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ランヴァルが用意してくれた服にそれぞれ案内された個室で着替え、再びリビングに集った時にはようやく佐和の身体の調子も戻りつつあった。
「着替え、ありがとうございます」
「いえ、どうぞ。暖炉の前に毛布も置いといたので使ってください」
キッチンのカウンター越しにランヴァルが覗く。どうやらお茶を入れてくれているようだ。
しっかりした子だなぁ……。
暖炉前の絨毯の上にはマーリンが先に胡坐をかいて座っていた。白いシャツに茶のズボン。ごくごく一般的な格好だが、ローブを着ていない薄着のマーリンは久しぶりに見る。
なんだかどきどきしてしまう。
おおぅ……やっぱ改めて見るとレベル高いなぁ、マーリン……。
この人が自分を好きなのかと思うと、やっぱり夢か自分の妄想のような気がしてくる。
そう思ってまじまじと見つめているとなぜか不意にマーリンの方が佐和から目を逸らした。
……ん?
「どうしたの?マーリン、何か変?」
「……や、そういうのじゃ……。サワ、白も似合う」
「……」
逸らした頬が微かに赤い。佐和が借りたのは白いシャツに長い深緑色のスカート。確かに、シャツはあまり着るタイプじゃない上に、サイズも大きい。
けど……こう……そんな大して美人じゃない私の大きめシャツ見て、も……萌えます?普通……!
見ているこっちが恥ずかしい。
気まずくなりそうなので「あははー、ありがとー」と軽く流し、ありがたくランヴァルの用意してくれた毛布を被った。
……これなら見えまい。
「お茶入りました。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
マグカップに入った温かい紅茶が差し出される。至れり尽くせりだ。
ランヴァルはマーリンにもマグカップを渡しながら「敬語なんて、年下の俺にそこまで気、使わなくていいですよ」と笑っている。
本当に良い子だ。
「じゃあ、ランヴァル。聞きたい事が。俺達はブレイズという人物に会いたくて、ここまで来たんだ。知ってる?」
さすがマーリン。人見知りとか警戒心が強いわりにはこう言われるとあっさり適応してくる。
マーリンの質問にランヴァルは首を傾げた。
「ブレイズ?僕は知りませんけど……」
「でも、あの……ムルジンさんは知ってたみたいで……」
「ムルジンが?まぁ、あの人と俺もずっと一緒にいるわけじゃないので、俺と会う前の知り合いかもしれないですね」
「ずっと一緒じゃない……?そう言えば名前で呼んでるし……てっきり親子かと思ってたけど……もしかして……」
「ああ、俺とムルジンは赤の他人ですよ。昔、拾ってもらったんです」
あっさりとそう言い放ったランヴァルにマーリンの様子が少し変わった気がした。
「普通魔術師って大抵は血筋で生まれる事が多いじゃないですか?でも俺は両親が魔術と縁もゆかりもない人達で。それで村で忌み子扱いされて幽閉されてたんですけど、ある日唐突に近くの川が氾濫したからって人身御供でいきなり縛られて川に突き落とされたんですよ。ほんと、何考えてるんだかって感じですよね」
本人は明るくさらっと語っているが、内容は壮絶だ。
だが、ランヴァル自身は気にしていないらしく、お盆を持ち替えて穏やかなまま説明を続ける。
「で、溺れ死にしかけてたところ、下流に偶々いたムルジンが助けてくれて。それ以来一緒に暮らしてるって感じです」
彼の壮絶な過去にも驚いたが、さらに驚いたのは……
「そんな簡単に俺たちに魔術師って明かしていいの……か……?」
そう彼は自分の事をなんのてらいも無く魔術師だと名乗った。アルビオンにおいて在り得ない愚行だ。
「何を言ってるんですか?マーリンさんだって魔術師でしょ?ムルジンが魔術師以外をこの家に入れるとは思えないですよ」
「まぁ魔術師だったとしても滅多にいれないですけどね」と付け足される。
ということはやはり……
「あの……ムルジンさんも魔術師って事?」
「知らなかったんですか?」
「俺達ダーム・デュ・ラックっていう湖の妖精に、ここにブレイズって魔術師がいるからって言われて送られたんだ。それなのに……さっきの奴がブレイズは死んだって……」
どうやら初対面の印象があまりにも悪かったせいか、マーリンはムルジンに対して良い気持ちではないようだ。渋い顔をしている。
……私は、そこまで悪い人には見えなかったけどな……。
「あー、ダーム・デュ・ラックですか。話だけはムルジンから聞いてます」
「どんな風に?」
「なにもかもがふわふわした奴だって言ってました」
……当たっている。
ちょっと待ってよ……本当にそのふわふわした感じで、ムルジンという人が言った通り、うん十年も前の事をつい昨日の事だと勘違いして、「ブレイズを紹介しますっ。キラッ」みたいなノリでこんな所まで佐和達を送りつけて、挙句本人は亡くなっていたのだとしたら……。
妖精だから感覚が違うとかそういう次元の話じゃねえだろっ!!
「まあ、とりあえずは温まってください。そうだ!お腹空きませんか?実は久しぶりのお客様なんでとっておきの御茶請けを出そうかと……!クッキーなんですけど、食卓においてあるのでぜひ……」
そう言って食卓を振り返ったランヴァルが固まった。
さっきまで誰もいなかったはずの食卓に、いつの間にか小柄な少女が腰掛けている。肩までの金髪を上一部分だけ縛っている髪型。零れ落ちそうなほど大きな翡翠色の瞳。次元違いの可愛さの子だ。
……ただし、その顔中にクッキーの食べかすがついていなければの話だが。
「味は保障する。安心して食え。客人」
「お前えぇぇぇ!!!!!!」
見た目に反して古めかしい言葉づかいで親指を立てた少女にランヴァルが掴みかかった。
「それは大事に取っておいたとっておきのやつなんだぞ!!」
「うむ。しこうして味が良い。褒めて遣わす」
「そこじゃねえ!お前のじゃないって言ってるんだよ!このばかあぁ!!」
うわあぁぁと奇声を発しながらランヴァルが少女の襟首をぶんぶんと左右に振る。一方されるがままの少女は真顔で佐和達に出されるはずだった上物のクッキーをまだぽりぽり食べ散らかしている。ランヴァルが振り回すから余計に部屋中が食べかすだらけになってきた。
「おまえっ!これ、三分の一ももう食ってるじゃんか!!どうすんだよ!!ムルジンの分も入ってたんだぞ!!」
「問題ない。ヴァルが食べなければ解決する。そして私がヴァルの分を食す」
「結局足りないじゃんかあぁぁ!!」
「……えっと……あの、私の分は良いから……」
「客人もあぁ申している。喜べ。私の取り分が三倍になった。感謝する、客人」
「結局お前の分になるんじゃんかあぁ!!だあぁぁ!!!食いもんに対する嗅覚だけはどうしてそう異常に速いんだよ!?」
「……えーと……」
まだぎゃあぎゃあと文句を言うランヴァルに対し、少女は未だにクッキーを食べる手を止めない。真顔でひたすら食べている。
完全に佐和達は蚊帳の外だ。
「……本当にすみません……マーリンさん、サワさん……僕の分を食べてください……」
「えっ?いや、そんなの悪いよ!ね?マーリン」
「う……うん……」
頭を深々と下げたランヴァルは座ったままの少女の後頭部を鷲掴みにし、頭を無理矢理下げさせた。
「本当にすみません……!こいつはヘーベトロット。俺達はヘトって呼んでます。食い意地のすごい奴で……」
「生きる事と食べる事は同義だ」
「お前……人間よりは食べなくても大丈夫なくせに。なに道楽を偉そうに語ってるんだよ!」
……ちょっと待ってほしい。
今、なんと言った?
「……あのー、ランヴァル。その子、食べなくても人間よりは大丈夫って……」
「え?あ。こいつは妖精なんで、食べるのは単なる道楽みたいなもんなんですよ。さすがに一年ぐらい何も食べなかったら死にますけど」
「妖精と言っても私は半分だからな」
軽い動作で少女―――へーべトロットが佐和とマーリンの前まで歩いてくる。随分小柄な子だ。それに反して大人びた綺麗な金髪。爛々とした翡翠の目が佐和とマーリンを見てにやりと笑った。
「初めまして。創世の魔術師、それとサワ。私の名はへーべトロット。半分人間、半分妖精のこの家の最後の住人だ。これ以上誰かが突然登場わぁーびっくり!という展開はないから安心してくれ。私の事は気楽にヘト、そこの間抜けづらの事は台所と呼べばいい」
「おい!俺は台所じゃないぞ!!ヘト!!」
……またとんでもなくキャラ濃いのが出て来た……。
ブレイズの事だけでも頭が痛いのに、どうやら今回も一筋縄ではいかなさそうだった。




