page.56
***
「次はこいつだ」
「……乗馬か」
ぽんぽんとアーサーが叩いたのは栗毛の馬だ。
藁が敷き詰められた馬小屋に連れてこられた佐和たちの前で、アーサーが乗馬に必要な道具を取り出してくる。
「まずは着けろ。それぐらいはお前らでもできるだろ」
「え!?」
どさっと地面に落とされた馬具のうち、鞍ぐらいは佐和にもわかるが、他の道具は何に使うのか見当もつかない。
というか馬をこんな間近で見ること自体、小学生の遠足ぶりだ。
「どれから着ければいい……んですか?」
「おい、お前そんなこともわからないのか?考えればわかるだろ?」
考えてわかるものじゃないと思うのだが、アーサーはできるものだと思い込んでいるらしい。思わず顔がしかめっ面になりそうになる。
「どうした?これぐらいできなくて、俺の従者だと?笑わせるなよ」
訂正。どうやらアーサーは佐和たちにできるとは思っていないのだ。
さっきから無理難題を吹っかけて、辞めさせようという魂胆らしい。
でも、これぐらいで辞めさせられたら……せっかく、アーサーの傍にいられることになったのに……。
とりあえず、手近にあった何に使うかもわからない馬具を取る。どうしようかと動きが止まった佐和の手から、マーリンが馬具を取って行った。
「マーリン?」
マーリンは馬具を受け取ると手際よく馬に取り付けていく。
感心しながら見ていた佐和の口からその素早さに「おー」と感嘆の声が漏れた。
「これで良いんですよね?」
馬具を取り付けられた馬を、優しく叩いたマーリンの仕事をチェックしたアーサーは、しぶしぶといった様子で小さく「まあまあだな」と呟いている。
へ。ざまーみろ。
自分の手柄ではないが、アーサーの鼻をマーリンがへし折ったかと思うとスカッとする。
「……なら、そいつを馬場に連れてけ」
手綱を引いたマーリンが馬小屋から出て行く。その手つきも確かなものだ。
マーリンに続いて上機嫌で出て行こうとした佐和は、後ろからアーサーにいきなり腕を掴まれて驚いた。
「ちょっ!?なに……ですか?」
「あいつ、農民なんだよな?」
アーサーに捕まった佐和に気付かないマーリンは、馬を連れて先に出て行ってしまう。
馬小屋に二人きりになった佐和は、厳しい目つきのアーサーを見つめ返した。
「農民?んー?正確には農民じゃないかも……孤児院で育ったって言ってたから……」
日頃農作業して生計を立てている人達を農民と定義するなら、マーリンは当てはまらない気がする。
「だが出身は田舎だな?」
「え?ああ、うん。はいカーマ―ゼンってところです」
「……なら、どうして馬が扱えるんだ……」
「え?何ですか?」
佐和の聞き返しを無視してアーサーも出て行く。
一体どういうことなのか聞きたかったが、結局その後は生まれて初めての乗馬訓練でアーサーにさんざん嫌味を言われ、それどころではなくなってしまった。
日が落ち、侍女を束ねているメイド頭から仕事の説明を受け、自室に戻る頃にはそのことはすっかり忘れ去り、こうして佐和の従者生活の一日目は終了した。
***
「よーし、これなら文句言われないよね!」
佐和は今まさに整え終わったアーサーのベッドを見渡した。
まさに王子様のベッド。キングサイズのベッドに真っ白なシーツ。布団の色はなんと真紅。ものすごい高級感である。
「枕四つもあるー」
しかもふっかふか。
思わず枕をポンポン叩いていた佐和は我に返って枕のしわを直した。
アーサーの元に仕えるようになって一週間。アーサーのわがままぶりは佐和の予想を遥かに上回った。
とにかく知らないことやわからないことがあるとそれをあげつらい、ねちねち言われるのだ。
ベッドメイキングは佐和の仕事なのだが、この一週間毎日アーサーに、やれ皺が寄ってるだの。やれここが汚いなどと言われっぱなしだ。
基本的に佐和の嫌味耐性は低くない。
会社勤めの人間ならこれぐらいの嫌味は日常茶飯事だ。だから、謝りながらも気にせずにやっていたのだが、完璧にできたと思った四日目。「お前はこんな程度のこともできないなんて、何にもできないんじゃないか」と言われた時にはさすがに少しへこんだ。そこでなんとか頑張ろうと四苦八苦しているのだ。
「うん、ばっちり」
「サ……ワ……」
ベッドの前で自分の仕事に満足して腰に手を当てていた佐和は、がしゃがしゃとうるさい金属音に入口を振り返った。
そこには剣術訓練用の鎧を着たマーリンが、扉にもたれかかるようにして立っている。
「マーリン、どうしたの!?」
「くそ……まだ耳鳴りがする……思いっきり叩きやがって……」
どうやらまたしごかれてきたらしい。疲れ切った様子でその場にへたり込んだ。
「大丈夫?」
「後頭部が痛い……」
「ちょっと見せて……マーリン!これ、たんこぶになってるじゃん!」
マーリンの後頭部にそっと触っていた佐和の指先に、膨らみが当たった。
ヘルメット越しに叩かれた時に、変にどこかにぶつけてしまったのかもしれない。
「これ冷やした方がいいよ。私、氷もらってくるね」
アーサーは訓練の後は謁見の立会に行く予定だったはずだから、まだ部屋には戻ってこない。
今のうちに手当してあげないと、手当する時間はもう確保できなくなるに違いない。
マーリンをアーサーの部屋に置いて、佐和は廊下を急ぎ足で歩いた。氷なら厨房に行けばあるはずだ。
「お、サワ―。急いでどっしたー?」
背後からかかった軽い声の主に佐和は足を止めた。初めて会った時よりはまともなシャツとジャケットを着ているが、あいかわらず王宮にいてもどことなくだらしない。
お酒の名前みたいな発音で名前を呼ばれたことに突っ込みたかったが、佐和はここがどこかを思い直した。
「えっと……ケイ様」
叩き込まれた宮廷の挨拶を思い出して佐和は頭を下げた。
色々とあった相手だが、仮にも貴族のケイには礼を尽くさないと、城内では不敬罪になりかねない。
「そんなかしこまった口調じゃなくて良いってー。前みたいに話してくれて」
「え…でも……貴族ですし……それに、一応年上なわけですし」
最初は単なる誘拐犯だと思っていたから、ため口だったが、今は貴族と侍従。かつ目上の男性だ。
「良いって、良いってー。ま、周りに人がいる時はさっきの挨拶にしといたほうがいいと思うけどなー」
「えっと……じゃあ……ケイ」
「オッケー、オッケー。で、どうしたんだ?そんな急いで」
「あ、マーリンが頭にたんこぶ作っちゃって。氷もらいに行こうかなって」
「なんだ?アーサーに、ぼこぼこにでもされたのかー?」
当たりだ。さすがケイ。アーサーとの付き合いの長さがうかがえる。
「まあ……」
「仲良くやってんなー」
「どこが……」
頭が痛い。この一週間、佐和もマーリンも言われたい放題、やられたい放題だ。
「いやー、やってんなー。相変わらずだなー」
「……もしかして前の従者が辞めた原因って……」
「お。さすがサワー。鋭いっ!」
ぱちんと指を鳴らしたケイにため息がこぼれる。
「やっぱりアーサーの嫌がらせに耐えられなくなったのね……」
「前の従者は貴族だったんだけどなー」
そりゃ、あんな仕打ちに耐えられるのはよほど生活に困窮してるか、佐和たちみたいに何か目的がある人間だけだろう。
いわゆる貴族のプライドのある人間が、アーサーのあの仕打ちに耐えられるとは思えない。
「それ、無理でしょ。もたないに決まってるじゃん」
「なー。いやー、佐和とマーリンはばっちりだなー」
「どこが。私はまだしもマーリンは毎日ぼろぼろだよ」
アーサーははっきり言って、佐和よりもマーリンに対する当たりが強い。
身の回りの世話は佐和の仕事だが、力が必要な武術のけいこの相手、狩猟のお供、城下町の視察や警備、各種お使いは全部マーリンだ。
あっちこっち連れまわされたかと思えば、立てなくなるまで訓練につき合わされ、返ってくるのは罵詈雑言。よく耐えられると感心せざるを得ない。
「いやいや、あいつ、なんやかんや言ってお前らのこと気に入ってるし」
「えー?うそだー」
「本当、本当」
どうにもケイの言うことはいまいち信用ならない。
「とりあえず、マーリン待たせてるから私行ってもいい?」
「あ。俺もマーリンにちょっと用事あるし、付き合うよ」
話を切り上げて厨房に向かおうとした佐和に、そう言ってケイは付いて来た。
「用事って何?」
「マーリンもいる所で話すわ」
どうやらここで言うつもりはないらしい。珍しい事態に佐和は首を捻った。
「あ、そうだ……ケイ。農民って馬には乗れないの?」
「ん?なんだ?藪から棒に」
アーサーの従者生活一日目の、馬場での出来事を思い出した佐和は、事の経緯を簡単にケイに説明した。
「ははーん。なるほど。そりゃ、アーサーの目論見が外れて驚くのも当たり前だな」
「そうなの?」
「ああ。普通、農民は馬なんて持ってないから乗馬もできないし、馬具なんて生まれて初めて見るはずなのに。多分それをあげつらってやろうと思ったら、あっさりこなされてびっくりしたんだろうなー」
「そうなんだ……でも、マーリン馬も乗れてたよ」
戦場に駆けつけた時も、乗馬訓練の時もマーリンは立派に馬を乗りこなしていた。
佐和の言葉に珍しくケイも目を丸くしている。
「そりゃ、本格的に不思議だわー。普通の農民にゃ、絶対できない芸当だ」
「へー。そういう物なんだ……」
「サワ―の国は違うのか?」
「え!?ああ、まあ、うん。乗れる人は少ないけど、乗ろうと思えば、誰でも練習できるっていうか」
思わぬ返しに佐和は慌ててぎりぎり嘘じゃないラインを答える。
馬じゃなくて電車とかバスで移動するんです、なんて言ったところで通じるとは思えないが。
「へー。すごいなー。よっぽど金持ちじゃないと、この国では馬なんて持てないからなー」
そうなんだ……。まだまだマーリンについて佐和も、知らないことだらけだ。
次、話せる時間があったら聞いてみよう。
こうやって、一つ一つ佐和がマーリンを理解していくように、マーリンとアーサーも仲良くなってくれればいいと、なぜかその時、佐和は思っていた。