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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第十一章 Dear my dear...
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page.341

        ***



 濡れた服を着替えさせ、火の入った暖炉のある部屋に寝かせたアミュレットの顔色がようやく少し良くなった頃合いを見計らって、僕は彼女に歩み寄った。


「……少しは落ち着けたかい?」

「おねいちゃん……うん、ありがとう」


 ベッドに寝かせた妹の横の椅子に僕は腰かけた。

 何年ぶりの再会だろう……。

 あれほど酷い言葉をかけ、ドルイドの皆を裏切り、挙句魔術師の弾圧を加速させてしまった人間が今更どんな顔で向き合えば良いというのだろう。

 そんな風に悩めたのは最初の一瞬だけだった。

 妹の手当を初めてすぐに、僕はその異変に気付いてしまったのだ。


「……アミュレット」

「……なあに?おねいちゃん」


 弱り切った彼女を抱き留めた瞬間、感じた感触。

 そして今もベッドに横たわる彼女の身体は、以前の僕がよく知るアミュレットのものではなかった。


「そのお腹の子は……誰の子だい?」


 彼女は妊娠していた。大きく膨らんだお腹の状態から見て、いつ生まれてもおかしくないような。


「…………」


 アミュレットが悲哀に満ちた眼差しで自分のお腹にそっと触れる。

 それだけでわかる。

 あの馬鹿の……ムルジンの子ではないのだ。


「一体、何が」

「おねいちゃん……」


 アミュレットは弱々しく僕の方に顔を向け、静かに涙を流した。


「……ごめんなさい」


 何について謝られているのか、わからなかった。

 ただ目の前で妹の大きな瞳からはらはらと涙が零れ続ける。


「ごめんなさい。せっかく……おねいちゃんが、私のためにしてくれた事、無駄にしてごめんね。会いに来ちゃって……ごめんね」

「……いつから気付いていたんだい?」

「最初っからわかってたよ」


 アミュレットは涙を零しながらそう言って笑う。


「おねいちゃんがあんな言い方をして、私達と……私と別れたのは、気付いてたからなんだよね?私が……おねいちゃんの未来を予知()ちゃったこと」

「…………」


 その通りだった。

 僕が、ウーサーに着いて行くと決めたのは勿論彼の事を愛してしまったから。

 しかし、理由はそれだけではなかった。


「やっぱりおねいちゃんに隠し事するなんて……無理だったや……」

「……アミュレット。君は……視てしまったんだろう?僕の未来を。あそこで僕が……ウーサーに着いて行っても、ドルイドに残っても、何かしらの悲劇に見舞う未来を」

「……っ」


 妹の小さな嗚咽が漏れる。そんな声を聞くのは久しぶりだった。

 どうしても堪えられないほど悲しい予知を見た時の、押さえつけた感情がそれでも漏れ出した泣き声。

 ……両親の死を予知して以来の嗚咽。


「だから、君は僕とウーサーが出会わないように、何度も自分達と出かける事を勧めた。だけど同時にドルイドに残っても僕が救われない事を知ってしまった。だから君はカメリアドでずっと悩み続け、引き止める事も送り出す事もしなかった……そうだろう?」

「……おねいちゃんの言う通りなの。おねいちゃんはどっちに行っても……すごく、すごく辛い未来が待ってた。だからせめて……私のことを抜きにして、おねいちゃんの好きな未来を選んで欲しかった。ずっと私のために我慢してきたおねいちゃんだから、最後はおねいちゃんの好きなように生きてほしかった」


 「でも、ダメだね」と妹は弱々しく笑う。


「おねいちゃんにばれてたんじゃ、意味ないや。すぐにわかったよ。ああやって言えば、私が……傷つかないって思ってくれたんだよね。自分がウーサーさんが好きで着いて行ったんだから自己責任だって、私に思わせるために、わざとあんな言い方して、別れたんだよね」

「……ウーサーに惹かれていたのは事実さ」

「でも、それだけじゃないんでしょ」

「どうして、そう思った?」


 僕の問いに彼女はまた笑った。


「たった二人の姉妹だもん。おねいちゃんが私の考えてる事なんてあっという間に見抜いちゃったみたいに、私だっておねいちゃんがああいう時、どんな風に考えるかぐらいはわかるよ」


 優しい、優しい妹だ。

 僕はそっと持ってきたタオルを水で絞って彼女の額に乗せた。身体は冷え切っているはずなのに、妹は汗をかき、呼吸が荒い。


「ムルジンはすっかり騙せたと思っていたんだがな。おじい様はどうだ?」

「……おじいちゃんも最初は怒ってたけど、最期にはわかってたよ」

「……そうか」


 祖父はもう、この世にはいないのか。


「……ねえ、おねいちゃん。すごく……すごく大変なわがまま、聞いてくれる?」


 そう言いながら妹は自分のお腹に手を当てている。

 何を言おうとしているのかは薄々察していた。


「この子を……産みたいの。手伝って……くれる?」

「……返答するのは、君の話を全て聞いてからだ」


 いつ産まれるかもわからない。そんな状態で嵐の中、離別した姉をわざわざ探して頼らなければならないほどの理由。

 それを聞かないことには頷けない。


「……その子は……一体、誰との子なんだい?」


 ムルジンではない。

 彼との子なら、アミュレットがこんなにも辛そうにするはずがない。

 妹の涙が止まった。

 沈黙が流れる。 

 何度も、何度も、言おうとしては妹の口が固まる。

 そうしてようやく絞り出された答えは―――残酷だった。


「…………インキュバス」

「なっ……!!」


 インキュバス―――夢魔(むま)は、一般的には下級の悪魔とされ、夜な夜な人間の異性を襲い、子を孕ませると言われている。

 しかし、僕らドルイドが指し示すインキュバスは単なる下級悪魔ではない。

 僕たちドルイドにのみ口頭伝承で伝えられているインキュバスはそんな単純な存在ではない。その言葉が指し示すものは『あちら側』の具現化だ。

 悲しみ、恨み、怒り、妬み、憤り、怠惰、強欲、盲執、絶望、悪。

 そういった……哀しきものたち全て。生きとし生けるものの陰り。いわゆる負とされる勢力が強まり、この世を支配する時訪れる冥府の王者。それがインキュバスの正体だ。


「…………僕のせいだ」


 続く(いくさ)、止まらない食糧難、裁かれる魔術師、圧政に苦しむ人々。

 彼らが世界を呪ったことで……インキュバスは力を蓄え、『こちら側』の世界まで影響を与えるほどに強くなったに違いない。

 だとすれば、やはりそれは…………僕のせいだ。

 僕がウーサーを間違った道へと連れて行ってしまったから。

 悲劇はインキュバスの大好物だ。


「おねいちゃんだけのせいじゃないよ……人は皆、みんな弱い生き物だから」

「アミュレット……」

「それに、こんな事言ったら怒られちゃうかもしれないけど。私の強がりも演技も見破って、それでも大好きな人の所へ、おねいちゃんが行ってくれて良かった。最後は哀しい結末だったかもしれないけど……私のお()りをしないで、おねいちゃんだけの人生を生きるって決めてくれて嬉しかった……」


 その言葉で、理解した。

 インキュバスは概念でしかない。しかし『あちら側』は常に『こちら側』を闇と絶望へ、自分達の方へと取り込もうと、手を(こまね)いている。

 人々の絶望で力が高まった今でも、概念であるインキュバスは『こちら側』に直接的な干渉を行う事はできない。

 ただ方法が無いわけでは無いのだ。

『こちら側』に肉と骨、実体のある器を造り、そこに憑依すればいい。

 だが、『あちら側』の力全てを受け止めるだけの器など、そうそう造れやしない。

 ―――余程の力を持った人間を犠牲にし、産ませない限り。


「……どうだった?おねいちゃん。辛いこと、たくさんあったと思うけど……幸せだった瞬間も、あった?」

「…………あったよ」


 ウーサーの、愛した男の元に行かず、ドルイドに残っていたら―――インキュバスに孕まされたのは、僕の方だったのだ。

 妹の優しい笑顔が滲む。


「……僕の代わりに君が犠牲になるなんて知っていたら、僕は行かなかった……」

「うん。でも、自分を責めないで、おねいちゃん。私、まさか自分に順番が回ってくるなんて、ほんとに直前まで予知できなかったの。だから……あの時のおねいちゃんの選択は、間違ってないよ」

「そんな……」


 こんな、こんな事ってあるのかい?

 愛した男も、愛した家族も、僕にはどうしようもなかったと。どうにもできなかったんだと。

 どれほど魔術を使えようと、力を持とうと、この世で最も愛したかった二人の人間さえ救えないなんて、そんなことがあるのかい?

 僕の目から涙が零れた。

 それを見たアミュレットが何故か微笑む。


「ありがと、おねいちゃん。でも、おねいちゃんが気に病む必要は無いんだよ。だって……未来は本当は誰にもわかんない物なんだもん。私の予知だって、きっとただ当たってただけ。本当の意味で決まっちゃってる未来なんて、きっと無いから」

「アミュレット……」

「だから……産みたいの」


 妹の決意を僕は涙を拭って真っ向から否定した。


「何を言ってるんだ!インキュバスの器を産めば『こちら側』へ奴らは干渉し出す!今の比ではない人々が不幸になるんだぞ!?子供だけを殺すべきだ!!」

「それ……ムルジンにも言われちゃったなぁー……」


 妹は苦笑しているだけだが、こちらはそれどころではない。

 『こちら側』と『あちら側』を調停していた者達。それがドルイドの実のところの元々の存在意義だ。魔術師というのは『こちら側』と『あちら側』を調整する力を持った者達から派生して生まれてきたのだ。

 そんなドルイドの妹がインキュバスの器を生む?冗談じゃない。


「例え今、この子を…………殺しても、きっとインキュバスは新しく別の魔女に自分の器を産ませるよ……」

「そうすればいい!ひたすら阻止し続ければ……!!」


 僕の提案に対して妹は静かに首を振った。


「もう……間に合わないの。そんないたちごっこをできる余裕は……世界にないの。おねいちゃんが次の器の種を見つける前にきっと生まれちゃう。それぐらいむこうの力は強くなってきてるの…………私にはわかる」

「だが……産んでどうする?結局世界の滅亡は変わらない」

「変わるよ」


 今までともに過ごした時間の中で、最もはっきりとアミュレットは断言した。

 僕を見返すその瞳は、僕のよく知る甘ったれの妹のものではない。

 ―――覚悟を決めた母親の瞳だった。


「私が、この子を護るの。インキュバスから。―――命を賭けて」




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