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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第一章 創世の魔術師
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page.32

       ***



「ここ……」


 ミルディンに連れて来られたのは、一時間目の共通授業で使う教室だった。

 今は人が誰もいない教室の窓に、雨が叩く音だけがやけに響いている。

 先に教室に入ったミルディンは勝手に教壇に上ると、教卓の下に隠してあったカバンを取り出した。


「ちょ、勝手に触っちゃまずいんじゃない?」


 その鞄はコンスタンスが一時間目の共通授業でイグレーヌの映像を見せる時に使う水晶がしまってある物だ。

 生徒が勝手に触るのはまずい気がする。

 佐和の制止が耳に入っていない様子のミルディンは鞄を教卓の上に出すと、中から水晶を取り出した。


「ミルディン?何して?」


 ミルディンが持ち上げた水晶が淡く輝きだすと、イグレーヌの声が教室中に響き渡った。


「なるほど。本当に魔法にかかっていない者がいるなんて」


 驚いて佐和が一歩下がった瞬間、水晶から光り輝く触手が佐和に向かって伸びてくる。その触手は佐和の目の前で人の手の形に変わり、佐和の首を締め上げた。


「う!!」


 く、苦しい……!!

 なんとかもがれようと触手を掴むがびくともしない。


「……ミル……ディン……たす……け」

「無駄。この者に君の声は届いてはいない」


 イグレーヌの声が少しずつ変化し、知らない女性の声になり佐和にそう告げる。見ればミルディンはただ水晶を持ったまま、教壇に突っ立っていた。

 その目は虚ろで現状を見ているとは到底思えない。


「なん……で」


 どうも様子がおかしい。そう思った瞬間、胸ポケットが震えた気がした。


「幻覚魔法がかけられているな」

「幻覚……魔法……?」


 思わず声に出した佐和は、この声が自分の頭の中に直接流れてくる杖の声だとそこでようやく気がついた。


「一種の洗脳のようなものだ。イグレーヌに傾倒するよう暗示がかけられている」


 杖の言葉に、佐和の中で何かが一本に繋がったような気がした。

 一様にイグレーヌに傾倒する魔術師たち。

 命を捧げることすら躊躇しない軍団。

 感じた気持ち悪さの理由。

 そうだ。私はこの気持ち悪さを知っている。それは大学の入学オリエンテーションで見たカルト集団のVTRを見た時と同じ気持ちだったんだ。

 もしかしてここはただの保護施設じゃない?


「驚いた。君が魔法の正体を見破るとは。それにそもそもどうして、君は魔法にかかっていないんだい?」


 水晶に杖の声は聞こえていないようで、佐和が真実を見抜いたと思い、少なからず驚いているようだった。

 ……どうすれば、洗脳は解けるの?

 心の中で杖に問いかけると、返事はすぐに返って来た。


「湖の乙女よ、この魔法はあまりに強力だ。繰り返し重ねてかけられている可能性が高い。何か全員が共通して行っていたようなことはないか」


 佐和の喉に絡みつく触手は苦しいが、佐和の事を殺そうとはしていない。かろうじて冷静になれた脳で杖の言葉に懸命に考えをめぐらす。

 食事?なら私も魔法にかかってるはず。

 性別も人種も年齢もバラバラ。後、他に共通することは。

 佐和の首元に伸びる触手の先の水晶。

 ……そうだ。全員に共通しているのは、皆、共通授業と称して、毎日あの水晶のイグレーヌのスピーチを見せられていた事!

 佐和の世界でも映像を使った洗脳というのは存在する。確か映像と映像の隙間にショッキングな映像を挟み込むというものだ。それによって無意識化に指令を書き込むことができると大学のカルトサークルへの注意ビデオでやっていた。

 もしもそれと同じ原理を魔法で再現できたら、怪しいのはあれだ。しかも佐和だけはあれを真面目に見ていない。

 どう?


「成程。それであれば、この魔法の触媒となっているあの水晶を壊すか、術者を止めれば良い」


 簡単に言ってくれるけど、誰がかけた魔法かわからないのだから、術者の止めようがない。それにあの水晶を壊すって、この状況でどうしろっていうの……!!

 佐和は全く身動きが取れないし、あんなのに勝てるわけがない。

 今だって、もしこの力が強まったら、佐和に成す術はない。


「う……ミル……ディン」

「無駄という事がわからないようだね」


 水晶が眩く光り出し、その光が形を変え、ミルディンの横に濃密に集まっていく。そしてその光は形を変え、見知らぬ女性の形に変わった。

 光でできた人なので色はわからないが、修道服に身を包み、大きなまん丸いメガネをかけた女性だ。横に立ったその女性を見たミルディンの身体が震える。


「諦めの悪い女性だ。ミルディン。この者を殺すんだ」

「せ……せんせい……」


 先生?ミルディンを育てた孤児院の院長先生?

 その人がなぜ、魔法で姿を現している?そもそもその人は。


「し、死んだはずじゃ……」


 動揺しているミルディンを見た院長先生は微かにため息をついた。


「そうだ。死んだ。君のせいで。だから弔いに君が彼女を殺すんだ」


 院長先生はそう言うとミルディンに自分の手をかざした。その手が溶けだすように、ミルディンが差し出した両手に零れ落ち、短剣を形作る。

 女性に命じられたミルディンの肩が微かに揺れた。しかし、それはほんの一瞬の事で、すぐに無機質な目を佐和に向け、渡された短剣を握りしめ歩み寄ってくる。


「ミ、ミルディン……」

「ごめん。これも、イグレーヌ様のためだ……」


 ミルディンは渡された短剣を掲げ、鞘から抜き出すとその鞘を投げ捨て、押さえつけられている佐和に向かって構えた。


「待って。ミルディン。そんな事したら……絶対後悔、する」


 佐和の存在価値がどうとか、そういう問題じゃない。

 名前も素性も知らない自分を助けるような、幼馴染の叱責に重責を感じ続けるような、大好きな人の死を自分のせいにし続けるような、そんな彼が、誰かの命を奪って平気でいられるとは思えなかった。


「魔術師は……イグレーヌ様のために……俺は……」

「ミルディン……!」


 ミルディンに佐和の声は届いてはいない。

 どうしよう、このままじゃ、私、死んじゃう。

 そんなわけにはいかない。

 私は海音を生き返らせなきゃいけないんだ。

 誰よりも優しくて、かわいくて、皆が大好きな海音を。

 だから、こんな所で終われない。

 でも、自分には何もない。

 特別な力も、異世界で使える魔法も、ひきつける魅力も、何もない。

 苦しくて涙が眦からこぼれた。ゆがんだ視界に映ったミルディンのとび色の瞳が一瞬だけ揺れたような気がした。冷たいように見せかけて本当は優しいその瞳に膜が張っていることに佐和は気付いた。


「イグレーヌ様のために、イグレーヌ様のために、イグレーヌ様のために、イグレーヌ様のために、イグレーヌ様のために、イグレーヌ様のために」


 正気じゃない。狂ったようにミルディンがイグレーヌの名を繰り返す。それは――――なんて悲しい叫びなんだろう。


「あなた、本当にミルディンの……育ての親なの!?」


 せめてもの抵抗で院長先生を睨みつける。

 本当にミルディンの育ての親だというなら、最低だ。

 自分の息子のような存在に人殺しを命じるなんて。


「違う。これは彼の懺悔の結晶。この魔法は、最もその人間の心理に影響を与えるモノの形で具現する」

「聞いた?ミルディン……!あれは本物じゃない!あなたが従う理由なんて、ないんだよ」

「殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す……」


 やはりミルディンに佐和の声は届いてはいない。ただ力なく確実に距離を詰めてくる。


「無駄、と言ったのがわからなかったのか。最早、彼に意志などない。お前のおかげだ」

「……私?」

「この者も、お前と同じように不思議と洗脳魔法にかかりづらかった。しかし、昨晩お前がこの者を追い詰めたおかげで事が早く済んだ。感謝する」


 私の、せい。

 暗い渡り廊下。ミルディンの辛そうな背中と、吐き出された言葉が蘇る。あれのせい。あの時、ミルディンが私に昔の話をしてくれたから?だから洗脳しやすくなった?

 確かに宗教なんかに置いて、そういうのが重要だって聞いたことある。気持ちを吐露させて、そこから気持ちに入り込んでいく手口。でも。

 あんなに辛そうに自分が異質だと、魔術師なんかに生まれなければ良かったと、そんな気持ちを、辛さを人に話す事で不利になるというなら、そんな理不尽はおかしい。

 誰かに相談する事が間違いの始まりになるなんて、おかしい。

 何より、そんなミルディンの悲しみを踏み台にするなんて、絶対におかしい。

 今まで生きてきて、そんなことはたくさんある。

 信頼してた友達に言ったことがばらされていたり、会社でわからないことを相談したら自分で考えろとあっさり突き放されたり。

 もちろん、甘えすぎるのは良くない。でも、凡人である佐和にできることは限りが在って、その事実はどうしようもない。だから、誰かと協力すればできるかもしれないって、いつもいつもそう思ってるだけなのに。

 小学生の発表の時も、会社でも、今まで起きた何もかも、誰かと協力しようとすることは、助けを求めることは、いつも不幸な結果しか招かなかった。

 本心を吐露すればそれは必ず、胸の痛みを伴って帰ってくる。悪口だったり、批判だったり、自分の求めていない答えだったり。

 それが悲しくて、苦しくて。

 自分の気持ちを全く同じ形で理解してくれる人なんていない。

 だから佐和は誰かに頼ったり、愚痴を言ったりするのが嫌いだ。

 それはきっとミルディンも同じだったに違いない。

 だから、あんなにも私たちは一緒にいると安心できたんだ。

 そんなミルディンが震えながら、私に過去を伝えてくれた。

 だから、だからせめて私は、気持ちを伝えてくれたミルディンを悲しませるだけのことはしたくない。

 すぐ目の前まで迫ったミルディンに佐和は懸命に息を吸い込んで、吐いた。


「……ミルディン!!私はミルディンが魔術師で良かった!!」


 そうじゃなきゃ、私はもうこの世にいない。


「話してくれて嬉しかった!!」


 何もない私に、こんな悩みを相談してくれるなんて、頼りにしてくれてる証じゃないか。


「事件の事、私には何にもわからないけど!」


 脇役の自分に主人公らしいあなたの何かを語れる事はできないけれど。


「それでも、今までミルディンと過ごしてきて、わかる」


 ぶっきらぼうで、口数が少なくて、誤解を招きやすくて、真意を見せにくい。誰よりも優しい人。


「あなたが魔法を使えば!ブリーセンを、マーリンを助けられる!!あなたが魔術師に生まれた意味がないわけない!」

「……どうして」


 ミルディンが力なく佐和に刃を向ける。その両目から涙が今にもこぼれそうなほど溢れた。


「どうして、俺は、魔術師なのに、俺に、優しくするんだ……どうして」


 その一言に佐和の中の何かが音を立てて、キレた。


「人が人に親切にするのに、理由なんかいるのかよ!!」


 叫んだ佐和にミルディンが短剣を振り下ろした。




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