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「……誰だ!?」
「これは殿下!!なぜこのようなところに?」
アーサーの声に驚いて、路地にいた男たちが一気に振り返った。人数は三人。皆、一般市民が着る麻のシャツとズボンに汚れたエプロン姿だ。
その光景に張りつめていた空気が弛緩した。
「今の怒鳴り声は何だ?何があった?」
近付いて来るアーサーに男たちは目を丸くしたまま、一番手前の髭面の男が、はあと困ったように返事をした。
「実は盗人が出まして……」
「逃げられたのか?」
「いえ……捕まえたんですが……」
説明しながら男の視線がちらりと左を見た。その視線に気付いたアーサーが、左手にあった木箱に目を向ける。
人の腰の高さまで積み上げられた木箱の山の向こうから、足が投げ出されているのが見えた。
「そこか……」
「あ、いや。殿下の手を煩わせるほどでは……」
「盗みはキャメロットの法では重罪だ。連行する」
そう宣言したアーサーが、男たちを押しのけて木箱の影にいる盗人に近づいたのと一緒に、佐和たちも木箱の影に回り込んだ。
マーリンが持っていた松明が盗人の姿を照らす。その照らし出された犯人に佐和は息を飲んだ。
「え……男の子……?」
力なく足を投げ出して座り込んでいたのは、小学生高学年か中学生くらいの少年だった。
投げ出した靴の底はめくれ、着こんだぶかぶかのローブは、あちこちつぎはぎだらけだ。
ただ、恰好以上に一番目立つのは、真っ赤に腫れ上がっている顔の腫れだ。血もにじみ、目があざで開かなくなっている。
「おい、どういうことだ?」
険しい口調で、背後の男にマーリンが問いただす。
一瞬、貴族には見えないマーリンに戸惑った男たちだったが、顔を見合わせると、かろうじて聞き取れるぐらいの大きさの声で、口ごもった。
「いや、そいつ、うちの店の厨房に忍び込んで、麦を盗みやがったんです。それからこいつらの所からは卵を」
「それで袋叩きにしたわけか」
何気ない会話をしている時と変わらない口調で、淡々とアーサーは事情を確認すると、右手の剣は仕舞わず、少年の横に片膝をついた。
「気絶はしていないな。キャメロットの法で盗みは重罪だ。なぜ盗んだ?」
アーサーの問いかけに少年は何も言わない。腫らした顔をそらして黙り込んでしまった。
その手に小さな朝の袋が握られていることに、佐和は気が付いた。破けた底から麦がこぼれている。
「……こいつは私が連行する。お前らは家に戻れ」
「よろしくお願いします。殿下」
あ、王子として対応する時は一人称変わるんだ……。
そんなどうでもいい発見に佐和が気を取られている間に、戸惑っていた男たちがアーサーに事態を預けて、各々家に入っていく。
誰もいなくなったのを確認したアーサーが、剣を腰に差しなおした。
「おい、お前、立て」
アーサーは少年の腕を掴んで、無理矢理立ち上がらせた。立たされた少年の足取りはふらふらしている。
「なぜ盗みなんてやった?」
腫れた頬の奥から見える潰れた瞳は、うつむいたまま動かない。どうやら言うつもりは全くないらしい。
「……まあ、いい。おい、マーリン。こいつを城の牢に連れて行くぞ」」
「兄ちゃん……!」
アーサーが乱暴に男の子をマーリンに向かって突き飛ばしたのと同じタイミングで、曲がり角から小さな男の子が飛び出してきた。
少年と同じく、つぎはぎだらけのローブの裾を引きずっている。
「兄ちゃんを放せー!!このー!!ふぎゃー!」
「なんだ?お前は」
勢いよく飛び出してきた男の子が、アーサーの足に殴り掛かろうとしたのを、アーサーは軽々と避けた。勢い余った男の子が、頭から地面にスライディングする。
「バラン、出てくるなって言っただろ!」
「でも……にいちゃーん……」
転んだ男の子に急いで少年は駆け寄ると、男の子を引き起こした。
「弟か……」
「……そうです。だけど、弟は関係ないです。やったのは俺一人です」
「にいちゃん?」
男の子を背中に隠した少年が、強いまなざしで真っ向からアーサーを見つめ返した。そのままその場で膝をつき、アーサーを見上げる。
「どうか……殿下……!!お見逃しを……こいつを育てるためにどうしても今日の飯がいるんです……!!もう三日も何も食べてないんです」
佐和とマーリンはお互い黙ったまま、事の成り行きを見守った。
アーサーにそんな懇願が通るわけがない。
「お願いです……!!どうか!!」
「殿下……許してあげてはどうですか?」
膝をついた少年を見つめていたアーサーの冷淡な視線から、まるで庇うように、マーリンが少年の前に立った。
「お前、俺に指図するのか?侍従の立場で」
アーサーの冷たい言葉に、マーリンが拳を強く握りしめると、鋭い目つきでアーサーを睨みつけた。
「……王族の何が偉いんだ」
「何だと?」
「ちょっと……!マーリン!!」
アーサーを真っ向から見つめるマーリンのまなざしの強さに、佐和は止めようと伸ばしていた手を思わず引っ込めた。不穏な空気が流れ始める。
「王族って言うだけで、何がそんなに偉いんだ?何もできないくせに!」
「何だと!!」
「マーリン!!」
「お前!俺にそんな口を聞いて、許されると思うのか!」
「何で許されなきゃならないんだ!何に許される必要があるんだ!?何にもできない王族にどうして許しを請う必要がある!?」
「この……!!」
逆上したアーサーがマーリンのシャツの胸倉を掴み上げた。至近距離でお互い睨みあう。
「もう、我慢ならない!王族ってだけで、威張りかえって!そもそも、こいつらが飢えてるのは、お前らが勝手に始めた戦争のせいだろ!それでとばっちりを食らうのは、いつも国民じゃないか!」
負けじと、マーリンもアーサーの襟をつかみ上げた。
「ふざけるな!」
「ふざけてるのはどっちだ!あの時だって……俺の村だって、戦争さえなければ!疫病が流行ることもなかった!そうしたら先生やミルディンが死ぬことだって……!」
止めようとあたふたしていた佐和も、胸倉を掴まれたアーサーも、マーリンの言葉に固まった。
口走ったことにマーリン自身も驚いたようだった。
アーサーの胸倉を掴んでいた手が緩むと、力なく垂れ下がる。
「……申し訳ございません。出すぎた真似をしました」
「……………」
掴まれていた襟を正したアーサーは、呆気にとられていた少年たちに向きなおった。
「理由があれば罪を犯していいわけじゃない」
アーサーは冷たく言い放つと、少年から麦の入った袋を取り上げた。
どこかで聞いたようなセリフに佐和は横のマーリンを盗み見た。
『理由があれば殺人が許されるのか?』
アーサーの部屋でのマーリンとの会話が脳裏によぎる。
マーリンも同じことを思い出していたのか、佐和と合った視線を気まずそうにそらした。
マーリンの言っていることも、アーサーの言っていることも通りが通っている。
まさに正論だ。でも……。
「お願いします!!それをください!!」
腫れあがった顔を少年が懸命に下げた。横でその様子を見た男の子も真似をして、アーサーに頭を下げている。
「……ダメだ。この麦は持ち主に返す。行くぞ」
アーサーの断言に少年は頭を垂れた。
とぼとぼと歩き出した背中に佐和もついて行く。
前を歩くマーリンの背中を佐和は見つめた。
マーリン、そんな風に思ってたんだ……。
ただ、魔術師嫌いの王様が嫌だったわけじゃない。ずっと、きっと王族を憎んできたんだ。
そういえば村での疫病の話を初めてしてくれた時、マーリンは「王族さえいなければ」と言っていた。それをこの一週間、胸に抱きながら、堪えていたんだろう。
私……全然、気が付かなかった。
馬に乗れることだけじゃない。
私はマーリンのことを本当に何もわかってないし、知らなかったんだ……。
……ちゃんと、マーリンと話したい。
佐和は単なる傍観者なのかもしれない。佐和が聞いたところで、何かが変わるとは思わない。
それでも、世界を変えるというとても大きなことに挑むマーリンの力に、少しでもなりたかった。