつかなかった。
第一、独断で刑が執行されるなんて……この世界にも裁判はあるって聞いてたのに……。
保護施設での教養授業で、なぜ魔術師が死刑になるのかを説明された時の内容を思い出した。
この世界にも裁判は存在する。しかし、実際に公正な裁判が行われているかというとそうではなく、判事は王から任命された貴族が行っている。しかも、罰金がその判事や王家の収入にもなるため、王へのご機嫌取りで有罪を出すこともあるのだとか。
それだけじゃない。魔術師だけで言えば、ウーサー王の騎士は、その場で切り殺すことが許されているらしい。
最初にその話を聞いた時は、切り捨て御免か。と思わず突っ込んでしまった。
だから、バランをかろうじて裁判の場に連れていけたとしても、有罪は確定だ。お金ならまだいいが、ウーサーへのご機嫌取りで死刑を突きつけられない。
「……そろそろ、バランが牢から出される時間だ」
アーサーの焦燥感がにじみ出た声に、佐和も胸が苦しくなる。
歩き回っていたアーサーは窓から下を覗き込んだ。アーサーの私室からは城前の広場が見える。そこには死刑台が設置されていて、見物客のスペース用にロープまで張ってある。
台の上では執行人が斧を磨いていた。見せしめにする気なのだと、佐和にもすぐにわかった。
「殿下……」
「わかってる!!」
アーサーもなんとかしようと考えてはいるものの、何も浮かばないらしくさっきからいらいらしっぱなしだ。
「父上に進言しても……聞いてはもらえまい……。だが、バランの無実を証明できるものもないし……第一、ああなった父上は、もはや決定を覆さないだろうし……」
窓に寄り掛かりながら眉間にしわを寄せるアーサーの姿を佐和は見守ることしかできない。
こんな時、物語の主人公のような特別な力があれば、バランを助けに行けるのにと思わずにはいられない。
でも、佐和は凡人だ。異世界に迷い込んだからと言って、特別な力も知恵もない。どうすることもできない。
「どうすれば……ん?あれは、なんだ?」
「どうしたんですか?」
目を凝らして窓から広場を見るアーサーの横から、佐和も広場を覗いた。
広場で何人かの兵士が処刑の準備をしているが、その兵士達の視線が一斉に門の方に向けられている。
「あれは……バリンか?」
アーサーの言う通り、門から歩いてくるのはバリンだ。
ゆっくりとした足取りで城に向かってくる。距離が遠くて表情まではわからないが、ただならない気配に佐和は唾を飲み込んだ。
「バランを……助けに来たんでしょうか?」
「もし、そうだとしたら無謀だ。城には何十人もの兵士も騎士もいる。第一、そんなことをすればあいつも死刑に……」
そう言っていたアーサーの言葉がそこで途切れた。
視線の先のバリンがちょうど、広場にいた兵士に呼び止められたのだ。どうやらバリンの素性を知っている兵士らしく、揉めている。何か二言三言交わすと、兵士がバリンの胸倉を掴んだ。その手を冷淡に振りほどいたバリンに怒った兵士が腰から剣を抜き、構える。
「殿下!バリンが!」
「あの、バカ!!」
急いで窓を開け放ったアーサーが叫ぼうとしたのと、眼下で兵士が倒れるのは同時だった。
バリンにつっかかっていた兵士が力なく倒れ込む。その腹から血だまりがじわじわと広がっていくのが、ここからでも見てとれた。そして、バリンの手に真っ赤な血で染まった剣が握られていることも。
「バリンが……」
口に手をあて、息を飲む佐和の横で、アーサーも言葉を失っている。
地上の兵士たちも皆、同じように呆気に取られていたが、すぐにその場にいた全員が剣を抜きバリンに切りかかった。
バリンは慌てた様子もなく、血に濡れた剣をただ掲げた。一気に駆け寄って来た兵士が切りかかったその瞬間、兵士全員の腹部から血が飛び散った。バリンは剣を振ったわけでも、動かしたわけでもない。
信じられない光景に、佐和もアーサーも何もできずにただ事の成り行きを見守った。
切られた兵士がもれなく倒れ伏すと、改めてバリンが歩み出す。
その光景を見ていたアーサーが、我に返り部屋を飛び出して行った。
「殿下!!どこへ!」
「陛下の元だ!!サワ!お前はここで待機だ!!」
「でも!!」
言い返そうとしたときには、アーサーの背中は曲がり角を曲がっていた。
どうしてバリンがあんな事ができたのかはわからない。でも、あれだけの力を持って、城に現れた目的は一つだ。
バランを助けに来たんだ……!
それなら佐和が邪魔する必要もない。ただ無事に逃げ切れるようにこっそり祈っていればいい。けれど。
なんだろう。なんだか……胸騒ぎがする。
あの時、バリンが兵士を淡々と切った姿が目に焼き付いて離れない。
佐和が知る限り、バリンは好き好んで人の命を奪うような人間ではないし、そもそもあんなに淡々と人を殺せるような人物でもない。
そして、最も気になるのはただ掲げただけで兵士をなぎ倒した剣。
あれは、もしかして魔法?
だとしたら、どうしてバリンは魔法が使えたのか?
佐和は悩んだ末に、意を決してアーサーの部屋から出て、扉を閉めた。
もちろん自分が行った所で邪魔にしかならない。だから、アーサーのもとに行くなんてことはしない。
でも、もしあれが魔法だとするならば、マーリンには伝えるだけ伝えるべきだと思った。
侵入者の登場に城内の人間も気付いたらしく、混乱し始める廊下を佐和は駆け抜けた。