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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第十二章 鬼神、来る
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page.352

       ***



「お待たせいたしましたーって!なんじゃこりゃ!?」


 タオルと着替えを取って来るまた僅かな時間の間に、信じられないほどアーサーとケイは疲労困憊していた。

 いつもの二人からは考えられないほどだらしのない格好で大の字になって芝生に倒れている。

 アーサーなど最初にきっちり着こなしていた騎士の正装のジャケットは既に脱ぎ捨て、シャツのボタンもできるだけ開けている。ケイも似たようなものだ。

 ……ちょっと見える胸板の厚さにどきりとした事は、胸の内に秘めておこう。そうしよう……。


「うっわ……汗びっしょり。息もめちゃくちゃ上がってるじゃん……!」

「……さ……サワか……?水……」

「ちょ、待ってて!すぐに!」


 気を取り直し、佐和は水筒を取って来て、倒れこんでいるアーサーの側に駆け寄った。

 もう手を動かす力も残っていないようなので、しょうがなく少しだけ頭を持ち上げてあげて水をアーサーの口にゆっくり流し込む。

 ケイに至ってはもう唸ってすらいない。


「お、おい!?貴様大丈夫なのか!?おい!ケイ!」


 イウェインに揺さぶられるがまま、ケイがわっさわっさ揺れる。微かに「しぬー」という声が聞こえた気がした。


「全く!本当に情けない。この程度まで落ちているとは……仕切り直しですっ!仕切り直しっ」


 ぱんぱんと手の埃を払い、一人元気に立ってアテナが憤慨している。綺麗なドレスも髪形も全く乱れていないどころか、相変わらず汗水ひとつかいていない。

 その目がケイを介抱していたイウェインに止まった。視線に気付いたイウェインが振り返り、勢いよく立ち上がる。


「お、お久しぶりですっ!アテナ様!私の事は……覚えていらっしゃいますでしょうか……?」

「勿論よー!元気にしていましたか?イウェイン?」

「は、はいっ!」


 アテナに名前を呼んでもらえて嬉しそうにするイウェインの足元でケイが「イウェイーン……俺にもみずぅー……」と言っているが、もう聞こえていないようだ。佐和がこっそりケイに近付き、水筒を手渡してあげる。


「あの……お忙しい事は重々承知しておりますが……もし、お時間があるようでしたら私にも稽古の方を……」

「勿論構いませんよっ」


 アテナの快諾にイウェインの顔が一気に華やぐ。

 ケイの側にしゃがみこんで、佐和はケイに耳打ちした。


「イウェインって、ドMなの?自分からアテナ様に稽古を頼むなんて……」

「ドエム?っと、その言葉の意味はよくわかんないけど、まぁ、母上はイウェインには甘いんだよ……唯一の女生徒だったからかどうかわかんないけど……指導も丁寧だし。俺達にもイウェインみたいな教え方でいいのにさぁ……」

「ケーイー?もう一回戦やりましょうか?あなた、まだ無駄口を叩く元気があるようですからー」


 どんだけ地獄耳なの!?

 「げっ」とケイが小さく悲鳴を上げた。横を見てみれば、アーサーはというと目を閉じて死んだふりを続けている。


「それから殿下もー。その程度の狸寝入りが私に通用するとお思いですかー?はーい。二人まとめて相手しますよー」


 死んだふりをしているアーサーの顔から今度は違う種類の汗が流れ出した。

 本人が希望して鍛え直してもらっているというのに、どうやら元来身体に染み込まされた恐怖の方が勝るようで、いつもの勝気な様子とはまるで違うのが少し可笑しい。


「イウェイン、ちょーっと待っててね。この弛みきった二人を鍛え直すのが優先ですから」


 張り切るアテナに対し、アーサーが僅かに上半身を起こした。


「あ、アテナ様……私からお願いしておいて申し訳ないのですが、そろそろ会議に向かう準備をしないと……」


 言われてみれば、アーサーの言う通り。そろそろ部屋に戻って着替え、会議に向かわないとならない時間だ。それに対して、アテナは微笑みながらアーサーに近づいて来た。


「着替える時間は必要ですか?」

「え、あ、はい」

「一国が危機に瀕した状況で王は着替えを優先しますか?」

「あの、しかし……」

「戦時中に殿下はお召し物が無くなったら敵に首を垂れるのですか?」


 怖い!怖い!怖い!

 アテナはずんずんずんずんアーサーに笑顔で近付いて行く。これには我儘が専売特許のはずのアーサーも二の句を告げないでいる。


「い……いえ……」


 アーサーが困り果て、視線を反らす。だが、アーサーの言う通り、そろそろ着替えに戻らなければならないのは本当だ。

 確かに、アテナ様の言う通りなんだけど……中には今の汗だくの恰好で会議に行ったらそれを非難するような馬鹿、この王宮にはたくさんいるからなぁ……。

 特にカンペネットとか。カンペネットとか。カンペネットとか。

 困っているアーサーを見ながら、佐和はケイに耳打ちした。


「……ケイ、どうしよう……?絶対着替えた方が良いと思うんだけど……」

「俺もそう思うけど、ああなった母上を止められるのは、この世に二人しかいないからなぁ……」

「そこで何をしている」


 ひそひそと相談していた佐和達の背後から低い声が割り込んで来た。

 王宮の渡り廊下から訓練場を見ているのは、ケイの父親であるエクター卿だ。彼もまた、この後の会議に参加するために移動しているところだったのだろう。

 訓練場の様子を見たエクター卿が渡り廊下から訓練場へと出て来た。


「……アテナ。お前一体いつの間に……」

「殿下から直々のご命令ですもの。伝令が届き次第、馬を飛ばして駆け付けましたわっ」

「……それで着替えもせず、ドレスで殿下の指導に当たっていたのか……」

「私が着替える時間など勿体ないではありませんか。殿下はお忙しい身なのですから」


 エクター卿はいつも淡々としている人物だが、今日はどこか疲れているようにも見えた。

 っていうか、もしかして自分の奥さんの奔放っぷりに、頭抱えてる……?


「殿下はこの後重要な会議を控えていらっしゃる。休息の時間も必要だ。お前は部屋に戻って殿下の空時間まで大人しくしていなさい」


 そんな簡単に旦那さんの言うことを聞く人なら可愛いもんだ……。

 絶対アテナ様はそういうタイプの人じゃ……


「はぁ~いっ!あなたぁ~!」


 そういうタイプの人だったあ!!

 開いた口が塞がらない。

 さっきまでの鬼の形相も遙か彼方に。アテナはエクター卿に向けてハートマークを飛ばしそうな勢いで可愛らしく頷いた。可憐な乙女の猫なで声で、エクター卿に駆け寄って行く。

 挙げ句には、なんとアテナは仏頂面のエクター卿の腕を何の躊躇なく絡めとって、嬉しそうに頬擦りまでしているではないか。

 あの……!エクター卿に!いちゃついている……だと……!?

 びっくりしすぎて、佐和の瞳孔は完全に開きっぱなしだ。

 いや、確かに!夫婦なんだから、何にも問題はないんだけれども!


「……離れなさい。ここは王宮だ」

「だってぇー、久しぶりなんですものぉー。あなたは私に会えなくて寂しくなかったっておっしゃるんですかぁー?」

「…………」

「きゃっ、私もですぅ~!」


 いや……エクター卿は何も返事してないと思うんだけど……。

 アテナにはエクター卿の心の声が聞こえているのか。それとも都合の良い言葉が聞こえるようにアテナの耳ができているのか。

 真偽は定かではないが、とりあえずターゲットをアーサーやケイから旦那に変えたアテナは、もうエクター卿の事しか眼中にない様子だった。


「殿下、妻が大変ご迷惑をお掛け致しました。それではこれにて失礼いたします。後程会議にて、また」

「あ……あぁ……」

「行くぞ、アテナ」

「はーいっ」


 腕にアテナをぶら下げたままエクター卿が無表情で城に戻って行く。その背中を佐和達は呆然と見送った。


「あなた~、久しぶりですし、王宮滞在中はあなたのお部屋にお邪魔してもよろしいですかー?」

「………………む」

「きゃっ!ありがとうございますぅ~!」


 やっぱり佐和の耳には、エクター卿の言葉はアテナが理解しているような甘い返事にはどうやっても聞こえなかった。




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