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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第十二章 今、できることを。
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page.354

       ***



 王宮の外れに位置しているボードウィン卿の私室は、最早研究室と言っても過言ではない。アーサー曰く、ボードウィン卿は疫病の効果的な対処療法の研究のために私室に籠りきりらしい。

 前にアーサーがイグレーヌにプレゼントした花束のリボンに、魔術がかかってた事件以来だなぁー、あそこに行くの。

 その事も遥か昔の事件のように感じる。廊下を歩きながら佐和は、当時のマーリンの苦し気な様子や、バリンとバラン二人の兄弟の事を思い出していた。

 あの時が、アーサーが変わる本当の意味でのきっかけだったんだよね。

 夕日を背にしたアーサーの横顔。

 それを見て覚悟を決めたマーリンの表情。

 どちらも佐和の中に、あの日の夕焼けと同じように優しく心に染み残っている。

 その一方で蘇るのは王宮に乗り込み、謁見室で不敵に笑っていたゴルロイス、いやインキュバスの厭らしい声だ。


『例えば幼い兄弟。なぜなら彼らの死が王の器を正しき道へと戻す機会になるからだ』


 ……あの言葉は真実だったのだろうか。

 運命は決まっている。海音が本来導くだったはずの未来。その道のりでも彼らの犠牲は不可避だったのか。

 でも……杖は何度も私に言ってる……。

 『帰結点までの道など知らない』と。

 そうなると運命、つまりアーサーがアルビオンを導くってゴールは決まってるけど、途中経過は私の出現で不明瞭になった?それとも例え海音が湖の乙女だったとしても経過は幾通りも存在した?だが、その仮定だとゴルロイスの主張に筋が通らない。

 ……うわ、考えてもムダだ。

 思考が哲学方面に傾きそうになったところで、佐和は一人でかぶりを振って考えを振り払った。

 人が運命に縛られているかどうかなんて、地球誕生以来偉大な哲学者達が人生をかけても答えを一つに絞れなかったことを佐和が見抜けるわけもない。

 ……どうせ、どんな事が起きても、私は私が今やるべきことをやるだけしかできないんだから……。

 そんな事を考えているうちに、気づけばボードウィン卿の私室の前に到着していた。年季の入った木の扉をノックすると返ってきたのは―――女性の声だ。

 え!?何で!?ボードウィン卿じゃないの!?部屋間違えた!?

 慌てふためく佐和の前で扉がゆっくりと開く。中からこちらを見上げてきた意外な人物に佐和は驚いた。


「ラグネル!?」

「あっ、サワさんっ!」


 そこにいたのは、紛れもなくガウェインの妻ラグネルだ。

 くりくりとした瞳が佐和の顔を見た途端、嬉しそうに弾む。


「どうしたんですか?何か御用ですか?」

「う……うん、ボードウィン卿に用事があったんだけど……私、部屋間違えた?」


 そう言いながらも、ラグネル越しに見える部屋の中は以前見たボードウィン卿の研究室に間違いない。所狭しと並んだ薬品や本たちには見覚えがある。


「合ってますよー。ボードウィン様っ、サワさんが来てくれましたー」


 ラグネルが扉を大きく開いて振り返った先、部屋の奥にボードウィン卿は座っていた。

 普段は着けていない眼鏡をかけ、机の上に大量に置いたフラスコやビーカーの中身を睨み付けている。その目が入口で戸惑う佐和に向けられた。


「これは……お見苦しいところを」

「い、いえ……あの……何でラグネルがここに?」


 佐和の来訪で実験らしきことに一区切りつけることにしたのか、ボードウィン卿はかけていた眼鏡を外し、改めて佐和を部屋に招き入れ、比較的綺麗なテーブルを勧めてくれた。ラグネルもボードウィン卿も席につく。


「えーと。話すと長いのですが……今、私。ボードウィン様のお手伝いをさせていただいているんです」

「お手伝い?」

「例の疫病ですが、対処法も苦痛を和らげる事も、症状を抑える事もお恥ずかしながら私の知識では及ばず……。ふとしたきっかけで王宮にラグネル様がいらっしゃった際、教えてくださった薬草の方が効果が見られたもので。ガウェイン卿にお願いして、私の手伝いをしてもらっています」

「す、すごいね!ラグネル……!薬草とか詳しいんだ?」

「呪いにかかっていた時に、何とか自力で解けないかと色々な書物を読んだんです。その時得た知識が、まさかお役に立つとは思いもしませんでした」


 言われてみれば老婆の姿の時も、ガウェインが酷い火傷を負った時、適切な薬草を手渡してくれた。長い時間の努力の賜物だ。

 それに疫病の正体は魔術だ……。ボードウィン卿の医術じゃなくて、ラグネルの魔術知識寄りの薬草の方が確かに効果的なのかも……。


「それで、どういったご用件でしょうか?」

「あ、はい。殿下からボードウィン卿より疫病対策の現状報告書を預かって来るように言われてます。ただ、お忙しいようでしたら、私に口頭で伝えていただいてもいいそうです」

「そこまで手が回らず申し訳ない。今すぐにまとめましょう」

「いえ!無理しないでくださいっ!口頭で言っていただければ、私が書きますからっ!」


 机に戻ろうとしたボードウィン卿を何とか引き留める。

 誰がどう見たってお疲れ度マックスのボードウィン卿に、この上何かさせようなんて畏れ多い。


「では……失礼ですが、作業をしながらでもよろしいでしょうか?現在効果的な薬の調合を試しているところでして……」


 あぁっ……!まだ働こうとしてるぅー!

 佐和の引き留めも虚しく、席から立ち上がりかけたボードウィン卿の横からすらりと手が伸びてきた。

 いつの間に入れたのか、紅茶をラグネルがボードウィン、佐和の分を置き、自分もカップを持って座る。


「ボードウィン様。ちょうどお茶が入りましたことですし、休憩も兼ねませんか?朝からお食事も取っていらっしゃらないではないですか。せめてお茶だけでも……疲労に効く薬草から入れましたっ」

「いや、しかし事は急速に解決しなければ、今は茶など……」

「……そうですよね……失礼いたしました……」


 ボードウィン卿の淡々とした固辞に、目に見えてラグネルがしゅんっと小さくなる。


「私、余計な事を……申し訳ございません……」


 そう言って見上げたラグネルの目が……

 ペットショップの子犬かっ!!

 内心盛大に突っ込む。うるうるしながらボードウィン卿を気遣うその姿。忠犬のように誠実で可愛らしい。その愛くるしい瞳にボードウィン卿が明らかに罪悪感に駆られている。

 ……ラグネルのすごいところはこれ、計算じゃなくて、ほんとに根がいい子でやってるところだよね……。

 苦笑いしながら佐和も目線でボードウィン卿に椅子を勧める。

 この瞳に見つめられながら、作業を続行できるわけがない。


「…………それでは、お言葉に甘えまして」


 ようやく諦めたボードウィン卿が席につき、紅茶に口をつけた。それを見て佐和もご相伴にあずかる。

 少し苦いけれど、なんだか飲んだ後はすっきりするようなハーブティーという感じだ。甘党の佐和でも砂糖なしで飲めるぐらいおいしい。


「おいしい……」

「そう言っていただけると、とても嬉しいです」

「これも、薬草の知識?」

「はい、何が呪いを解くきっかけになるかまるで見当がつかなかったので、端からありとあらゆる関連が少しでもありそうな本を読んでいるうちに自然と……」

「お陰で私も助かっています」


 ボードウィン卿に誉められたラグネルが真っ赤な顔で俯く。

 ……すごいなぁ。

 こんな時、この世界の貴族女性なら……いや、例え元の世界の人でも男女問わず普通なら疫病の感染が恐くて家に籠るだろうに。ラグネルは逆に一番患者さん達に近い所で奮闘している。

 尊敬しちゃう……。

 やっぱりこういう時こそ、その人の器の大きさ、立ち位置がよくわかる。

 きっと自分だったら脇役らしく大人しくしてるに違いない。


「それでは現状を手短にご説明します」

「あ……はいっ!」


 書くと言っておきながら何も用意せず、考え込んでいた佐和に、すっとラグネルが羊皮紙とペンを差し出してくれる。ありがたく受け取ってボードウィン卿の報告を紙に走らせた。


「ゴルロイス公……いえ、インキュバスの証言通り、この疫病は魔術による可能性がやはり高いようです。その証拠に私の医術よりもラグネル様の魔術に近い薬草知識が対処療法として少しばかり効果を表しています。しかし、効果は苦痛を多少和らげる程度であり、事態は未だ深刻です。せめて症状を遅らせることができるような治療ができないものかと試作中ですが……やはり魔術の知識のない私が作ったものは、あまり効果をあげられていません」

「……そうですか……」


 この疫病は魔術師強制収容所の魔術師達を使った大がかりな共感魔術だ。魔術の使えないボードウィン卿にできることは、ほとんどないと言っても過言ではない。

 せめて私に魔術の知識があったらな……。

 佐和が保護施設で魔術師の教育を受けていた時は、能力開発(しかも目覚めるはずのない)に当てた時間ばかりだったので、魔法薬学なんかの授業は受けていないのだ。

 マーリンだったら何か知ってたかもしれないけれど、今彼と連絡を取るのは難しい。


「私の魔術の知識は以前にもお伝えした通り、古い物です。成果が出れば良いのですが……ウーサー陛下のご命令で所持していた魔術書は焼き払ってしまいましたし……1からとなると……」

「ボードウィン様……」


 ラグネルがボードウィンを労わる。最前線で看病に当たっているボードウィン卿にとって、現状はかなり歯がゆい物なのだろう。

 だから焚書なんて馬鹿なことするから……!

 ここ最近すっかりなりを潜めていたウーサーへの不満が吹きあがってくる。


「……せめて、かつて王宮に存在していた医学書兼魔術書が焚書で消失していなければ、何かしらの対処療法を見出みいだせたのかもしれませんが……」


 ……ん?……医学書兼魔術書?

 焚書で消失した……?

 その言葉で、脳裏に儚げで美しいバンシーが振り返る姿が目に浮かんだ。


「そうなると被害者は増える一方で……」


 ボードウィン卿の沈んだ声とは対照的に、佐和の鼓動は高まっていく。

 ……もしかしたら……


「きゃ、いきなりどうしたんですか?サワさん?」


 猛烈な勢いで立ち上がった佐和に驚いたラグネルに構わず、佐和はすぐに扉に向かって駆け出した。


「ボードウィン卿!少しお待ちください!ちょっと殿下に確認を取ってきますっ!!」


 それだけ告げて、佐和はさっき来たばかりの廊下を急ぎ足で駆け戻った。

 もしかしたら……どうにかなるかもしれない……!

 日頃の運動不足も忘れて佐和は無我夢中で道を引き返した。



       ***



 部屋に残されたボードウィン卿とラグネルは、烈火の如く出て行った佐和に唖然としてしまい、紅茶を持ったまま彼女が出て行った扉をただ見つめていた。


「……何を確認してくるつもりなのでしょうか?サワ殿は」

「私にもわからないですけど……何だかサワさん、少し雰囲気が変わりましたね」


 ラグネルの微笑に、滅多に表情を変えないボードウィン卿も口角を僅かに上げて、紅茶を一口運んだ。




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