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「えっと……あの……」
アーサー達が倒れている所から少し離れた木陰で立ち止まったアテナの横に佐和も並ぶ。
けど……普通これって、あり得ない光景だよね……。
貴族は下働きの人達を人間として見ていない。そういう人が多い中、この人は群を抜いて型破りだ。
侍女である佐和の横に並んで嬉しそうに休憩している。
「自己紹介がまだだったわね。私の名前はアテナ・エクター。エクター家奥方で不肖の息子ケイの母親です」
「あ、アーサー殿下にお仕えしてる侍女の佐和です」
アテナは二人と対峙していた時と違い、穏やかな顔で佐和に笑いかけた。「ありがたくいただきます」とわざわざお礼を言ってから水筒の水を上品に口に運ぶ。その動作の優雅さは間違いなく貴婦人そのものだ。
でも……どうして、私と二人きりに……?
「……ふぅ、久々の運動だったから、少しはしゃぎすぎちゃったかしらね」
「あ……あはは……は……」
少し、ねぇ…………。
一国の王子とその第一の騎士をいなしておいて『少し』……。
「……あなたのことは聞いています。一般市民、しかも他国の人間でありながら殿下にお仕えしていると」
「あ、はい……」
「……殿下のご事情もたくさん知ってらっしゃるようね?」
「……はい」
アテナの雰囲気が少しだけ変わった気がした。寂しそうで、それでいて穏やかな表情で佐和を見つめている。佐和も心持ち真面目に返す。
アテナの言った事がどこまでのことを指しているかはわからないが、確かに佐和はアーサーの内心、出生の秘密、親子関係。本来、侍女程度が知っていて良いことではないようなことまで知ってしまっている。
アーサーとアテナの関係が表面上の『育ての親子』からどれほどの絆があるのかはわからないが、少なくともこの短時間、アテナからアーサーへの害意は感じなかったし、アーサーもアテナを信用しているようだった。
……ううん、それどころかこの人、たぶん、本当にアーサーのこと、大切に思ってくれてる気がする……。
行動だけ見ているとそうは思えないが、言葉や表情の端々にアーサーやケイへの慈しみが溢れている気がしたのだ。本当に『お母さん』という感じの。
だから、質問には素直に頷けた。
「そう……そんな貴女だから、実はいつか直接お話してみたいと思っていたの」
「え……?」
予想外の言葉に佐和はまじまじとアテナの顔を見つめ直した。
「ケイがあれほど手練手管を駆使して一般市民を殿下の従者にするなんて、余程何かあっての事だと思ってね。直接会って確かめたかったの」
「あの、それは……」
言っても良いものなのだろうか?
ケイが佐和とマーリンをアーサーの側に置いたのは、マーリンが他ならぬ魔術師だったからだということを。荒療治のつもりだったのだと。
黙ってしまった佐和に対して、アテナは手を横に振った。
「あぁ、ごめんなさいね、困らせるつもりはないの。……もう聞かなくともわかったし」
「それはどういう……?」
アテナの視線の先には疲労しきったものの、もう一度立ち上がろうとしているアーサーの姿がある。
その目元に小さな皺。
―――我が子を見守る母の瞳だ。
「あの子、変わったわ。いいえ、本来の姿に戻って歩み出した。直接話を聞かなくてもわかる。あなたと、もう一人の従者さんのおかげなんでしょう?」
「……いえ、私じゃありません。そのもう一人の従者―――マーリンと、アーサー……殿下、二人の力です」
「謙遜がお上手なのねっ」
アテナに笑顔でそう言われると何だかこそばゆかった。
上辺だけの褒め言葉やおべっかじゃない。嬉しくて温かい気持ちにしてくれる。
……やっぱりこの人が、アーサーの育てのお母さんなんだ。
しみじみ思う。この独特の温もりは母親という人種しか持てない特別な雰囲気だ。
「あの……アテナ様はどうしてキャメロットに?」
「あら?殿下から聞いていなかったのね。ゴルロイス一味と現在キャメロットに忍び寄る魔の手の現状は私も聞きました。その上でゴルロイスを唯一倒せる聖剣エクスカリバーを殿下は手に入れたものの、鞘から抜くことができないと。そこで殿下は、剣術の師である私を呼びつけたのです。第一に単純な剣術も向上しなければ、ゴルロイスと渡り合うことも難しいでしょうし、また、何か聖剣の封印を解除する糸口になるかもしれないと」
「そうだったんですか……」
アーサーの言っていた聖剣に対する対策というのは、やはりアテナ様のことだったようだ。
それにしても……
「あの……お伺いしても良いですか?」
「何でしょう?」
「そのー……何でそんなにお強いんですか?」
女性なのに。
省いた言葉をアテナは正確に理解したようだ。薄く微笑む。
「私の実家は私以外子孫がいなくて。女の身ではありますが、騎士として功績をあげようとした賜物です」
「ふへぇー……」
じゃあ少し、イウェインと似た境遇なのかな……?
微笑んだアテナは「さて」と言って水筒を佐和に預け、スカートをぱぱっと手で払った。
「それではそろそろ……殿下!ケイ!」
アテナの呼び掛けに弛緩していた二人の体が突然固まる。こちらを見ようともしない。
「そろそろ再開しましょうか?次は二人の連係を確認します。…………本気でかかってきてくださいね?」
剣を持ち、先ほどまでの穏やかさはどこへやら。
アテナは意気揚々と、悲鳴を上げるアーサーとケイに突撃して行った。
***
「アテナ様がいらっしゃっているのか!?」
アーサーの部屋にタオルと着替えを取りに戻ってきた佐和は、偶々廊下を歩いていたイウェインと出くわしていた。
「何かあったのか?」とイウェインに聞かれ、アテナが来てアーサーとケイが訓練している事を教えた途端、イウェインの目がきらきらと輝き出したのだ。
今もまだアーサーとケイは、訓練場でアテナにぼっこぼこにされている。
「イウェイン、アテナ様を知ってるの?」
「知っているも何も、歴史上最も名を残している女性騎士があの御方なんだ……!私の憧れそのものだよ」
興奮して話している姿は、まるで憧れのアイドルに会えた時のように嬉しそうだ。
「そうなの?」
「あぁ、あの御方は……私の目標なんだ」
そう言って照れているイウェインは可愛い。
しかし、ひとつだけ引っ掛かった。
「でも……一応、エクター家の人だけど、そこは……いいの?」
別に佐和だってイウェインがエクターと名が付くだけで無闇に人を嫌ったりするとは思っていないが、こんなに素直に好意を示しているのも珍しい。
イウェインの家の事情を考えると、例えアテナに憧れていても胸の内に秘めるか、話すとしても人目を憚るものだとばかり思っていた。
「ん?あぁ……そうだな。サワが懸念している通りではあるんだが……どうしてもアテナ様に対しては、エクター家のイメージはあまり無くて……」
「そうなの?」
「あの御方は、騎士学校で教鞭も採っていらっしゃったんだ。私の今の戦闘スタイルを一緒に編み出してくださったのもアテナ様で!……そ……その時には家名を知らず……」
恥ずかしそうに、もじもじし出した彼女を見て笑ってしまった。
イウェインらしいといえばらしい。後から知ってさぞかし複雑な思いで右往左往したに違いない。
「尊敬した先生がまさかエクター家の奥方様で、ケイのお母さんだなんて、普通予想できないよねぇー」
「あぁ、特にケイもアテナ様も、騎士学校では親子の素振りなど全く見せたかったから余計……。今にして考えてみれば、ケイには多少厳しかったような気もするが……在学中に見抜いた同期は一人もいなかったな」
「へぇー」と相槌を打ちながら佐和は、アテナについて一番気になっていたことを聞くことにした。
「それにしても……アテナ様、強すぎない?アーサーとケイを同時に相手にして瞬殺って……」
休憩後の訓練も過激だった。あのアーサーとケイ、二人がかりの攻撃をアテナはダンスでも軽く踊っているようにいなし、的確に二人の隙を突いて、剣の柄や拳で遠慮無く二人の事をぶん殴っていた。
あれほどの腕前を持ち、歴史に名を残した騎士とイウェインが言ったからには、相当な大物に違いない。
佐和の疑問にイウェインは誇らしげに答えてくれた。
「アテナ様はなんせ彼の前国王陛下アレリウス・アンブロシウス様第一の騎士だから」
「そうなの!?」
あちこちで偉大な評価を耳にする前王様の第一の騎士。
それは道理で……強いはずだ。
「剣術の腕もさる事ながら、他の男性騎士から頭ひとつ抜き出た知略と度胸の持ち主で、ボードウィン卿にチェスで、エクター卿に剣術で唸らせることができたのは、アテナ様だけだと言われている」
「か、完璧すぎて非の打ちどころもないね……」
「そうだな。素晴らしい御方だよ。それにしても王宮にいらっしゃっているのか……なんとか私も剣を見てもらえないものだろうか……いやしかし、殿下がご優先なのは当たり前で……」
本当にアテナ様のこと、尊敬してるんだなぁー。
ぶつぶつ言っているイウェインの横顔は真剣そのもので、どうしてもアテナに久しぶりに会いたいという気持ちが伝わってくる。
「とりあえず、これから私は訓練場に戻るけど、イウェインも付いて来てみる?もしかしたら手解きしてもらえるチャンスあるかもよ?」
「そ、そのような……不誠実な下心を持って訓練場に向かうなど……いいのだろうか……?」
頑なだが、指をいじっている様子からして答えは聞くまでもない。
相変わらずいじっぱりで可愛いなぁー。
「やっぱり私は……」と遠慮しようとしたイウェインに、佐和は無理矢理自分の持っていた荷物の半分をイウェインの手に乗せた。
「はいっ、じゃあ私の荷物半分持って!手伝って来たっていうことにすればオッケー、オッケー」
イウェインの手の上にケイの分の着替えとタオルを無理矢理載せる。普通貴族の女性に男性の洋服を持たせるなど言語道断かもしれない。
ま、バレなきゃ関係ないない。
「あ…………ありがとう、サワ」
大義名分を得て、明るくなったイウェインと共に歩き出す。
こうしている間にもアテナの鬼指導は続いているに違いない。
ちなみにこの後「そういえば、これは殿下のお洋服なのか?」と不思議そうにしていたイウェインに、渡したのが誰の服か教えた瞬間、真っ赤な顔で怒られた。




