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「くそ!くそ!くそ!!」
草原を進むたび、傷口が痛む。雨はあがったものの額に張り付いた髪すらうっとおしい。
「もう少しで、もう少しで!!」
「コンスタンス」
戦場には似合わない艶のある声にコンスタンスははっと前方を見た。いつの間にか目の前の膝ぐらいまでの大きさの岩に灰色の烏が止まっている。
「こ、これは……!!まさかこのような所までおいでになっていらっしゃるとは知らず……!!」
コンスタンスは岩の足元に膝をつき、懺悔する信者のように烏を崇めた。
「器の回収を、そなたには頼んだはずだけれど?」
「……大変申し訳ございません。しかし、なぜか洗脳魔術がうまく発動せず、駒が勝手に」
「他に」
「はい?」
「他に言い残すことはある?」
その言葉にコンスタンスの背中が冷水を浴びたように一気に冷えた。身体に突き刺さるような冷気に辺りを見回すと、気づかぬ間に無数の烏が周囲のあちこちに止まっている。
「もう一度、もう一度、機会を!!モルガン様!」
「食べていいわ」
コンスタンスの懇願を無視したその言葉に、灰色の烏を取り囲むようにに止まっていた烏たちの赤い目が一斉にコンスタンスに向けられた。
「う、うわあああああああああああ!!!!!!」
烏の鳴き声と羽音に混ざった男の断末魔を灰色の烏はただ無機質な目で見つめていた。
***
結局その日、戦いはすぐに幕を下ろすこととなった。
杖を手にいれ、創世の魔術師として目覚めたミルディン――――いや、マーリンは凄まじかった。
瞬く間にマーリンは戦場に台風を起こし、両陣営とも戦いの続行が困難な状態にしたのだ。それによって、洗脳され戦場へと駆け勇んでいた魔術師達も止まり、彼らの命は救われた。
コンスタンスを逃がしてしまったことで、洗脳を解くことは難しいかと思われたけれど、戦争が終わった後、魔術師達の様子は一変し、洗脳が解けたのか全員が混乱しているようだった。
マーリンいわく、もう彼らに洗脳魔術はかけられていないらしい。
けれど、このままでは彼らは王家に捕まり、処刑されてしまう。
そこでマーリンと私は一度保護施設へと戻り、洗脳に必要な魔法道具だけを破壊した。コンスタンスの話の通りならば、イグレーヌ自体の理念に偽りはない。この施設を残しておくことが現時点では最も現実的な彼らの保護方法だと、私とマーリンは考えた。
「……ブリーセンは連れていかなくていいの?」
夜の静けさの中で、佐和は保護施設を見上げた。来たときは恐ろしく見えた高い壁が今は何の変哲もない建物に見える。
「……うん。今は。ここにいるのが、一番だと思う」
答えたマーリンの目は悲しそうでもあり、優しくもあった。
「今はまだ、ブリーセンに会わせる顔がない。あいつの母親を、兄を俺が奪ったことに変わりはない。だから、いつか償える日が来たら改めて謝りに……来る」
その目にもう初めて会った時のような深い絶望の色はない。
決意を胸に秘めた少年の瞳だった。
「……そうだね」
そして戦争の混乱の最中、私とマーリンは施設から脱走した。