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アーサーの激励に目を輝かせる騎士達。さっきまでとはまるで違う部屋の雰囲気。その中心にいる優しい王様に佐和の目は釘付けだった。
……この人が、伝説のアーサー王。新しい時代を導く王様。
……本当に、本当にすごい。
誰も彼もがこんな事できるわけじゃない。こういうことができるのは、本当に選ばれたごく限られた人間だけだ。
神様に愛されて、運命に愛されて、まるで物語のような人生を生きて、他の人を魅了してやまない人。性格が良いとか。顔が良いとか。愛嬌が良いとか。そういう魅力も勿論ある。だけどそれ以上に不思議な、目には見えない人を惹きつけてやまない輝きを持った人達。
……佐和には、決して真似できない生き方。
海音。
マーリン。
ケイ。
ガウェイン。
イウェイン。
ランスロット。
そして―――アーサーのような。
……何で、私はここにいるんだろう?
騎士の雑踏の中で、人混みに埋もれて、ただ物語の中心の彼らを遠くから見ているだけ。
それで良いと思っていたし、そうするべきだと今でも考えている。
それでもどうしようもなく……寂しかった。
……海音。
きっと海音は蘇れる。だって、こんなに素敵な人達が未来を切り開くんだもん。絶対に大丈夫。
だけど……そこに、私の力は何も無い。
ただ、見ているだけだった。傍観しているだけだった。
自分で決めたルール。運命の逆流を最低限に抑えるため。……そんなのは方便だった。
本当はそれ以上に、ただただ佐和に飛び込む勇気が無かっただけだ。
傷ついても、苦しくても、前に進む。そんな物語の主人公達のような生き方に憧れて、でも結局なんにもしないまま、何も変えられないまま終わっていく。
何が『こっちの世界が好き』だよ……。
アーサーに言った自分の言葉に自嘲してしまう。
そんな優しいアーサーとマーリンが創った『こっちの世界』ですら、佐和は何もできなかった。しなかった。
それなのに、仲間はずれにされたような気持ちになるなんて図々しいにも程がある。
昨晩のアーサーとの会話がふと脳裏に蘇った。
……脇役には、何も変えられない。変える力なんて無い。そんな私がいる意味なんて……結局、あったのかな?
……やだな。
元の世界でも時々頭を過ぎる気持ちが胸を締め付ける。
それは例えば友達同士がすごく仲良く話している時、大勢の飲み会での席、会社で上司に冷たくあしらわれた時……皆と一緒にいるのに最後尾を歩いている瞬間、ふと思う。
―――このまま、足を緩めたらどうなるんだろう?
いなくなった事に誰か気付いてくれるのかな?
私がいないと言ってくれる人がいるのかな?
そんな風に私は誰かに本当に―――必要とされてるのかな?
いなくなったって気付かれやしないんじゃないかって。実はすぐに忘れられちゃう程度の存在なんじゃないかって。
こっちの世界に来て、そんな事は一度も思い浮かばなかった。でもそれは考える余裕が無かっただけで、思わないようにしてきただけで本当は……こっちでも変わらなかったんだ……。
マーリンが私のことを好きだって言ってくれた。だから勘違いできた。だけど本当はマーリンの心を救うのは海音の役割で、私がしてきた事は全部、本当は海音がやるはずだった事。それに海音なら―――私とは違うあの子なら、きっともっとマーリンの心をうまく救えてた。包めていた……だから、マーリンの気持ちは他の誰でもない『佐和』だったからこそ生まれたものじゃない。
結局、私には何にも……
「……改めて皆、聞いてほしい。…………この世界は……理不尽だ」
唐突なアーサーの語り出しに佐和の思考が現実に一気に引き戻された。
……アーサー?
彼は一体何を言い出すつもりなんだろう?
「この世が全て話し合いで解決されればそれが一番だ。しかし、どうしようもないこともこの世には確かに存在する。今回のインキュバスの一件がまさにそうだ。何が原因か、誰のせいか、誰が犠牲者か。立場が異なれば、答えも違う。恐らく和平や交渉など成り立たぬだろう。」
今まで魔術師を憎み続けたはずの王子の澄んだ声に、騎士達は目を丸くして聴き入っている。
アーサー……?
まるで佐和の心にぽっかりと空いた穴を埋めるようにアーサーの言葉がふわりふわり降り積もっていく。
「インキュバスが出現した今、やらなければやられる。奴らに話し合いは通用しない。奴は……この世界を死や恐怖に陥れることしかしない。話も通じはしない」
それは……佐和も謁見室でゴルロイスを初めて見た時から感じていた感想だった。ゴルロイスもといインキュバスは対面していて気持ちが悪くてしょうが無かった。その原因は多分、向こうにこちらの気持ちが全く通じなかったからだ。
元の世界のように、あの上司や会社のように、インキュバスにとってアーサーや佐和、マーリンの意思や気持ちなど無いに等しかった。どれだけ言葉を重ねてもそれを聞いているはずなのに相手には伝わらない。その空しさがあの時の気持ち悪さの正体だと、アーサーの言葉に気付かされる。
「しかし、そのような事はもう……これで最後にしよう」
アーサーの悲しげな微笑に惹かれる。
それは、この部屋にいる誰もが同じだった。
「私は今後魔術師を……魔術師というだけで一方的に弾劾するような事があってはならないと考えている。それは第二のインキュバスを生み出すだけの愚かなる行為に他ならない」
「魔術師に膝を屈するとお考えなのですか?」
「そうでは無い。先も言った通り。魔術師達も同じ―――人間だ。我々と何も変わらない。ただの人だ」
アーサーがマーリンを見て苦笑する。それにマーリンも同じような微笑で返した。
出会ったばかりの頃からは考えられないほどの穏やかな表情。
これが、創世の魔術師マーリンが導いた『アーサー王』……。
「しかし、簡単にはいかぬだろう。困難は目に見えている。我々は隔絶が長すぎた。最早別の人種だと各々が捉えている。けれど、本質は違う。私達は誰もが皆、守るべきものを持った人間だ」
昨晩二人で見た夜景を思い出す。
かがり火に照らされた隣にいるアーサーの綺麗な横顔。
小さな、ともすれば吹けば消えてしまいそうなほどか細い民家の灯火。
それが佐和の中で小さく灯って
―――胸が、温かい。
「同じ騎士という立場の者同士でさえ、先程のように意見は食い違う。ならば更に様々な人間―――魔術師も含めたアルビオン王国全土の民と全てを理解し合うなど夢物語だとわかっている。だが、だからといって諦めるのか?異なる思想を持つ者を一方が他方を滅びるまで破壊するのか?お前達の剣はそんな妥協した理想のために鍛え抜いたのか!?違うだろう!」
ねぇ、どうしようもないのかな?
なんだかね、理不尽な見えない壁?みたいなものがあるの。
どうにもできない人達、話の通じない人達って、どうしてもやっぱりいてさ。
そういう人達に限って権力を持ってたりする。
そんな中で凡人が生き抜くためには、見て見ぬふりをするしかないんだ。
本当は―――そんな優しくない世界は、嫌だな。
「出生や身分、個人の力量、性別、仕事。大勢の民と全て心を通わす等絵空事だ!インキュバスのように今後、話も価値観も努力も熱意も伝わらぬそんな輩が現れるかもしれない。……いや、必ず出会う事となるだろう。しかし……もう止めようではないか。自分とは違う考えを、信念を、価値観を持つ人間をただ否定し、潰すだけの生き方は」
……アーサー。
アーサー。アーサー。アーサー。
アーサー……
これは、返事だ。
アーサーからの。
「例えどれほど理不尽な相手であろうと、主張であろうと、理解できないと匙を投げ、楽な道に流される事で、今まで多くの命と権利が失われて来た。そのような事は、もう二度と繰り返してはならないと気付かされた。なぜならそこに犠牲になる者が必ずいるからだ。我々の元に声も悲鳴も届かず、巻き添えとなった者達が!」
彼は知っている。私のような歴史に名を残さない人たちが、それでもその人生のささやかな幸福を守り、懸命に生きていることを。
天才なんかじゃなくても生きている、誰かの大切な人達。
小さな灯りの下で生きる人々。
「私もただの一人の人間だ。王子という肩書きは、対等な立場の中の代表者という事にしか過ぎない。私自身が……たった一人の人間が世界を変える事などできるはずがない!」
でもね、凡人にはどうしようもないの。何も変えられないの。
物語の主人公みたいに前向きで、明るくて、不思議な力や魅力があって、そういう天才みたいな人じゃなきゃ、この世界にはいらないのかな?
どうしても、そう心の奥底で思っちゃう瞬間があるんだ。
アーサーが、大勢の騎士の中から確かに佐和を捉えた。
夏の澄んだ空のような、おおらかな氷河の水のような、淡く、それでもはっきりとした瞳の色が教えてくれる。
これが答えだって。
私の―――つまらない悩みの答えだって。
「だから私に貴殿らの経験を教えてくれ。貴殿らの知恵を貸してくれ。立場など関係ない。行ってきた偉業も歴史も関係ない。例え自分自身のことが偉大な存在だと、とても思えない者でも」
ああ……。
アーサーがこちらを見ている。アーサーを見つめ返す佐和の目から涙が零れた。拭うこともせず、滲み始めた視界でその姿を見つめ続ける。
「ここに『いる』意味がある!私達人はより良くあろうと!協力し、手を結び、時にぶつかっても、それをさらに昇華させることがきっとできるはずだ!もがき、苦しみ、満たされずとも、現状の最善の答えを目指し、皆でより高い高みを目指す事ができるはずだ!そして皆とはここにいる……この世界に存在する全ての人だ!」
私が、いる。
アーサーの言葉の中に私がいる。
「立場の違う全ての者が完全に納得できる答えは無いのかもしれない。いや、おそらく無いのだろう。それでもただひたすらに、より良く、より善くあろうとするその姿勢こそが私達『人』のあるべき姿ではないのか!?」
ぽっかりと空いた佐和の胸にアーサーの言葉が染み渡っていく。
これはみんなに向けられた言葉。決戦前の激励。王になる人間の宣誓。そんなのは、わかってる。
それでもこれは、佐和が欲しかった答え。
―――あなたが、くれた答え。
「時に武力に頼ることもあるかもしれない。時にこちらが辛酸を舐めなければならぬ交渉もあるかもしれない!しかし、私は……あらゆる手段を駆使し、最も最善の道を探してもがき続けたい!……私は闘う!愛する者を護るため、愛する祖国を守るため!祖国を形作る民を守るため!信ずる貴殿達の家族とそのまた愛した者達を守るため!その先頭を切るのが我ら騎士の矜恃!!貴殿ら持つべき者の義務!」
そして、
光景が、全ての騎士の表情が、一変する。アーサーの言葉に打たれ、敬意が、希望が、熱が高揚していく。
「故に今は剣を取れ!――――護るべきもののために!!」
『―――護るべきもののために!!』
アーサーが聖剣を天に向け放つ。それに騎士たちも皆呼応して剣を掲げた。
感無量のその光景、大勢の騎士達の隙間から一際立派に伸びた背筋の王を佐和は涙を流して見ていた。見続けた。
後光を受けるその姿。誇らしい笑顔で皆を導くこの世界の王様。
そして、同時にかがり火に照らされた月夜の青年の笑顔が浮かぶ。
似て非なるようで、同じ人。
アルビオンの王様になるべき王子様。
彼の言葉にキャメロットの、アルビオンの人達はこれから心を動かされ、新しい時代を切り開いていくだろう。
アーサー。
アーサー。
アーサー。
私に―――初めて答えをくれた人。思えば始めからいつだってくれた異性。
マーリンに告白された時も。自分の力不足に悩んだ時も。そして……私が自分の存在意義に悩んだ時も。
ぜんぶ、ぜんぶ、あなたが答えをくれてた。応えてくれた。
俺がこうなれたのは、こう言えたのは、お前がいたから。
お前と出会い、語り、ぶつかり、気付いた気持ちだ。
だからお前がいる意味はここにある。俺の言葉の中にお前がいる。お前と出会わなければ生まれなかった想いがある。
人々を魅了するその姿に、その言葉に、その思想の中に佐和がいると。
アーサーの声が聞こえる。
もしも、この景色を誇らしいと思うのなら、それはお前が作ったものだ。
そんな風に彼は笑った。佐和を見て確かに笑った。
私がいる意味はここにあったと。ここにあるんだと。
ようやく靄のかかっていた気持ちが晴れていく。
未来のため?
運命の成就のため?
そうじゃない。
私が、マーリンの好意にはっきりと答えられなかったのは、グィネヴィアをどうしても好きになれなかったのは、こんなにも簡単で、とてもわがままな理由。
なんだ……そっか。
私、ずっと前からアーサーのことが好きだったんだ……。
きっとこの光景を私は、一生忘れないだろう。
誰よりも光り輝く、私の好きな人。
海音でもない、湖の乙女でもない、ましてや脇役でもない。
『佐和』がここにいた意味をくれた人。
「ありがとう、アーサー……」
騎士の雄叫びの中、佐和の小さな声が埋もれた。




