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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第三部 第十章 クレルハオウト
268/398

page.267

       ***



 マーリンに与えられている従者部屋は佐和の侍女部屋と同じで必要最低限の家具しか置いていない。先にマーリンを部屋に入れて扉を閉めてから、部屋の真ん中で突っ立ったままのマーリンの背後から改めて顔を覗き込んだ。

 その顔色は未だに悪い。


「マーリン、本当に顔色悪いし、アーサーの言う通り寝てなよ。巡回前には私、起こしに来たげるから。もしまだ体調が戻らないようだったらアーサーが何て言ってきても休ませてあげるしさ」

「……サワ」


 マーリンの不安に揺れる瞳がゆっくりと佐和の顔を見つめ返してくる。

 そのことに佐和は少しだけ安心した。

 まだ自分を失うとこまで行っちゃってないもんね。それにしても、本当にすごい動揺っぷり。何でここまで……。

 そこまで考えて、佐和はマーリンの顔色をうかがいながらおそるおそる切り出した。


「……それとも、話、聞いた方が良い?もしかして食糧庫から何か感じてた、とか……」


 あの時から既にマーリンの表情は険しかった。

 いつもなら答えてくれるはずの佐和のアイコンタクトに気が付かないくらい追い詰められて。

 そして、謁見室でのやり取りの中の何かが彼に決定打を与えた。それが佐和の予想通り魔術と関係があるならこの王宮でマーリンの話を聞けるのは自分だけだ。


「…………」

「あ、言いたくないなら無理しなくていいから。ね?」


 黙ってしまったマーリンに慌てて付け足す。

 勿論真相は気になるし、これがゴルロイス一味の仕業だとしたら早急に対策をマーリンと話し合う必要もある。

 でも、今のマーリンはとても冷静に話ができるような様子では無い。それならいっその事、後回しにしてしまったほうが良いに決まっている。

 それに……単にゴルロイス一味と今回の事件に関係があるだけならこんなにマーリンが取り乱したりするはずない……。

 もしかしたら何か別の事が気になってるのかも……。

 だとしたら余計佐和にでしゃばる余地は無い。


「……ごめん」

「気にしないで、ね?ほら。横になって」


 精神的に追い詰められているなら横になるのは逆効果なような気もしたが、マーリンが話したがらない以上無理矢理聞き出す事はしたくない。

 それならせめて一人で静かに考えこめるようにしてあげたほうが良いよね……。

 マーリンにベッドを進めようと佐和が手を伸ばした瞬間、佐和の腕を見たマーリンの目が見開いた。


「マーリン?どうし」

「サワ!!」


 突然、マーリンは佐和の左腕を乱暴に掴み、袖をまくった。その目が佐和の腕に釘付けになっている。


「え!?な、何!?何!?なんか変なもの付いてる!?」

「これ!何で!?黒い……!」

「へ?あ、これ?」


 マーリンが見ているのは佐和の腕にあるほくろだった。ちょうどメイド服の七分袖から見え隠れするぐらいの位置にあるもので、他のより少し大きい。生まれつきあるやつだ。


「ほくろだけど……それがどうしたの?」

「ほ……くろ……」


 腕を掴んだままマーリンが佐和の返答に一気に脱力した。

 脱力したなんて言葉は軽い。むしろほっとしたというか、安心しすぎて身体の力が今にも抜けそうになっている。


「どうしたの?マーリン、本当に変だよ?何かあっ」


「たの?」と続けようとした言葉は続けられなかった。



 マーリンが掴んでいた佐和の腕をそのまま引き、佐和を抱き寄せたのだ。



「……」


 ………え?


 ちょっと待って。

 何、これ?


 嘘でしょ、ちょ……!唐突すぎっ!!



「ま……ま、マーリン!?どうし……」


 動揺し、マーリンの腕から逃げ出そうとした所でようやく佐和はマーリンの身体が異常に震えている事に気が付いた。

 マーリン……?

 五月蠅く鳴る自分の心臓の音が、その震えで収まっていく。

 ただ単純に好意を寄せる相手を抱きしめる以上の何かがあるとしか感じられない必死さ。

 抱きしめるなんて言葉では表しきれない。それはまるで―――縋るようだった。

 それでも、痛いほど佐和を抱きしめても彼の身体の震えは未だに収まらない。


「マーリン……」


 佐和は何度かこっそり心の中で息を整えた。

 初めて男性に抱きしめられた感触の動揺を押し殺し、冷静になれと自分に言い聞かせる。

 今は……ドキドキしたりしてる場合じゃ……ない。

 その間もマーリンの震えは止まっていない。

 ただひたすら、小さな子どもが眠れずにぬいぐるみを抱きしめている時のようにがむしゃらに佐和の身体をきつく抱きしめる。

 そう、本当に『縋っている』という言葉が今の状況にはぴったりだった。


「……マーリン、どうしたの?」


 できるだけ優しく、声をかけた。

 答えられないマーリンの背中に手を回して、ゆっくりと擦る。


「何か、あったの?」


 それでも彼は何も言わない。

 ただ怯えて、佐和をぎゅうぎゅうと何度も力を込めて抱きなおすだけ。


 どうしよう……。


 こんな時。

 こんな風に目の前の誰かが、本当に地の底まで傷ついている時。

 何て声をかければいいのかなんて、佐和にはわからない。


 何を言っても、傷つけてしまいそうで。

 何を言っても、言葉が滑り落ちてしまいそうで。

 何を言うかも、全く思い浮かばなくて。


 ……海音。


 あんたなら、こんな時なんて言う……?

 自分よりも人気者で、人に囲まれ、周囲を笑顔にする妹なら何とマーリンに声をかけるのか。

 簡単に想像がついたけれど、その言葉は佐和が言っても意味が無いのだ。

 それどころか、とんだ侮辱だ……。

 本当は今、マーリンに抱きしめられて彼を支えているのは―――海音だったはずなのだから。

 それを佐和が我が物顔で、この位置で、この場所で、海音がマーリンに贈るはずだった言葉を吐くなんてできない。


「……大丈夫」


 佐和はゆっくり、ただゆっくりマーリンの背中をさする。


「大丈夫。だいじょーぶ。だいじょうぶだよ」


 無責任だと思う。

 でもそれしか伝えられる言葉は無くて。


「大丈夫」


 大丈夫。

 大丈夫だよ、マーリン。


「だいじょうぶ」


 マーリンなら、大丈夫。

 私なんかと違う。

 マーリンなら。


「だいじょーぶ」


 佐和のゆったりと繰り返される『大丈夫』に、しばらくするとマーリンの震えが少しずつ、少しずつ収まってきた。痛いほどきつく抱き締められていた腕が僅かに(ゆる)       む。


「……ごめん、サワ…………」


 ようやく佐和を離したマーリンが目を伏せた。まだ微かにその肩が震えている。


「気にしなくていいよ…………話、聞いた方が楽になる?それとも、聞かない方が、良い?」


 佐和の穏やかな問いかけにマーリンは悩んでいるようだったが、しばらくすると佐和の目を伺ってきた。

 鳶色の瞳が揺れている。今、まさに心の中で葛藤しているのがよくわかる。

 そしてその天秤がゆっくりと傾いた。


「…………怖かったんだ」


 今にも消えてしまいそうな掠れた声が呟く。


「……怖かった?何が、怖かったの?」


 マーリンを傷つけないように、細心の注意を払って続ける会話はまるで蜘蛛の糸の上を歩くよう。


「……サワが、いなくなっちゃうんじゃ……ないかって」

「私が……いなくなる?」


 なんで?

 どうして食料庫の麦が腐って、謎の病気が流行ったら佐和がいなくなるのか。

 そこまで考えて、ようやく佐和はマーリンの不安の正体に心当たった。

 そうだ……マーリンは…………疫病がきっかけで、育ての親である院長先生を、幼馴染みのミルディンを亡くしたんだった……。


「やだなー、私は病気になったりなんてしないよ」


 魔術と違ってこの世界の病気に佐和もかかるのかどうかはわからない。

 けど、異世界トリップして病気で死にました。ちゃんちゃんお終い。なんてオチ聞いた事ないし。

 あ、でも私は物語の主人公とかじゃないから……あり得る?

 そう想像すると不幸に見舞われ、志半ばで死ぬ自分の姿が簡単に浮かんだ。

 うわ、あり得そう……やだなー……。

 そう思いつつも、何となく流行り病の事はやはりどこか他人事(ひとごと)のように思える。

 昔の流行り病、疫病と言えば、食料事情や不衛生が原因で発症するイメージだ。その点で言えば佐和は元からこの世界の住人よりもしっかり栄養をとって生きてきた身体だし、今も王宮で暮らしているから下町よりは食事にも環境にも恵まれている。

 だから何となく対岸の火事のように感じていたのかもしれない。

 しかしマーリンはそんなのんびり構えている佐和とは対照的に追い詰められている。


「でも……この病気は……この疫病は……いつも、俺から一番大切な人を連れ去ってくんだ……だから…………」

「……待って、マーリン」


 マーリンの言葉に違和感を覚え、佐和はやんわりとマーリンの言葉を遮った。

 もしマーリンの今の言葉が一言一句真実だとしたら……。


「今、キャメロットで流行ってる病気は……マーリンの……カーマーゼンで流行った疫病と全く同じなの?」


 佐和の確認に、マーリンが戸惑いながらも小さく頷いた。

 一気に佐和の中で今回の件が他人事ではなくなる。


「……全く、おんなじ……なんだ。先生も……そうだった。ある日突然、熱を出したと思ったら、身体の色んな所が黒くなり始めて……」


 それでさっき私のほくろを見て、勘違いして慌てたんだ……。

 それならマーリンの動揺っぷりにも納得できる。

 マーリンにとってどこまで行ってもあの時の思いや記憶は忘れ去れるものじゃない。


「……とりあえず、私は熱も無いし、大丈夫だよ。もし何か身体に異変を感じたりしたら我慢しないでマーリンにすぐに言う。約束する。……ね?」


 佐和の言葉にようやくマーリンは少しだけ安心したようだ。小さく頷いてくれた。

 だが、その表情はまだ晴れない。


「……他にも気になる事があるの?」


 マーリンはこの質問にも小さく頷いた。


「……この疫病は……カーマ―ゼンの時、治す方法が見つからなかった……。俺が先生に試した魔術もあったけど……効いたのかは結局わからないし、俺は今は治癒系の魔術は使えない……それに……」


 マーリンは小さく息を吸うと一気に吐き出した。


「カーマ―ゼンの疫病は、一回目は先生の、二回目はミルディンの……魔術師のせいにされた。それに運悪く二人がいなくなってから疫病は偶々収まったんだ。だから、もしアーサーや……ウーサーがその事に気付いたら……」


 マーリンが何にこれほど怯えているのか佐和にもようやくわかった。

 冷水を背中に流されたように一気に肝が冷える。


「……魔女狩り、ううん。魔術師狩りが始まる。魔術師だけじゃない。関係者、事情を知らないで魔術師と関わった人、もしかしたら、ただ疑いのある人でも一斉に……殺されるかもしれない」


 今だって魔術と関われば即死刑。けれど、それは見つかった場合だ。

 もしカーマ―ゼンでの事がアーサーはともかくウーサーに知られれば、確実に踏絵が行われ、徹底的な捜索が行われる。そして疑わしき者は例え無実でも極刑に処されるだろう。


 ―――大量虐殺の歴史が幕を開けるのだ。



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