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「俺達が成そうとしている事が偽善だと……?」
「ええ、そうよ。とても独善的で偏向的な平和。それがそなた達に叶えられる唯一の偽りの幸福的統治」
「どういう意味なんだ、モルガン」
モルガンの話に耳を傾けるアーサーとマーリンの後ろで、佐和の背筋が寒くなる。
モルガンは……やっぱりインキュバス達と同じで『正しき運命』の存在を知ってる?
だとすれば彼女が語るのは―――佐和がマーリンとアーサーにひた隠しにしてきた真実。
佐和は自分の後方にいるランスロットを盗み見た。彼は先程までと変わらず、敵と相対した戦闘体勢を維持しているだけで、変わった様子は特にない。
「……『創世の魔術師マーリンがウーサーの子アーサー・ペンドラゴンを導き、このアルビオンに平和と安寧をもたらす最上の王とするであろう』」
「それは……」
「そう、これは予言。誰が言い出したかもわからない。けれど真実として存在する確定された未来を指し示した予言なのよ」
「何を言っているんだ?俺が王になるのは血筋からすれば妥当だが、マーリンが俺を導く?そもそも俺がマーリンを魔術師として受け入れるかなどわからなかったことだろう」
「……まず、ただの人間であるそなたたちには感じられない『縁』というものがこの世界には存在している。私達魔術師はその縁を手繰り、結び合わせる事ができる存在。けれど、なぜそのような力を持った者達が存在するか、考えた事はないでしょう?」
モルガンはアーサーの言葉を無視して話を進めていく。
「その答え、創世の魔術師、そなたならわかるわよね?」
モルガンに指名されたマーリンが杖を強く握りしめた。
「……本来、魔術師―――ドルイドの一族が魔術を使えるのは、この世界のバランスを保つため。世界は光と闇、朝と夜、善と悪、命と死、裏表一体でできている。そんな『こちら側』と『あちら側』を調停するのが魔術師の存在意義の元々の始まり……」
マーリンが語り出したのは、佐和も一緒に見たマーリンの育ての親……ブレイズの日記の中で語られていた事だ。
「その通りよ」
「マーリンやダーム・デュ・ラックからそれは聞いている。『あちら側』と呼ばれる世界の権化―――それがインキュバスなのだろう」
「そう、そして『こちら側』が新たなる繁栄を迎えるに当たって成された予言が、創世の魔術師とアーサー王の誕生。王とその魔術師はインキュバスを滅し、『あちら側』に支配されかかったこの土地を救い、新たな時代を切り開くというもの。それがいわゆる『運命の正しき流れ』」
それがモルガン達が阻止しようとしている計画。
そして、佐和が成そうとしている未来。
「ねぇ、けれどその未来……随分と独善的だとは思わない?」
唐突なモルガンの問いかけに全員が固まった。
「……一体何を」
「だって、そうでしょう?アーサー王。そなたが君臨すれば全てが丸く収まると?そんな奇跡が起こると本気で考えているわけではないわよね?そなた自身も、創世の魔術師も」
「それは……」
「しかも、先程までそなた達がこだわっていたバリンとバランという少年達……彼らはその正しい運命のために命を落としたのよ?」
返事に窮したアーサーとマーリンの目が見開く。その顔を直視できず佐和は顔を反らした。
あぁ、やっぱり……あの、二人は……
「どういう意味だ!?」
声を荒げるアーサーの姿を見て、モルガンは満足げに微笑んだ。
「魔術師を恨み、平等を見失った王子アーサー・ペンドラゴンが魔術師に対する偏見を見つめ直すための機会が訪れる。それが『正しき運命の流れ』……そのためにあの少年二人は死んだのよ」
モルガンの言葉にアーサーもマーリンもそして他の騎士達も皆、息をのんだ。
その中で佐和は一人、胸元を押さえた。
もしも海音が生きていて、マーリンを導いてくれていたら、バリンが死ぬ事もバランが死ぬ事もなかったかもしれない。マーリンとアーサーはもっと別のきっかけで考えを改めていたかもしれない。
そう考えていた佐和にとっては、別の意味で意外と言えば意外な言葉だったけれど、それは結果論でしかない。
海音がいたかどうかでバリンとバランの生死の運命が変わったのかどうかはわからないけれど、どちらにしても……『正しい運命を成そうとしたから』二人は死んだ。
つまり、マーリンとアーサーからすれば、自分達が夢を叶えるためにはバリンとバランの犠牲が必要不可欠だったという事実を、初めて突きつけられたことになる。
私……自分のせいだってことばっか考えてた……。私がいるせいで海音なら起きなかったはずの悲劇が起きてるんだって。『正しい運命』の流れに戻すための逆流なんだって。それは全部私のせいだって。バリンとバランのこともきっと私のせいだって……。
だが、それを知らないアーサーとマーリンが今モルガンからそんなこと聞かされたら、自分達を責めるに決まってる……。
なぜなら二人は佐和の異端さを知らないのだ。佐和が何をしてきて、何もかも犠牲にしてでも願いを叶えようとしていることを知らないのだから。
二人のせいじゃない。でも二人のせいじゃないと言い切れるような根拠が佐和にはない。それでも確かなのは、今この瞬間、二人に悲しい思いをさせている原因は全部……私だ。
「……出鱈目を言うな。そんなものは結果論だ」
沈みかけた全員の思考を遮るように、今まで大人しくアーサーの後ろに控えていたケイがモルガンの言葉を一蹴した。その目はこの場にいる誰よりも揺るぎなかった。
「アーサーが魔術師を憎んでいた事、それに関する過去の行いに言い逃れはできない。だけど、あの二人の死が、アーサーの為に、まるで世界が仕組んでいたかのような言い方は言い掛かりにもほどがある。未来なんて、誰も知る事ができない事だ」
「……実にあのエクター卿の息子らしい現実的な意見ね、でも残念。そなたはただの人間で縁を感じられるわけでもない。感知できる人間からすればこれは覆しようのない真実なのよ。そして、感じることのできない人間にとってはいくら説明しても理解できない事実」
「だから俺達が成している事は偽善だと、偏向的だと、そう言いたいのか」
アーサーが動揺を隠したままモルガンを見つめ返す。一方のマーリンは苦しげに目を伏せている。
「俺が……アーサー・ペンドラゴンが正しい王たらんとすれば必ず犠牲が伴う。そうなるようにこの世界はできている。そのような犠牲の上に立つ王など偽善者だと、貴様は言いたいのか」
「えぇ、例えあの幼い兄弟を別の方法で遠ざけていたとしても、今度は別の人間が犠牲になったでしょう。些細な経緯の違いを『正しき運命』は気に留めもしない。大いなる結末……アーサー王の御代に向かって、ただ無感動に無慈悲に犠牲者を生み出し、突き進む。それが―――そなた達が成そうとしている未来の正体」
「そんなはずない……!」
先に臨界点を迎えたのはアーサーではなくマーリンだった。
「俺は、自分の意志で、誓ったんだ!ミルディンの言葉を聞いて、自分で考えて、この世界を変えたいって……!自分で確かめて、アーサーとならそれができるって……!」
マーリン……。
マーリンの言葉は本当のことだ。だけど……もしもそれすらも『正しき運命』が用意した試練だったとしたら?
佐和の存在によってどれだけ本来予定されていた『運命』の正しいレールから脱線したのかはわからない。だから今までの事が本当に最初から『正しき運命』のための犠牲だったのか、佐和の影響の歪みを直す為の犠牲になったのか、真実を知る事はできないけれど、確かな事が二つだけある。
一つは……少なくとも、今、この瞬間まで犠牲になってきた人達は全て『アーサー王と創世の魔術師マーリン』の時代を築くための必要不可欠な生贄だったとモルガンは思っていること。
私が関わったせいで犠牲になる人が変わったり、増えたりしたかもしれない……けれど、どちらにせよ正しい運命に犠牲はつきものだったとモルガンは言っているのだ。
そして、もう一つ確かなのは、ミルディンは佐和の影響で死んだのではなく、元々『正しい運命』の生贄に選ばれていたんじゃないかということ。
佐和が聖域の洞窟を出た時点で、ミルディンは魔術師強制収容所に連行されていたし、例え海音がマーリンと出会ってミルディンを助けに行ったとしてもミルディンは既に洗脳されていた……。それは覆せない時間軸の話だ。
「そうよ、創世の魔術師。そなたが『そう思うように』この世の中はできているの。そなたの幼馴染の死は―――必然だったのよ」
「そんな……」
「そんな世界が本当に正しいとそなた達は本気で考えているの?私は違うわ。だっておかしいじゃない?それはつまり大多数の幸福のために選ばれた人間は残酷な目に遭わなきゃならない。そんな『運命』―――間違っている」
「それを知っていたのなら何故!あの兄弟に罪を着せた!?俺を王の道にする犠牲になるとわかっていたのなら貴様が!その時点でバリンとバランを助ければ良かっただろう!!」
「責任転嫁は止めて頂戴。私だってあの時点で全ての『正しき運命』の在り方を知っているわけではないのよ、結局は終わってから知る事。存在する縁を感じ取ることはできても、存在する前の縁を手繰り寄せることはできない。―――過去の事件の真相を魔術で見極める事はできても、未来を―――まだ生まれてもいない縁を見ることなどできないのよ」
つまり魔女モルガンでさえも、アーサーが『正しい運命』に進まないよう企てたとしても、結局はそれがアーサーを『正しい王様』にするための試練になってしまったと後から知ることしかできないわけだ。
そして……その存在しない『未来の縁』を在り得ない力で引き寄せることができたのが……マーリンの本当の母親アミュレットさんの能力だった。
「それなら余計、モルガン・ル・フェイ。お前の意見は詭弁だ」
動揺するマーリンやアーサーと違って、円卓の騎士達は不思議と落ち着いてきていた。ガウェインもイウェインも最初は戸惑っていたものの、今では前に進み出たケイと同じように強くモルガンを真っ向から見返している。
「お前は起きてしまった出来事に後から全部それは『正しき運命』とやらのせいだったと理屈づけているだけだ。それは言い訳だ。自分を正当化するための自分は悪くないと言い聞かせるための幼稚な思い込みだ」
「ケイの言う通りだ」
ケイに続きイウェインも真っ直ぐにモルガンと向き合う。
「確かに私達は魔術師ではない。だから貴様の言う『縁』というものは感じる事はできないし、本当に存在するのか確かめることもできない。それでも」
そこで一度言葉を区切ったイウェインがなぜかちらりと佐和を横目で見た。
「全てが全て決まっているわけではないと貴様は言った。『正しき運命』を成すための犠牲はどれだけあがいても別の者が選ばれると、『正しき運命』は些末な事には捕らわれず大局を成すと、ならば、『殿下がより少ない犠牲の元、誇り高き王と成る』そんな事だって在り得るはずだ!貴様はただその思想に憑りつかれているに過ぎない!在り得ない事だって、起きる可能性はあるのだ!私が、そうだったように!」
「……そなたが騎士になったことを言っているの?女性で騎士になれるはずがないところを成れたことを?」
「そうだ」
「……それも『正しき運命』に記されたことよ。サー・イウェイン。あなたはアーサー王初の女性騎士となる。これも予言されていた『運命』の一つ」
「だとしても、それは私が努力を怠れば、殿下達があの戦いで我がアストラト領を通らなければ、様々な奇跡が重なり合わなければ起こり得なかった事だ。そのような不確定事項に基づいたものが『決定されていた未来』だなんて事はありえない」
「まぁ、確かに、ありえねぇのはありえねぇってことだけだって聞くしな」
息を切らしながらガウェインも笑う。
「ごちゃごちゃ難しい事は俺にはわかんねぇよ、ただ結局てめぇは一体何が気にくわねぇんだ?アーサーが王様になることか?それともその『運命』とやらの言いなりになってる世界全部か?てめぇ自身は何なんだよ?」
ガウェインの言葉はシンプルで、それだけに的を射ていた。
そう、細かい理屈をたくさん聞かされたけれど、結局私達は「モルガンが一体どうしたいのか」知らない。
「モルガン・ル・フェイ」
敵にかける言葉とは思えないほど、優しく魔女の名前を呼んだのはランスロットだ。
少しだけ、どこか困ったような顔でモルガンを見ている。
「あなたは……どうなれば一番いいと思っているんですか?どうなればあなたは幸せだと、これで良かったと思えるんですか?」
「お前ら……」
アーサーが安堵した表情で円卓の騎士達の顔を見回す。王の呼びかけに騎士達は皆優しく頷いている。
その前で問いかけられた側のモルガンは沈黙している。その重たい唇がゆっくりと息を吐いた。
「……どうなれば幸せになれるか、なんて…………もう叶わないことよ……!!」
「っ!?」
突然部屋中に吹き荒れる吹雪に全員が戦闘体勢に入る。凍てつく風の中心でモルガンは強く強くこちらを睨みつけていた。
「私の願いは、とうに消え失せた……何もかもが呪われればいい!運命が正しいと、その流れの為に何かが犠牲になることを、そんな事は確定事項ではなかったと言えるのはそなた達が無知だからよ!私は知っている!どれだけ善き人間でも、どれほど良き行いをしてもそれはただ、『正しい運命の流れ』には無慈悲に踏みにじられるものなのだと……!」
「っ!話し合いでは無理か……!」
猛吹雪に顔を覆う。凍てつく氷の魔術とは裏腹にモルガンの目は激しい激情を灯していた。
「そなた達を殺さない限り、私は!許せない……!創世の魔術師!そして……アーサー王!」
「来るぞ、気を付けろ!アーサー!」
マーリンが創世の魔術師の杖を構えなおした。




