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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第十二章 それは、小さな灯火に
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       ***



 ランスロットが立ち止まったのは城の裏手にある井戸だった。

 辺りに人気はない。薄暗い松明に灯された中で一人、井戸の底を覗いている。

 その顔は、本当に深淵の冷たい夜の海でも覗きこんでいるようで、見ているこっちが不安にさせられる。


「……ランスロット、どうしたの?」

「あ、サワ殿」


 振り返ったランスロットの表情はいつも通り穏やかで、さっきまでの儚げ、というより危なげな雰囲気はもうない。

 私の気のせい……だったのかな……?


「少し、井戸を覗いていたんです」

「……うん、そりゃ見ればわかる」


 やっぱりランスロットはランスロットだなぁ……。

 笑顔でそんな事言われて、突っ込むしかない。


「なんで井戸の底なんて覗いてるの?」


 苦笑しながら佐和もランスロットの横に並んで、井戸の底を覗きこんだ。しかし、遙か眼下に小さな水面がゆらゆらと揺れているだけで、特別何かがあるわけでもない。


「……水は繋がっていますから。母上と、お話できるかもと思って来たのです……」

「ダーム・デュ・ラックと?」

「はい」


 そう言うランスロットの松明に照らされた横顔は、いつもより幼く見えた。

 ……それもそうだよなぁ。妖精に育てられ、アーサーの騎士になった彼でも、佐和の世界で言えば、まだ親元を離れるような年齢にはとても見えない。せいぜい学生だ。

 そんな年なら母親に相談したくなるのも当然だよね……。ランスロットに反抗期なんてありそうにないし。

 その瞬間、夜風が佐和の背をひやりとさらった。

 ……待って。

 なんで私今、ただ親が恋しくて話したくなったとかじゃなくて、


 ランスロットは『相談したがってる』って考えたの?


 奥底に沈めていた小さなわだかまり。それが今、井戸の底の遠い水面のように佐和の中で微かに揺らめき始めている。

 その小さな揺らぎの波紋が広がり、夜は濃くなって行く。

 精気のない足取り。見ていて不安を覚える背中。井戸を覗きこんだ時の瞳の影。


「……何を、話したかったの?」


 心臓が早鐘を打つ。

 先程までの充足感はとっくにどこかへ消えてしまった。

 今更、自分が汗をかいていることに気づく。夜風が生ぬるい。喉が渇いて仕方がない。

 でも、

 聞かなくちゃ、

 今、彼の中で揺らいでいるものが、まさに未來を決めることになるものなのかもしれないのだから。


「……いえ、話すというか、会いたかっただけと言いますか」

「寂しくなっちゃった?」

「そういうわけでは……いえ……そうなのかもしれませんね」


 ランスロットの横顔に松明の明かりが揺らぐ。

 どうする?

 どうすればいい?

 私は……ここでランスロットに話を聞き出すべきなんだろうか?

 ランスロットはいずれアーサーとグィネヴィアを巡り、アーサーの王宮崩壊の原因の一端を担う。

 史実を信じるならば、彼をどうにかして思い留まらせなければ例え明日のゴルロイスとの戦いに勝利しても結局、アルビオン王国は―――滅びる。

 でもそれは……佐和には関係のない事。アーサーがゴルロイスを倒し、王位にさえ着いてしまえば佐和の役割は終わる。『正しき運命は果たされ、祝福はもたらされる』のだ。

 だから……関係ない。

 それどころか余計な事をすれば、どんな風に運命の逆流が明日あす)の結果やアーサー達に降りかかるかわからない。

 でも、だからって……

 目の前のランスロットの奥底に秘めた苦しい気持ち。それに気づいていて、見て見ぬふりをするの?

 ランスロットの横顔から滲み出る「助けて」のサインに気が付かないふりを通すの?

 それは……

 そんなのは……


 蘇る。

 元の世界。無機質なオフィス。

 「助けて」とどれほど叫びたくても、泣き出したくても、誰も見向きもしない。

 手を伸ばせば、自分に火の粉が降りかかるから。

 思い遣れば、自分が辛くなる。そんな環境で誰も救いの手は伸ばせない。


 『家族がいなくなったぐらいで、仕事は仕事でちゃんとしてくれないと』


 何、それ。

 そう憤って、泣きたくて、悔しくて、理不尽だって憤った。

 でも今、私……


 ―――あいつらとおんなじ事しようとしてるじゃんか。


「ランスロット」


 声は震えてない。足も震えてない。おびえているのは自己保身の気持ちだけ。だから。


「私で良かったら聞くよ、どうしたの?」


 運命の成就。それが、佐和が一番果たさなければならない事。

 でもこの世界に来て一番思った事は、剣も魔法もあるファンタジー世界だって、現実だということ。

 思い通りにいかない事があって。憤るような事もたくさんあって。理不尽な目にも遭って。

 それでも今この国は、この世界は、優しい王様と優しい魔術師が互いに目の前の相手を思い遣り、手を伸ばし助けあって、見えない力になって、暖かく回り出した。

 それは、見て見ぬふりをあの二人がしなかったから。してこなかったからもたらされた結末。

 あの二人の影響を受けた人々が、自分にできる最大限の事を努力したから、今がある。

 だから、私も……


 今、できることをすべきだ。


 その先にきっと……運命の成就があると信じて。


「……サワ殿」


 ランスロットは面食らったようだった。彼は佐和の本当の正体も、目的も言わないだけで知っている。だから、佐和がランスロットの個人的な心情に踏み込んで来たことに驚いたんだろう。


「何かあったの?」

「……何かがあったというわけではないんです」


 ランスロットは静かに、だが佐和の質問に答えてくれた。


「ただ……迷っているんです……」

「……何を迷ってるの?」


 本当は聞かなくても知っている。

 彼の憂いはあの黒髪の、美しすぎる新緑の瞳をしたお姫様の元にある。


 「……サワ殿ならきっと公平な意見が聞けますね」と前置きして、ランスロットはぽつりぽつりと語り出した。


「僕は今回のこの出撃に何ら反論はありません。湖の妖精に育てられた者としてインキュバスがどれほど恐ろしい存在なのか、言葉ではないところで理解もしています」

「……けど、引っかかることがあるんだ?」

「……インキュバスを殿下はきっと滅するでしょう。あの御方の知勇に勝るものなど何もないと、仕える騎士として僕も誇らしく思います」


 そう考えているのに晴れないランスロットの表情。彼の悩みはインキュバスとは全く別のところにある。


「……サワ殿」

「何?」


 意を決したランスロットが佐和に向き直った。少年らしい純朴でまっすぐな視線が佐和に向けられる。


「サワ殿は別の世界からやって来られた。そして今後どうするべきなのか。運命がどうなるのかを知っていらっしゃるんですよね?」


 ダーム・デュ・ラックとの会話をランスロットは聞いている。佐和の事情はもう察しているだろう。

 それでもあえて確認してきた事に、佐和も慎重になった。


「……うん。でも私が知ってるのは、アーサーがインキュバスを倒して新しい時代を創る。それをマーリンが助ける。たったそれだけなの」

「他には……他のことは何もご存じないのですか?例えばその道のり、過程の事や……殿下が即位された後の事などは?」


 「アーサーの即位した後」その言葉の前、一瞬ランスロットが言葉を詰まらせたのを佐和は見逃さなかった。

 前半はただの小手調べだ。ランスロットが本当に聞きたい事は、結局『アーサーが王となった暁には、自分とグィネヴィアがどうなってしまうか佐和は知っているのか?』という事だ。

 もっと言えばたぶん、ランスロットは自分がどうなろうと構わないと考えている。

 案じているのはただ、あのお姫様の身一つ。


 言うべきか。

 言わざるべきか。


 ランスロットが佐和の役割『湖の乙女の代役』としてやろうとしている事を知らなければ、それとなーくアーサーやランスロットに注意を促せたかもしれない。

 でも、ランスロットは佐和が未来を知っていることをもう知ってしまっている。つまりこの場での返答は単なるアドバイスじゃなくて、彼にとっては予言になる。

 しかも、それは絶対に避けられない予言に聞こえるだろう。

 でも……私は、そうなってほしくない。

 グィネヴィアはともかく、ランスロットや……アーサーに辛い思いはしてほしくない。


 もう無関係だからとか、後の事は知らないからとか、言えるような浅い繋がりではなくなってしまったから。


「……ごめんね、私も全然それ以外の事はよくわからないんだ。……私自身、どうすればいいのか毎回悩むくらい」


 前半は嘘だけれど、後半は本音だった。

 本当は知っている。

 ランスロット。あなたはグィネヴィアを想うあまり、アーサーの王宮を真っ二つに引き裂く。

 でも、それは―――決して言わないことにした。

 それがずっと悩み続けた佐和なりの答えだった。


 未来なんて誰にもわからない。

 史実なんて当てにしない。

 だって、マーリンはおじいちゃん魔法使いでもなかったし、ウーサーに仕えてもいなかった。この世界は別の時間軸の過去だと杖は言った。だから。

 きっと別の明るい未来もあると、信じられる。

 ううん―――信じたい。


「そうですか……サワ殿も悩むのですね」

「うん」


 だからこそ、一歩。

 一声ひとこえ

 今、勇気を出さなくちゃ。


「ランスロット、あのね。私はランスロットが好きだよ。優しくて、暖かくて騎士以前に一人の人間として素敵な人物だと思う」


 ランスロットは佐和の告白に少しだけ驚いたようだった。

 もちろんお互いに恋愛感情で『好き』という言葉が使われたわけではないと理解している。それでも佐和がこんなにはっきりと感情をぶつけてきた事に対して、彼は驚いたのだろう。


「だから、私はランスロットを信じてる。ランスロットが考えて考えて考え抜いた事ならたぶん納得もする。でもね、一人で抱え込んで悩んで考えてたってうまくいかないんだよ」


 見せかけの助言。

 私にとって望ましい方向へ、罪悪感の感じない方向へ、この少年を導くのは胸が痛む。

 それでも、この言葉は本心でもある。だから言わずにはいられなかった。


「だからもしも何か悩んでるなら、ちゃんと本人達と話をしなきゃ、特にアーサーとは、ね」

「……そうですね」


 ランスロットの陰っていた表情がいつも通りの穏やかさを取り戻す。いつの間にかすっかり陽は沈みきっていた。

 松明に照らされ、目を細めたランスロットの姿に佐和は安心した。


「一人で考え込んでいてもしょうがない事でしたね。ありがとうございました」

「……ううん。それじゃ、私はアーサーのところに戻るから」

「はい、お休みなさい。また明日」

「また明日ね」


 井戸にランスロットを残し、佐和はその場を立ち去った。


 具体的なアドバイスや相談に乗ることはできない。何がどう影響するかわからない。

 それでも今までの事をたくさんたくさん乗り越えてきた彼らなら―――アーサーなら、ランスロットの問題にも新たな道を見いだせるかもしれない。

 これで……うまく行けばいいんだけど……。

 佐和は城の入り口で一度だけ井戸の方を振り返った。ランスロットは夜空に灯り始めた星を見上げている。



 その口元が微かに揺れ、「そうできたら、どれほど良かったのでしょう」と呟いた事に、佐和は結局、最後まで気がつきもしなかった。




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