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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第14章 モルガン・ル・フェイ
397/398

page.396

***



 そこはマーリンが知っている限り、貴族、騎士の邸としては手狭だった。いや、民家とほとんど何も変わらない。

 木製の邸宅は、先程火を入れられたばかりの暖炉の光に照らされ、暖まり始めている。その暖炉のすぐ側に置かれた椅子に、タオルと毛布でくるまれたモルガンが膝を抱えて座り込んでいる。


「どうですか?少し落ち着きましたか?」


 リビングに続いている土間から、自力で入れたのか騎士の男が手にカップを二つ持って、モルガンの向かい側に回った。そんな男からモルガンは視線を外した。

 俺のことは見えてないみたいだ……。

 いや、そんなことはわかりきっていた。これは記憶だ。モルガンの記憶。それをどういうわけかマーリンが見ている。だから、これは過去にあったことで、ここにマーリンがいることにモルガンともう一人の男が気付くこともないし、マーリンが何かをすることもできない。


「……」

「困りました」


 困っているようには見えない優しい微笑みを男が浮かべる。無視を決め込むモルガンに、手にしていたカップの一つを差し出した。


「暖めたミルクです。休まりますよ。ぜひ飲んでください」

「……いらないわ」


 ようやくモルガンが口を開いた。彼女はくるまっていた毛布をさらに引き寄せ、男から身体を反らした。


「でも、あれだけ雨に打たれていたんです。寒くありませんか?」

「……どうせ、毒入りでしょう?貴方がそれを飲んだら私も飲んであげてもいいわよ」


 先程まで衰弱していたとは思えない蠱惑的な笑みでモルガンが男に微笑みかけた。何度も何度もこの表情で周囲をろう絡し、事態を乗り越えてきたのだろう。

 男がそんなことはできないとわかりきっているのに嘲笑うのは昔から変わらないのか。

 そうマーリンが思った瞬間、あっさりと男は「わかりました」と笑って、差し出していたカップに口をつけた。


「な……」


 これにはモルガンも驚いたようで呆気に取られている。男は一口だけ飲んだカップを下ろし、変わらずに優しげな笑みを浮かべた。


「入っていませんよ」

「……飲んだフリなんていくらでもできるわ」

「では、もう一口飲みましょうか?ただ、貴方が飲む分が減ってしまうので心苦しいと言いますか……既に口を付けたものを女性に渡すこと自体躊躇われるのですが……もう一つ自分用に用意したこちらを差し出しても貴方は信じてはくれないでしょうし……困りましたね」

「何故、困っている癖に笑っているのよ」


 モルガンの言う通り、男は笑顔のまま……どちらかといえば、幾分か恥ずかしげに笑っている。


「いえ、美しい女性に自分の口をつけたものを差し出すのも無礼ですし、でも貴方には暖まっていただきたいし、どうしたものかと」

「意味が分からないわ。あなた、頭おかしいんじゃなくて?」

「よく言われます」


 やはり笑顔を向ける男に身構えていたモルガンが少しだけ横目をやった。そのタイミングでさりげなく男が両方のカップを差し出した。

 本当に一瞬だけ、モルガンは手を伸ばすのをやめかけ、結局男が口をつけた方のカップを受け取った。


「美味しいですよ、蜂蜜も入れましたから」

「誰も飲むなんて言ってないでしょう。持っているだけで暖まるもの」

「それでもいいです。良かった。貴女が受け取ってくれて」


 本当に男はそう思っているらしい。心底嬉しそうにモルガンに笑いかけている。


「……貴方、本当にウーサー王の騎士?とてもそうは見えないけれど」


 モルガンの疑問は最もだ。マーリンの知っているウーサーの騎士の中で、こんな人間は見たことがない。

 モルガンのこの記憶がどれほど前のものかわからないが、少しはこの姿より年を取っているはずで、それでも城や各領主にこんな人物がいたなんて記憶はない。

 魔女と知ってもこんなに優しく接してくれる人がウーサーの騎士にいたなんて……。

 水色の柔らかそうな髪に、ライトグリーンの瞳。どこか少し子どもっぽいような顔つきだが、笑うと周囲も暖かくなるような穏やかな空気。ウーサーの騎士としては異色の人物像。こんな人物がいれば、すぐに目につく。


「あはは……やっぱり見えませんか……よく言われてしまうんですが、はい、本当にウーサー王の騎士ですよ」


 苦笑しているのに、その笑顔はやはりどこか穏やかな男に対して、モルガンの気配は尖っていく。


「だとしたら何故、私を殺さないの?」


 その瞬間、モルガンの周囲の温度が低くなる。


「ウーサーの騎士だというなら、私を追っていたのでしょう?!何故すぐに他の騎士に知らせなかったのかしら?手柄を独り占めするため?それとも他に何か目的があるのかしら?」

「目的?」

「そうよ、例えば……貴方が王様になりたいとか」


 先程までとはうってかわり絡み付くような視線でモルガンは男に近付き、そっと指で彼の胸元を撫でた。


「私なら、叶えてあげられるわ……助けてもらったんだもの。そなたのためなら惜しくない」


 濡れそぼった姿すら艶やかに、モルガンは妖艶に微笑み男の胸元を指先でさらに撫でていく。毒のある花のように艶めいた瞳が男を見上げる。


「望みはなぁに?」

「そうですね……貴女が、元気になってくださるのが一番嬉しいです」


 モルガンの色仕掛けに対して、狼狽することも鼻を伸ばすこともなく、笑顔を向けた男の言葉をガシャンと大きな音が遮った。

 モルガンが持っていたカップを床に叩きつけ、肩を震わせている。


「ふざけないで……ふざけないで!!!」


 男を誘惑していた蠱惑的雰囲気をかなぐり捨て、彼女はわめき散らした。


「そんな建前!私は信じないわ……信じてたまるものですか!結局そなた、私を殺す度胸がなかっただけ。ウーサーに引き渡して自分は手を汚さない。罪悪感も感じずに済むように、私に偽善を与えている!それだけではないの!」


 1度堰が外れたモルガンの悲鳴に近い糾弾は止まらない。


「そなたの自己満足に私を付き合わせないでちょうだい!早く連れていくなり、殺すなりしたらどうなの!?それとも確実な証拠のために、私が先に仕掛けるのを待っているのかしら!?だったらお望み通りご覧に見せていれましょうか!?そなたの首を、一言で胴体と別れさせる魔術だけれどもね!」


 全て吐き出したモルガンの荒い息づかいだけが聞こえる部屋。男は、ただモルガンを見つめている。その目が、変わらず優しげに細められた。


「……そうですね、僕は本来なら貴女を誅殺すべき立場にありながら、それを行っていない。貴女に糾弾されて然るべき存在です。自己満足という点でも……えぇ、非常に的を射ています」

「……」

「ーーーだって、僕は身勝手に、貴女に、笑ってほしいと思ってしまったんですから」


 頭をかきながら男がまた、笑った。その笑顔にモルガンが息を飲んだ。


「……っ……して」


 小さな、今にも消えてしまいそうなモルガンの声に男が耳を傾ける。


「どうして……そんな、ことを望むの」


 心底理解できないと言わんばかりに、モルガンの暗い瞳が揺れた。それに対して男は穏やかに答えた。


「……似ていた……からでしょうか……自分に」

「私と……そなたが?……意味がわからないわ。どこも似てはいない」

「そうですね……貴女が経験してきた苦しみからすれば僕の体験なんて、鼻で笑われてしまうぐらいのものかもしれません。けれど、やっぱり少し、似ているんです」


 初めて、男の微笑に自嘲のような雰囲気が混ざった。


「僕も……少し一般的とは離れています。それを僕は良しとして、見ないフリをしてきた…………周囲や、家族を犠牲にして」


 どこが似ているというのだろう。

 かたや人を利用することしか知らない魔女。

 かたやヒトの役に立つことで成り立つ騎士の。

 一体どこが……。


「だから、でしょうか。貴女が、『どうしてこうなってしまったのか自分が聞きたい』と泣いた時、あぁ、この人はとても強く、優しい方なのだなと。自分とは大違いだと。貴女の涙をとても尊く、美しく感じました。見てみぬふりをしてきた自分とは違う。貴女は足掻いていて、その営みは、尊厳は……僕ごときが踏みにじってはいけないものだと思いました」


 男はモルガンの目の前で跪き、その手をそっと取った。


「貴女は、美しい。貴女に足りないものが愛だと言うのならば、僕の愛でよければ幾らでも捧げたい。そう思うほどに」


 そう言ってモルガンを見上げる男の笑顔に嘘偽りは一つもなかった。

 先程までと違うのは、少しだけ男の頬に朱がさしていることだけ。

 喚いていたモルガンは、されるがまま取られた手をーーー繋がれた手を見て、それから初めて男と顔をしっかりと合わせた。

 暗い瞳に小さな光が戻る。


「ーーーそなた、の……名前……は?」

「僕の名は、アコーロン。騎士アコーロンです。レディ」


 触れていた手にアコーロンと名乗った騎士が、口づけた。


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