page.78
***
「失礼します。父上、被害に合った私の従者を連れて参りました」
「入れ」
佐和が今まで入ったことのない謁見の間。城内のどの部屋よりも大きい扉の前には見張りの衛兵が槍を持って立っている。
アーサーのノックに返ってきた低い声に、佐和は背筋を伸ばした。
開け放たれた扉の向こうで、玉座の前に立っていたウーサー王が振り返った。今日も眉間に深い筋を浮かべ、短い白髪の髪をぴっちりと王冠で押さえている。ウーサーの横にはボードウィン卿も控えていた。
「そなたがマーリンか。ああ、跪かなくとも良い」
国王陛下への礼をしようとした佐和たちをウーサー王は制すと、奥の玉座に腰掛けた。
「まずは、よくぞ。アーサーとイグレーヌを救ってくれた。感謝する」
「いえ……」
「そう、畏まらんでも良い。そなたは恩人だ」
そう思ってるなら、病人を呼びつけるな!と怒鳴りつけてやりたい。
部屋に入ってきてから、感謝は述べるものの、ウーサー王がマーリンの容体を訪ねてくることはない。佐和は必死に苛立ちを隠した。
「しかし、その身を持って死をも恐れず、アーサーを庇うとは、見上げた忠誠心だ」
ウーサー王のどうでもいい謝辞を聞いている間も、マーリンはしんどそうに荒く呼吸を繰り返している。
聞きたいことがあるなら、必要事項だけ聞いて、帰せばいい。
「いえ……」
「褒美を与えねばな。何が望みだ」
休ませろよ!!
幸い、怒鳴ったのは佐和の脳内だけで、声はかろうじて出なかった。というよりも、呆れて声が出なかった。
何言ってんだ、こいつ。頭大丈夫か。
「いえ……何も」
「そうはいくまい。好きなものを申せ」
「……父上、マーリンは病人です。早く本題を話して差し上げてください」
腕を組んで、様子を見守っていたアーサーが口を挟んだ。途端にウーサー王の機嫌が悪くなる。
「そう、急かすな。それでは余の気が済まん。大事な家内と跡継ぎの命を救った者に対して、礼を尽くさずに済ます事など、断じてあってはならない」
つまりは見栄のためにも、マーリンには何かしらの褒美を与えないと気が済まないらしい。そう考えるなら、一刻も早く休ませてあげてほしい。
だが、ウーサーはそんな当たり前の配慮など関係なしに、まるで褒美をもらわないことの方がおかしいとでも言いたげだ。
「……まあ、良い。その話は後で話そう。マーリン、と言ったな。何か魔術に心当たりはないか。お前は誰よりも早く、あの忌々しい呪に気付いた。何か知っていることはあるか」
ウーサー王の言葉に、横にいた佐和がどきっとした。
ただ、ウーサー王の言い方はマーリンを疑っている様子ではない。単に事情聴取といった口調だ。
「……いえ。殿下が危険だと思い、咄嗟に庇っただけですので」
「ということは、犯人等にも心当たりはないのだな。なら、良い。実は、既に犯人の目星は付いている。その者もすぐにここに連れられてくる。その際には、その者を見たことがあるか、アーサーの従者であるそなたたちに確認したくてな」
それならマーリンじゃなく、佐和とバリンで良いじゃないかと思うけれど、ウーサーはそうは思えないらしい。
こっそりマーリンの背中に手を回して、背中を撫でた。
少しでも楽になればいい。
その時、背後の扉が荒々しく叩かれた。
「陛下!礼の花束の犯人を連行して参りました!!」
「入れ」
がちゃがちゃ鎧の金属が擦れる音を響かせて、何人もの兵士が謁見の間に入ってきた。皆中年ぐらいで、一目でウーサーの騎士だとわかる。
「どうだ?」
「例の花束を造った花屋の店主は現在、行方を眩ませています。しかし、店にいた協力者を連行しました」
幾人もの騎士の中心で、鉄製の手錠を両手にはめて怯えていた人物の目線は、思ったよりも下だった。そして、その怯える少年の正体に気付いて、ウーサーとボードウィン以外の人間の空気が凍った。
「……バラン?なんで、バランが!!」
「にいちゃん……」
兵士に囲まれていたバランに気付いたバリンが、駆け寄ろうとしたのを、一番手前にいた騎士が武器で止めた。
「勝手に容疑者に近づかれては困る」
「何言ってるんだ!!バランがそんな事するはずないだろ!!放せよ!!」
バランは完全に怯えきってしまっていた。
自分の両手にはめられた手錠を、信じられない物を見る目で見て、震えている。
「アーサー、お前の従者はいつから騎士に意見できるほど偉くなった!黙らせろ」
バリンの大声をねじ伏せる気迫で放たれたウーサー王の命令で、アーサーがバリンの肩を押さえた。
「……バリン、落ち着くんだ」
「落ち着いてられませんよ!!殿下、バランは無関係です!!こんな小さな子が犯人だなんてどうかしてる!」
「無礼だぞ!!」
ウーサーの怒鳴り声にアーサー以外の全員がすくみ上った。
命令し慣れたその声の力強さに、バリンが一瞬黙った隙にウーサーは一気にまくしたてた。
「余はキャメロットの王である。その王の判断を疑うか!?そこまで言うのならば、この者の罪をはっきりと断言してやろう。この者は花屋の店主と結託し、王妃に危害を加える手助けを行ったのだ」
「花を運んだだけじゃないですか!!」
バリンの主張は最もだ。しかし、ウーサーはその訴えを一蹴した。
「それこそ手助けだ!しかし、それだけではない。この者は我が王国に牙を剥いた者を見逃した」
「なんですか!?それ!!」
「この者の花屋に脱走犯カラドスという男が出入りしたのを見た人間がいた。カラドスはアーサーへの復讐に燃えておった。偶然の一致ではあるまい」
「おれ、そのひとがわるいひとだなんてしらなかったんです!!」
震えあがりながら、バランが懸命に叫んだ。
それを聞いた兵士が、バランを持っていたさすまたで突いた。むせこんだバランがその場で跪く。
子供相手になんてことを……!!
だが、誰一人として子供にそんな仕打ちをしていることに疑問を持っていない。
人権なんてこの世界には存在しないのだと、改めて佐和は感じた。
ウーサーはバランの主張を冷ややかな目で聞くと、跪いたバランを一瞥した。
「その証言を信用する証拠は存在せん。魔術は使った者だけではない。それに関与した者も悪とみなす。それがキャメロットの掟だ。魔術はこの世から滅せねばならん。そのためには魔術師だけでなく、魔術へ傾倒する者も淘汰せねばならん」
「…………こんな幼い子どもにも……ですか?」
佐和の心の声をマーリンが代弁する。ウーサーはマーリンを哀れみの目で睨みつけた。
「今はなきドルイドの集団にいた子どもも、見た目は普通の人間と変わらなかった。やつらには慈悲も油断もならない。大人同様、悪しき魔術を駆使し、王国の平和を脅かしてきた。それは歴史が証明しておる」
「……父上、それはドルイドの話です。バランは魔術師ではありません」
意外にも助け舟を出したのは、アーサーだった。
「バランが花束に魔術が仕込まれていた事を知らずに、届けた可能性もあります。さすればこの者は無実です。もう少し……せめて主犯の魔術師を捕え、調査を行ってから」
「それではぬるい!!」
空気を震わすような怒鳴り声に、佐和は身をすくめた。
「時間をおけば、この者は魔術によって逃れる可能性もあるのだぞ!!そうなれば、必ずまた王国を脅かす!芽は早いうちに摘み取らねば!」
「ですが、父上!」
「アーサー。もしや、この者に同情しておるのか?やはりお前も『そちら側』の人間なのか!?」
ウーサーの一言で、食って掛かっていたアーサーの顔色が一変した。
鈍器で殴られたように、沈み込み、言葉を飲み込んでいる。
「……父上、決して、そのような事は……」
「ならば、余の判断が正しいとわかるはずだ!魔術師の狡猾さと残忍さを理解しているならば」
いつもは自信に満ちたアーサーの声が、か細い。
声だけじゃない。目も肩も拳も小刻みに震えている。
「アーサー、お前のそれは慈悲ではない。弱さだ。『本当にお前が余の息子であれば、そのような判断を行うはずがない』……そうだな?」
「…………」
アーサーは何も答えなかった。
反論しないとわかったウーサーは、ため息をつくと玉座に腰を下ろしなおした。
「その者、バラン。王国への反逆罪と魔法を手助けした罪で、キャメロットの法により極刑に処す。連れて行け」
「ま、待ってくれ!!バラン!!バラン!!」
「にいちゃあああんんん!!!!」
バランが大泣きしながら兵士に抱えられていく。
それを追おうとしたバリンを他の兵士が阻む。すぐにバランの姿は扉の向こうへと消えていく。
「殿下!!殿下!!どうかお願いです!!バランを!―――弟を助けてください!!」
バリンはアーサーの足元に駆け寄ると、その場で額を床にこすり付けた。
必死の涙声を聞いているはずのアーサーは、バリンから視線をそらしている。
「殿下!!殿下!!お願いします!!あなた様はあの時、私たちを助けてくださった!間違いなく聡明で公正な姿でした!どうして今はそうしてくれないのですか!殿下!!」
「……ボードウィン、その者を城から追放しろ。アーサーの傍にいるのにはふさわしくない」
「かしこまりました」
疲労したように手を付いていたウーサーの命令で、ボードウィンがバリンを無理矢理立たせ、引きずっていく。
「殿下!殿下!殿下!!」
バリンの叫びを聞いているアーサーの顔が苦痛に歪む。けれど、決してバリンの方を見ようとはしない。
「殿下あああああ!!!」
謁見室の高い天井に、バリンの叫びがこだました。
その悲鳴を遮るように扉が重厚な音で無慈悲に閉まると、静けさが当たりに浸透していく。
「……アーサー。お前には失望した。魔法に感化されたお前を、イグレーヌに会わせるわけにはいかぬ。お前のイグレーヌへの面会を、しばらくは禁じる。よく頭を冷やせ」
それだけ告げたウーサーは、玉座の後ろにあった扉から出て行った。
残されたアーサーの背中があまりにも痛々しくて、佐和は自分のスカートのすそを握りしめた。