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「な、何だ!?」
「アーサー!マーリン!」
いきなり開けた視界に佐和は驚いた。霧に映った様子は事実だったようだが、思ったよりも近いところで事が起きていたことに驚きつつ、佐和は目の前のマーリン達に駆け寄った。
「サワ!?」
「お前、今まで一体どこに!?」
マーリンとアーサーが佐和に気を取られた瞬間、音を立ててガウェインが倒れた。
「ガウェイン!」
「ガウェイン!?ケイ、手当を!マーリンは道具だ!」
「わかった!」
ケイがガウェインの側に駆け寄り、うつ伏せに倒れたガウェインをひっくり返した。その顔も腕も、特に老婆を抱えていた右側がひどい火傷になっている。呼吸も荒く、汗が流れ、ひどく苦しそうだ。
「ひどい火傷だ……」
ケイにマーリンが鞄から水筒とタオルを取り出し手渡す。受け取ったケイはありったけ水筒の水をタオルに浸し、患部に当てたが、どう見ても足らない。
「殿下、僕水を汲んできます!」
「ランスロット殿に付き添います!」
「頼んだ!ランスロット、イウェイン!しかし、近くに清潔な川が……」
「あなた方からして左手に、流れの清らかな小川があります」
騒然とした場に響く不釣り合いな老婆のしゃがれ声に、全員が一度動きを止めた。
老婆はさっきまで佐和と一緒に立っていた場所から一歩も動いていない。
「どういう事だ!?貴様、さっきまでガウェインに抱えられていたはずでは……!?」
「アーサー、今はそれよりガウェインを!」
「しかし……!」
「アーサー、私もマーリンに同意見です!」
佐和はアーサーに早口でまくし立てた。
「この人、悪い人じゃないです!ずっと私と一緒にいたのに、危害も加えなかった。たぶん、別の理由があるんです!」
「だが……」
「今は信じるしかないでしょう、殿下。それに小川の気配はご婦人の言う通りの方角から感じます」
ランスロットの後押しでようやくアーサーが頷いた。それを確認したイウェインとランスロットが空いた水筒を持って駆け出して行く。
ケイは残っている水筒のふたを開け、ガウェインの手当を続けようとした。
「どうだ?ケイ」
「酷いな……水を汲んで来ても……俺の知識じゃ、どこまでやれるか……」
「アーサー殿下」
ガウェインの様子を見守っていたアーサーに老婆が声をかけた。
その黒いローブの下から何かの葉を取り出し、差し出している。その草をアーサーは訝しげな目で見た。
「何だ、それは……」
「どうかその騎士様の手当にお使いください。火傷に効能のある薬草です」
「そんな怪しい物、俺の大事な騎士に使える訳が無いだろう!」
アーサーの言い分は最もだ。けれど、このままではガウェインの命が危ない。
私は……この人、嘘をついてないと思う。
今までずっと老婆はただ佐和と霧に映った出来事を見守っていただけだ。佐和に危害を加えようともしなかったし、そもそもアーサー達の前に現れた老婆はどう考えても魔術の幻だ。今、ここに確かにいる彼女から害意を佐和は全く感じられない。
だけど、それを今アーサーに言うのは気が引けた。万が一、佐和の進言を聞き入れて、老婆の差し出した薬草が毒だったとしても、佐和には責任が取れない。
その時、横たわっていたガウェインが微かに身じろいだ。
「……アーサー……」
「ガウェイン!気がついたのか!?」
ガウェインが薄目を開き、ぼんやりとアーサーの顔を見上げている。火傷のせいか、呪いのせいか、疲れ切った様子だが、意識は確かなようだ。
「……それ……使ってくれ……」
「いや……しかし……」
ガウェインが目で指しているのは、老婆が手にしている薬草だ。アーサーには正確にその意図が伝わっているようだが、やはり躊躇っている。
「……大丈夫だから……な?」
「………………わかった」
その言葉で老婆がアーサーに一歩近寄った。しかし、その瞬間、アーサーが顔をしかめて袖で鼻を覆った。同様にケイもマーリンも顔をしかめる。
そっか……臭い……。
佐和は何故か平気だが、この悪臭はとても近寄れるものではない。アーサー達が顔をしかめたのを見た老婆が歩みを止めた。
……もしかして、この人……。
「……私が受け取りますよ」
「お、おい!?サワ!?」
「大丈夫です。私、割と平気なんで」
「嘘だろう!?」
アーサーは驚いているが、本当だ。
本当に不思議。
頭ではものすごく臭いってわかってるのに、嫌な気分とかしないし、平気だ。
それに……。
佐和が近寄り、老婆から薬草を受け取ろうとしたのを見て、老婆は明らかにほっとしている。
やっぱり……自分が臭うのをわかってて、アーサー達が嫌がった事に傷ついたんだ……。
そして今、佐和が近づいて来れた事に安堵している。
佐和は老婆から薬草を受け取ってケイに手渡した。
「あ、ありがとう……サワ」
「うん」
「その薬草を水に浸して揉み、患部に貼ってください」
「……わかった」
老婆の言う通り、残った水筒の水を使ってケイが手当を始める。それを確認したガウェインは安心したのか、瞼をゆっくりと閉じた。
「わりぃ……な……」
「全く」
「殿下、只今戻りました!」
「助かるイウェイン、ランスロット。ランスロット、お前がケイを手伝ってくれ」
「はい!お手伝いします、ケイ卿」
「頼んだ」
イウェインはガウェインには近寄れない。ケイ、マーリン、ランスロットが手分けしてガウェインの手当に当たる。
「……さて、話してもらおうか」
ガウェインの横に膝を着いていたアーサーが立ち上がり、老婆に向き直った。老婆はただその窪んだ目をアーサーに向けている。
「お前は一体何者なんだ?魔術師なのか?」
「……私は魔術師ではありません」
しゃがれ声で相変わらず不快なキィキィとした音階だが、老婆は今度はアーサーの質問にしっかりと答えた。その事にアーサーは驚き、目を見開いている。
「何故先ほどは答えなかった?」
「あれは私ではありません」
「何だと?」
「あれは……私ではありません。幻です」
「その幻を創り出していたのは、お前ではないんだな?」
「はい」
やっぱりこの人のせいじゃ、無いんだ……。
マーリンも手当をしながらアーサーと老婆の語らいに細心の注意を払っている。
「だが、お前が村の子供たちが言っていたニワトコの老婆であることに間違いはないな?」
「そう呼ばれているようですね」
「あの呪われた城に関して何か知っているのか?」
「……はい」
すごい……当たりだ……!
まさか子供の噂話から解決の糸口が掴めるなんて……。
誰も予想していなかった奇跡に口を開けている。
これであの不死身の騎士に対抗できるかもしれない。
微かな希望を胸に老婆とアーサーの対談に他の皆も耳を澄ましている。
「あそこにいる者の正体を知っているのか?」
「はい。あの城はアルビオン王国が統一する前、小さな領地の領主の城でした」
老婆は昔語りをする時のようにゆっくりと語り出した。
「領主は心優しい貴族でしたが、ある時流行病で領主も、その奥方も亡くなってしまいました。残ったのは四人の子供達」
それは村で聞いた話と一致する。この領地を納めていた貴族の物語。
「長男が後を継ぎ、次男はそれを助け、そして二人の妹姫達もそれを手伝い、ささやかながら領地は平和に納められていました」
「そして、長男はアルビオン統一のきっかけとなった異民族や大国との戦線に赴き、次男が留守を預かった。それは、村人から聞いている」
「そうですか、それならばお話は早いですね。あなた方が呪いの城と呼んだ湖上の城にいた者。それはその者です」
「貴族だった人間ということか?長男、次男どちらだ?」
「お答えできません」
「何?」
老婆はニワトコの木の根本に腰掛け、沈んだ様子でアーサーを見上げた。
「俺たちは剣を納め、非礼も詫びた。それでもなお答えられないというのか」
「……」
「殿下、ご婦人が困っていらっしゃいます」
見かねて口を挟んだのはランスロットだ。
誰にでも優しい彼はどうやら老婆が敵では無いとわかった瞬間、気を配るべき相手だと考え直したらしい。
「ガウェイン卿のおっしゃる通り、何か事情があるのでしょう」
「申し訳ございません、殿下」
謝った老婆に対してアーサーは不服そうだが、言葉を飲み込んだ。
「……わかった。どうやらお前には話せない事と話せる事があるようだな……質問を変えよう。あの城にいる騎士、まるで不死身のようだった。そしてあの城に入った途端、こちらは力が出せなくなった。あれは間違いなく魔術だ。それを解く方法をお前は知っているか?」
核心に迫るアーサーの詰問に全員が息を飲んで見守った。
これを話せないと言われてしまったら、ガウェインの努力が水の泡になってしまう。
しかし、老婆は今までとは違い、この質問にだけははっきりと答えた。
「はい、殿下。―――私は、あの城の呪いを解く方法を知っています」