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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第十二章 それは、小さな灯火に
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page.361

       ***



 夜の星明かりの下、佐和は城壁の上に登って眼下に広がるキャメロットの町を見下ろしていた。

 城壁の上は通路になっていて、映画なんかで見た事があるように弓兵きゅうへいが配置できるよう壁が凹凸(おうとつ)状になっている。

 こういうの見ると、あぁ、ほんとに私、中世ヨーロッパに来てるんだなーって感じるなぁ……。

 壁に手をつき、城壁の上から広場を見下ろす。明日はついに出陣。かがり火に照らされた眼下の城門前広場には物資を運ぶ馬車や、荷、武器が完璧に準備されている。だというのに、昨日までの(せわ)しさとは打って変わって今日の夜は穏やかだった。

 アーサーの指示の元、一丸となって準備に当たったおかげで全ての支度は万事整った。今晩は最低限の警備以外は、身分関係なく好きなよう過ごせとアーサーから直々のお達しが出されている。

 その理由は考えなくたってわかる。


 ……明日、必ず誰かが死ぬ。


 どれほど綿密な作戦を立てても、どれほど用意周到に準備を怠らなかったとしても。

 争いが起これば、誰かの大切な人が死ぬ。

 けれど何もせず、指をくわえて眺めていれば大切な人だけじゃない。大切な人の大切な人も。もっと大切な人も。ずっとずっと大切だった人も。

 みんな平等にインキュバスの『あちら側』に堕とされる。

 ---この世界は、終わる。

 その前のたった一夜(いちや)

 各々の思うように過ごさせてやりたいというアーサーの思いやりが伝わってくるようだ。

 生ぬるい夜風が佐和の短い髪をさらう。こちらに来た時は、まだ肌寒い春の始まりだった。それがつい昨日の事のような、遠い昔の事のような気がするのが不思議でたまらない。

 もうすぐこっちは、夏になるのかな……?

 佐和は自分自身をぎゅっと抱きしめた。今、ここに海音(うみね)のコートはない。ムルジンの所に行った時に干したまま置いてきてしまったのだ。

 あれがないと、不安で不安でたまらない。勿論、肌寒いなんてことはない。それでも、どうしてもあの上着を着ていないと心許なかった。

 上着(あれ)は湖の乙女の証。私がここにいても良い理由。私がここにいなくちゃいけない存在の証明。こんな壮大な物語に加わる脇役女の免罪符として佐和を守ってくれていた。

 私は海音の代わり。これがその証拠。

 そう思って着ていたのに……。

 変なの…………。

 海音の上着が無くとも、皆佐和の事を「サワ」と呼び、言葉を交わして一緒に明日に向けて準備している。

 あの凜々しくて優しい王様の元で……。


 思い出すだけで胸が震える。

 佐和は胸元を強く握りしめた。

 リュネットの話で効いたアーサーの演説と、思い描いた力強く言葉を放つ姿が脳裏に焼き付いて色あせてくれない。


「こんな所にいたのか」


 唐突に背後から声をかけられて、佐和は慌てて振り返った。城壁の上に通じる螺旋階段から上がってきたのは、今まさに思い描いていたアーサーだった。


「アーサー!?なんで!?」


 夕食はきちんと準備して食べさせたし、片付けもした。アーサーに「お前も今日はもう休め」と言われたからここに来たのに……。

 何で、私を探して……?もしかして……


「何かあった!?」

「お前な……用事がなければ、来てはいけないのか?」

「……そういうわけじゃないけど……」


 どうやら何か大きな事件が起きたわけではないらしい。その事にまず一安心したが、だったら何の用だというのだろう。

 登り切ったアーサーは戸惑う事もなく、佐和の隣に並び立った。

 多忙を極め、誰よりも疲弊しているはずの王子様がわざわざ自分を探してまで会いに来るなんて、常識的にあり得ない。いや、常識的に考えればそうなのかもしれないけれど。

 ……違うや。アーサーは、私にしか話せない事があるんだった……。

 きっとそのためにここに来たのだろう。

 城壁には誰もいない。他人に話を聞かれる心配もない。


「……マーリン、今日には間に合わなかったね」

「あの馬鹿、俺を待たせるとはいい度胸だ」


 壁に手をおいた佐和の横で、アーサーは夜空を見上げながら城壁に背中からもたれ、腕を壁に垂らしている。


「まぁまぁ、ヒーローは遅れてやってくるって言うし」

「何だ、それは」


 マーリンが未だに来ていない事は確かに佐和も不安だった。

 だけど、アーサーの夜風に揺れる黄金の髪と、その下の細められたアイスブルーの瞳を見た瞬間、そんな不安は吹き飛んでしまった。

 だってアーサーは、信じてるんだもん。心の奥底から。マーリンが絶対に出陣までには来るって。間に合うって。

 彼の瞳がそう強く言ってくれている。だから佐和も不安にならない。アーサーの目にはそんな力がある。

 少しの沈黙の隙間を縫うように穏やかな風が吹き抜ける。


 不思議な気分だった。


 本当の自分はしがない社会人で、世の中の理不尽を飲み込んで歯を食いしばってただ頭を下げて、下を向いて歩く名も無き人間。所謂(しょせん)村人Aで終わる器。

 それはこっちの世界に来たって変わらない。この物語の主役はあくまでアーサーとマーリン、そして海音であり、自分はその脇に立っているだけ。

 それでもずっと……ずっと、元の世界よりマシだった。

 こんな輝かしい人達を側で見ていられる事が。まるでファンタジー映画の特等席のようなこの場所が。

 晴れやかな気持ちで夜風に吹かれている佐和の横で、アーサーが腰の聖剣にそっと触れた。かちゃり、と留め具が微かな音を鳴らす。


「……結局、抜けなかったね……」

「ああ……」


 アテナの猛特訓を得て、アーサーの剣技はみるみる鋭さを増していった。しかし結局のところ、聖剣を鞘から抜く事はついぞ叶わなかった。

 それでもアーサーの表情に変化に焦りはない。空を仰ぐのを止めて振り返り、城下のキャメロットの町並みを見つめる。

 暗闇の中、ぽつりぽつりと浮かぶ小さな灯り。見回りの兵の松明。まだ起きている住人の家の灯火。(オレンジ)色が点々とほのかに町を照らしている。


「……不安にならない?」

「……全く無いと言えば、嘘になるな。だが、俺はそんな事は口にしない。指揮を採る立場の者が余裕をなくせば、付いてくる者は余計混乱する。例えどれほど追いつめられたとしても、初めに膝を屈するのが俺であってはならないんだ」


 それは上に立つ立場の人間として正しい。正しすぎる。


「……でも、今の弱音に入るんじゃ?私に言っちゃってるじゃん」

「お前には別にいいだろう……俺の騎士でも兵士でもないのだから」


 息が、止まったかと思った。

 軽口のつもりで笑ったのに正直に返された途端、胸がうずいた。


「第一、お前が俺の言葉一つで士気が上がったり下がったりするようなか弱い女とも思えん」

「ひっどい言いぐさー。私だってこう見えて乙女なんですけどー」

「はっ、笑わせるな。か弱い乙女が初対面の男をぶん殴って敬語で言葉責めにするもんか」

「あれは……!アーサーが私の気にしてる事がっつり言ったからじゃん!!」


 初めて出会った時、あまりの態度の不遜さと胸が小さいコンプレックスを指摘された事で頭に血が昇り、今にして思えば王子に殴りかかるなど……よくもまあ、我ながら大胆な事をしたと思う。思い出すだけで恥ずかしい。

 アーサーの昔話のせいでさっきまで感じていた胸のうずきはすっかりどこかへ霧散してしまった。

 ちょっと感動した私が馬鹿だった……。


「思えば、最初からお前とマーリンは規格外だったな。あいつも俺に平気で噛みついてくる」

「アーサーが我が儘ばっかり言うからでしょ」

「違いない」


 意外にもアーサーはそう言って楽しそうに笑った。同い年の、普通の青年の、友達とくだらない話をしている時のような笑顔だった。

 ……王子様じゃない、アーサー……。

 今、佐和の横にいるのは、アーサー・ペンドラゴンというただの同い年の青年だ。


「それで、お前はどうして部屋に戻って休みもせずに一人でこんな所にいるんだ?」


 アーサーの一声で佐和は我に返った。

 アーサーが笑った瞬間……時が止まったような気がして…………気のせい……かな……?

 アーサーの顔を見返す。もう、さっき感じたような不思議な疼きはしない。


「サワ?」

「……いや、何でもない。別に、ちょっと寝付けなさそうだったから夜風に当たりにきただけで」

「そうか」


 気を取り直し、アーサーに答える。

 しかし逆にそんな事を聞きたいのはこちらの方だ。明日の戦争の総大将がなんで体も休めずに、城壁の上なんて辺鄙(へんぴ)な場所でたかが侍女とくだらない話なんかしているのか。

 サワはアーサーから目を反らし、夜景に目を向けた。

 アーサーはそれ以上深くは追求してこない。

 私が、ここに来た理由。

 佐和自身、無意識だった。気付けばどこかキャメロットの町が一望できる場所に行きたいと思って、勝手に足が城壁に向いていた。

 私は……キャメロットにお別れが言いたかったのかな?

 佐和にとって元の世界よりきらきらと輝いて、眩しくて、大好きになってしまった場所。大好きになった人達が暮らしている世界にさよならを言いに来た気もするし、ただただ明日の事が不安でここに来た気もする。

 本当に私なんかが海音の代役でもきちんとインキュバスを倒す事ができるのか。運命の逆流が誰かを襲いはしないか。そして……例え、誰かが明日死んだとしたらそれは全て佐和の責任だと、それを考えたくなくて、逃げてきたのかもしれない。


「サワ」


 何を思ったのか唐突にアーサーがキャメロットの街から佐和に向かい直り微笑んだ。


「何?」

「駆け落ちでもするか」


 アーサーの微笑が、かがり火に照らされる。

 金髪に松明の炎が揺らめいた。

 ……返す言葉が、浮かばなかった。


「王子という身分を捨てて、どこか遠くに。こっそり生きて行くんだ。責任や義務、期待や争いとは無縁の場所で。お前を連れて」

「なんで?」


 明るいアーサーの声。彼は遠く遠くの夜空と地平線へ目を懲らす。

 自分でも驚くほど優しい声が口から洩れた。視線を戻し、アーサーは笑う。


「父上には『王になるな』と言われた。母上には『父より立派な王になりそうになったから』殺されかけた。貴族や旧臣の嫌味も聞き飽きた上に面倒くさい。先頭に立てば立つほど投げられるのは罵倒と批判だけだ。そんな人生に別れを告げるというのはどうだ?」

「それに私も付き合えって?」

「そうだ」


 アーサーは笑う

 無邪気に笑う。

 だから佐和も笑う。

 微笑み返す。


「いいよ」


 笑った。


「アーサーが本当にそうしたいなら、いいよ」


 何度目かの沈黙が流れる。夜風に吹かれたアーサーの金髪はさらさらしていて、触ったら気持ちよさそうだなと思った。


「……お前は本当に(さか)しい女だ」

「そう?」

「そうだ」


 苦笑し、アーサーは眼下の家の灯火を、数えきれない星を眺める。


「俺ができないと知って、言っている」

「だから、アーサーが本当にしたいならって言ったじゃん」


 佐和だってできるなら逃げたい。全部夢だったのだとうずくまってしまいたい。

 アーサーだって同じ人の子だ。ううん、佐和以上に重いものをこの人は背負っている。だから逃げたいと思うのは当然のことだと思う。

 でも、この人は違う。佐和とは違う。

 例え今、責任を放棄して逃げ出したとしてもきっとその後悔に一生を費やす。

 そういう人だから---私と違って、あなたは物語の主役なんだよ。


「第一、駆け落ちとか。それ、好きな相手に使う言葉でしょーが。私とだったらただの現実逃避」

「はっ、お前は本当に……一国の王子に駆け落ちしようと誘われて色めき立たないとは、贅沢な女だな」

「ときめかせたかったら、もうちょっと言い方とかシチュエーションとか考えなよ。45点」


 「お前なぁ……」とアーサーが溜息をつく。嫌な溜息ではない。楽しそうに吐き出し、髪をかき上げた。つられて佐和も笑う。


「そもそも、逃げ出す気なんて無いくせに」

「……本当に小賢しい」


 本心を見破られて恥ずかしいのか、さっきのかっこつけたダメージか、アーサーは不機嫌そうな顔つきで唇を尖らせている。

 もう、そんなのわざと作った顔だってわかっちゃうっての。

 それが余計におかしい。


「……全く、お前という女は……」

「人間ができてるでしょー」

「自分で言うな」


 苦笑し、前髪をかき上げたアーサーの目が静かに、佐和を捉え直していた。



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