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あれから数日経ったが、アーサーとウーサーは本当に必要最低限の口を効く以外全く話さなくなってしまった。
元々王子様と王様で、父親と息子って感じの会話は少なかったけど……今回は深刻だ……。
ネントレスに吹き込まれた過去の事実。そしてゴルロイスという言葉を聞いて、ウーサーだけでなくそのせいでアーサーも普段通り冷静でいられなくなってしまった事が大きい。
あんなウーサーの発言、いつものアーサーならどうにか受け流せたはずだ。
無理だよね……ウーサーの過ちを全部自分に責任転嫁されて、頭にくるなっていう方が……。
「それにしても、マーリンがまさか殴り掛かるとは思わなかった」
あの場でウーサーの信じられないほど酷い発言に誰よりも先に憤ったのはマーリンだ。
アーサーよりも速くその言葉に反応し拳を振り上げていた。
「あいつがふざけた事言うからだ」
「それはそうだけど……アーサーが止めてくれなかったら最悪死刑になってたかもしれないんだよ……お願いだから気をつけてね……」
マーリンは未遂だった事もあり数日牢屋に入れられるだけで済んだ。
どうやらアーサーがかなり裏で手を回してくれたらしい。
「でも……一体、どうやったらあんな性格になれるんだ?どうして他人の傷つく事がわからない?あんな事言われてアーサーが傷つかないと思ってるのか?おかしい」
「……そうだね」
想像性の欠如。
それは確かにアーサーにあって、ウーサーに無いものだ。
ウーサーは、貴族であり国を救った英雄であるからこそ自分が王になれたと考え、成功してきた自分の考えが正しい考えだと、自分の基準と国の基準を同一視している。
一方、エクター家の愛情を一身に受けた上で王宮に移り、周囲から魔術の忌み子として疎まれたアーサーは幸せだった頃の記憶も、周囲が一変すれば価値観が変わる事も身を持って体験している。
だから彼は我儘でありながらも本当はわかり合いたいと思っていたし、分かり合えると思っているのだと思う。
そしてマーリンと出会い、バリンを始めとして様々な事件を通してわかろうと努力した結果が彼の基準になっていっている。
その考えが交わる事は永遠にないのかもしれない。
「……あれ、ラグネルじゃ?」
考え込んでいた佐和はマーリンの指さした先の廊下の角を見た。言われた通り、辺りをきょろきょろと見渡しているラグネルがそこにいる。
「あれ、本当だ。おーい、ラグネルー」
佐和が声をかけた瞬間、こっちに気付いたラグネルの顔が、ぱあっと花が咲いたように明るくなった。小さな歩幅で、てとてとと懸命に駆け寄って来る。
「サワさん!マーリンさん!」
ガウェインの妻となった彼女は現在、王都の貴族街にあるガウェインの邸に身を置いている。
親類縁者は全て絶えてしまった天涯孤独の身だが、彼女自身は幸せそうだった。
今まで貴族街にある自分の邸宅に帰るのを面倒臭がって王宮の客室を私物化していたガウェインも、ラグネルを妻に迎えてからは邸宅に戻り、彼女と新婚生活を満喫しているようで毎日幸せそうな顔をして王宮に来る。
騎士の妻、王族の身内となったからにはラグネルも佐和やマーリンより立場が上なのだが、ガウェインに敬語を使っていないのにその奥さんに敬語を使うのも可笑しいという事で、ガウェインとラグネル二人ともの希望もあって、佐和もマーリンもラグネルにはため口で話すようにしている。
「良かったです……お会いできて……!」
息を弾ませて駆け寄って来た彼女のくるくるとしたセミロングの髪が跳ねる。
美人というよりは可愛いという言葉の方が似合う。小麦色の髪にパッツンの前髪が明るい印象で、グリーンのリボンの髪飾りをヘッドドレス替わりにしている。
なんか、ラグネルって小動物系だよね……お花が飛んで見える……。あれ……あの動物に似てる。
小首を傾げたラグネルを見て佐和の中にジャンガリアンハムスターの姿が浮かんだ。
新しい……!ジャンガリアンハムスター系女子……!でも、かわいい!!
ぽわぽわとした雰囲気の彼女は見ているだけで癒される。とてもあの老婆と同一人物だとは思えない。
「どうかした?」
「あの……実はガウェイン様が御忘れ物を……それでお届けにあがったのですが……」
照れながら話す彼女の腕の中に小さなバスケットがある。そこに何か入れてきたらしい。
「天気も悪くなりそうなのに。そういうのって普通従者にやらせるんじゃ?」
「え、あ、あの……そ、それはそうなのですが……」
マーリンの言う事は最もだ。
最近、キャメロットの天気はぐずつく日が多く、今日もどう見ても曇天の空は今にも一雨来そうだし、普通貴族の奥さんが自ら忘れ物を届けたりなんてしない。
けど……そういう事じゃないんだって。
「ガウェインにそれ、渡せばいい?じゃ、俺たちが預かって渡しておく。ちょうどアーサーの私室に来てるだろうし」
「え、あ、はい……でも……あの……いえ、やっぱり……何でも……」
「何か不都合でもあるの?」
「無いです!ないのですが……」
もう、マーリン……。
佐和は親切心から余計なおせっかいを焼いているマーリンに呆れ、たまらずマーリンとラグネルの間に割り込んだ。
「ラグネル、今、ガウェイン、アーサーの私室にいるから一緒に行こっか」
「あ……は、はいっ!」
佐和の提案を聞いた瞬間、ラグネルがとても嬉しそうに笑う。顔が輝いている。
ほわぁー、かんわいい……!!
「え?でもサワ。基本俺達かアーサーの騎士しか私室に入れるのは駄目だって言われて……」
「細かい事は気にしない、気にしない。大丈夫だって。ラグネルはもうガウェインの奥さんなんだから」
「ふわぁ……」
というか察してあげなよ、マーリン。
マーリンの言った事は全部本当だ。道理でまさにその通り。
貴族女性が自分でお使いするなんてありえないし、王子の部屋に入るのもおかしい。
だけど、きっとそれでもラグネルはガウェインに会いたかったのだ。
無理もないよね……二十年前の姿と今が変わらなくて、一人だけ時間に取り残されて、頼れる身内も誰もいない。
彼女にとって、この世で頼れるのも甘える事ができるのも夫であるガウェインだけなのだ。しかもキャメロットに来て日も浅い。
不安になってしまっていた所で忘れ物に気付いて、もしかしたら一目ガウェインに会えるかもしれないと自分で持って出て来たのかと思うと、可愛くてしょうがない。
……こんな冷静に分析しちゃうから、私はモテないのか……。いや、その前に顔と胸が残念だからか……。
そんな事を考えながら歩き出した佐和達の横の窓が光った。
「あ、雷」
「マーリンさんの言う通り、降ってきていまいましたね」
「いいの?」
「はい、濡れて帰っても、着替えればいいだけですから」
光は見えるが音は小さい。かなり遠い。しかし窓を叩く雨脚はいきなり強くなった。
「うわ、本格的に降ってきたな」
マーリンがそう言って窓を見上げた瞬間、王宮の廊下中を白く照らすほど眩しい光と同時に雷鳴が響き、城が震えた。
「うわ!近っ!!これ絶対、近くに落ちたよね!?」
「サワって雷は怖くないの?」
興奮する佐和を見て、マーリンが首を傾げている。
そうだった……マーリンに私のお化け嫌いっていう弱点、ばれてるんだった……。
「うん。暗くなきゃ、平気。雷と幽霊は関係無いし」
その時、また閃光が瞬き大気を震わせる。振動が直接伝わってくる。また近い。
いつの間にか雨も窓を滝のような勢いで流れている。
「うわ……雨もすごくなってきちゃったねー、ラグネル。……ラグネル?」
そこでようやく歩いていた佐和達は数歩後ろでラグネルが座り込んでいる事に気が付いた。
「ラグネル!?」
「ラグネル!」
マーリンと二人、すぐに側に駆け寄る。覗き込んだラグネルの顔は真っ青だ。
「ラグネル!どうしたの!?」
「……て……い」
「ラグネル?」
「思い……出し……ました……」
王宮の暗い廊下を閃光が照らす。白い雷光に照らされたラグネルは目を見開き、耳を塞いで、うつむいているのに瞳が遠くを見ている。
目の焦点が合ってない……!
「ラグネル!?」
「そう……です……あの日……ゴルロイス公と一緒に来たのは……」
「もしかして、記憶が混乱してるのかもしれない」
「マーリン、どういう事?」
震えるラグネルの身体をできるだけ優しく抱きしめ、佐和は背中を撫でた。
けれどラグネルの震えは酷くなる一方だ。
「……あの呪をかけられた日も酷い雷雨だったってラグネルが言ってた。雷のせいでその時の事を思い出してるのかも……」
「どうしよう……!?マーリン……!」
「俺、すぐにガウェインを呼んで来る!」
「お願い!!」
マーリンがアーサーの私室に向かって駆け出す。ここからそう距離はない。すぐにガウェインが駆け付けてくれるはずだ。
「ラグネル!大丈夫?落ち着いて!大丈夫だよ」
佐和にできるのは背中をさすって、震える身体を抱き留めてあげる事ぐらいだ。
胸の中でラグネルは瞳に涙を溜め、『あの日』を見ている。
「そうです……思い……出しました……」
「ラグネル、無理に思い出さなくても……ゴルロイス公の見た目は聞いたし」
「ち……違います……もう一人、そうです……もう一人、ゴルロイス公と一緒に……兄様達に呪をかけたのは……私に、冷たい笑みを浮かべたのは…………」
「ラグネル!」
これ以上、思い出さないようにさせようと佐和はラグネルを胸から引き剥がし、顔を覗き込んだ。
確かに、もう一人の正体は気になる。でも、それはラグネルを悲しませてでも、辛い目に合わせてでも知りたい事ではない。
だが焦点の合わない目のまま、ラグネルは『あの日』の事を遂に思い出してしまった。
「私に呪をかけた人は………………そう、殿下と同じ、アイスブルーの瞳の女性でした……」
……え?
「ラグネル!!」
ガウェインの叫び声が近付いて来る。息を切らして駆けつけたガウェインは佐和からラグネルを受け取り、その場に跪いてラグネルを自分の腕の中に包み込んだ。
「ラグネル、大丈夫か?俺がわかるか?」
「……が、ガウェイン……さ……ま……?」
「そうだぞ、よくわかったな。怖かったろ?マーリンが教えに来てくれたんだ」
少し遅れて息を切らしながら、マーリンも角から走って来る。
ラグネルはガウェインの腕の中からガウェインの顔を見上げた。
「わ……私……何を……」
「俺に忘れ物届けに来てくれたんだって?ありがとな」
「……が、ガウェイン様、私……」
ラグネルの身体が震える。ガウェインは抱く腕に力を込め、彼女の髪を何度も優しく撫でた。
「何も……できなくて……兄様が…………私、もう……誰も……」
「大丈夫、大丈夫だって。……もう、一人になんかさせねえから」
小さくガウェインの胸元からラグネルの嗚咽が聞こえる。
呪をかけられた日の恐怖がフラッシュバックしているのかもしれない。
「……悪かったな、サワ、マーリン。ありがとな」
ガウェインに宥められ、ようやく少し落ち着いたラグネルを軽々抱き上げたガウェインが立ち上がる。
「どうするつもりなんだ?」
「ボードウィン卿のとこ行って看てもらうわ。落ち着かないと帰れねえだろうし。こんなラグネル一人にさせられねえ……」
「うん、それが良いと思う……。ラグネル、雷の音で昔の事、思い出しちゃったみたいなの」
佐和の説明にガウェインは切なげな眼で抱き上げたラグネルを見つめた。
「……そっか、わかった。本当にありがとな」
「ううん、私達は偶々居合わせただけだから。アーサーにも伝えておくね」
「悪いな、助かる」
ガウェインとラグネルが廊下の角を曲がり消えてから佐和はさっきのラグネルの言葉を思い返していた。
『そう、殿下と同じ、アイスブルーの瞳の女性』
「……マーリン」
佐和はマーリンに正面から向き合った。
未だ雷は鳴り止まず、何度も何度も王宮を光と闇、交互に照らし出す。
佐和のただならない気配にマーリンは多少、驚きながらもこちらに向かいなおった。
「……ラグネルが、呪をかけられた日、ゴルロイス公と一緒にいた女性の事を思い出したの」
「本当?それでモルガンだった?」
「ううん、モルガンじゃなかった」
静かな沈黙に雷鳴が鳴り響く。
信じられない自分の推測に、体中の感覚がなくなったような気さえする。
でも、そう考えるのが最も佐和の腑におちる仮定だった。
「……その人は、アイスブルーの瞳だったって―――アーサーと、同じ」
「…………」
佐和の話にマーリンも言葉を失った。
ゴルロイスの関係者で、アイスブルーの瞳を持つ魔術をよく知っている女性。
そんなのは佐和達の知る限り、たった一人だ。
「……イグレーヌ王妃が……ゴルロイス一味の仲間……?」
マーリンの結論にキャメロットの王宮中に雷が鳴り響いた。
第九章閉幕。
明日より第三部第十章開始です。