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「……今、何と言った?」
「殿下の騎士をお一人、私の夫として与えて欲しいと申しあげました」
誰もが、予想だにしていなかった要求に唖然としている。それは要望を突きつけられているアーサー本人も同じだった。
何を言っているんだ……?こいつは……!
てっきり金銭、もしくは権力を利用したものを望むものだとばかり考えていた。こんな要求をしてくるとは予想できていなかった。
「アーサー……」
ケイの声に振り替えってみると、アーサーの騎士達が皆、戸惑いの表情を浮かべている。無理も無い。
……自分自身が代償を払う事は覚悟していた。だが、まさか……俺の騎士とは……。
これでは代償を払うのは自分ではない。彼らアーサーの騎士の内の誰かだ。
そんな願いよりも醜悪で我欲にまみれた即物的な望みなどいくらでもあるだろうに、わざわざそのようなものを求める理由が理解できない。
だが、理解できなくとも老婆の条件をのまなければ、状況は何も変わらない。
未だ執り行われず済んでいるロテグランス卿救出のためにも、ゴルロイス一味に繋がるかもしれない唯一の手掛かりを野放しにするわけにはいかない。
どうする……?どうすればいい……?
仮に、仮にだ。この醜い老婆に夫を与えるとして……。
イウェインは女性、言うまでもなく論外だ。
なら、最もアーサーの騎士になって間もないランスロットか?
いいや、こいつは確かに不可思議なところのある奴だが、他国の王子だ。今後、アーサーがアルビオンを継ぎ、ランスロットの母国を取り戻す手伝いをした暁には国交を結ぶ事となる。もしこんな老婆を妻として国に連れ帰れば、彼女が王妃となる。受け入れられるものも受け入れられなくなるだろう。
残るのは、ケイ……。
駄目だ。エクター家の跡継ぎはケイしかいない。ケイには本当の意味で血の繋がった兄弟はいない。もし、この老婆にケイを与えれば、エクター家は子を成す事ができず、ここで途絶える。
幼い自分を騎士として、そして一人の人間として愛情をかけ、育ててくれたエクター家にそのような恩を仇で返すような真似、できるわけがない……!
くそ……マーリンが騎士なら喜んでやるものを……。
だが、マーリンは騎士では無い。従者だ。そして同じく従者であり女性であるサワも選択肢には入らない。
「……アーサー……」
「……殿下……」
「アーサー」
ケイもランスロットも横にいるマーリンも不安げな表情でアーサーを見ている。
彼らは待っているのだ。
自分の主君の決断を。
どうする。
どうする。
どうする……!
その時、アーサーの様子を見かねたケイが一歩前に進み出た。横でイウェインが目を見開いている。
「……アーサー、なら」
「俺がなる」
ケイの言葉に横から重なる声。
その声の主に全員の視線が集まった。
仰向けに寝ていたはずのガウェインが、かろうじて肘をつき、身体をこちらに向けている。
呆気にとられていた誰も、ガウェインの宣言に反応できずにいた。
「俺がなるよ。アーサー」
「…………なっ!?」
ようやくそこでアーサーは真っ白になりかけた頭で、ガウェインが何を言っているのか理解した。
「何を言っている!?ガウェイン!わかっているのか!?自分の言っている事の意味が!」
「わかってるって……そのばあさん、嫁にもらえばいいんだろ?」
「お前、簡単に言っているが!こいつは……!」
「しょうがないだろ?誰かがならなきゃなんねぇんだから」
「だが!わかっているのか!?お前は俺の騎士の中で最も身分が高いんだぞ!!」
王子とはいえ、ランスロットは他国の人間。イウェインのアストラト家は貴族としては中流階級。ケイは名門エクター家の出だが、それらとガウェインの身分には確固たる差がある。
ガウェインはアーサーのいとこ。つまり王族だ。
いくら王位継承権を既に棄却した身とは言え、貴族の常識に当てはめて考えれば、このメンツの中で最も在り得ない選択肢だった。
「でも、わかってるんだろ?ほんとは―――俺以外、いないって」
ガウェインの声にいつものような張は無い。それなのに、アーサーの怒声と静かに渡り合うだけの芯があった。
ガウェインの最期の言葉に返す言葉が思いつかない。そんなアーサーを見て、ガウェインが笑う。
「いいんだって。イウェインやサワは女性だから、そもそも無理だし。マーリンは騎士じゃなくて従者だしな。ランスロットは他国の王子なんだろ?アーサーが勝手に決めて良いもんじゃねえよな。それぐらい馬鹿な俺でもわかる。それに……ケイは将来、アーサーが王になった時、傍で色々やらなくちゃならない。そん時に、結婚っつーのは、すげー重要になってくる。ここで結婚相手を決めさせるなんて、絶対駄目だ。ケイのためにも、何より、アーサー、お前の将来のためにあっちゃいけねぇ」
「ガウェイン……」
「それに……俺はどうせ子どもは産めねえ。……ちょうどいいだろ?」
その言葉にアーサーの中でこみ上げるものがあった。
悪いのはガウェインではないのに、怒鳴ってしまいたくなる。
その事を、その言葉をガウェインの口から言わせてしまった自分が腹立たしい。
アーサーの横で、サワがガウェインの言葉に首を微かに傾げた。それを見てガウェインは苦笑している。
「サワ、俺は女性に触れないんだぜ?……子ども、産めるわけないだろ?だから、貴族として俺の人生は終わってるんだよ」
「そんな事……」
「サワは別の国出身だからピンとこねぇかもしれねぇけど、家督や領地を次の代に繋げて、家を繁栄させるのが貴族の長男に生まれた男が最もやらなきゃならない仕事だ。だけど、俺はそれができない。だから、ちょうどいいんだ。幸い、俺には弟達がいるし。家はあいつらに継いでもらうさ」
ガウェインの言葉に佐和が目を伏せた。
察しの良いこの女の事だ。そのことをガウェイン自らに語らせた事を、悔いているのだろう。
だが……それは、俺も同じだ。
「な?俺でもいいだろ?ばあさん」
「決定権は私やあなたにはありません。決断を下されるのは殿下です」
「アーサー」
「……ガウェイン」
ガウェインは少しだけ身体を起こし、アーサーを見上げた。その目は真っ直ぐ、曇りが無い。
『誰よりも勇敢に仲間の命を救ったガウェイン卿のままであれ。失う悲しみと重みを知った女性に優しい騎士であれ』
自分がガウェインに与えた言葉は一言一句覚えている。
あの時、王位継承権を破棄して王族でなくなっていた。
女性を斬り、騎士でなくなった。
呪われた身で、貴族として生きる道もなくしたガウェインは支えを失い、今にも倒れてしまいそうだった。
だから自分は、騎士として生きる道をガウェインに残してやりたかった。
俺と父上の命はこいつの勇気に救われた。それを無かった事にして、罪だけと向き合う生き方をして欲しくなかった。
そしてその言葉をガウェインは今、体現しようとしている。
「……わかった」
「アーサー!?」
「殿下!?」
ケイやイウェインの驚愕の声が背後から聞こえる。
言いたい事はわかる。
だが、アーサーは振り返らず、ガウェインとそれから老婆を見た。
「……ありがとよ、アーサー」
「……ご婦人」
アーサーはニワトコの根元に腰を下ろした老婆を見据えた。
これから口にする言葉、一音、一音に決意を込める。
「……貴殿の望む物を約束通り与えよう。俺の―――私の騎士の中で、最も勇敢で最も女性に優しく、誰よりも気高い誉れ高き騎士、ガウェイン卿を貴殿の夫とする」
アーサーの決断に口を挟む者はいない。
ガウェインは安心したように身体から力を抜き、他の者は固唾をのんで事の行く末を見守っている。
老婆はしばらくの間、アーサーの事を見つめていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。
「感謝いたします。アーサー殿下」
「よろしくな。ええっと……?」
「ラグネルです。ガウェイン様」
ガウェインの問いかけに老婆は笑いかけた。その瞬間、ぼろぼろに抜け落ち黒く染まったまだらの歯が覗く。見るに堪えない笑顔だったが、ガウェインは笑い返した。
「ラグネル」
「はい、ガウェイン様」
「……それで、どうすればあの城の呪を解く事ができる?次は何をすればいい」
アーサーの問いかけに老婆はガウェインからアーサーに視線を戻した。
「呪を解くために、もう一つしなければならない事があります。ガウェイン様と私の婚儀をきちんと執り行ってください」
「きちんと、と言われても……一度キャメロットに戻れということか?」
「そこまでする必要はありません。協会にて誓いの儀式さえしていただければ」
「な……!」
「アーサー、どうしたんですか?」
アーサーが驚いているのを見て、サワが不思議がっている。
他国出身のサワには老婆の言葉の意味がわかっていないのだろう。
「……協会で結婚の誓いを執り行えば、覆す事はできん。口約束では済まないという事だ」
この場だけガウェインを与えると言って、後から口八丁手八丁で取り返す事はできない。
元々、そのような不誠実な事をするつもりは毛頭無かったとはいえ、改めて突きつけられると自分の決断が重く心に圧し掛かる。
「いいじゃねーか。結婚式だなー」
ガウェイン本人は疲れ切った様子だが、のんびりと笑っている。その笑顔が今のアーサーにはきつい。
「……あの村に古いけど、協会があった。そこを借りれば良いんじゃないか?」
ケイの声色は既に通常通りだ。
もうガウェインの決意を、アーサーの決断を受け入れる事を決めたのだろう。
「そうだな、それでいいか?ラグネル」
「はい、ガウェイン様。ですが、どうか今夜はこのままここで御身体をお休めください。時機に夜になります。今移動する事は御身体に障ります」
「心配してくれてありがとな」
「いえ……」
「アーサーも、ありがとよ」
「ふん……」
アーサーはこみ上げる不満を飲み込み、未だ戸惑っている他の仲間たちに野営の指示を飛ばした。