page.268
***
とりあえず、マーリンに休むように言った佐和は一人でアーサーの私室に向かっていた。
どうしよう……。
いつまでもマーリンの所にいて、アーサーに怪しまれるわけにはいかない。だからとりあえずは出て来たのだが、心はここには無かった。
アーサーはともかく、もしウーサーがカーマ―ゼンの事例を知ったら間違いなく魔術師大捜索の命令が下されて無実の人が今までよりも多く―――死ぬ。
ただでさえ……ゴルロイス一味の事だけでもやっかいなのに……。
一体、どうする事が正しいのか……。
そこまで考えて佐和は頭の中に意識を向け、腕を組んだ。
深く事象を考え込む時のくせだ。
最初から考え直そう……。
そもそも私が一番やらなきゃいけない事は、海音を生き返らせる事。
そのためには、マーリンにアーサーを王様にしてもらわなければならない。
そしてそのためにやらなければならない事は、ゴルロイス一味の問題とこの疫病の解決だ。
ゴルロイスの事に決着を着けない限りウーサーとアーサーの関係にも決着はつかないし、疫病が収まらなければ即位話どころではなくなる。
両方解決しなければアーサーが王になるような状況にはならない。
でも……病気は私にどうにかできる事じゃないし……。
佐和にできる事と言えば、ウーサーがカーマ―ゼンの事件を知らずにただ冷静に衛生や食料、医療の手当政策を実施してくれる事を祈るぐらいだ。
廊下の窓から見えるキャメロットの空は今日も薄暗く、朝からずっとしとしとと雨が降り続いている。きっと余計に不衛生に拍車がかかるだろう。
結論の出ないままアーサーの私室にたどり着き佐和は部屋に入った。部屋の中でアーサーが執務用の机に座り、巡回の経路図や各隊毎のシフトのような書類を睨みつけている。
「……只今、戻りました」
「ああ、どうだ?」
書類から目を離さず、繰り出された端的な質問。
それでもアーサーが何を聞きたがっているのかはすぐにわかった。
「マーリン、すごく具合悪そうでした」
「……そうか。本当に例の疫病じゃないだろうな?熱は?」
「無かったですし、病気じゃないと思います」
「……そうか」
言うべきだろうか。
アーサーに、先に。
マーリンの住んでいたカーマ―ゼンは今キャメロットに蔓延る疫病と同じ病に襲われた事があると。そして、それを魔術師のせいにして生贄代わりに無実の人間が殺された事を。
……院長先生が魔術師かどうかは知らないし、ミルディンは魔術師だけど、そこは伏せて「魔術師じゃなかったのに、生贄代わりにされたんです。だからキャメロットで同じ事をしても無駄ですよ」と先に布石を打ってしまえば……?
難しい顔で書類を睨むアーサーを見て、佐和は心の中で頭を振った。
……意味がない。それどころか逆効果かもしれない。
もしもウーサーがカーマ―ゼンの事例に気付いて魔術師徹底淘汰の命令を下した時に、アーサーが真実を知っていて異を唱えれば、余計ウーサーは頑固になる。
そして―――アーサーもまた、真実を知りながら無実の人間を捕縛するきつい役目を与えられる事になる。
でも、だからって無実の見知らぬ人間は死んでもいいの?そうじゃないでしょ。
けれど、どうすればいいのか。どうすれば正しい道へ進んで行けるのか。
脇役には全くわからない。
「……そう言えば、ガウェインはどうした?随分前にマーリンに呼ばれて飛び出して行ったきりだが」
「え、あぁ……」
そうだ、その事もあった。
大きな事件が続きすぎてすっかり忘れていた。
「ラグネルがガウェインの所に尋ねに来てたんですけど……雷を見て、昔の事を思い出しちゃったみたいで……様子がおかしかったのでガウェインをマーリンに呼んで来てもらいました。ガウェインはボードウェイン卿の所にラグネルを連れてくって」
「本当か?それで、ラグネルは平気なのか?」
「はい。ガウェインも付いてますし」
「そうか、なら良いが」
ラグネルが何を思い出したのか。それを今アーサーに言うのは気が引けた。
父親だけじゃなく、母親までもがもし、本当に敵だったとしたら……
……この人は誰の所へ帰ればいいの?
大量の書類と格闘し、民のために奔走するこの人がひとりぼっちになるのかと思うと、不用意にそこへ突き落すような事は口にできない。
「となると、今はボードウェイン卿の研究室当たりか……。その後ボードウェイン卿は疫病の対策で出て行ったはずなのに戻って来ないという事は、ラグネルの容体が落ち着かないのか、もしくは屋敷まで送り届けているといった所か……今日の巡回からあいつは外しておいた方が良さそうだな……」
佐和が考え事に気を取られている間にもアーサーは独り言を言いながら次々と書類に目を通し、脳内で仕事を片付けていっている。
その様子はいつもと変わらないように見えるが、ウーサーとの事は応えているに違いない。
今、キャメロットの安全は彼の両肩にかかっていると言っても過言では無い。そしてキャメロットの民の命も。
そんな混乱と困惑を極める中、どうしてこれほど強く前に進んで行けるのか。
「……何だ?俺の顔に何か付いてでもいるのか?」
「へ?」
気が付けば、佐和はアーサーの顔をまじまじと見つめていた。訝しげな眼がこちらを見上げてくる。そのアイスブルーの瞳の綺麗さに思わず佐和は飛び上がった。
やば!無意識にめっちゃ見てた……!
「い、いえ!何でもないです!!はい!」
「……?まぁ、いい。それよりサワ。今から言伝を伝えに行って欲しい場所がある」
「言伝……ですか?」
珍しいアーサーのやんわりとした頼み方に佐和は首を傾げた。
「そうだ。本来なら今日の午後はグィネヴィア姫とお会いできるはずだったんだが……今の状況では無理そうだ。その詫びと次回は必ず埋め合わせをすると伝えて来てくれ」
なるほど、言い方が丁寧なのは私に対してじゃなくて、グィネヴィア姫に関する事だからなのね……。
内心呆れながら佐和は「はーい」と返事をした。外に出る用事を言いつかれば、帰りがけにこっそりマーリンの様子も見て帰って来られる。
出て行こうとした所で淡々と仕事を処理していくアーサーが視界の隅に入り、佐和の中にふと疑問が芽生えた。
「……」
「……どうした?早く行け」
「いえ……アーサーって本当にグィネヴィア姫の事、好きなんですよね?」
「なっ……!!何を、唐突に言い出しているんだ!?お前は!!」
勢い余ってアーサーが手元の書類を握りつぶした。真っ赤な顔で怒鳴られ、驚いた。
おお……こんな顔もするんだ……。
「いや、何か……恋人と久しぶりに会えるせっかくの機会だったのに。他の仕事……巡回の組み合わせを決めるのとか仕事と同じノリで話すもんですから、つい。本当に好きなのかなー?って、疑問になって」
「今!この状態で!このような状況で!恋愛に現を抜かす馬鹿がどこにいる!!」
そりゃ、そうだ。
だが、怒鳴られているというのに全く怖くなかった。アーサーの顔が真っ赤だったからだ。
この人も人並みに照れるんだなー。
危機的状況に陥るたびに、すごく遠い世界の、本当に一国の王になるべき人だと感じてしまうが、こうしてくだらない話をしていると同世代なんだなとしみじみ感じる。
「じゃあ、やっぱり残念に思ってるんですね?」
「……何を言わせる気だ!察しろ!!」
素直に何か言いかけちゃうあたりがまた妙に可愛い。
「いや、アーサーがあんまり残念そうに見えないので、グィネヴィア姫に伝える内容が大げさになっちゃったりしたらいけないかなと思って確認したんですけど……」
「いいから、もう行け!!」
「いて!」
くしゃくしゃになってしまった書類を投げつけられ、佐和の頭にぺしりと丸まった紙が投げつけられた。
全然痛くないのだが、なんとなく口走ってしまう。
「そんなの痒い内にも入らないだろうが!」
「女の子にゴミを投げつける騎士ってどういう事ですかー」
「お前が女の子って感じか!!大体いくつだ!?」
「今年24になりますけど、何かー?」
「同い年!?嘘だろう!!」
「え!!嘘!?」
衝撃の事実が明らかになったところで両者揃って、途端に頭が冷えた。
ちょっとした沈黙が流れる。
お互い、20代も半ばに差し掛かって何を言い合っているのやら……。
「……さっさと行け」
「はーい……」
何となく気恥ずかしくなりながら佐和は投げつけられた紙ごみを拾い上げ、さっさとアーサーの部屋から撤退した。