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「サワ、部屋に残っててくれ……頼むから」
「絶対、ダメ。私も行く」
もちろん、佐和だってこんな事はしたくない。でも、それ以上にこんな状態のマーリンを一人で行かせる事なんてできなかった。
静まり返った夜中の城内は不気味で、その中を進むマーリンの後ろを佐和はぴったりとくっついて歩いた。
「私、役立たずだと思うけど、マーリンは本調子じゃないでしょ?支えるとか、突然辛くなったりしたら、二人いた方が良いに決まってる」
佐和の主張にマーリンは黙った。佐和の言う事に一理あると考えてくれたみたいだった。
「…もし、危険な場面になったら、俺の言う通りに行動するって約束して」
「うん」
「わかった……」とマーリンは呆れながらも認めてくれた。
気を取り直して、廊下を進んで行く。基本的に城の中の警備は、王家の人間の部屋周りに集中している。牢に行くまでは交代で動いている兵士を避けていけば難しい事ではない。
実際、牢屋のある地下に行くまでは誰ともすれ違わなかった。
地下牢に続く階段の上から階下を覗き込むと、常駐の兵士二人が机に座ってサイコロを振って遊んでいる。たぶん、賭け事の真似事でもして暇をつぶしているのだろう。こちらに気付く様子はない。
横にいたマーリンはそっと懐から杖を出すと、大きくした。それを階下に向けて小声で呪文を唱える。白い煙が杖から吹き出し、兵士の上に降り注いだ。
「ん?なんか……ねむ……く……」
白い煙を吸い込んだ兵士は机に突っ伏すと、すぐにすやすやと寝息を立て始めた。それを確認したマーリンと階段を下りていく。
眠り込んだ兵士の腰からマーリンが鍵束を抜き取り、佐和はそばにあった松明を手に取って炎を移して準備を整えた。
「行こう」
地下牢に入るのは初めてだ。
以前、奴隷商人に捕まえられて入れられた牢よりも、一個一個の牢の大きさは小さい。
ほとんどの牢は空で、藁が敷かれているだけだが、奥の方の牢からだけすすり泣く声が聞こえてきた。
声の聞こえる牢の前に立つと案の定、牢の中で泣いていたのはバランだ。
掲げた松明に驚いてあげた顔は泣きすぎたせいで、真っ赤に腫れている。
「あれ……?あの……」
マーリンは兵士から盗った鍵束からバランの牢の鍵を探し出すと、錠を外し牢の中のバランに駆け寄った。
「お前は、やってないんだよな?」
マーリンの問いかけに、バランはちぎれそうになるほど懸命に首を縦に振った。
「やってません……おれ、なんにもしらないです……」
バランを立たせたマーリンが、バランの服の土を払ってやる。
「逃がしてやる」
バランを連れて元来た道を引き返す。入口の兵士は変わらずに眠っている。まだ起き上がる気配はない。
急いで階段を掛けあがり、廊下を進んで行く。幸い、行きと同じく、人影はない。城内は問題なく進めそうだった。ただ、問題はどうやって城を出るかだ。
一番大きい城門には夜中でも見張りの兵士がいる。さっきみたいに魔法で眠らせようにも、扉が閉まっているので、開けてから魔法をかけなきゃいけない。もし、少しでも魔法をかけるのが遅れたり、予想以上に人数がいた場合、魔法がかかり終わる前に騒がれる可能性がある。
他に城を出るには裏門もあるが、そこは鍵がかかっていて、ウーサー王かもしくはアーサーしか開けられない。噂では魔術師が侵入できないように、その錠には魔法が効かないようになっているらしい。
「マーリン、どこから出る?」
「……裏口に行ってみよう。あくまで錠は噂だし。もしそれが本当でも、城壁のどこからか、バランだけでも逃がせるかもしれない」
佐和達は進路を裏門へ向けた。裏門に行くためには一度城を出て、訓練場を突き抜け、正門とは反対側に進む必要がある。
訓練場の開けっぴろげさがこれほど憎い日が来ようとは……。
単なる芝生だけの訓練場は見晴らしが良い。もし、城の窓から誰かが見ていたら見つかる可能性もある。
マーリンが隠ぺい呪文をかけられれば、それが一番だけど……ムリだもんね。
マーリンの横には、怯えきったバランがひっついている。バランの前で魔法を使う事はできない。
「……仕方ない。一気に駆け抜けよう」
「うん」
「はい」
一気に三人で訓練場を横切る。佐和はこっそり城の窓に目をやった。暗い窓から誰かが覗いている様子はない。
無事、建物の影まで走りきった佐和たちは、一息ついた。
「だ……大丈夫みたいだね……」
「ああ、行こう」
マーリンに続いて行く。もう裏門はすぐそこだ。
「もしかして、あれ?」
少し先に古びた鉄格子がある。その扉は鉄の鎖でぐるぐるに巻かれていて、そこに佐和の手のひら位の大きさの錠がぶら下がっていた。
「どうにかしてこの錠を解かないと……」
マーリンはさっき兵士から奪った鍵束を探り出した。一本一本形状を確認し、鍵を探している。
「マーリン……急いで……」
「わかってる」
佐和はバランの肩に手を置いた。マーリンが鍵束を懸命に見比べるが、この一瞬の時間が長く感じる。
「くそ……!」
「マーリン?何をしてるんだ?」
背後からかかった声に一斉に佐和たちは振り返った。そこにいたのは驚いた顔で立ち尽くす―――アーサーだった。
「アー……サー……」
汗をかいたアーサーはティシャツというラフな格好で、手には剣を持っている。たぶん憂さ晴らしに剣を振りに来たのだと、佐和は直感した。
「サワまで……。お前らこんな夜中に何して……」
そこまで言ったアーサーが佐和に抱えられたバランの存在に気付いて、言葉を切った。
きまずい沈黙が辺りに流れる。マーリンは錠から手を放すと、佐和とバランを隠すようにアーサーとの間に割って立った。
「……お前ら、自分達が何をしているのか……わかっているのか?」
「……わかってる。俺がやるのは、あなたがやりたくても、できない事です」
「何を言って……」
「こいつを見逃してください!本当はお前だって、こいつが無実なことぐらいわかっているんだろ!?」
そう言われたアーサーの瞳が揺れる。
「ここでバランを殺せば、お前はまた苦しむ事になるんだぞ。それがわからないのか!?」
「そんな事……できるわけがないだろう!大人しくバランをこちらへ引き渡せ。今なら言い訳も聞く」
「嫌だ」
「マーリン!死にたいのか!もし、こんな場面を見られたら、お前らまで殺されるんだぞ!」
「構わない!」
お互い一歩も引かない。睨み合ったまま、緊迫した空気が流れる。
「何度だって言う。バランを……無実の人間を殺すなんて、間違ってる!それぐらい、お前だってわかってるはずだ!」
「わかっている所で何だ……。何もできない。……俺が王子失格だと思うなら、思え!」
「俺はそんな事思わない!!」
マーリンの言葉に、アーサーが続けて怒鳴ろうとした口のまま、固まった。
みるみる目が見開いていく。二人を止めようかと悩んでいた佐和も、動きを止めた。
「……何を……言ってるんだ……?」
「そのままの意味だ。俺はお前が王子失格だとは思わない」
アーサーだけじゃない。佐和もマーリンの言葉に面食らう。
ついこの前まで、マーリンはアーサーが本当にこの国の新しい王であるべきか悩んでいた。
でも、今、はっきりとマーリンはアーサーに「王子失格だとは思わない」と断言している。
見れば、アーサーの握りしめていた拳から力が抜けていっていた。
「お前は、正しい事をしようとした。お前のやろうとしてる事は、正しいんだ。間違ってるのは周りだ。お前は悪くない。お前は……立派に王子であろうとしたんだろ!だったら……最後まで諦めるなよ!お前は正しい!正しいんだ!!」
「マー……リン……」
「頼むから、もう俺みたいな人間を作らないでくれ!お前にはそれができるだけの力と立場があるんだろ!!」
マーリンの言葉でアーサーの曇っていた瞳に、みるみる光が戻っていく。そんな風に佐和には見えた。
人の心が動く瞬間というものが、目に見えるなら、今がまさにそうだ。
アーサーの顔つきが少しずつ変わっていく。
「いたぞ!!脱走犯だ!!」
今まさに良い方向へ向かおうとしていた空気が、怒鳴り声で弾け散った。
アーサーの後ろから大勢の足音が響いてくる。武器の金属音も同時に聞こえてきた。
見張りの兵士にかけた眠りの魔術が、解けちゃったんだ……!
「どうしよう……!!」
隠れようにも辺りに隠れられるような物陰はない。アーサーとバランがいるので、マーリンも魔法を使う事ができない。
「なんと……!これは……」
アーサーの背後から駆け寄って来た兵士の先頭にいたのは、カンペネットだった。
佐和に抱えられたバラン、マーリン、アーサーと順に見たカンペネットの顔が、歪んだ笑顔に一瞬変わった。しかし、すぐに冷静な表情を取り繕い、咳払いをした。
「これは殿下。どういう事でしょう?もしや、殿下とその侍従が反逆者の脱走を手助けするとは……!これは忌々しき事態ですぞ……!」
言葉とは裏腹に、カンペネットが、まるでご馳走を前にした犬みたいに喜んでいるのが、佐和にはわかった。カンペネットからすれば、アーサーを貶める千載一遇のチャンスだ。アーサーの失言を今か今かと待ち構えている。
「カンペネット卿。口に気をつけろ。私が追いつめているように見えるのが普通だろう。まるで貴殿の口調だと、私が賊の手助けをする事を望んでいるように聞こえるぞ」
アーサーの冷ややかな返しに、カンペネットは軽く頭を下げた。
「申し訳ありません。殿下。早とちりですよ」
思ってもいない事をよくもぬけぬけと言えるものだと、佐和は歯噛みした。
しかし、こういわれてしまっては、アーサーもそれ以上、追及できない。
「して、殿下。これは一体どういう事態なのでしょうか?」
カンペネットの問いかけに、アーサーが悩ましげな表情で、マーリンを見た。
もし、ここでバランやマーリン、佐和をアーサーが庇えば、カンペネットからの糾弾は逃れられない。逆に佐和たちを見捨てればバランは助からない。アーサーにとってはどちらも茨の選択だ。
どうするの……アーサー……。
マーリンを見ていたアーサーは言葉を探している。この場を切り抜ける案を思案しているのかもしれないが、どうにもできなさそうだった。
「……脱走犯を確保しろ。それだけだ」
な……!!
佐和と同様に、マーリンもバランもアーサーの信じられない発言に言葉を失った。
これなら、佐和とマーリンにお咎めは無い。
けど、これじゃバランが……!!
アーサーの言葉を聞いていたカンペネットは「そうですか」と笑ったが、内心で舌打ちしているのが伝わってきた。後ろに控えていた兵士たちにバランを連れて行くように命じる。
兵士は佐和からバランを無理矢理引きはがすと、すぐに地下牢の方へ歩き出してしまった。
建物の影に曲がる前に見えたバランの顔が今にも泣きそうで、とても見ていられない。
「さすがは殿下。国王陛下もお喜びになられる事でしょう。」
「……ああ、下がれ」
「いえ、すぐに下がるわけには参りませんな。殿下、この者たちの処罰をしませんと」
カンペネットの這うような目線が、マーリンと佐和を捕えた。
何としてもアーサーに、汚点をつけたいらしい。
「それは……」
「まさか、殿下に限って、自身の従者だからという理由だけで、この者たちの罪を軽くしたりはしませんよね?」
カンペネットが巧妙にアーサーの逃げ道を塞ぐ。
アーサーが佐和たちを見つめた。判決を下す立場のはずのアーサーが、救いを求めているように見える悲壮な顔つきだ。
「……カンペネット卿。今回の脱走は、単に私一人の責任です」
マーリン、何を言いだして……!?
抗議するために口を開こうとした佐和を、マーリンが睨みつけた。そのあまりの迫力に佐和は何も言えなくなってしまった。
「私が、バリンの気持ちを考えて、先走った行動を取りました。侍女は無関係です」
「無関係なわけ」
「わかった。マーリン。お前は一晩、牢で頭を冷やせ」
「殿下!しかし!」
カンペネットの言葉を遮って、アーサーが沙汰を下す。
まだ何か言いたげなカンペネットを余所にアーサーがマーリンを連れて行くように、残っていた兵士に命令した。タイミングを逃したカンペネットが恨めし気に、佐和を睨みつけてくる。
「殿下!」
「カンペネット卿。迅速な対応ご苦労だった。侍従には私からきつく灸を据えておく。引き続き、城の警護をよろしく頼む」
「しかし、殿下」
「行くぞ、サワ」
マーリンは佐和を庇った。そして、それをアーサーはくみ取った。
この場でアーサーの判決に文句をつけて、自分が牢に入れられるのはこの二人に対して最もやってはいけない裏切りだ。
頭ではわかっていても、自分の無力さが悔しくて、佐和は唇を噛みしめたまま、アーサーの後ろを付いていった。