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霧に映った景色はアーサーの私室だった。
霧の中に足を踏み入れた途端、まるで瞬間移動でもしたように、ガウェインはアーサーの私室に立っていた。
足下に感じる地面の感触もさっきまでの土とは違う。硬い室内の感触。
けど……これは現実じゃない。
目の前にはアーサーと……騎士に成り立ての頃の自分がいた。
執務用の机に腰かけているアーサーに背を向けてソファに座っていた自分が立ち上がり、アーサーの前に立つと、腰から剣を差し出して机の上に置いた。
「……何のつもりだ?」
「……わかってるんだろ?」
これは……あの時の記憶だ。
あの日、緑の騎士と決闘し、無抵抗の女性を斬り殺した直後の思い出が目の前で再現されている。
「……俺は……騎士を辞めるよ」
アーサーは何も言わない。ただガウェインを見上げているだけだ。
「……騎士を辞めてどうする?」
「どうすっかなー……。もう王族でもねえし、貴族として生きるのも、ちと難しいし……実家に帰って、家督は弟に継いでもらって、力仕事でも手伝うかなー……それぐらいしか、俺、能ねぇし……」
酷い顔だ。
あの時の自分の顔は、こんなに酷かったのか。
情けない。今にも泣きだしそうに瞳が滲み、眉間に皺を寄せ、かろうじて堪えているような状態だ。
「俺は……騎士失格だ。無抵抗の女性を斬り殺すなんて暴挙、許されるわけねえよ」
「あれはおまえの過失ではない。闘技場に入り込んだ彼女が悪いし、お前が本気を出していなければ、あの不死身の騎士には勝てなかった」
「そうかも……しれねえ、けど……」
ガウェインは堅く拳を握りしめた。
「でも、俺は……俺自身が許せねえんだ!ただ巻き込んで、女性を斬っただけじゃない……!俺、完全に頭に血が昇ってたんだ。なんとしてもこいつを倒してやるって、周りが全然見えてなかった……。もっと落ちついて闘ってりゃ、女性が駆け寄って来てたことぐらい気付けたはずだろ……?それなのに、俺は目の前の敵にだけ気を取られて、いくら斬っても斬っても倒れないあいつに苛立って、そんでカッとなって本気出した。そんな闘い方してなけりゃ、殺さずに済んだはずなんだ!!」
目の前にいるあの時の自分が叫ぶ。その考えは今も変わっていない。
あの時、闘っていたのがアーサーやケイだったら彼女の乱入に気がついたはずだ。
騎士になったばかりで怪力だと持て囃されて、調子に乗って―――あの緑の騎士の挑戦を受けた。
今思い出しても、思い上がっていた自分が恥ずかしい。
ガウェインの言い分を静かに聞いていたアーサーが口をようやく開いた。
その先の言葉を、今もガウェインはよく覚えている。
「確かに、お前はあの女性を殺した」
アーサーの厳しい目がガウェインを射抜く。その瞳に迷いや揺らぎは何も無い。
「ガウェイン、お前は確かに勇敢だが、向こう見ずなところがある。勇猛は過ぎれば暴走だ。今回の件はまさにその現れだ」
アーサーの言う通りだ。
自分は勇気がある、気骨があると調子に乗った結果、暴走し、守るべき人を傷つけた。
しかし、落ち込んでいるガウェインの顔をアーサーは真っ直ぐ見返してくれた。
「だが、あの騎士が謁見室に乗り込んできた時、お前が誰よりも勇気を持って最初にあの籠手を拾ったから、俺と父上は生きている」
アーサーの言葉に、ガウェインは俯いていた顔をあげた。
「ガウェイン、お前は確かに彼女を殺した。しかし、俺と父上の命を救った事を忘れるな。お前でなければ。お前ほどの豪腕さと勇猛さ、そしてタフさが無ければ、あの騎士は倒せなかった」
アーサーは机の上のガウェインが置いた剣を取った。そのままガウェインに歩み寄る。
「それでも、彼女を殺した自分が許せないというのならば、余計剣を置く事は許さん」
アーサーがガウェインに剣を差し出す。
「彼女を殺した事を、騎士でありながら女性を救えなかった事を、心から悔やんでいるのならば―――お前は俺の騎士の中で、誰よりも女性に優しい騎士であれ」
アーサーが目の前に突き出した剣をガウェインは見つめた。
「誰よりも勇敢に仲間の命を救ったガウェイン卿のままであれ。失う悲しみと重みを知った女性に優しい騎士であれ」
ガウェインは歯を食いしばった―――そうしなければ、泣きそうだったから。
「……ありがとう、アーサー」
ガウェインはアーサーから差し出された剣をもう一度膝を着き、授かった。
王族として、騎士として、貴族として、男として、何もかも失った自分に照らされた唯一の道標。
「誓うよ。俺は―――お前の騎士の中で、誰よりも勇敢に、誰よりも女性を助ける騎士になる」
そこで霧に映っていた映像が途絶えた。
不思議な感覚だった。あの時の事をまるで第三者のような目線で見ている。
でも、あの時の事があったから俺は生きてこられた……。
アーサーのあの言葉が無ければ、今の自分は存在しない……。
彼女を斬ったあの瞬間から、女性に触れられなくなった自分。
その呪いを解く方法を求めて、旅をしている間もいつも胸にはあの時のアーサーの言葉があった。
時には山賊に襲われている女性を助け、未亡人となり子供の治療費に困った母親に全額自分のお金を渡したりもした。
そういや……そのせいでキャメロットに帰って来た時、医者代が払えなくてマーリンに立て替えてもらって、アーサーにも怒鳴られたっけ……。
懐かしい思い出に思わず笑みがこぼれる。
失った彼女の命の分だけ、その重みの分だけ、女性を助けると決めて。
ガウェインは生きてきた。
それが―――俺にできる唯一の贖罪。
先ほどまで映像が映り込んでいた霧が薄くなっていく。その向こうに人影がぼんやりと見えた。
「誰だ……?」
霧の向こうで複数人が戦っている。ガウェインは目を凝らした。
そこにいたのはアーサー達だ。魔術師らしき老婆を取り囲み、苦戦している。
「あいつがあの呪いの城の親玉って事か……!」
ガウェインも剣を手に持ち、駆け出す。
アーサー達は、まだガウェインが合流しようとしている事に気がついていない。
半分ほど距離を縮めた瞬間、老婆のしゃがれた声がガウェインの耳に届いた。
「……助けてください」
「……は?」
予想外の言葉にガウェインは足を止めた。
老婆は確かにアーサー達を霧の魔術で攻撃している。それなのに、ガウェインの耳に響くのは救いを求める言葉。
「助けてください」
ただひたすら訴えかけてくる声。
しかし、その間もアーサー達は戦っている。
「剣をお納めください。お助けください。どうか、哀れな私のために」
「……」
その声には切実さと、誠実さが宿っている。心の底から助けを求めている人間の声だ。
だが、だからといって女性なら、敵にでも何でも甘くすれば良いというものではない。
ガウェインは騎士だ。アーサーの騎士。誰よりも勇敢に敵に立ち向かう騎士であるべきだ。
それが、アーサーが俺にくれた生きる意義。
けれど……
「助けて」
「助けて」
「助けて」
「助けて」
アーサー達には、彼女のこの悲鳴が聞こえないのか……?
彼女の体中からにじみ出る悲しみと苦しみ。
求め続けている救済のサインがガウェインの胸を鷲掴む。
「助けて、助けて、誰か……助けてください」
「……」
ガウェインは立ち止まり、手にした剣を見つめた。