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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第十一章 魔術師ブレイズの日記
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page.325

       ***



「おねいちゃん!確かにこの子の言ったことは酷かったけど、だからっていきなり襲うなんて!」

「う……し、しかしだなアミュレット。こいつは君を人質にして……」

「言い訳しない!頭に血が昇ったんでしょ!」


 図星だった。

 勿論アミュレットや集落の皆を守るためとはいえ、少し……いや、かなり力を入れすぎたのは、胸のことを指摘されたからに違いなかった。

 こういう時の妹には頭が上がらない。

 普段怒らない分、アミュレットは一度怒ると手がつけられないのだ。


「私のことはいいのっ!それにこの子にはほんとに私を傷つけるうもりなんてなかったもんっ!」

「うっ……」


 騒がしい言い合いのせいか、少年が目を覚ました。

 気絶させた少年を僕は魔術で運び、もう一度僕たちのテントに戻して寝かせておいたのだ。

 目を覚ました少年が飛び起きようとしたところで、立ち上がれないことにようやく気づいたようだ。上半身は起こせるものの、それ以上は身動きが取れない。彼は見えない壁に手をついて自身を囲んでいるものを確かめている。


「ようやく目を覚ましたか」

「……なんだ、これ」

「結界だ。またさっきのようなことになられたら敵わないからな」


 少年の寝ている場所をドームのように覆う不可視の結界は僕が張ったものだ。アミュレットは反対したが、さっきのようなことになったらまずいという僕の意見に不満を飲み込んだようだった。


「目が覚めた?ごめんね、こんな……」


 アミュレットが少年の横に座る。その姿に少年の目は釘付けになっていた。


「……なんで殺さなかった?」


 その質問に驚いたのは僕だけでなく、妹もだった。


「逆に尋ねるが、どうして僕が君を殺さなくちゃならない?」


 それは純粋な疑問だ。


「ただ死に行くのを見捨てるのと、手を下すのはわけが違うだろう?僕が君を直接殺す理由は今のところ何もない」


「まぁ、妹に乱暴をし、僕に暴言を吐いたと言えども殺すようなことではないだろう」と付け足す。

 その答えが余程信じられないものだったらしい。少年は目を見開いた。続いて視線を僕から横に佇むアミュレットに移す。

 アミュレットはそれに笑顔で答えた。


「ね?もう大丈夫って言ったでしょ?」

「…………」


 少年は言葉を失っている。毒気を抜かれたように腑抜けている様子からして、もう抵抗する気はないだろう。

 僕も少年に近付いた。


「さて、君の疑問に先に答えておいた方が話がスムーズに進みそうだ。薄々察しているかもしれないが、ここは僕たち姉妹が暮らすドルイドの集落だ。ドルイドというのは魔術師の集団。ここにいる者は例外なく、皆魔術師だ」

「魔術師……異形の力を使えるやつがそんなにいるのか……」

「異形とは、これまた。未だにそのように異端扱いをして理解しようともせず、思考を停止している阿呆がいるとは嘆かわしい世の中だ。で、だ。君は見たところ魔術が使える。それは独学か?」

「……なんでそう思う?」

「簡単なことさ、君は意志魔術しか使えていない。知識なく才能だけがある魔術師の典型パターンだ」


 僕の専門的な言葉に少年は戸惑っているようだ。僕が説明を追加しようと口を開きかけた途端、アミュレットがやんわりと割り込んだ。


「おねいちゃん、専門的なことはあ・と・で!先にちゃんと説明しなきゃならないことがあるでしょ!」

「意志魔術と共感魔術の差異も重要な……」

「むー」


 膨れるアミュレットの顔を見て、すぐに自分の旗色の悪さを察した。僕の妹は怒らせると面倒なことになる。

 ここは争いは避けるべき場面だろう。


「……お前の言う通り、俺はこの不思議な力を生まれつき使えるけど……それが何だって言うんだ」

「君、大方どこかの領主の奴隷だろう?」


 返事を聞くまでもない。少年の顔色が一瞬で悪くなる。


「やはりな。どうせどこかの戦で前線に無理矢理駆り出させられ、使い捨てにされた。違うか?」

「おねいちゃん!!」


 アミュレットが諌めるが、僕は追求の手を緩める気はなかった。

 少年は大人しく俯いている。


「……それがどうした」


 低く、硬い声が肯定する。警戒心の強い、鋭い眼差しはまさしく鎖をつけられた野生の獣のそれだ。


「いや?ただ単に確認しただけだ……だそうです、おじい様」


 僕の呼び掛けで祖父がテントに入って来た。突然の第三者の登場に少年の気が張りつめる。


「そう、緊張せずとも良い。儂はこのドルイドの集落の(おさ)を務める者だ」


 祖父は腰を下ろさず、少年の様子をじっくりと観察した。


「さて……此度の事。騒ぎになってしまった故、君の存在を他の者達に秘匿しておくことは難しくなった」


 当初は祖父も少年が回復するまで、他の皆には内緒にしてアミュレットに看病だけを許すつもりだったのだろうが、さっきのドタバタ騒ぎで既に少年の存在は知れ渡ってしまった。

 彼を最終的にどうするのか、集団の皆に知らせずに終わらせることはもうできないだろう。


「ブレイズは君が領主に使い捨てられたと考えているようだが、実際のところはどうかね?君は(いくさ)で傷つき、たまたま我らの元へ流れ着いたのか。果たしてどこかの者の差し金なのか」

「どっちだっていいだろ」

「良くないのはそちらの方だ」


 拗ねているような素振りの少年に祖父はきっぱりと言い切った。


「前者ならば良し。しかし後者ならば許しはせぬ」

「…………」


 少年が黙り、何も言わず祖父を睨み付ける。


「儂はこのドルイドの長。皆を守る責任がある。君がもし、我らに害を為すのならばこのまま手をこまねいていることはできぬ」

「だったら、どうするってんだ?」

「無論、我らの存在の秘匿性を保つため君の口を塞ぐのみだ」

「つまりはぶっ殺すってことかよ。はっ、なるほどな」

「えっ……?」


 おじい様の脅迫に一歩も引かない少年とは裏腹に、アミュレットの方がおじい様の言葉に明らかに反応を示した。

 すぐに少年の前に立ちはだかり、おじい様から少年を隠すように両手を広げる。


「だめっ!」


 普段のおっとりとした様子からは想像つかないほど、妹は必死だった。懸命におじい様を睨み返している。その勢いに僕もおじい様も少し驚いた。


「この子、ほんとに私を傷つけるつもりがなかったの!そんな子を殺すなんて絶対だめっ!」

「何を言っているのだ、アミュレット。次期長候補がそのような事、軽々しく口にするでない」

「だめなものは、だめぇー!!」


 叫んだ妹はくるりと少年に振り替えると結界越しに必死に説得し始めた。


「ね?そんなことしないよね?」

「アミュレット、彼の人間性の問題以前に彼は奴隷だ。領主に弱味を握られていたり、精神的支配から逃れられず生きて帰せば、我らの存在を口にする可能性も……」

「そんな酷いところなら帰らなくていいよっ!」


 これには僕やおじい様だけでなく、少年も目を丸くした。


「ね?おうち、帰りたい?ほんとに奴隷なの?酷い目に合わされたりするの?」

「…………当たり前だろ。奴隷は人間じゃない。物だ。戻ればいつも通りの生活が待ってるし、そこのジジイの言う通り、拷問に耐えてまでこの村のことを秘密にする義理もねぇよ」

「そんなところにどうして……」


 今にも泣き出しそうな妹を見た少年の顔が歪む。


「はっ、知るかよ。気づいた時には俺はもう物だった。親の顔も、生まれた場所も知らねぇよ。何でこんな力使えるかもわかんねぇ。とりあえず言われたことに従わなかったら死ぬ。それだけだ」

「じゃあ、好きでそこにいるんじゃないんだよね?」

「当たり前だろっ!!誰が好き(この)んであんな……!!」


 少年が強く拳を握りしめる。怒りのあまり震える体。

 どうやら心までは従属できていないようだな……。

 それは、どれほど少年にとって恥辱を与える自我であっただろう。本物の無機質な物のように、自分の存在価値にも、いる居場所にも疑問を抱かなければ彼はもっと楽になれたであろう。

 何も言わない祖父や僕とは裏腹に、少年の姿を見ていたアミュレットが突然、重苦しい空気を物ともせずパンっと嬉しそうに手を叩いた。


「じゃあ、一緒に暮らそうよっ!」

「は?」

「はぁ!?」

「何じゃとお!?」


 名案を思い付いたとばかりに妹は嬉しそうにしているが、こちらはそれどころではない。

 アミュレット以外の全員がすっとんきょうな声をあげた。


「一体何のつもりだ!アミュレット!出自も知れぬ者を迎え入れる気か!?」

「だめなの?おじい様?だってこの子は好きでその領主の所にいるんじゃないんでしょ?だったら一緒に暮らせば寂しくないし、バレもしないよっ」


 妹の提案は理に敵っていると言えば聞こえはいいが、つまりは無防備に少年を信用して仲間に入れようということだ。


「ね?どうかな?もちろん、あなたが嫌じゃなかったらの話なんだけど……」

「…………」


 驚愕の提案に少年も言葉を失っている。

 しかし、その目に微かな希望が横切ったのが僕には見えた。

 自由への渇望。人としての温もりを目の前で無償に与えるアミュレットから目が離せなくなっている。

 その眩しさに少年は視線を逸らした。


「…………そ、そんなことを言っても、俺は余所者だ。馴染めるはずが……ない」

「そんなことないよ」


 アミュレットが少年の手を取り、顔を覗きこむと少年の視線とアミュレットの視線が確かに交わった。

 その光景は不可思議な温もりを伴って僕の目にも映りこんでくる。


「私たちは、みーんな魔法を使える。魔術の申し子。あなたもその一人。だから私たちは―――みーんな家族。あなたも、もう……独りぼっちじゃないよ」

「しかし、アミュレット」

「おじい様」


 異論を唱えようとした祖父に僕は向き直った。


「……彼が望むのなら、アミュレットの言う通りにしましょう」

「ブレイズ!お前まで何を……!?」


 祖父が驚くのも無理はない。けれど僕にも考えがあった。

 アミュレットの予言の真相はわからない。だが、彼と妹の出逢いが必然なのだとすれば、このような境遇に身を置く少年をアミュレットが見捨てられるわけがない。

 だとすれば、あの予言はこの先も彼といることで達成される。

 いや、達成すべき運命なのかもしれない。


「安心してほしい。おじい様。僕はアミュレットとは違う。そこまで甘くはない。彼が例え僕たちに味方すると口約束しても、僕は彼を監視するし、おかしな素振りを見せれば―――すぐに口を塞ぐ」

「はっ、お前みたいなガキに俺が殺せるのかよ?」


 その言葉に僕の方が鼻で笑った。


「侮るなよ。先の魔術のぶつけ合い。僕は本気のホの字も出しちゃいない。にも関わらず、あの一撃で君は悟ったはずだ。君は僕に遥かに劣ると」

「……」


 さすがにこれには少年も言い返して来なかった。

 少しでも魔術の能力がある者ならば、魔力をぶつけ合った瞬間、互いの力量がわかる。

 どれほど強がってみせたところで、僕からすれば彼に手を下すのは野うさぎを捕まえるよりも簡単だ。

 それを彼も本能的にわかっている。


「おねいちゃん!不必要に脅えさせないで!ごめんね?でも……どうかな?おねいちゃんはあんなこと言ってるけど、一緒にここで暮らさない?」 

「…………して」

「ん?」

「…………っ!どうしてこんな親切にする!?俺はお前を……人質にしたんだぞ!襲ったんだぞ!どうして……そんな人間に、いや、人間とすら呼ばれてなかった俺に優しくするんだ!」

「……?あなたがそう望んでる気がしたから」


 ……もう、少年は吠えなかった。

 ただ力なくアミュレットを見つめている。

 無言で見つめ合う二人をおいて、僕はおじい様の肩を叩き、二人連れだってそっとテントから出た。


「……本気か?ブレイズ」


 何のことか言われるまでもない。


「本気だよ、おじい様。……彼はもう裏切らないさ」


 アミュレットを見つめた目。そこに滲み始めた感情を見ればわかる。

 同様に、あれほど我儘を貫き遠そうとする妹も初めて見た。

 恐らくは……彼と同様……。


「……それが予言の内容だと、お前は考えているのか?」


 おじい様の言葉に僕は少しだけ悩んだ。


「……姉として、そうだったらいいなと思っただけさ」


 こうして、僕たちに新しい家族が生まれた。




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