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「くそっ……!どうして扉が閉まっていたんだ……!!」
狭い地下通路をくぐり抜けながらアーサーは小声で愚痴を吐き捨てた。
民衆の暴動の知らせを聞き、その様子からただ事ではないと感じ取ったアーサーは一人、謁見室に向かっていた。
しかし、謁見室前の護衛の兵士が見当たらず、扉は中から鍵がかけられた状態。いくら叩いても叫んでも返事が無かった。仕方なく王族のみが知っている城の抜け道を使い、遠回りで謁見室に潜り込む事しかなかったのだ。
父上は謁見室にいたはず……それなのに見張りの兵もおらず、返事も無い。
事態は最悪の状況まで来ているのかもしれない。
足を早めながらアーサーは考えをめぐらせた。
今回の暴動、おかしな点が多すぎる。そもそも疫病に侵され死したはずの民が王宮に詰めかけるなど、そんな事は魔術でない限り不可能だ。
恐らく―――魔女モルガン、そしてあの男ゴルロイスが裏で糸を引いているに違いない。
だとすれば奴らの狙いは父上か俺……!
前回の闘技大会で奴らが放った刺客―――本当の名も知らぬゴルロイス公の元騎士の言動や行動からして、恐らく優先的に狙われるのはウーサーだ。
地下水が染み込み、濡れた狭い石作りの通路をアーサーは逸る気持ちのまま駆け抜ける。
父上……!
長く暗い通路の果てにようやく目的の階段が見えた。この先の小さな扉を開けば謁見室の玉座の裏から出られる。
「父上!ご無事ですか……!?」
玉座の裏の扉から飛び出すのと同時にアーサーは剣を抜いた。
そして、すぐに息をのんだ。
「ち……父上……?」
「アーサー……」
玉座の前に倒れていたのは血に塗れたウーサーと、その傍で途方に暮れるイグレーヌだった。
「父上!」
すぐに駆けつけ側にしゃがみ込む。
傷は相当深い。かろうじて急所は外れているものの、逆に言えば苦しみながら殺すために刺したとしか思えないような箇所だ。
「母上!すぐに止血を!」
「ど、どうやって……」
「とにかく布で患部をきつく縛ってください!」
「あら、間に合わなかったようね、光の王の器」
最早聞き慣れたねっとりとした悪意に満ちた声に弾かれ、アーサーは素早く立ち上がった。
「……モルガン……!貴様か……!」
「とても怒っているのね?でも、自業自得じゃないのかしら?これは報い。その王の今までの行い、全ての報いなのよ」
「黙れ!!」
アーサーは声でモルガンを制しながら謁見室の様子に目を素早く走らせた。
騎士も兵士も一人もいない。退路は玉座の後ろの隠し通路のみ。本来の扉は敵の背後。しかも相手は魔女モルガンだけではない。
「お久しぶりです。アーサー殿下」
「……ゴルロイス」
まるで夜会にでも招待されたかのように嬉しそうに微笑む男はこの場において脅威以外の何物でもない。
大抵の相手とは対峙した瞬間、互いの力量が何となく掴めるものだ。しかしこの男は違う。カメリアドでもそうだったが、この男はまるで煙のように捉えどころがなく、その真価を量る事ができない。
できないからこそ、非常にまずい相手なのだとわかる。
「……本当に亡霊だったようだな」
そうでなければ、父上が、ウーサー・ペンドラゴンがこれほど簡単に傷つけられるわけがない。
ウーサーの強さをアーサーもよく知っている。
稽古をつけてくれた事はほんの二、三度だけだったが、その時父の剣の腕はアーサーよりも確かだった。
幾ら前線から退いて長いとはいえ、単なる幻や似ている者に父上がやられるはずがない。
そうなれば結論はおのずと見えてくる。
父は―――ゴルロイス公の事に関してだけは冷静でいられなくなる。もしもその動揺を突かれたのだとすれば、目の前の男はやはり死んだはずのゴルロイス公に他ならないのだ。
「何を持って亡霊と定義するかに依ると思いますが、妄執に憑りつかれたという点においては合致しているかと」
「俺は言葉遊びをしているのではない」
横目だけで背後のウーサーとイグレーヌの様子を見る。
応急処置をしようとするイグレーヌの手つきはたどたどしい。そのような事、慣れているはずもないので当たり前だ。
……一刻も早く目の前の二人を踏破し、父上の怪我の手当をせねば……。
今も、ウーサーの身体から溢れ出る血潮はじわじわと広がりつつある。それが死のカウントダウンだとわからない自分ではない。
背後の隠し通路に逃げ込むにしても狭すぎる。モルガンによって魔術で蒸し焼きにでもしてくれと言うようなものだ。
正面突破するしか、道は無い。
「母上、下がっていてください。父上をお願いします」
「アーサー……、アーサーはどうするのですか?」
「敵は二名。その怪我の父上を連れて三人で隠し通路に逃げる事は不可能です。私が血路を開きます」
アーサーは自分の剣を構え、感覚を研ぎ澄ました。
匂い、音、気配、空気、相手の一挙一動、室内を全て自分の領域に収めるように集中力を上げる。
この場で父上と母上を守れるのは―――俺だけだ。
「……なるほど。光の王の器と呼ばれるに相応しい気迫と瞳だ」
アーサーの全力の気迫を受けてなお未だ余裕のある動作でこちらに笑いかけるゴルロイスと、その後ろで先程までの笑顔が嘘のように大人しくしているモルガン。
アーサーは眼前の敵を見据えたまま、イグレーヌに声をかけた。
「……母上、ご安心ください」
剣をわずかに構えなおし、ゴルロイス達の動きを威圧する。
「必ず、母上も父上も私が守り抜いてみせます」
魔術師を蔑みながら魔術師に自分を産ませた父親。無理矢理アーサーを産まされた母親。
そんな事は理解している。それでもこの二人が永遠にアーサーに冷徹だったかと聞かれればそうではない。
幼い頃、イグレーヌがアーサーへの暴言を謝って笑ってくれた事。
普段は横暴で粗雑な父が、何度かだけ直接稽古をつけてくれた時の嬉しそうに去って行く背中。
確かにそういう瞬間も、アーサーの中には存在しているのだ。
だから、俺は父上も母上も守り抜く。
そのために、自分はここまで来たのだから。
どれほど王宮に悪意が満ち溢れていようとアーサーの願いは幼い頃から変わっていない。
父上に認めてもらうためにも……母上の願いを叶えるためにも……必ず救ってみせる……!
「アーサー……」
背後でイグレーヌの安堵の声が聞こえた。
「本当にあなたを産んで―――失敗でした」
「……え?」
次の瞬間、
腹部に走った痛みにアーサーの目が眩んだ。