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「きゃああ!なんで知らない人がいるのっ!?」
「おい!あれ、アミュレット様じゃ!?」
「くそ!おい!止まれ!」
アミュレットを抱えた状態だというのに、少年の足はかなり速い。
くそっ……!僕は肉体派じゃないんだぞっ……。
あっという間に少年の姿が見えなくなってしまう。何とか騒ぎの声が聞こえてくる方向を追いかけるだけだ。
このまま後手に回っていても仕方ない……。
そう考えた僕は周囲を素早く見渡した。
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「はぁ、はぁ……」
後ろから人が追いかけて来る気配は無い。
どうやらさっきの平地女は撒けたみたいだな……。
テントの影に隠れた状態のまま少し息を整えた。
「ねえ、逃げなくても大丈夫だよ」
腕の中に捕まえていた人質の―――確か、アミュレットとか呼ばれていた少女が腕の中から自分を見上げてくる。
喉仏にナイフを突きつけられているとは思えないほど優しく少女はにっこりと笑った。
「さっきはおねいちゃんも頭に血が昇っちゃっただけで、謝れば許してくれると思うし……それに」
「五月蠅い。黙れ」
少年は更にアミュレットの喉に刃を近付けた。しかしアミュレットに怯える様子はない。ただ腕の中から大きな瞳で少年の顔を覗き込んでいる。
何なんだこいつは……普通、得物を近付けられて脅えない奴なんていない。それなのにこの女は怯えるどころか不思議そうにしているぐらいだ。
どうして怒られているのかわからないとでも言いたげに。
「お前らは一体、何者だ?何で……お前の姉は異形の術が使える?」
「異形の術?魔術のこと?」
どうやら自分が『異形の術』と称していたものの名称は魔術というらしい。
「そうだ。お前らは一体どこの手先だ?」
「手先?なーに?それ?」
「ふざけるなっ!」
この戦時下において『異形の力』を持つ人間の運命は決まっている。
領主の奴隷となって戦場を駆け抜け、使い捨てにされるか。
その力を恐れられ、血祭に挙げられるか。
二つに一つだ。
その時、腕の中の少女が不意に腕に触れてきた。感じた事がないほど柔らかく滑らかな指がそっと腕と手の甲を撫でる。
「……大丈夫だよ。そんなに脅えなくても」
「俺は!脅えてなんか……ない!」
「ううん、怖がってる。あなた。もしかして他に魔術師の知り合いがいなかったの?」
「ま……じゅつし……?」
聞いたことのない言葉。しかしその響きはひどく脳裏にこびりついた。
「あなたが言ったような術を使える人達のことだよ」
「……俺以外にもそんな奴がいるのか……?」
「うんっ」
何故か嬉しそうに少女は笑った。未だに喉に刃を突きつけられているというのに。
触れた手がゆっくりと手の平に移動してくる。ナイフを持っていない方の手を少女は取った。
唐突の出来事に何もできず、されるがまま指を絡め取られる。そのまま少女はナイフは喉に突きつけられた状態で、向きなおった。
初めてまともに見た顔は―――可愛かった。黒い豊かな肩まで伸びた髪。くりっとした大きなこげ茶の瞳が真っ直ぐきらきら輝いて、自分の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫だよ。ここにいるのは皆、あなたと同じ魔術師だよ」
「そんなわけ……」
「大丈夫。嘘なんてついてないよ。おねいちゃんが驚かせてごめんね。でも、もう大丈夫」
不思議なほど目の前にいる少女の声が心に染みわたっていく。
「もう、痛い事や辛い事をする人達はいないよ。ここにいる人達はみんな、家族だからっ」
彼女のまぶしいばかりのヒマワリのような笑顔。
……言葉にならなかった。
生まれた時には既に自分は人でなく、物だった。
自由も願いも権利も意思も想いも持つことを許されない無機物。戦場に武器と同じように持ち出され、使い捨てられた道具。
それで良かった。もうあんなところに戻らなくて済むのかと思えば死ぬ方がマシな気がしたから。
でも、今触れている彼女の手は温かくて。
触れて、真っ直ぐ『自分』を見てくれている。
「……あっ」
首を傾げる彼女に声をかけようとした瞬間、彼女の背後から殺気に目を光らせた彼女の姉が飛びかかって来たのが見えた。と思った次の瞬間には鈍い音がして、視界が倒れた。
「ちょっと!おねいちゃん!!今、この子大人しくしててくれたんだよ!」
「しゃらくさい!僕のコンプレックスを指摘した罪、万死に値する!覚悟おお!!」
「おねいちゃん!!ストップ!ストップぅぅ!!」
倒れ込み、霞む視界の中、さきほどの平地女の喚く声が段々遠のいった。




