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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第十一章 夢魔の子
318/398

page.317

       ***



「あ……あの……」


 ヤバい。ヤバい。ヤバい。

 これはもう言い訳ができない。現行犯逮捕である。しかも最悪なことに窓は既に閉め終わってしまっている。

 今から「窓が開いてたんで」なんて言っても絶対信じてもらえない!むりむり!

 マーリンが悩んでいるところに、更に状況を悪化させる原因を作った自分をいますぐここでぶん殴ってやりたい。

 絵なんかに見惚れたりしないで早く出て行けば良かったのにぃ……!


「ほ……本当にすみません!!あの、窓が開いてて!紙とかがすごく飛んで来てて!!それで閉めないとと思って!いや、入るなって言われてたことは覚えてたんですけど……このままだと他のも全部飛んでいっちゃいそうだったので……!本当にそれだけで……!今まさに出て行こうとしたところ」

「おい」

「はいぃ!!」


 つらつらと言い訳を連ねていた佐和にムルジンが一歩だけ歩み寄る。そして後ろ手で開いていた部屋の扉を―――閉めた。

 ぎゃああああ!!??

 これは何!?何故扉を閉めた!?超お説教コース!?口封じ!?

 だが、パニックに陥る佐和と違ってムルジンの様子は静かだ。怒っている様子も荒立っている様子もない。

 ただ静かに、そして冷ややかにムルジンは佐和を見ている。


「……あ……あのー……?」

「…………ウミネはどうした?」


 …………え?


 ムルジンのその言葉に今度は身体だけでなく、佐和の心臓まで凍りついた。



       ***



「ウミネはどうしたかって聞いてんだ」

「……なんで……ウミネの事……知って……」


 この世界に、このアルビオンに『海音(うみね)』の事を知っている人はいない―――はずだった。

 それなのに確かに目の前のこの男性は『ウミネ』と、佐和の妹の名前を口にしたのだ。


「…………」


 本当は……何も言うべきではない。

 本来湖の乙女として創世の魔術師を導くはずだった妹の存在を知っているなんて、やっぱりこの人はただ者じゃない。

 相手が何者なのか。海音のことを聞いてどうするのか。何もわからないうちにぺらぺら喋るのは危険だとわかっていた。

 わかっているのに……勝手に乾いた唇が震える。


「…………海音は…………」


 何故だか、ムルジンには真相を話すべきだと思った。

 敵か味方かもわからない。それでも、彼が呼んだ『ウミネ』という響きに、親しみが込められていたような気がして。

 そう思うのに、言葉が出てこない。


「海音は…………私を庇って…………」


 蘇る。

 振り替える笑顔。柔らかい黒髪。零れた涙。

 繰り返された「ごめんね」と「これでいいんだよ」という言葉。

 目の前で大きな(くちばし)にその笑顔が。

 覆い被さったその瞬間が。


「私のせいで…………」


 頭では言っている。それなのに頭の中で浮かべている続く言葉が、どうしても口から出てこない。

 言ってしまえば、現実になる。

 今まで大丈夫だったのは、佐和が冷静でいられたのは誰も海音を知らなかったから。けれど、もし海音を知っている人と出会って、その事実を共有したら、海音が『死んだこと』が現実になってしまう。

 でも、言わなければならない。向き合わなければいけない。


「海音は……私を庇って……」


 それ以上、どうしても言葉が続かない。

 気付けば視界が滲んでいた。


「……あれ……どうして……私……」


 泣いてるの?

 黙り込んでしまった佐和を見て、ムルジンは全てを察したようだった。


「……あいつ、初手でしくじったのか……」

「違います!海音は……!海音は失敗なんかしてない……!私が……私のせいで……」

「……理解できねぇな。どうしてお前をウミネが庇った?」


 ただ呆れたように事情だけを尋ねて来る。

 だが、マーリンに見せていた冷酷な表情とは雰囲気がどこか違うような気がした。

 淡々として静かなだけで、恐く……ない。

 それに気づくとようやく言葉が出てきた。


「うみねは……私の……妹で……」

「……なるほどな。ならやっぱりお前がウミネの姉の『サワ』か……」

「私の事……知って……?」

「……ああ、耳にタコができるほど聞いてる。話通り聡いくせにめんどくさそうな奴だ」


 誰から?

 その疑問を口にする前に「だが……」と佐和の身体を上から下まで観察したムルジンが嘲笑した。


「本当に姉妹か疑いたくなるレベルだな。雰囲気は確かに似ちゃいるが、それにしても顔と胸が違いすぎるだろ」

「っるせ!!私が母胎に残した栄養素全部吸って生まれてきたんだよ!!絶対!!」


 しまった……!

 思わずコンプレックスを指摘されたムカつきで、悲しみもぶっ飛び、語気を荒げてしまった……!

 頼みごとをしている立場、そして何故か海音の存在を知っている希有な人物。

 そんな人にこれから慎重に話を聞きださなきゃならない時に、私は何て失態を……!!

 ヤバい!絶対、怒鳴られる……!!

 肩を竦めてムルジンの怒鳴り声に身構えるが、一向に雷が落ちてくる様子はない。

 それどころか、恐々ムルジンの顔を見上げてみると、ぽかんと口を開けている。


「……え?あ、あのー……」

「……ぷっ」


 戸惑う佐和に構わず、呆けていたムルジンが口元を押さえて微かに肩を揺らし始めた。


「おい……マジかよ……姉って生き物は皆胸がちっさい事を妹と比べて馬鹿にされると同じ事言うのかよ……!」


 ……なんと、あの冷徹漢。いつも何かに苛立っていたような眉間から皺が取れて、今は笑いを堪えている。

 まるで狐につままれたような気持ちになり、唐突な事態に佐和の涙も引っ込んでしまった。


「あ……あのー……」

「そんなに胸ちっせーの気にしてんのかよ……マジウケるわー、あいつと一言一句、同じじゃねえか」

「えっと……?」


 誰の事を言っているのだろう?

 だが、くすくす笑われ続けるうちに佐和の混乱が収まり、今度はだんだん腹立たしいような恥ずかしいような気持ちになってきた。顔中が熱くなる。


「わ、笑いすぎです……!」

「や、やめろっ……!」


 駄目だ。完全に何かがムルジンのツボに入ってしまったらしい。

 さっきまでの冷たい雰囲気もどこ吹く風。お腹を押さえて「腹いてぇー」などと言い出す始末だ。決して大声でげらげらと笑っているわけではない。ただひたすら笑いを堪えようとしているあたりが余計に何だか佐和には気恥ずかしい。


「むぅう……」

「そう、膨れんなって、はー、こんなにウケたのは何年ぶりだ……?」


 そんな事聞かれても知らん。


「……何で聡い奴ってのは、一回キレると一周回っておかしくなるんだ?世界の法則か?」

「……知りませんよ」


 ムルジンの言葉には何か佐和の知らない事情も含まれている。佐和自身を笑ったというよりは、佐和を通して誰かを思い出して笑っているような感じ。

 でもこっちはそれどころじゃないっつーの!!


「で、何であなたが海音を知ってるんですか?」

「知ってるも何も、あいつは一時期ここで暮らしてた。あいつに魔術を教えたのは俺だ」

「はあ!?」


 予想外すぎる言葉に思わず素の声が飛び出る。

 あれほどマーリンに魔術を授ける事は断固として拒否していた癖に、海音にはあっさり教えたのか。

 いや、そもそも何でムルジンさんが海音に魔術を……?


「言っとくが、あいつとウミネじゃ、事情が違ぇ。だから俺はあいつにだけは魔術を教えない」

「何で……ですか?」

「ウミネは湖の乙女だ。だけどあいつは違う」

「ま、待ってください……まず、あなたは海音の事をどこまで知ってるんですか?」


 頭が混乱してくる。

 ただでさえ本来知らないはずの海音を知る人物が現れた。それだけでも困惑の極みなのに。


「めんどくせえ奴だな、ほんとに。マジで全部理解しねぇと気が済まねぇのかよ……」

「教えてください!妹の事なんです」


 佐和の懇願を冷ややかな目つきで見下ろしていたムルジンだったが、その目の温度が佐和にはもう怖い物には映らなかった。

 ただ―――そう、彼は多分、こういう眼差ししかできない人なのだ。


「……俺が受けた予言は二つある」


 ムルジンはさっきとはうってかわって真面目な調子でそう語り出した。


「1つはリビングで言ったやつだ。そんでもう1つっつーのが、俺がこの世界に訪れる異世界からの来訪者『湖の乙女』に魔術を授け、手助けをする事になるって予言だ」

「……じゃあ、私が海音に洞窟で会った時、魔法を使ってたのは……」

「俺が教えた魔術だ」


 合点がいった。結局聞けなかった『なぜ一般人の妹が魔法なんて使えるようになっていたのか』という疑問。

 本来湖の乙女ニムエとはこの世界―――アルビオンの全ての縁を結び、世界を新しい時代へ導く為政者と魔術師を導く存在。

 才能が備わった上に、この人―――ドルイドの最後の生き残りから技術を授けられたのだとしたら、あの力にも納得がいく。


「じゃあ……私の事も知って……?」

「いや。最初にここにお前らが現れた時には驚いた。あいつが連れて来る女はウミネだったはずだからな」


 ……やっぱり、そうだったんだ……。

 形の無い漠然とした空虚感に襲われる。覚悟していても何度体験してもどうしても辛い。

 私のせいで……運命が狂ったんだ……。


「どうやって湖の乙女と偽る事に成功した?そもそも何故お前がこちらの世界に来た?」

「それは……私にも……何が何だかわからなくて……気がついたらこっちの世界に飛ばされてたんです。そしたらいきなり洞窟で怪物に襲われて……そこを海音が助けてくれて……」

「…………試練の洞窟で(つまず)くなんて、あの馬鹿」


 言葉は罵りそのものだけれど、「馬鹿」の言い方がなんだか悔しげにも聞こえて、怒る気にはなれなかった。


「それで、お前は何で湖の乙女の代わりなんてやってる?やろうと思ってできるもんじゃねぇだろ」

「……わかってます。役不足だって……。でも……どうしても……海音を、私は取り戻したい」


 世界から、現実から、死から。あらゆるものを凌駕して。

 取り返す。

 そのために突き進んで来た。


「……納得した。お前『祝福』の力を使ってウミネを蘇らせる気だな」

「……そんな事まで知ってるんですか……?」


 本当にこの人は何もかも知っているのだ。

 本来湖の乙女は佐和ではなく海音だという事を。そして湖の乙女が創世の魔術師を、アーサー王を導いた結果授かる願いが叶う権利についても。


「だとしたら、どうして……マーリンには魔術を教えてくれないんですか?だって海音の事は……湖の乙女には力を貸してくれたんじゃないんですか……?」

「さっきも言ったろ。あいつと海音は違ぇ。それに湖の乙女がウミネじゃなくお前に変わった時点で余計あいつに魔術を教えるのは無理になった」

「どうして……?やっぱり私のせいで何か運命が狂っちゃったんですか?」

「違ぇよ」

「じゃあ……」

「言っただろ、俺は……あいつが嫌いだ。顔を見るだけで反吐(へど)が出る。それに湖の乙女に魔術を授けたとしても、それは創世の魔術師とアーサー王をただ『手助け』する力を授けただけの事。最悪、影響力はたかが知れてる。けど、あいつ自身に魔術の知識を付けさせることは危険すぎるんだよ」

「どういう事ですか……?」

「……もう、本当はとっくにわかってんだろ」


 ムルジンは冷たく、言い切った。


「あいつが本当にインキュバスの子供(ガキ)だからだよ」




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