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「できました」
「わあ!すごく美味しそうです、イウェイン卿!お料理上手なんですね!」
ニワトコの木のある場所で野営をする事になった佐和達は、大樹から少し離れた位置に焚火を設置し、その周りを囲んでいた。
もう少し離れた所にはガウェインが寝かしつけられていて、今はケイが看病をしている。
アーサーとガウェイン、そして老婆ラグネルの約束が取り付け終わった瞬間、ガウェインは張りつめていた気が緩んでしまったようですぐに気を失ってしまった。
命に別状は無く、老婆から渡された薬草はしっかり効いている。ケイいわく大分症状は落ち着いてきたらしい。
佐和の目の前では、焚火に鍋を取り付けられるように枝を組み合わせて作った簡易調理場でイウェインが夕飯を作ってくれていた。煮えたお鍋から暖かい湯気と良い匂いが漂ってくる。
「いいにおーい……!イウェイン、料理上手なんだね!」
「恥ずかしい話だが、アストラト家では一時期使用人すら中々雇えなくてな……自炊も必然的にせざるをえなくて……」
貴族子女としてはあまり褒められた特技ではないのかもしれないけれど、佐和に言わせればそんなのは凝り固まった価値観の方が間違っている。
実際、イウェインがこしらえてくれたお鍋はランスロットの言う通りとても美味しそうだ。
「恥じる事ではありませんよ、素晴らしい特技です!」
「ああ、おかげで今日俺たちは、暖かい飯にありつけるわけだしな」
向かいに座ってイウェインの手つきを珍しいものでも見るように見物していたアーサーも同意した。
イウェインがいなかったら、夕食はどうなっていたかわからない。
「全く、サワ。お前も少しは見習え。お前の情けなさと言ったら……」
「いや!私だって料理の腕は割と普通な方ですよ!でも、ウサギを捌くなんて!いきなりできるわけないじゃないですか!!」
野営をするにあたって、山菜をマーリンとイウェインが取ってきてくれたが、明らかに量が足りなかった。そこでアーサーとランスロットがあっさりとうさぎを捕まえて来たのだ。
山菜だけなら私だって……別に料理ぐらいできたし……!
だが、うさぎどころかサワは人生において鶏も捌いた事が無い。というか鶏を捌いたことのある20代女性なんてそんじょそこらにいるもんじゃないと思う。
それを……こいつは嬉しそうにあげつらいやがって……!
アーサーは溜まったフラストレーションを佐和をいじる事で発散している。こういうところは相変わらず我儘な王子のままだ。
最終的に見兼ねたイウェインが「実は多少なら料理の心得が……」と言い出してくれて、見事な手際を見せてくれた。
うん……いろんな意味でイウェイン凄かった……。
真顔ですぱーんとうさぎを捌くイウェインの姿はちょっと忘れられそうにない。
「……よし、できた……殿下、お口に合うかわかりませんが……どうぞ。味見は一応してあるのですが……」
イウェインが出来上がった鍋を椀に盛り、アーサーに差し出した。それをアーサーは快く受け取る。
「感謝する、イウェイン」
「いえ……はい、ランスロット殿」
「先にケイ卿にお渡しして来ますよ。ガウェイン卿の分もください。もし起きていられるようでしたらお渡ししてきます。僕の分は最後で構いませんから」
「すまない。頼めるだろうか?」
「はい」
イウェインから二つ椀を受け取ったランスロットが少し離れた所にいるケイに駆け寄って行く。二言三言、言葉を交わし、ケイは二つともお椀を受け取った。
「ガウェイン卿も召し上がるようでした!」
「良かった……ありがとう、ランスロット。これは貴殿の分だ」
「ありがとうございます、イウェイン卿!」
ランスロットが嬉しそうにイウェインからお椀を受け取った。イウェインは次にマーリン、そして佐和にも平等に給事してくれる。
「ありがとう、イウェイン」
「ありがとねー」
「いや、二人の口にも合うと良いのだが……」
「安心しろ、イウェイン。美味い」
既に手を合わせ食べ始めていたアーサーが、あっさりとイウェインを褒めた。王宮の食事と比べれば勿論質素だが、野外でここまでの物を作るのは中々難しい。アーサーもきちんとそこは吟味した上で言っているようだ。
私が作ってたら絶対文句言うくせに……。
「ありがとうございます、殿下」
アーサーの賛辞にイウェインはほっとしている。
まあ、私達だけならいざ知らず、王子様の口に合うかなんて不安だよねー。
お礼を言いながらもう1つ、お椀に夕食をよそおうとしたイウェインの手が止まった。
「……殿下」
「どうした?イウェイン」
「その……あのご婦人の分もご用意して宜しいでしょうか?」
イウェインの視線の先には、ニワトコの木の根元に腰かけた老婆がいる。
彼女はあの会話以降はこちらの問いかけにはあまり答えずただ一人、輪から離れて座っていた。
今も何もせずにただぼんやりと夜空を見上げている。
「……ああ。仮にもガウェインの妻になる女性だ。礼儀を欠くわけにはいかないからな」
答えるアーサーの声は硬い。
イウェインは深くは聞き返さずに「では」と老婆の分も用意して持って行こうと立ち上がった。その足が、数歩進んだところでぴたりと止まる。
「どうした?イウェイン?」
イウェインの異変に気付いたマーリンが声をかけると、イウェインは非常に困った顔でこちらを振り返った。食事をしていたアーサーもこれから手をつけようとしていたランスロットもイウェインのその様子を不思議がっている。
「や……その……やっぱり、何でも無い……」
そう言いながらもイウェインはそれ以上老婆に歩み寄ろうとしない。足が地面に縫い付けられてしまっている。
もしかして……。
佐和は自分の椀を持ったまま立ち上がった。
「サワ?」
「イウェイン、私が持ってくよ」
「いや……しかし……サワに悪い……」
「大丈夫、大丈夫」
呼び止めるマーリンの声を気にせず、サワはイウェインから半ば無理矢理老婆の分を受け取った。
最初は戸惑っていたイウェインだったが、申し訳なさそうにサワに大人しくお椀を渡す。
「……すまない」
「大丈夫だってー。何か私、平気みたいだから」
たぶん、イウェインがこれ以上老婆に近寄れないのは、臭いのせいだ。
食事時にあの悪臭を嗅げば、食べられる物も食べられなくなってしまう。それはイウェインがかわいそうだ。
「お前がおかしいのは、鼻なのか?それとも頭か?」
「役に立ってるんだからいいじゃないですかー」
「サワが行くなら、俺も」
「マーリン、大丈夫だから。マーリンも臭い、無理なんでしょ?気にしないで食べててー。本当に平気だから」
「でも……」
「はい!イウェインがせっかく作ってくれた料理を無駄にしないであったかいうちに食べる!じゃ、行ってきまーす」
アーサーの嫌味を軽く受け流し、マーリンを説得した佐和はニワトコの木に向かう。
近付けば近付いた分だけ臭いが強まる。だが、やはり臭いと頭でわかっていても、不思議と嫌悪感や吐き気を催さない。匂いを感じない。不思議な気分だ。
「すみません、これ。イウェインが作ってくれたんです。どうぞ」
「……申し訳ございません」
老婆は難なく近づいて来た佐和に多少驚いているのか、窪んだ眼が微かに開いた。枯れ木のような細い手が佐和から椀を受け取る。
「……隣、座っても良いですか?」
「え……しかし……あなたが……」
「大丈夫です。私、平気なんで」
そう言って佐和はニワトコの根、老婆の横に腰かけた。
遠くで焚火を囲んでいるアーサーがそれを見て驚愕しているのが見えたが、無視だ。
老婆は佐和の行動を観察していたが、本当に佐和が無理して一緒にいるわけではない事がわかったのかもしれない。小さな声で語りかけてきた。
「……あなたは本当に不思議な方ですね」
「普通ですよ、私なんて。いただきまーす」
佐和に合わせて老婆も両手を合わせる。二人並んで静かな食事が始まった。
イウェインの作ってくれた鍋は暖かく、身体に染み込んで行くような感じが喉からお腹へ通り抜けて行く。ぽかぽかと優しい温もりが身体の中から湧いてくるような。
「……とても、美味しいです」
横にいた老婆が不意にお椀の中をじっと見つめている事に気付いた。その中のスープに波紋が広がる。
彼女はその窪んだ眼から涙を零していた。
「……申し訳ございません。このように人の手で作られた食事など久しぶりで……忘れていました……。これほど美味しい物だったのですね」
百人見れば百人顔をしかめるほど老婆の泣き顔も醜い。
そう佐和の視界にも映っているのに、その涙を汚いとは思えなかった。泣き崩れそうになるのを堪える表情に、こちらまで胸が締め付けられそうになる。
「……ずっと、一人でこの森に?」
「ずっと、というわけではありませんが、もう何十年にも」
「その間子ども以外、訪ねて来なかったんですか?」
「はい、大人は皆あの霧に惑わされてしまいますから。抜けて来られたのは、あなた方が初めてです」
どうやらこういった事なら話せるらしい。
佐和は老婆が困らない程度に質問を重ねた。
「子どもたちは―――あなたの事を、怖がって話してたとは聞いてないんですけど……その……」
「ああ、子ども達もあなたと同じようでしたよ」
言葉を濁したが、佐和の聞きたい事は的確に伝わっている。
子どもが老婆の見た目や臭いに脅えなかったのが不思議だったのだが……。
つまり私は子どもと同じって事かぁ……。
なんだかそう聞くと拍子抜けしてしまうというか。子ども扱いされているような気になってしまう。
確かに童顔だけどさー……。
横にいる老婆は、イウェインの作った夕飯を噛みしめるように味わっている。その様子を見ているとこれ以上何か聞いて困らせ、この時間を壊してしまうのが可愛そうに思えてきた。
佐和も黙って食事を再開した。ニワトコの根に座る二人がスープを飲もうと椀を持ち上げると、大樹の葉の隙間から綺麗な星空が覗く。
この老婆の要求をアーサーが飲んだ後、周囲を覆っていた分厚い霧の壁はいつの間にか消えてしまった。
今は何も遮るものが無い満点の星空が広がっているだけだ。
「……綺麗な星を見ながらご飯なんて素敵ですねー」
「えぇ……本当に」
そう答えた老婆の声が、どこか悲しげで佐和はなんだか切なくなってしまった。