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「はぁ……」
思わずため息がこぼれる。でも、これは嫌な溜息ではない。
「いいなぁ」
小さく胸に灯が灯ったように暖かくなる。読み終わった本を閉じて背表紙をそっと撫でた。
「……いいなぁ」
借りてきた本は少女がいきなり異世界に飛ばされるいわゆる異世界トリップの恋愛小説だ。
わけもわからず異世界に降り立った少女が悩み、悲しみ、そしてそれ以上に喜びと幸せを味わいながら世界を救い、その世界の王子様と恋に落ちるストーリー。
王道だけれども佐和はこの手の話が好きだった。
「夢だなー」
異世界トリップに限らない。恋愛小説を読むと胸があったかくなる。
好きな人が自分を好きになる。ただそれだけのことだけれども、佐和にとっては異世界よりもファンタジーのことのように感じる。
今まで数えるほどしか恋に落ちたことはないし、そのどれもが遠くから見るだけで終わった。
でも、物語の中の主人公たちは佐和とは違う。悩みながらも苦しみながらもそれを乗り越えて、自分の思いにひたむきに向き合って、そして思いを通じ合わせる。
「すごいなあ……」
それに比べて自分は……恋愛だけじゃない。就職も、会社も、日常生活も、だらだらとただ過ごして、ただなんとなく苦しくて。
「……夕ご飯、食べなきゃ。でも、動くのめんどくさい。でも、食べなきゃ辛いし。お風呂はいいとしても、せめてシャワー浴びなきゃ」
そんな取り留めもないことを、「でも、でも」と繰り返してもたもたしていると、ふいに彼の優しい笑顔が頭をよぎった。
「明日、告白しようかと思って」
まずいと思った時には遅かった。
じわりと目頭が熱くなる。
いつだってそうだ。悲しいのも苦しいのも後からやってくる。
彼の優しい横顔が蘇ると、もう駄目だった。
きっと彼が好きなのは明るくて、優しくて、笑顔が素敵な女の子なんだろう。この本の主人公みたいに。
主人公になりたいわけではない。けど、
「どうしてこんなに違うのかな……」
持っていた小説を膝に乗せて表紙を見つめた。
そんなのはわかりきっていることだ。
私は脇役だ。立役者だ。
例えばこの物語のように、主人公はいつだって魅力的で努力家で、運命を切り開く力と意志と運命を持っている。残酷だけれども、この世には主役になれる人間と脇役で終わる人間に分かれていると佐和は思う。
佐和は後者で、きっと彼の好きな人や海音は前者だ。
顔はそこまでブサイクではないけれど可愛くもない。性格も悪くはないが面白いタイプでもない。人からすごく好かれる人気者でもないし、リーダーになれるタイプでもない。
そんな普通人間が主人公の物語なんてきっとつまらないだろう。
中には平凡を売りにした主人公もいるけれど、多くの恋愛小説や少女漫画のそういった主人公たちは傷ついてもそれでも勇気を出して、気持ちを伝えて、困難を乗り越えて最後には結ばれる。
憧れるけれど、それは主人公だからできることだ。
世の中の人間が皆そんな人間かと言われれば答えはノーで。多くは告白も、話しかけることすらできず、ただ眺めて終わり。そんな恋愛が腐るほどあるんじゃないかと思う。―――佐和がそうであるように。
そして、そんな普通は小説にならない。理由は単純明快。つまらないからだ。
だからもしも、こんな素敵な目に合うならきっと世界は私じゃなくて海音や彼の好きな子を選ぶだろう。
本の表紙に水滴が一つ、二つ落ちた。
勇気があれば、傷ついてもいいから気持ちを伝えれば、そんなことはわかっている。
でも、どうにもならない事というのは世界に溢れている。
どう頑張ったって変わらないことが確かにある。
それを無理矢理勇気を出して彼に気持ちを伝える?そんなのは非現実だ。
何も残らない。残るのは気まずい気持ちだけ。なら伝えないほうが正しい選択じゃないか。
それなのに、どうしてこんなに空しいのか。
佐和は見つめていた本を抱きしめた。
結局私は何もできない。だからいつまでたっても脇役のまま。
私は脇役。だから、どんな事があっても主役になれるような事はできない。
この時の考えは今でも間違ってなかったと思う。
けれど、考えもしなかった。
そのせいで大切な妹を、
失うことになるなんて。
その日、出かけた海音は深夜になっても帰って来なかったのだ。