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それから数日間、佐和はマーリンと出会うこともできずに授業を受け続けた。
もちろん、佐和は魔法など使えやしないので、原理を聞いてチャレンジするふりをするだけだが、支給された黒ローブを着て、憧れの魔法学校に通っていると思うと、楽しくてしょうがない。
一時間目の共通授業はイグレーヌの演説を聞いたり、施設の過ごし方や連絡など、学校で言うホームルームのような時間で、それが終わると能力別の授業でひたすら水晶とにらめっこ。お昼を挟んで午後になると、選択の授業があり、佐和はこの国の言葉と歴史を学べる授業を主に選択していた。
保護施設での暮らしはかなり快適で、外に出られないこと以外に不自由なことは何もない。気を抜くとこの状況に埋没してしまいそうだ。
ダメだ。
私は楽しむためにここに来たんじゃない。
マーリンに会って、杖を渡す。そして海音を生き返らせる。そのためにここにいるんだ。
緩む気を一日に何度も引き締めるが、決意もむなしく、一向にマーリンには出会えていなかった。
どうやらSクラスのカリキュラムは特別らしく、保護施設に入った時期と関係なく取れる選択授業にもSクラスのメンバーは参加しない。お手上げ状態だ。
しかし、収穫のない一方で授業のおかげでこの世界について、佐和は大まかな知識を手に入れることができていた。やはり佐和の想像通り大雑把なイメージは中世ヨーロッパで間違いないようだった。
政治は絶対王制で現国王はウーサー王。身分も生まれながらにして決まっている。貧困問題も確実にあるようだ。その中で唯一実際の歴史と違うのはやっぱり、魔術師の存在だった。
魔術師は血筋もあるようだが、突然変異で生まれることも多いらしく、理解を得られないことも多々ある。それにウーサー王統治下では「魔術師は即死刑」なので、誰も魔術師に手を差し伸べない。周りに理解者もいない状態で魔法を使いこなすこともできず、暴走する魔術師も多い。そのせいで余計に魔術師に邪悪なイメージがつきまとう。まるで負のスパイラルだ。
「私も危うく村の人身御供にされる所だったの……いつ、生きたまま埋められるのかわからなくて、怖くて夜眠れなかった……!」
食堂ですすり泣く声が聞こえてくる。夕飯で堪えきれなくなった新入生が毎晩のように身の上話をぽつぽつと語り出すのが最近の定番の光景だった。
「でも、ここに来て初めて……眠れたの。布団ってこんなに暖かいんだって……!」
嗚咽を漏らす新入生を何人もの先輩が囲み、優しく背中を撫でたりしている。
佐和はその光景を横目に見ながらなるべく離れた位置に座った。
嘘をつくのは苦手ではないが、「あなたはどうなの?」など聞かれたら、あんなに号泣しながら披露できるエピソードは持ち合わせていない。
そうすると必然的に食堂の端に座ることになり、大抵はそこにミルディンも座っていた。
「お疲れ様ー。今日の授業どうだった?」
「別段……なんてことはない」
ミルディンの返事はいつも素っ気ないが、しゃべるのが得意なタイプでないのはわかっているので、たいして気にはしない。
「そっかー、私なんか今日もひたすら水晶とにらめっこだよー。ミルディンはもう魔法使ってるの?」
「……まぁ」
「いいなぁー!」
ああ、やっぱり私も魔法が使えたらなー。
どれだけの魔法を使えるのかは素質によって限界が決まっていると授業で聞いた。才能の世界だと。
けれど、なんの努力もなしにその才能を使いこなせるわけではなく、ある程度訓練は必要になってくるものらしい。特に『縁』を結ぶための呪文の習得は努力なしではなしえない。
とにかく水晶を意志だけで動かせるようになろうとしているアンノンクラスと違って、他のクラスでは呪文の習得や実践がメインだ。羨ましいことこの上ない。
もちろん佐和も毎日頑張って水晶とにらめっこしているが、予想通りミジンコの足先ほども結果は出てない。今の所、眉間が疲れただけだった。
そんなことを考えていた佐和に影がさした。ふっと見上げてみると、すぐ横にいつの間にかコンスタンスが立っている。
「せ、先生!?」
コンスタンスは教鞭もとっている。この施設に入ってからは先生と呼ぶように言われていたが、食堂に教員が来ることは滅多にないので完全に不意を突かれた形だ。
佐和の叫び声で、食堂にいた他の生徒も水を打ったように一斉に静まり返った。
「気にせずに食事を続けてください」
そう言われた生徒たちは渋々食事を再開するが、意識はこっちに向いているのが丸わかりだ。伺うような視線が背中に突き刺さってくる。
「えっと、あの、なんでしょうか」
もしかして魔術師の才能ないことばれた!?
冷や汗をかきながらひきつった笑いを浮かべる佐和をコンスタンスは一瞥し、鼻を鳴らした。
「お前ではない。ミルディン貴様です」
佐和には目もくれず、コンスタンスは座ったまま食事を続けていたミルディンに向き直った。
「さっきの話、考えましたか?」
「……俺は……」
「なぜ、迷うのです?Sクラスに行けるなど、名誉なことではありませんか?」
ミルディンがSクラス!?
反応した佐和にコンスタンスが怪訝そうな目を一瞬向けたが、すぐにまたミルディンに向き直る。
「返事は早めに聞かせていただきたいですね。現在Sクラスは特別な任務に当たっています。学校にはいませんが、数日すれば帰還しますから、その時までに決めておきなさい」
それだけ言ったコンスタンスはあっさりと生徒の注目の中、食堂から出て行った。その背中が扉の向こうに消えたのを見送ってから、佐和は机に身を乗り出した。
「すごいじゃん!ミルディン!Sクラスだって!」
「俺は……」
どこか堪えるようにミルディンが机の上の拳を握りしめていることに気付いた佐和は乗り出した体を戻した。
「……もしかして、嬉しくない……とか?」
言い淀んだ顔が肯定している。
「なんで?って聞いてもいい?」
伺いを立てた佐和の方をミルディンは見ようともしない。こっちまで息苦しくなりそうな苦悶の表情を浮かべている。
普通に考えれば、進級は嬉しいはずのものだ。
この数日、保護施設で暮らしてみて感じたのは、魔術師たちの異常なまでの向上心だった。彼らは自分の力を磨くことをこれ以上ない喜びと捉えているところがある。それははじめ乗り気でなかったブリーセンすらそうで、授業だけは熱心に受けていた。ミルディンだけが魔術を嫌っているとは思えない。
「……もしかして、マーリンがいるかもしれないから?」
『マーリン』の名を聞いた途端、ミルディンがはじかれたように立ち上がった。
その勢いで椅子が転げ落ちる。何事かとこちらの様子をそばだてて聞いていた他の人間が驚いて箸を止めた。
「……悪い。頭、冷やして来る」
いつも大人しい、口数の少ないミルディンからは考えられない行動に佐和はミルディンの顔を座ったまま見上げた。長い前髪に隠れたとび色の瞳はよく見えない。
それだけ言ったミルディンはトレーを持って去っていく。その背中がなんだか小さく感じて、見つめていると、不思議と頭の中に馬車で聞いたブリーセンの話が蘇ってきた。
「その男のせいでお兄ちゃんは強制収容所に連れていかれたのよ」
マーリンとミルディンの間に一体何があったのだろう。
本当はとても気になる。けど、聞きたくても聞けない。
所詮ミルディンとはただ偶然巻き込んでしまっただけの関係だ。そんな深い、人の心の壊れやすい場所に踏み込める関係じゃない。
そう頭では理解していても、さっきのミルディンの壊れそうな表情は妙に目に焼き付いて離れなかった。




