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「聖剣……」
「エクスカリバー……」
アーサーとマーリンがそれぞれ呟いたのにダーム・デュ・ラックは嬉しそうに笑っている。
私でも知ってる……。
エクスカリバーといえば聖剣中の聖剣だ。小説、漫画、ゲームでも最強武器として登場する事がよくある。
それじゃ、やっぱりこのアーサーが伝説のアーサー王なんだ……。
エクスカリバーといえばアーサー王。
アーサー王といえばエクスカリバー。
アーサー王伝説に詳しくない佐和だって、それぐらいは知っている。エクスカリバーは彼の王様の剣だ。
「……ダーム・デュ・ラック。俺にはどうしてもそのエクスカリバーが必要なんだ。どうすれば……どこに行けば、その聖剣は手に入る?」
ゴルロイスを倒し、キャメロットを救うためにはエクスカリバーを手に入れるしかない。切羽詰まったアーサーに詰め寄られ、湖の妖精も真剣な表情でアーサーの顔を見返した。
「聖剣エクスカリバーは……」
「エクスカリバーは……」
全員生唾をのみ、ダーム・デュ・ラックの次の言葉を待つ。
「―――ここにありますわっ」
「「は!?」」
手を合わせお茶目な様子でダーム・デュ・ラックはにっこりと笑った。
一方、同時にツッコんでしまったアーサーとマーリンは驚きすぎて口をぽっかり開けている。
「こ、ここって、どこだ!?湖の妖精よ、お前が持っているのか!?」
「いえ、私は持っていませんわ」
ダーム・デュ・ラックはその透き通るような手を湖の中心に向けた。
先ほどまで清々しいほど澄んでいた湖の遙か奥。そこだけが霧に覆われたように白く煙っている。僅かな風の流れで霧の隙間から建物の屋根がちらりと見えた。
あれ……?さっきまであんな所に霧なんて出てたっけ……?それにあれ、何?お城……?いや、それにしちゃ小さいなぁ……。
壊れた城壁か塔の一部のような建物の残骸が見える小さな島が湖の中心に浮かんでいる。
「……あそこに」
「はい、聖剣エクスカリバーはあの島にあります」
マーリンが島に見入っている横で、ダーム・デュ・ラックにアーサーが顔を向けた。
「ダーム・デュ・ラック。私にはその剣が必要だ。譲ってはくれないか?」
アーサーの威厳ある声に大して気にした様子もなく、普段通り穏やかな顔で湖の妖精は首を横に振る。
「何故だ!?俺には渡せないという事か!?」
「ちょ、アーサー、落ち着いてください……!」
まくし立てるアーサーをなんとか宥めるものの、止まりそうにない。
その様子を見ていたダーム・デュ・ラックはなぜか楽しそうに笑っている。
「ふふ、殿下は本当に面白い方ですね。私にエクスカリバーを求めるなんて」
「母上、殿下が誤解されていますよ。きちんとご説明さしあげないと」
ランスロットの指摘でくすくす笑いを堪えていたダーム・デュ・ラックが慌てて焦り出した。
「え?何か誤解させてしまいましたかっ?」
「誤解も何も無い!あれだけインキュバスに関してやたら詳しい事を教えておきながら確実に倒す方法が無いだなんて!」
「え?倒す方法ならありますよ、エクスカリバーを使えば良いんです」
「それをお前は寄越さないと言ったんだろうが!!」
アーサーの最後の一吠えにダーム・デュ・ラックが「え?」と首を傾げた。
「当たり前ですわ、殿下。だってエクスカリバーは私の剣ではありませんもの」
「……は?」
いまいち空気の読めない妖精の話は要点が得づらい。
頭を抱えたアーサーの横で、マーリンが戸惑いながらもダーム・デュ・ラックに確認を取る。
「……つまり、あなたはただ単に聖剣のある場所に住んでるだけで、エクスカリバーを誰に渡すかの権限は持ってない……?」
「はいっ」
マーリンのまとめにダーム・ヂュ・ラックが嬉しそうに頷く。
妖精と人間って感覚が違うって聞くけど、体感するとこんな感じかぁ……。
なんだかふるふる震えているアーサーはおいといても、さすがに佐和もダーム・デュ・ラックのこの自由な言動や行動には少しばかり疲れる。
恐らく彼女と佐和達では、同じ言語を使用していてもそれは見た目だけの話で、本質の理解は全く違う次元にあるのかもしれない。
「……では、俺が聖剣を手に入れても問題はないんだな?」
そこで初めてダーム・デュ・ラックが真剣な表情でアーサーを見つめた。
先ほどまでとはまるで別人のように、冷たく清らかな清流のごとくアーサーを見据える。
「聖剣を手に入れたいとお考えですか?」
「……当たり前だ。そうでなければ、ゴルロイスは……インキュバスは倒せないのだろう?」
「それは……本当にご自分のご意志ですか?」
ダーム・デュ・ラックの問いかけの意味がわからない。
アーサーがキャメロットを守るために力を求めるのは至極当然な流れだ。
佐和の心を代弁するようにアーサーは質問にはっきりと答えた。
「当たり前だ。民を救うため、エクスカリバーが俺には必要だ」
「……そうですか」
一瞬、ダーム・デュ・ラックが悲しげに睫を伏せたように見えたが、彼女は静かな表情のまま湖中央の島を指さした。
「エクスカリバーは私の所有物ではありません。けれど、私はエクスカリバーの守護者でもあります」
「お前に認められなければ、聖剣は手に入らないという事か」
「いいえ、陛下。使い手を選ぶのは聖剣自ら。私はその見極めを行う場へ誘うだけです」
そう言うとダーム・デュ・ラックが湖面に近づき手をかざした。湖の表面から霧が立ち上り、その霧が風に流れると、どこからともなく木造の小舟が現れる。
「聖剣を求めるのであればこの船に乗り、あの島へとお渡りください。そこで聖剣自らが殿下のお心とお力を試す事になりましょう」
「……わかった」
アーサーが小舟に一歩近づくのに佐和とマーリンも続こうとした瞬間、さっとダーム・デュ・ラックの手がアーサーの歩みを遮った。
「まだお話は終わっておりません。殿下、あの島―――アヴァロンへと連れていけるのは、殿下以外にはもう御一方だけです」
「え?」
目を丸くする佐和には構わず、ダーム・デュ・ラックは「もう一つ」と付け足した。
「聖剣を手に入れるためには試練を乗り越え、聖剣の鞘と刃、両方を手に入れてください。そうしなければ聖剣をこちらへ持ち帰ることはできません。また鞘と刃にはそれぞれお一人ずつしか触れられません。誰がどちらを手に入れるか。よく考えてお選びください」
「……わかった」
立ち止まったアーサーが振り返る。
その視線がランスロット、佐和に続いて最後のマーリンで止まった。
「……マーリン、お前が来い」
「……?わかった」
危険な冒険とわかっているならアーサーは従者である佐和やマーリンではなく、普段なら騎士であるランスロットを選ぶはず。それなのに今回は珍しく硬い声でマーリンを指名した。
……何だろう……胸騒ぎがする……。
そうしている間にもアーサーとマーリンはダーム・デュ・ラックの用意した小舟に乗り込んでいる。
ダーム・デュ・ラックが指を鳴らすと、オールを漕がずとも小舟がゆっくりと滑るように動き出した。
「あ……」
少しずつ少しずつ離れていく二人。
マーリンがこちらを振り返り、いつものように笑ってみせてくれた。「大丈夫」と、少しだけ細められた鳶色の目が語ってくれている。
でも……アーサー……?
そんなマーリンと違ってアーサーはこちらを一度も振り返る事なく行ってしまう。
その姿はすぐに霧に紛れて見えなくなってしまった。
どうしたんだろう……アーサー……。
連れて行く相手をマーリンにした事といい、最後の横顔といい、城でもらしくない態度を取っていた事といい、いつものアーサーとはどこかが違う。
「風の言う通り、殿下は本当にご聡明な方なんですのねっ」
先程までの真剣モードが切れたダーム・デュ・ラックが笑ってふわふわと宙に浮かび上がった。
「アヴァロンへあなたやランスロットを連れて行かないのは正解です。まず、第一段階はクリアというところでしょうか」
「え……?あの、それは一体どういう事なんですか……?」
戸惑う佐和に対して湖の妖精は穏やかに微笑み返した。
「……もうあのお二方はいませんし、これでゆっくり話せますね。湖の乙女」
「―――っ!」
慌ててランスロットを見た佐和に、湖の妖精は「大丈夫ですよぉー」と手というか袖をぱたぱた振り回した。
「ランスロットはあなたの事は知りませんし、この子には聞いてはならぬ女性の秘密には踏みこんではいけないと教えています。多少、事情を察したとしても以前と変わらぬ態度を貫かせますわ」
「はぁ……」
言われているランスロット当人もにっこり笑って頷いている。
つまり今から佐和と湖の妖精が核心に触れる話をしても、彼は見ざる聞かざる言わざる触れざるを徹底するという事か。
ランスロットにばれるって、何だか気持ち悪い気がするけど……。
でもそれ以上に佐和に敵対心を抱かずに『湖の乙女』の存在を知っているのは今まで会った中ではマーリンの杖とバンシー、そしてダーム・デュ・ラックだけだ。
であれば、またとないこの機会に湖の乙女の曖昧な存在の本来の役割や立ち回りを聞いておきたい。
ダーム・デュ・ラックと腹を割って話したいという思いの方が勝った。
「あなたは湖の乙女を知ってるんですか?」
「はい。私たちの希望。唯一の抵抗。最後の直接的手段です」
「それは……どういう……?」
「まぁまぁ、まずは」
そう言ってダーム・デュ・ラックは湖面の水面をそっとひと撫でした。
透き通っていたはずの水面に波紋が広がり、小舟に乗って島を目指すマーリンとアーサーの姿が映し出される。
「わっ……!」
「バンシーの水晶では小さくて見辛いでしょう?」
大きな水面の鏡のような映像はブレスレットよりも鮮明で大きく確かに見やすい。
佐和は湖の縁に腰を落とし、水面を覗き込んだ。
「……あなたには見守る権利と見届ける責任がありますから」
そう言って湖の妖精も佐和と共にマーリンとアーサーの船の行く末を見つめていた。