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信じられないマーリンの告白にミルディンも佐和も言葉を失った。
それを見たマーリンは一度静かに息を吐くと途切れ途切れに言葉を続けた。
「マーリンは、君なんだ……」
「どういうこと……だ……?」
「魔術師にとって名前を知られることは自分の運命を明け渡すようなものだ。力のある魔術師なら名前を媒介にして魔術をかけることだってできる。だから魔術師は自分の身を守れるようになるまで名前を隠す人がいるんだ……」
「知らない人も多いけどね」と小さく付け足す。
佐和は保護施設でのことを思い出していた。最初に水晶に触れた試験の時、全員名前をコンスタンスに教えた。あの時、名前を聞いたことで洗脳魔術はより強力になったのかもしれない。
だとすれば佐和とミルディンに魔法が効かなかったのも納得できる。
私、苗字は名乗らなかった……。
そしてミルディンにはファミリーネームがない。いや、それどころか、マーリンの話が本当なら。
彼の名前はミルディンじゃ、ない。
「……院長先生が死刑になる前日、僕は院長先生に呼び出された。その時、聞かされたんだ。キミを守るために、先生は施設に来たばかりの頃に僕とキミの名前を……交換したんだ。そうすることでキミを他の魔術師から守れるように」
少しずつマーリンの息がか細くなっていく。けれど、しゃべるのをやめようとはしない。
「だから……マーリンはキミだ。キミなんだ……」
マーリン―――と呼ばれていた青年はそう言うと空を仰いだ。
「だから僕はキミを恨んだんだよ。『マーリン』には何もかもがある。それに比べて『僕』には何もない。先生の愛も、ブリーセンを守っていく権利も、役割も、魔術師としての才能も――――名前すらも……だから何もかも僕から奪ったキミから僕は奪い返したかった。キミさえいなければ僕は僕として生きられたかもしれない。もしくはキミがいなくなって僕がマーリンになれば全部手に入るかもしれない……!!そう考えて、自分を呪って、キミが憎くて、憎くて、憎くて!たまらない!!それは僕が悪いのか!?こんな風に他人を羨む僕が何もかもいけないのか!?どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだ!?どうして……!!」
「……マーリン……」
「僕は……マーリンじゃない!!!!!」
彼の顔がゆがんだ。唇をかみしめ、空を睨みつけている。揺らめいた瞳が佐和に向けられた。
「ねえ……君、君は『マーリン』を迎えに来たんだよね……?」
「……そうだよ」
「『マーリン』ならこの世界を変えられるんだよね?」
「……そうだよ」
本当はわからない。けれど、こう答えるべきだと思った。
「……だったら」
彼はミルディンの首元をつかむと体を起こした。その瞳から涙があふれ出る。
「だったら頼むよ……!こんな世界変えてくれよ……魔術師に生まれただけで、たった一度レールを外れただけで、名前を、居場所を、役割を、将来を、友達を、無くさなくてもいい。そんな世界にしてくれよ……!!」
少年の頬を涙が次から次へと流れていく、止んだはずの雨がぱらぱらと三人に降り出した。
「僕が生きた意味を!証明してくれよ…………!!」
「…………………」
ミルディンの首を絞めていた手が滑り落ちた。
降り出した雨がミルディンの肩を濡らしていく。青年の力のない身体を抱きしめているミルディンの背中があの日の自分と重なる。
何も言うことができず、佐和はただその場でミルディンの背中を見つめた。
「………………………さっきの話は……本当なのか……?」
雨音にかき消されてしまいそうなほど、小さい声がささやいた。
「俺なら……世界を……変えられるのか……?そんなことが……可能なのか……?」
その背中をただ佐和は見つめる。
きっと海音ならこんな時「できるよ」と言い切るだろう。それに勇気づけられ、きっと前に進めるようにしてくれるだろう。
でも、佐和は海音じゃない。
運命は佐和が代行者となった時点で狂いだしている。杖が言っていた通り、一筋縄でいくわけがないのだ。
だから、変えられると断言することは無責任のように佐和には思えた。
佐和はミルディンが少年に駆け寄る際に投げ捨てた杖を拾った。丸まった背中に歩み寄る。
「……可能か不可能かじゃない……」
あの日、海音を失った自分と目の前の光景が重なる。
同じ質問を、同じように自分が問う側になるなんて、思いもよらなかった。
「あなたの選択肢はただ二つ―――――――――やるか、やらないか、だよ」
「俺は……」
泣いていたんだろう。拳で涙をぬぐい、抱いていた身体を横たえた彼は立ち上がり、振り返った。
「俺は……やるよ。もう二度と、こんなことが起きないように。もう誰もこんな悲しい思いをしなくて、済むように!!――――『ミルディン』に救ってもらったこの命で!」
「では―――――『我を取れ』」
佐和の口を使い、杖が声を発する。あの日洞窟で起きたように、風が佐和たちを中心に渦巻く。
身体を杖が支配し、杖を掲げさせる。
その景色を佐和はまるで遠くから見ているようだった。
佐和の差し出した杖を彼が取る。その途端、辺りが眩く光り出した。二人で杖を取り、見つめ合う。
『創世の魔術師よ、貴殿はどのような世界を望む?何を願い、その力を振るう?』
「俺は――――俺は、魔術師だろうと、人間だろうと関係ない。生まれも力もどんな人間も何度だってやり直せる、幸せになれる世界を創る!!」
うん。
遠くから佐和は彼を見つめた。
『良かろう。貴殿に我の力を与える。創世の魔術師よ。貴殿はこの世界を新たな時代に導く王を導くであろう。その者と出会い、その者と新たなる世界の夜明けを切り開くのだ』
「王……?」
佐和の時と同じように風と光が弱まるにつれ、杖の声も遠のいていく。それと入れ替わるように佐和の意識が現実に近づいていく。
『かの者の名は』
涙の跡がにじむ青年の顔を佐和は見つめた。
『アーサー王』
風も、光も、声も、雨も止んだ草原で立ち尽くした二人はお互いを見つめ合った。
ゆっくりと佐和は杖から手を放した。
「…………サワ」
「……なに?」
おそるおそるためらいながら自分を呼んだ彼を佐和は見つめた。
「見ていてくれないか。俺がちゃんと、世界を変えるまで。サワに――――見守っていて、ほしい」
その顔に今までの影はどこにもなかった。虚ろだった目は力強く佐和を見ている。
「……いいよ」
そのために、私はいるんだよ―――――――マーリン。
雨の上がった草原に光が一筋差した。