page.281
***
『それ』は唐突に王宮にやってきた。
いつもと変わらない。しかし疫病とゴルロイスを自称する男の出現のせいでピリつく王宮ではあったが、門番の仕事はいつもと何一つ変わらない。
出入りする人間を監視し、怪しければ捕まえ、無断の侵入者は排除。
そうするだけのはずだった。
だが、今は―――。
***
「何だ!これは……!?」
息をのみ、信じられない光景をイウェインは見ていた。
最初の門番だけではなく、後から警鐘を聞きつけて増援に駆けつけた兵士達が合わせて、入口から雪崩込んでくる一般市民を槍の柄や盾で押し返している。
それも数人規模ではない。正門に押し寄せる民の波に終わりが見えない。
「何があった!?」
押し合いへし合いしている兵士のうち、一番手前にいた兵に声をかけると、彼は騎士の登場に心底安心したのか今にも泣きそうな顔になって報告し出した。
「突然、市民が押し寄せて来たんです!それも大勢で!いずれも疫病にかかった者の関係者や患者本人です!」
「何だと……!!」
兵士に押し戻されている民は口々に何かを叫んでいる。喧騒の隙間から「国王陛下!どうかお話だけでも!」などといった叫び声が聞こえてくる。
「政策を待ちきれなかった民がしびれを切らしたというところか……」
謁見の順番待ちや、国王への直訴などと可愛いもので許される状態はとうに越えている。兵を押し戻す彼らの様子、これでは最早暴動という方が相応しい。
素早く周囲に目を走らせるが、この付近に騎士はイウェインしかいないようだ。
警鐘が鳴ったのを聞きつけ、アーサーの元に馳せ参じようとしたのだが、偶々正門付近にいたイウェインはアーサーの部屋に向かうより先にこの場面に出くわしていた。
殿下からは非常事態に殿下から直接指示を仰げない場合、各々の考えで最善の行動を行うように言われている……。
その言葉を思いだし、イウェインは周りの様子を注意深く観察した。
ここに騎士はイウェインしかいない。いずれの兵士も突然の事態に混乱し、連携がうまく取れていない。
いずれ殿下か陛下から命を正式に受けた騎士がやって来るはず……。
それまでは指揮を執った方が良さそうだ。
「落ち着け!皆の者!!」
しかし兵士の向こうの民たちはどれだけいるのか。分厚い肉の壁のようになってイウェインの声を一切受け付けない。
言葉で宥める事は不可能か……!
民が不安に駆られて押し寄せたというだけなら、ヘタにこちらから手を出す事はできない。万が一にでも死人を出そうものなら、今の王政は崩壊しかねない。圧政と言われてしまうような軽率な行動は避けるべきだ。
近くにいた兵士達にイウェインは発破をかける。
「正式な命が下るまで私が指揮を執る……!決してこちらから攻撃せず、抑える事にのみ集中しろ!槍先や剣は使うな!牽制するだけだ!」
その号令を聞いた兵士が頷くが、最前にいた兵士が突然悲鳴をあげた。
「何だ!?」
見れば民の最前列で兵士がこちらを向いて立っている。
その手には血に濡れた剣。悲鳴の正体は、それに刺されて倒れた別の兵士のものだった。
救援に駆けつけようと何人かの兵士が近寄ろうとするが、その足が止まる。血に濡れた剣を持っている兵士が挙げた顔に、イウェインだけでなくその場にいた兵士達全員が凍りつく。
兵士の顔は、半分以上が黒く変色していた。噂に聞くキャメロットに猛威を奮っている病の特徴そのものだ。
「あ……あいつ、さっきまで俺と一緒に普通に門番してたのに……何で……」
イウェインの前で腰を抜かしている兵士が化け物を見るような目で元同僚を見ている。
さっきまで普通にしていた……?
報告では疫病にかかる時の兆候には高熱があったはず。
なぜいきなり、突然……しかも、王宮という最も病気とは無縁の場所の人間が発症……。
そこまで考えていたイウェインは次の瞬間、反射的に剣を抜いた。
「い……イウェイン卿?剣は禁止と……」
「前言は撤回する!!」
イウェインだって信じられなかった。
けれど、目の前で『それ』は確かに起こった。
黒く変色した兵士に刺された兵士が起き上がり、こちらに向かって剣を抜いたのだ。
彼もまた―――身体中を黒く変色させて。
ぞっと背筋を這う悪寒。
戦や闘いの実戦経験が少ないイウェインですら感じる。
これは普通の暴動ではない。
他の兵士も皆異常に気付いたようで、誰かが生唾を飲む音が聞こえてきそうなほど正門前に緊張が張り詰める。
「……全員、武器を取れ。なるべく相手は傷つけず、しかし決して攻撃は浴びるな。専守防衛に努めろ……!」
疫病に犯され寝返った兵士の後ろで、先程まで騒いでいた民も皆、気が付けば静かな顔でこちらを見ている。
その全てが、黒く変色した肌を持つ異形の姿をした者達だった。
……人じゃ……ない……のか……?
イウェインの中で騎士としての感が叫ぶ。
こいつらの、この状況の危険さを。
悪寒に突き動かされるように兵士に声を張り上げた。
「この者達を、決して王宮に一歩足りとも踏み入れさせてはならない!!」