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カーマ―ゼンを……そして、今現在キャメロットで猛威を奮っている疫病の正体は魔術だった。
それも……マーリンにもどうしようもできないほど強力な……。
魔術師強制収容所でブリーセンが眠りにおちた後も、マーリンはひたすら知っている限りの魔術を駆使してどうにかあの魔術を打ち破れないかと奮闘していた。
奮闘って言葉だと足りない気がする……。
本当にマーリンは必死だった。
アーサーに怪しまれる時間になる前には帰らないといけない。それなのに佐和の言う事も聞かず、マーリンはただひたすらブリーセンを助けようと躍起になって。
でも……結局、やってみた魔術は何一つ効果がなかった……。
魔術を使い続けたせいで、マーリンがふらふらになった所で佐和が何とかマーリンをブリーセンから強引に引きはがした。佐和が無理矢理王宮に連れて帰って来なかったら今もまだ、マーリンはあそこで無茶をし続けていたに違いない。
そして、その魔術は今も猛威を奮い続けている。
あれから数日経っても疫病の勢いは衰えるところを知らなかった。日に日に感染者は増え、急遽作られた臨時の救護施設はすでにパンク寸前。原因も未だ解明されてはいない。
当たり前か……だって魔術なんだもんね……。
衛生や食料などから起こる病気なら対策の仕様はいくらでもある。でも強制収容所で見たものが佐和の想像通りの共感魔術なら、そんなものに意味はない。
考え事をしながらも佐和は日課通りアーサーの部屋の片づけを終えた。
このところ疫病対策でアーサーは引っ張りだこでほとんど部屋には帰って来ない。しかし今日はようやく少し休めるらしいと聞き、その前に綺麗にしておこうと思ったのだ。
「……何だ、サワか」
開口一番失礼な言葉に眉を潜めて扉の方を見ると、ちょうどアーサー本人が部屋に戻って来たところだった。
「他に誰がいるんですか?マーリンの方が良かったですか?」
「冗談を言うな。一応時勢が時勢だからな。部屋の鍵が開いていたから用心して入って来ただけだ」
そう言って扉の鍵をしめたアーサーは定位置の執務用の机ではなく、横に置かれたソファにどかっと乱暴に腰を下ろした。
珍しい。
「はぁー……おい、マーリンはどうした?」
「え、あぁ。今、ぞうきん洗いに行ってます」
嘘だ。
彼は魔術師強制収容所から帰って来て以来、実はアーサーにばれないようにひたすらあの魔術を解くことに心血を注ぎ、書記室の秘密の魔術書庫に通い詰めている。
だが、アーサーも忙しいのでいちいちマーリンの所在を把握している場合ではないようで今の所誤魔化せている。その代わり、必然的に佐和とアーサーが二人で過ごす時間が少し長くなった。
「……また犠牲者、増えたんですか?」
疲れ切った様子のアーサーを見ていて、その質問は自然と口から出ていた。
本当は部屋に帰って来た時ぐらい仕事の話はしないであげるべきなのかもしれないけど、きっとアーサーは愚痴をこぼす場所もないだろう。そう考えると佐和から話を振る方が良いような気がした。
「……あぁ。歯止めが効かない。一向に原因は掴めない上に、遂に貧民街だけでなく一般市民にも被害が及び始めた。中には貴族で発症した者も出て来ている……。最早病気の事自体を民に隠しておくのは不可能だ。不安に駆られた人々が王宮の正門に押しかけている」
アーサーとしてはその人達一人一人の声に耳を傾けたいのかもしれない。
でもそんな事はできないし、している時間があるならば少しでも事態が良くなるように走り回るしかないのだ。
今の所、ウーサーにもアーサーにもカーマ―ゼンの事件の事はばれていない。
一番良いのは……やっぱりマーリンが早くこの魔術を解く方法を見つけ出して、解決しちゃう事だよね……。
そうすれば緊張しているウーサーとアーサーの仲も多少は緩和されるかもしれない。元々良くなかった二人の雰囲気のところにこの事件。ウーサーとアーサーの仲は一気に険悪になったままだ。
「せめて原因がわかれば対処の仕様もあるのだが……感染方法も、経路も未だ不明。治療もほとんど意味を成していない」
アーサーは疲れ切った様子でソファに身体を深く沈めた。
「中には出鱈目な噂まで出回る始末だ。これは大飢饉の前触れだとか、神の怒りをキャメロットは買ったとか、俺自身がこの災厄の元凶だとかな」
さらっと付け足された最後の言葉を流しそうになって、慌ててアーサーを見つめた。
佐和の必死の形相を見てアーサーがなぜか小さく噴き出す。
「……最後のは、冗談だ」
「……嘘ですね。また誰かに言われたんですか」
「……誰というわけではない。そう囁かれているだけだ」
まだ。
まだいるんだ。アーサーをどうしても貶めたい奴が。
これだけ民が苦労しているというのにそれを歯牙にもかけず、アーサーを陥れるチャンスだとばかりに他人の不幸を利用している人間が。
そう思うと腹の底が煮えくり返る。なぜかアーサーはぶすっとしている佐和を見て楽しそうにしている。
「何故俺よりお前の方が憤っている。珍しいな」
「マーリンが今ここにいたら、私なんかよりもっと憤ってますよ」
「そうか……」
その反応に満足してくれたのかもしれない。アーサーは佐和のふくれっ面を見て肩の力を抜いて苦笑した。
何で……。
何でこうなんだろう……。
人の前に立つ人というのは、他の人を導くという人は、それだけですごいのに、どうして批判される事しかないんだろう……。
勿論ウーサーみたいに道義的におかしい事をしているのなら野次を飛ばすのは当たり前だ。でもアーサーは違う。民の事を考えて、最良の選択をしようとしているのに。
無責任すぎる……。
せめてものなぐさめに佐和はアーサーにお茶を入れた。
だから何だって話だけど……。
「どうぞ」
「ああ」
受け取ったアーサーがゆっくりそれを口に運ぶ。
彼も久しぶりの休息にほっと一息ついているように見えた。
「……前々から気になってたんですけど、聞いてもいいですか?」
「何だ、お前から質問とは珍しいな。これ以上キャメロットに異変を起こすつもりか」
「茶化さないでくださいよ。何で……アーサーはそんなに色々言われても王子として、責任を果たそうって思うんですか?」
それが佐和には不思議だった。
マーリンにはミルディンとの約束が。
佐和には海音を生き返らせるという目的が。
ケイにはアーサーとの誓いが。
ガウェインにはラグネルの姉の後悔が。
イウェインには家督を復興させる野望が。
ランスロットには国を取り戻す将来が。
各々原動力としてある。
でも、アーサーだけは違う。
彼は当初荒れていたとはいえ、最初から王子様だったし、今も王子であり続けている。
例え―――どんなにきつくても。
それが佐和には不思議で不思議でしょうがなかった。
「……唐突に何を聞いてくるかと思えば、また……抽象的な質問だな……」
アーサーが眉を潜める。ただこれだけ一緒にいればわかるようになった。この表情は言いたくない事を話そうとしている時の顔ではなく、どう言えば相手に最も伝わるか考えている時の顔だ。
「―――そう生まれて、育てられたから……というのが最も正しいだろうか」
アーサーの言葉は自問自答しているようにも聞こえた。
「俺自身、余り深く考えた事は無かったな。ただエクター卿からは将来立派な国王になるべく様々な施しを与えてもらったし、その期待に応えたかったのは幼心に本当の事だ。だが王宮に来て、現実を知って俺は一度諦めかけた」
エクター家の愛情を一身に受けて育ったアーサーが帰って来たのは情とは無縁の世界。
「初めは心底王宮が嫌いだったな……何度も逃げ出したい衝動に駆られた事もあった」
「……アーサーでもそんな事考えるんですね……」
「一体いくつの時の話だと思ってる」とぶっきらぼうに付け足したアーサーは素直に話してしまった事を今さら後悔しているらしく、少しだけ顔が赤い。
「じゃあ、何で逃げ出さなかったんですか?ウーサー王にも酷い事言われたんでしょ?」
「お前……今日は妙にぐいぐい来るな……」
佐和の勢いに気圧されながらアーサーは更に腕を組んで考え込んだ。
「……決定打だったのは、母上の事かもな」
え……?
固まった佐和に気付かず、アーサーは照れくさそうに付け足す。
「当初は俺を拒否したと聞かされていたんだが……初めて面会した時、母上は正気を失って生まれたばかりの俺に酷い言葉をかけた事を俺に謝ってくださった。そしてこう言ったんだ『あなたには父上を越えるような立派な人になってほしい』と。その時初めて俺はそのために生まれたのかと思った。今までどこか距離を感じていた『王子』という立場が自分以外には在り得ないのだと気付かされた気がした。その時の母上の笑顔が美しくて……俺は王になった時に、もう一度あの笑顔を見たいだけなのかもしれない」
「アーサー……」
そこまで語ったところでアーサーが我に返った。
「……今のは全部忘れろ!戯言だ!!」
「ええ!何でですか!?」
「くそ、何でお前にこんな話……とにかく忘れろ!」
がなり立てたアーサーは佐和の入れたお茶を一気に飲み干すと、机に荒々しく置いて立ち上がった。
「俺はもう行く!今の話、口外してみろ……タダじゃ済まさないからな……!」
最期の言葉に妙な凄みを効かせ、アーサーはさっさと部屋から出て行ってしまった。
取り残された佐和はアーサーが飲み干したカップを片付け始める。
そっか……アーサーにはイグレーヌ様の笑顔が原動力だったんだ……。
なんて、単純で、可愛い理由なんだろう。
だが……。
もし、もしも私とマーリンの嫌な予感が当たってたとしたら?
イグレーヌがゴルロイス一味の仲間だったとしたら?
……やめよう。
瞳の色だけで疑うなんて。それこそそう考えていたら事実になってしまいそうな気がする。
本当にゴルロイスの一味ならアーサーにそんな事、言うわけないよね。
佐和は空になったカップを手で持て余しながら、微かな希望に望みを託した。