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「マーリン、氷持って来たよ」
「ありがとう。サワ。……何か御用ですか?ケイ様」
佐和の後ろからアーサーの部屋に入ってきたケイの姿を見て、マーリンの声が硬くなった。
「ああ、サワ―にも言ったけど、前の口調で良いってー。アーサーにいびられたんだって?お疲れさーん」
「はあ……」
佐和も大概だが、マーリンも胡散臭いものを見る目でケイを見ている。
佐和から氷を受け取りつつも、マーリンはケイから目をそらそうとはしない。
まあ、出会い方が出会い方だったし、無理もないよね。
人見知りの激しい佐和でさえ、さすがに自分を誘拐しようとした人間に敬意を払う気にはなれず、ケイへの敬語を辞めるハードルはかなり低かった。
「じゃあ……何か用?」
「うん。ちょっと二人に言っておきたいことがあって」
「何だ?」
「一週間前、アーサーが捕まった奴隷の元締め、覚えてるか?」
「確か貴族の男だよな?」
スコット領領主カラドスと名乗った奴隷の元締めは、確かアーサーいわくエクター家の失墜と金儲けをたくらんでの犯行だったと言っていたはずだ。
「そう。その貴族―――カラドスが未だに逃げてる」
「「は!?」」
綺麗に佐和とマーリンの叫びが重なる。
もうてっきり捕まっている物だとばかり思っていた。寝耳に水だ。
「何それ!?もっと早く言ってよ!」
「逃がしたのか?」
カラドスを追って行ったのはケイだ。ケイが逃がさない限りそんな事態になるわけがない。
「それがなー……んー。実は一回は捕まえたんだよ」
「どういうことだ?」
マーリンに促されたケイは事の経緯を説明してくれた。
「実はな、あの時、俺は一回カラドスを捕まえたんだ。城にも連れてきた。それで処刑する前に事情聴取をしてたんだが、三日前、牢屋から忽然と姿を消したんだ」
「脱走したってこと?」
「それが不思議なんだ。牢屋の鍵はかかったままだったし、その日番をしていた衛兵も、不審なことは何もなかったと言っている。まるで煙みたいに消えたんだ」
「それを俺たちに知らせる意図は?捕まえるのは兵士の仕事だろ」
マーリンの言うことは最もだ。あの事件の関係者とはいえ、佐和たちに知らせた所で何かが変わるとは思えない。
「ここからは俺の推察だが……おそらく脱獄に魔法使いが関わってると思う」
ケイの言葉に内心ひやっとした佐和は懸命に平静を装った。横のマーリンも顔色は変わっていないが、たぶん内心は穏やかじゃない。
「気になることを事情聴取で言っていたのを聞いたんだ。始めは黙秘してたらしいんだが……あいつに協力していた魔術師がいただろ?そいつとどこで知り合ったかっていう質問に『紹介された』と言ったらしいんだ」
佐和の目の前でアーサーに切り殺された魔術師……。
あの瞬間の恐怖は未だに体にこびりついている。佐和は無意識に自分の身体を抱きしめた。
「誰に紹介されたのかはわからなかった。聞きだす前に消えたからな。でも、どうも怪しい。魔術師はウーサー王によって、厳しく取り締まられているはずなのに、その魔術師と貴族を簡単に引き合わせられる人間がいるってことだ。しかも、カラドスの性格からいえばケイ―――いやアーサーに逆恨みして、復讐しに来る可能性がある。お前らはカラドスの顔も知ってるし。ちょっと注意しといてくれ」
「……あいつは、そのことを知ってるのか?」
「アーサー?あいつには言ってない。魔法がらみだと冷静さを欠くからな。できれば知られずに対処したいんだ。だけど、警戒はしたい。お前らは必然的にアーサーといるのが一番長くなるし」
「……ねえ、ずっと聞きたかったんだけど、アーサーってどうしてあんなに魔術師が嫌いなの?」
国の法律で禁止されているにしても、アーサーのあの魔術師への嫌悪感は異常だった。
それまで、高慢でも決して悪人には見えなかったアーサーの豹変ぶりは、今、思い出しても背筋がぞっとする。
「……そのうちわかるよ」
佐和の質問に、珍しく優しい声を出したケイは、佐和の頭を軽くぽんぽんとなでると、部屋を出て行ってしまった。
「言えないってことか……」
その背中を見送ってから小さくマーリンが呟いた。
逆になんか理由があるってことだよね。そうじゃなきゃ否定するはず……。
否定しないということは、昔、何かありましたということの証明に他ならない。
「マーリンはどう思う?アーサーのあの異常な魔法使い嫌い」
「……どうも何も、あれが普通じゃないか?サワみたいな人の方が俺は……稀有だと思う。もちろん、良い意味でだけど」
慌てて付け加えられた言葉に佐和は苦笑した。
佐和が魔法使い嫌いじゃないのは、単純にこの世界出身じゃないからだ。魔法が悪だなんて教わってこなかったし、第一そんなこと信じられもしない。
だから、この世界に暮らすマーリンにとって、アーサーのあの態度は普通なのかもしれない。それでも。
それでも、私は異常だと思う……。
単に法律とか社会が禁止しているからという理由以上のものが、あの時のアーサーを突き動かしていたとしか思えない。それぐらいの迫力があの時のアーサーにはあった。
「……俺が導くべき王は、本当にあのアーサーなのかな……」
考え事をしていた佐和はその言葉に反応が鈍くなった。
氷を後頭部に当てていたマーリンの手が力なく垂れ下がる。
「他にもアーサーはいるのかもしれない。もしかしたら貴族とは限らない。確かに一番王位に近い『アーサー』はあいつだ。でも……」
マーリンの言いたいことはよくわかる。
魔術師であるマーリンが、魔術師を憎む王様を受け入れられるわけがない。
実はこの一週間、佐和の一番の心配はそこだった。
忙しくアーサーに振り回されているせいで、なかなかマーリンとしっかり話す機会がなかったので話せていなかったが、ずっとアーサーに対してマーリンがどう思っているか気になっていたのだ。
「マーリンはアーサーが嫌い?」
「……嫌いだ。あいつは魔術師を魔術師というだけで切った。……俺の理想の真反対だ」
返す言葉もない。
やっぱりマーリンはそう捉えていたんだと思うと、なぜか胸が痛んだ。
「でも、理由があるのかもしれないよ?」
「理由があれば殺人は許されるのか?」
胸に言葉が突き刺さった。『理由があれば殺人が許される』なんて佐和も思ってない。でも今の自分の発言はそうとしか取れない。
「……悪い。サワに当たるつもりじゃ……」
「いや。ううん……」
今のは私が悪かった。
そんな意図はなかったと言い訳したい。穴があったら入りたい気分だ。
「……ごめん」
私にもアーサーがあのアーサーで合ってるかどうかなんて、わからない。ただ私は見守ることしかできない。
「おい、お前ら、何をしてるんだ?」
不穏な空気を全く感じていないアーサーが、ずかすかと部屋に戻って来た。
「あ、で、殿下、謁見は終わったんですか?」
思わずアーサーと呼び捨てそうになった佐和の突っかかりが、気になったらしいアーサーは顔をしかめたが幸い、突っ込まれなかった。
「ああ。おい、着替えを用意しろ。これから城下町の巡回だ」
アーサーの公務はかなり多岐に渡る。
どうやらこの後は町の巡回兵に混ざるらしい。
今のアーサーの恰好は、謁見用のシャツとジャケットだ。真紅に金色の装飾が施されている。巡回にはどう考えても向かない。
「この前まで戦だった影響で、盗みを働く者が増えていることが謁見で問題になった。その取締りの強化だ。盗みを働いた者には厳罰だとお触れを出してはいるがな」
「わかりました」
「それからマーリン、お前は俺と一緒に来るんだ。今すぐそのダサい鎧をしまって来い。城門で合流だ」
「……はい」
扉から出て行くマーリンの背中を、佐和は横目で見送った。
ちゃんと最後まで話せなかったな。アーサーに対してマーリンはどう思ってるのか。
それでもマーリンがアーサーに良い感情を持っていないことだけはわかる。もし本当にこのアーサーが王になるなら前途は多難だ。
「はあ……」
佐和はアーサーの服を準備しながら、こっそりため息をついた。