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第十一章 創世の魔術師とアーサー王編 開幕です。
***
「もうすぐ僕の暮らしていた湖です」
深い霧の中、半日馬を走らせて辿り着いた人気の無い森を迷うことなく進むランスロットにアーサー、マーリン、佐和の順に続く。
ここが、ランスロットが育った場所……。
深い森だが、不思議と怖くはなかった。空気が清々しく、最近の嫌な雨の影響を受けているとは思えないほど綺麗な朝露で草花が煌めいている。
馬も何だかすごく落ち着いてるし……。
さすがに馬術を永遠とアーサーに嫌みったらしく叩き込まれたので、多少は佐和にも馬の様子がわかるようになった。人間より臆病な彼らがどこか伸び伸びしているように見えるのは、もしかしたらこの森が普通の森ではないからかもしれない。
「キャメロットの領内にこんな所があったとは……」
「殿下がご存知ないのも無理はありません。普段は結界で守られていて、森がある事すら人には認知されませんから」
「なるほど……どうやら本当にお前は特殊な環境で育ったようだ」
これだけの力を持つ湖の妖精ならインキュバスの正体について、もっと言えばどうすれば彼を倒せるかも知っているかもしれない。
「問題は魔術淘汰で有名なウーサー王の子である俺を湖の妖精が自身の領域内に入れるかだな」
「そこは大丈夫だと思います。母のモットーは『罪を憎めど犯した者を憎むべからず』ですから……あ、あそこです。あそこが母の住む湖です」
木漏れ日と小鳥の囀(さえず」りのカーテンが開かれ、光輝く湖面が視界いっぱいに広がった。
「……綺麗」
「うん……綺麗だ……」
「…………」
思わず呟いた佐和の横でマーリンも湖に見惚れている。こういった情緒を口にしないアーサーすら湖の美しさに惹かれて言葉が出ないようだった。
「そう言っていただけると嬉しいです」
照れながらランスロットが馬を降りたのにならって佐和達も馬を降り、ランスロットに続く。
湖のほとりまで更に足を進めると、余計にこの湖の美しさが目に飛び込んでくるようだ。
すごい……。
決して眩しすぎるというわけではなく、きらきらと小さな光が水面に反射している。水は限りなく透き通っていて底まで見えるし、湖畔には草花が咲き乱れ、キャメロットの都より少し暖かいような気もする。
「こんな場所が……」
「はい。少々お待ちください。母上!ランスロットが只今戻りました!」
ランスロットが湖に向かって声をあげると、唐突にふわりと湖面が浮き上がった。湖面の水に周囲から霧が集まって人の姿に凝縮していく。
どこかふわふわとした輪郭の妙齢の女性が宙に浮いていた。
長い透明の髪はシャボン玉のように虹色の光を帯びている。目は透き通る足下の湖と同じ水色。肌は健康的な上に透明感がある。
すっごく綺麗な人……人って言っていいのかな?
体つきは完全に人間と同じだが、よく見れば踊り子のような服装の白い長スカートの裾がたなびいているだけで足がない。それは手も同じで、長く広がった袖はまさに波のように揺らめいていて手先を見る事はできない。
最も違うのは、美しいと言ってもそれは人間の美しさとは次元が違うところだ。どちらかと言えば、絶景や逸品、美術品を見た時の感慨に似ている。
この人が……湖の妖精……。
「母上、只今戻りました」
「ランスロットー!!」
……!?
ふわっと浮いたままいきなり湖の妖精が湖面を滑ってランスロットまで飛んでくると、そのまま文字通り飛び付いた。
さっきまでの神秘的な空気はどこへやら。ランスロットに頬擦りしてはしゃいでいる。
「おひさしぶりです、母上」
「元気でしたかー?怪我や病気はしていませんか?大きくなりましたねー」
「母上、くすぐったいです」
ちょ……初登場シーンとキャラのギャップ激しすぎっ!
ランスロットを抱き締めたまま嬉しそうに頬擦りし続ける湖の妖精は、バンシーとは真反対で喜怒哀楽に満ちた妖精のようだ。
ひとしきりランスロットを撫でまわした湖の妖精が、呆然としている佐和達に気づいて首を傾げる。
「あら?ランスロット。この方々はもしかして……」
もっと威厳ある妖精の登場を予想して身構えていたアーサーとマーリンも、まさかのフレンドリーさ全開の妖精の登場に呆気にとられている。
「はい、こちらにいらっしゃるのが僕がお仕えしているアーサー殿下。後ろにいらっしゃるのが殿下の従者のマーリン殿とサワ殿です」
「あらあら、まぁまぁ!」
ランスロットにまとわりついていた湖の妖精が、今度はアーサーの目の前まで飛んできた。
「こんにちは、初めまして殿下。いつも息子がお世話になっています」
「え……あ、いや。こちらこそ……?」
「きゃー!やだー!私、お母さんっぽいですわー!」
「……は?えっと……」
「すみません、殿下。母上はあくまで、妖精で……その……人間の礼節には疎いと言いますか……」
珍しく苦笑しながらランスロットがフォローを入れている。にもかかわらず湖の妖精は自由気ままにその場でふわふわ浮いたままアーサーの周りをぐるりと一周した。
「あっ、自己紹介を忘れていましたわ!私の名前はダーム・デュ・ラック。この湖に住まう妖精ですっ」
「アルビオン王国王子アーサー……ペンドラゴンだ……」
「ふふふっ」
満足した様子のダーム・デュ・ラックは次に佐和とマーリンの前まで飛んできて、マーリンの事を頭から爪先までじっくり観察しながら、一人でうんうんと頷いている。
もしかして……バンシーもそうだったし……彼女もマーリンの正体に気づいたのかもしれない。
大丈夫かな……?この人、バンシーと違ってうっかりアーサーの前でマーリンの事『創世の魔術師ー!』とか呼んじゃいそう……。
ダーム・デュ・ラックはマーリンとそれから佐和の顔を交互に見比べ満足げに微笑むと、予想だにしなかった言葉を口走った。
「よろしくねっ。マーリンちゃん、サワちゃん!」
「ちゃ……ちゃん……?」
ちゃん付けされたマーリンが衝撃を受けている。
とりあえず、創世の魔術師とは口にしないでくれたけど……。
佐和は小さく苦笑した。
「は……ははは……」
二十歳の男性に向かってそりゃないだろと言いたくなる。
「母上、すみませんが挨拶はこのくらいにして。殿下達は母上に一縷の希望を託し、こちらにいらっしゃったのです」
「……ダーム・デュ・ラック。現在キャメロットでは原因不明の疫病に民が苦しめられている。そしてつい先日、王宮にゴルロイスという男が侵入した。そいつは自身の事を死んだはずのゴルロイス公でありながら、インキュバスという存在でもあると告げ、キャメロットに蔓延る疫病は自分の魔術によるところだと宣言して消えた。民を救いたければティンタジェル城に来いと残して。無論我々は戦うつもりだ。だが、相手が普通の人間ならいざ知らず、インキュバスなどという未知の存在であることや、その力量など、わからない事が多すぎる。そこでランスロットから提案があり、貴殿なら何か知っているかもしれないと、ここまでやって来た。もしもインキュバスについて知っている事があれば、教えて欲しい」
真面目なアーサーの説明にダーム・デュ・ラックは宙に浮いたまま静かに耳を傾けていたが、アーサーが話を切り上げると相変わらず微笑んだまま語りだした。
「勿論、私はその者について知っていますわ。その者の存在を『こちら側』にいながら知覚、自覚していないのはヒトだけですもの」
そう言えば、バンシーもマーリンと初めて会った時に似たような事を言ってたな……。
『こちら側』に属する者で創世の魔術師を感じていない存在などいないって。
「その……『こちら側』と『あちら側』というのは一体何なんだ?ゴルロイスは自分の事を『あちら側』の存在そのものだと名乗ったらしいが……」
「ヒトの理解や概念に当てはまらないものですから説明は難しいのですが……今皆さんがいるこの湖は限りなく『こちら側』のもので満たされています」
ダーム・デュ・ラックはそう言って両手を広げた。
ここに広がっているのは暖かく、陽射しも穏やかな空間。草花、水、生き物、それらの脈動が聞こえてきそうなほど生き生きとした場所。
「ヒトは言葉という概念に当てはめて物事を理解、知覚します。しかし『こちら側』を言葉1つの枠に当てはめる事はできません。皆さんにわかりやすく言えば『こちら側』とは命、生、希望、夢、喜び、幸福……そういったヒトからすれば喜ばしいもの全てを包括したものです。一方、私達が『あちら側』と呼ぶのは言うなれば『こちら側』とは反対のもの……死、絶望、諦め、悲しみ、不幸、苦しみ、怒りなどが含まれるものなのです」
「善きものと悪しきもの、という事か?」
アーサーが出した総括にダーム・デュ・ラックは首を横に振った。
「善悪すらもその一部に過ぎません。ヒトの言葉で定義できるほど狭義の存在ではないのです」
「……つまりどう言うことだ?」
「ええっと、どうしましょう?私達はヒトと違って言葉で世界を知覚しているわけではありませんから、これ以上何とご説明すればよろしいのか……。ただ、世界はそうあるのですよ、殿下」
アーサーもマーリンもダーム・デュ・ラックの言葉の意味を掴みきれず首を傾げているが、何となく佐和にはわかるような気がした。
「……おい、お前。実は理解しているだろう?一人だけあっさりとした顔をして。俺達にわかるように説明しろ」
「へっ……?」
突然アーサーに睨まれて佐和は狼狽えた。
わかるような気がするとは思っていたけれど、実際に理解できているかは自信がない。
けど、これ言わないとダメな雰囲気だよなぁー……。
アーサーのじと目に見られると諦めざるをえない。頭の中身を佐和は整理した。
「私の感じた自論ですけど」と前置きは忘れない。
「世界単位で考えると話が壮大すぎるので、人間一人を世界に例えて考えてみるんです。完璧に善い人もいないし、完璧に悪い人っていうのもいないじゃないですか?」
「犯罪者は悪だろう?」
「私達から見たらそうですけど、その犯罪者の仲間からしたらそうとは言い切れません。だから人つまり世界には清濁も裏も表も悪も正義もある。その中で私達が倫理的に良いと感じるものは大体『こちら側』の存在。悪いとか嫌悪感を感じる存在、それが『あちら側』なのかな?と」
「なるほどな。『こちら側』と『あちら側』については理解した。ならその『あちら側』のインキュバスとは一体何なんだ?悪魔とは違うのか?」
「はい。悪魔も『あちら側』に属するものの内の1つでしかありません。インキュバスは違います。あの者は『あちら側』の存在そのものなのです」
「『あちら側』というのは抽象的な概念でしかなかったのではないのか?」
「本来はそうです。常に生きとし生けるものの傍にあり、時に表に出る事はあっても具現化はしません。しかし今は違います。『あちら側』の全てが凝縮し、実体を得たものがインキュバスなのです」
「……どうしてそんな事が……?」
マーリンの疑問にダーム・デュ・ラックは初めて目を伏せた。
「『あちら側』の勢力がここ最近、力を増した事が大きな要因として挙げられるでしょう……」
「何で増したんですか?」
「人々の絶望や怨み、そういったものの増大です」
「何故そのようなものが増えたのだ……?」
アーサーに対しダーム・デュ・ラックは「そうですねぇー」と指を顎に当てた。
「要因は様々ですが、多くは貧困から起こるヒトの心の荒みや、戦争における憎悪や憤怒の連鎖、圧政による犠牲者の呪いや関係者の復讐心……例を挙げればキリがありませんね」
後半の言葉にアーサーとマーリンの肩がそれぞれ微かに反応する。
どちらも心当たりのあることだ。
事情を知らないとはいえ、ダーム・デュ・ラックの例えは的確に二人の古傷を指すものだった。
「本来『あちら側』と『こちら側』は均衡の取れた状態でなければなりません。しかし昨今はそういったヒトの世の不条理な連鎖によって『あちら側』の力は拡大し、世界に浸食してきています。貴殿方の身近で感じられる影響で言えば、異常な作物の不作や過剰な戦争の勃発もその影響なのです」
魔術師が呪いをかけてるからじゃ……なかったんだ。
以前、どうしてこの世界は食糧難なのか聞いた時に、アーサーはキャメロットの土壌が魔術師によって呪われたせいだからと言っていたけれど、どうやらそうではないらしい。
「土壌自体の汚染、資源の枯渇、それに加え最も大きな原因は『あちら側』に引きずられたヒトの行いですね。『こちら側』への反感、憎しみ、盲執など『あちら側』へ惹かれやすい性質やきっかけを持ったヒトに対し『あちら側』は魔の手を伸ばし誘うのです。その結果『あちら側』の影響がなければ下されなかったであろう愚断や選択を行ってしまい、さらに悲しみや負の連鎖を生み出し、また『あちら側』へと力を与えてしまう」
「え……?」
まるで佐和の心の中の疑問に答えるようにダーム・デュ・ラックの話は続いていく。
つまりあちら側の勢力が強まって土地が痩せ細ったり戦争が起きたりしてるだけじゃなくて、イライラしてるヒトが『あちら側』の影響で理不尽な決断をして戦争を起こしたり、八当たったりしやすくなる。そしてその犠牲者はまた世界を呪う。さらに『あちら側』の勢力はより強まるっていうことなの……?
だとしたらキャメロットの食糧畑に作物が中々実らないのは、インキュバスの影響なのか、あちら側からの悪魔の囁きに耳を傾けてしまった魔術師の仕業か。どちらが原因かはわからないという事だ。
しかしどちらにせよ、今のアルビオンのどこか鬱屈とした重苦しい空気、抗えない重力のような雰囲気はウーサーの政策や貧困、戦争だけでなく、いやもしかしたらそれらの根底全てに『あちら側』の影響があるのかもしれない。
「……ならば、ゴルロイスいやインキュバスを殺せば、アルビオンに平穏が戻るという事か?」
『殺す』というアーサーらしくない言葉使いに佐和は不安に駆られて、自分の主の背中を見つめた。
一方物騒な単語を聞いてもダーム・デュ・ラックの笑顔は変わらない。ただアーサーの質問に親切に答えるだけだ。
「少なくとも『あちら側』の過剰な干渉のせいで起こる災厄はなくなるでしょう。しかし殿下、インキュバスを殺すことはできませんよ」
「何……?」
そんな……。
一縷の希望を抱いてここまで来たというのに倒す方法がないなんて……。
佐和達の落胆にも構わずダーム・デュ・ラックが話を続ける。
「先程もお話したようにインキュバスは『あちら側』の存在そのものです。『あちら側』と『こちら側』は対になる存在。『あちら側』だけを滅する事は叶いません。『あちら側』を滅した場合『こちら側』も消滅するでしょう。それこそインキュバスの望みを叶えるようなものです」
「どうにもできないということか……?」
憤るアーサーにダーム・デュ・ラックは目を丸くしている。
「そのような事は言ってませんよ?」
「は?」
「……つまり、方法は……ある?」
マーリンの確認にダーム・デュ・ラックは笑顔のまま頷いた。
「インキュバス自体を滅する事はできません。しかし、インキュバスが現世に影響を直接与えられるのは器あってこその話。器である人間の体を破壊してしまえば、実体として留まることは不可能です。そうなれば以前と同じ概念に成り果て、影響力も衰えるでしょう」
つまりインキュバスではなく、ゴルロイスの体を倒せばインキュバスは実体化していられなくなり、『あちら側』へ還るということらしい。
「……成る程。成すべきことはわかった。しかし問題が1つある」
対処方法がわかったというのに、アーサーは腕を組んで難しい顔をしている。
「……奴は強い。単純な剣術もさることながら未知の力も秘めているように感じた。……カリバーンですら通用しなかった相手に普通の武器が通用するとは思えん」
無意識なのか、アーサーが腰にある剣にそっと触れた。そこには折れたカリバーンではなく、カリバーンだと信じこんだウーサーから授かったただの剣がささっている。
それに対してダーム・デュ・ラックは愉快そうに口に手を当てた。
「当たり前です。カリバーンなどで太刀打ちできないのは」
「……?ダーム・デュ・ラック。もしかして太刀打ちできる武器を知ってるんじゃ?」
マーリンの言葉にアーサーがはっと顔をあげる。ダーム・デュ・ラックは頷いた。
「カリバーンは所詮ヒトの創った聖剣。『あちら側』そのものであるインキュバスを斬る事など不可能です」
「……カリバーンを作ったのは魔術師だ」
「不思議な事をおっしゃいますね、殿下。魔術師も同じヒトではありませんか?」
邪念なく不思議がるダーム・デュ・ラックの言葉にアーサーが詰まった。
妖精からすれば魔術師もヒトも同じ存在なのだろう。
その言葉で起きた佐和達の短い沈黙にダーム・デュ・ラックは気づいていないようだ。ころころと笑いながら話を続ける。
「『あちら側』の存在そのものであるインキュバスの器を斬るためには『こちら側』の力全てを集めた武器でなければなりません。それこそが本物の聖剣です。カリバーンはその聖剣を模して、ヒトがドラゴンの牙を材料に魔術で補強し造り上げた仮初めの聖剣にすぎませんから」
「その本物の聖剣は……何と言う?」
アーサーの問いかけにダーム・デュ・ラックは微笑んだ。
「聖剣の名は―――エクスカリバー。あらゆる『あちら側』と対になり、『こちら側』の力を凝縮して放つ事のできる唯一無二の聖剣ですわ」