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それから数日後、Sクラスの面々が明日帰還するという噂が校内で流れた。
その夜いつものように食堂に行った佐和はどこにもミルディンの姿が見えないことを確認してから端っこの席に座った。
あの日以来、ミルディンとは食堂で会っていない。一時間目の共通の科目では同じ教室だが、全力の近寄るなオーラに負けて離れて座っている。
ミルディンとは他愛のない会話しかしたことがなかったが、それでもこの世界でひとりぼっちの佐和にとって気楽に話せる相手がいたのは大きかったのだと、会わなくなってから気付いた。
なんだかご飯も味気ない。
もそもそとパンを口に運んでいた佐和の耳に少女のすすり泣く声が聞こえてきた。
今日もまた誰かが自分の境遇を語り出したのだろうと思って、引き続きパンをかんでいた佐和は、聞こえてきた声に驚いた。
「私と兄のマーリンは孤児院で育ったの。兄は少しだけど魔法を使えたの。でも、お母さんは魔法に理解を示してくれる人で、いつも暖かく私たちを見守ってくれていた」
いつも何かに苛立ったような声が今日は震えている。
声の主のブリーセンは食堂の中心で御多分にもれず、先輩魔術師に囲まれながら泣いていた。
「ある時、村で謎の病が流行ったの。原因がわからなくて村の人たちはなぜか突然、私たちのせいにした。それで当時はこの施設もなかったから……お母さんが原因だって言って……」
そこで言葉をつまらせたブリーセンを宥めるように、周りの生徒が背中を撫でた。
「私、な……なんにも、できなくて、大好きだったお母さんが、苦しそうに炎にのまれるのを、見てるしかできなくて」
火あぶり……。
魔女に施す最も多い死刑の方法。それぐらいの知識は佐和にもあった。
「そこから、兄は必死に自分の力を隠して、私を守って生きてきた。それなのに……!」
泣いていたブリーセンの瞳に憎しみの炎が宿るのが遠くからでもわかった。
「また、同じ病気が村に流行った!村人は今度もこの孤児院のやつの仕業に違いないって言い出した!それで、今度は兄が連れていかれた。本当は違う男のせいだったのに……!魔法が使える。ただ、それだけで私は家族を失ったの!」
泣きじゃくるブリーセンから視線を外すと、食堂の入口を引き返す背中が見えた。
考えなんてなかった。気がつけばその背中を追いかけていた。
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渡り廊下を歩いていく背中にかけるべき言葉も見つからず、佐和はただミルディンの後ろを歩いていた。
追いかけてきて、私は何を言うつもりだったんだろう。
部外者の自分が言えることなど何もないのに、ミルディンの背中を追いかけずにはいられなかった。
「さっきの……聞いたんだな……」
しばらく進んだ所で佐和が追いかけてきたことに気付いたミルディンが立ち止まった。背中を向けたままの声は小さく掠れている。
「……うん」
ごまかしてもしょうがない。素直に答えることにした。
「そうか……」
そのまま黙ってしまったミルディンの背中を佐和は見つめた。
中庭に面している廊下だから吹き込んでくる夜風がミルディンの藍色の髪を揺らしているのを見つめているだけの時間が流れる。
「……さっきの話は本当だ。幻滅すればいい」
振り返ったミルディンの顔はどこか投げやりで、自虐的な笑みを浮かべていた。
「……なら、村に疫病を流行らせたのはミルディン?」
「……そうだ。……俺のせいだ」
「本当に疫病はミルディンの魔術なの?」
「……そうだ」
嘘だ。
間違いなくミルディンの言葉は嘘だった。
「なんで、そんな嘘つくの?」
佐和の言葉を聞いたミルディンは信じられないと言いたげに佐和を見つめ返した。
「なんで……俺の仕業じゃないって……」
「だってミルディンが、人を苦しめようとするなんて考えられないもん」
「そんなこと……」
「ある。だってどう考えたってそんなことするような人じゃないし。もしそうだったとしたら事情があるってことぐらいわかる」
そんな愉快犯だったら、見ず知らずの佐和を助けたりなんてしない。
ミルディンと出会って、まだ数日だけれど、それぐらい誰だってわかることだ。
「どうして……そんな風に思えるんだ……」
ミルディンは心底佐和の言うことが信じられないと言いたげだけれど、逆に佐和のほうが聞きたい。
どうしてそんな簡単なことも伝わらないと思っているのだろう。どう見たってミルディンが人を好んで傷つけるような人間じゃないことはわかるものなのに。
「見てればわかるっていうか……むしろ、なんで周りの人間はミルディンの優しさがわからないのかなーってぐらい」
確かに無表情だし、無口だし、目つきも鋭いし、無駄にイケメンだから近寄りがたいかもしれないけれど、この人がいい人だなんてすぐにわかりそうなものである。
「……お前は……俺の事をそんな風に見てるのか……?」
「え?なんか変なこと言った?」
佐和の疑問にミルディンは眉根をなぜか寄せている。ちょっとした沈黙が流れた後ぽつりぽつりとミルディンは話し始めた。
「……疫病は……たぶん始めは魔術のせいじゃなかったんだ……。当時はウーサー王の指示で、戦があちこちで起きてた……。その影響で土地は荒れ果てて、食糧不足で、飢えから流行ったものだったんだと思う…………」
きっと佐和を信頼して話し出したのではないだろう。
もう堪えられない。そんな感じだ。
何も知らない、第三者に聞いてほしい。そこまで追い詰められているように佐和には見えた。
「確かに俺は、小さい頃から魔法が使えた。そのせいか気付いた時には親はいなかった。協会に置き去りにされていた俺を、拾って育ててくれたのが院長先生だ。院長先生は戦火で孤児になった子どもの面倒も見てた。そこにマーリンとブリーセンもいた」
月明かりが空を仰いだミルディンの堪える表情を照らしだす。
「俺は……最初、自分の力を呪った……この力がなければきっと親に捨てられることもなかっただろうし……とにかく自分が異質なんだと感じた」
魔術師という特別な存在。ファンタジー大好きな佐和からすればうらやましい才能も、ミルディンにとっては他人との壁を感じさせるものだったのだろうか。
そう思えば佐和にだって心当たりがないわけじゃない。
小学生の頃、国語の授業で班に分かれて紙芝居を作ることがあった。その時真面目に取り組もうとした佐和に何かと突っかかってくる男子がいたのだ。
とにかくその男子は何をするにしても悪ふざけてばかりで、作業は一向に進まなかった。今にして思えば小学生の男子に真面目に発表活動なんてできるわけがないと思えるが、その時の佐和は真面目にやらないことが理解できなかった。授業なんだから真面目に受けるのは佐和にとっては当たり前のことだった。
だから、佐和はその男子にきつい口調で注意した。結果男子は怒り出し、余計に佐和の言うことを聞かなくなった。最悪な事にくじ引きで決められたその班はほとんどがその男子と同じ考えの人間ばかりだった。
結局、発表は佐和が考えたものを、その場のノリで皆が適当にこなすものになった。もちろん打ち合わせなどしていないから、ぐちゃぐちゃな発表だった。
その後担任教師はなぜか佐和一人だけを呼び出した。どうしてお前が皆をまとめなかったのかと、佐和を責めたのだ。その時、暗い穴に突き落とされたような気持ちになったのをよく覚えている。
佐和にとっては当たり前に存在する自分の中の「真面目」という才能は周りとの距離を離すものでしかないのだと、その時気付いた。途端に自分だけが間違っているようなそんな気になった。
今ならもっとうまくやれる自身があるし、広くなった佐和の世界で見れば、いろんな人がいるのだから佐和一人が異質だというわけではないと気がついたけれど、ミルディンは佐和と違って魔法というもっと目に見える違いを持っている。
「マーリンと俺は小さい頃から魔法が使えた。知ってたのは院長先生とブリーセンだけだ。人前で使うのは院長先生に固く禁じられてたし、むやみに使ったりはしなかった」
ミルディンの目はどこか懐かしそうに遠くを見つめている。
「だけど、こっそり二人で練習してたんだ。いつか、この力が役に立つ日がくるかもしれない。そのために、きっとこんな力を授かったんだっていうマーリンの言葉を信じて」
きっと、ミルディンは力を持って生まれた自分を否定してきたのだろう。
それに対してまだ見ぬマーリンのあったかい笑顔が向けられる所が簡単に想像できた。
「そんな時、村に例の疫病が流行った。俺は今こそ力を使うべきだって先生に言った。俺なら村人を助けられる。でも先生は絶対に何もするなって言った。当時は強制収容所はなかったけど、もうウーサー王の意向は村に伝わってきてた。魔術師だとばれたら殺される。堪えなさいって言われた」
そこまで語ったミルディンの拳が震えるのがわかった。話の核心はここからなんだとその震えが伝えてくる。
「でも……その時先生が病にかかったんだ……もう、悩んでなんかいられなかった……俺は先生を治した」
「それ……じゃ」
「ああ、突然1人だけ助かった人間が出たんだ。怪しまれるに決まってる。それで孤児院の中に疫病を流行らせた、犯人がいるに違いないってなった。……バカだよな、冷静になれば孤児院の人間が犯人なら先生に魔術をかけるわけないのに。しかも先生が治った途端、疫病がさらに広まったから……余計」
集団心理は怖い。常識的に考えればわかることも、恐怖によって同じ方向を向いた集団は簡単には止まれない。
「それで犯人探しが始まった。俺は腹をくくった。自分だって名乗り出ることにしたんだ。そうすれば皆は助かるから。それで、そのことを院長先生にだけは話した。先生はすごく悲しそうにしてくれた。俺にとって家族はあの人たちだけだった。だから俺は護りたかった、あの人たちを」
息を飲んだミルディンが振り絞る声がさらに震えていく。
「次の日、俺は名乗り出る前にもう一度だけ先生に会いたかった。俺にとって母親代りの人だったから。それで俺は協会に行った。その時の事は今でもよく覚えてる……」
ミルディンの目が鋭く、睨みつけるように変わる。
「協会にいた先生は血塗れだった。足元には鶏の死体が転がってた。びっくりして、転んだ俺に先生は近づいてきた。それで笑ったんだ。『家畜だけじゃ、つまらなくなった。病気だけでもつまらなくなった。やっぱり直接やらなくちゃ』って。最初、何のことを言ってるのか全くわからなかった……。先生が笑ったまま近寄ってきて、持ってたナイフを俺に振り下ろしてきた時、ちょうど巡回してた村人がやってきて、先生を取り押さえた。俺は怖くて、何もできなかった。あんなに優しかった先生がそんなことをしたなんて信じたくなかった…………先生は次の日、火あぶりになった。」
ミルディンの握った拳が小さく震えている。
「ただ……炎に飲まれる先生を、俺は見てた……。何にもできなかった……。何も信じたくなかった。先生が死ぬことも。先生が俺を殺そうとしたことも」
振り返ったとび色の瞳にゆらりと幕が張っている。こぼれそうでこぼれない光に佐和の胸が詰まる。
「真相はわからない。でも、先生が死んだ途端、疫病は収まった。でも、先生が犯人ならなんで自分も疫病にかかったんだ?最初は訳が分からなかった。でもそれから数年後同じ疫病がまた流行って、マーリンが犯人だと誤解されて連れて行かれた夜、ブリーセンに言われたんだ。俺のせいだって」
想像を絶する内容に言葉が見つからない。
でも佐和の相槌など必要ないのだろう。壊れたようにミルディンは話し続けた。
「俺が先生を治そうとした魔法が、先生をおかしくしたんじゃないかって。きっかけは王族のせいで起きた飢餓だったのかもしれない。でも加速させたのは俺のせいだって……そうだと思った。俺のせいなんだ。俺さえいなければ、先生がおかしくなることも、火あぶりになんてされることもなかったんだ……それに、マーリンが捕まることも……」
何もかけられる言葉がない。
ただ佐和はミルディンの言葉に耳を澄ました。
「……俺が魔法なんて使えなければ……。そもそも、俺は生まれてくるべき人間じゃなかったんだ……」
「いや、そもそも人間ですらないのか」と呟いて、ミルディンが悲しげに両手を見つめる。何も言えずにいる佐和を一度だけ見返したミルディンはそのまま歩き出してしまった。