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次の日、起床時間に起き、支度をした佐和は食堂に向かった。
昨日もらった説明の紙を頼りに向かった食堂の様子に佐和は心の中で盛大に黄色い声をあげた。
すごい!すごい!まさに魔法学校の食堂って感じ!
木製の長テーブルがたくさん置かれていて、あちこちで人が食事をとっている。天井からは品のあるシャンデリアが垂れ下がっていて、雰囲気は非常に明るい。
食堂のシステムは日本の食堂と同じ形式らしい。入口に置いてあったトレーを持った人が流れのまま進んでいき、食べたいものをトレーに取ったり、奥の食堂の人に注文を付けたりしている。
違うのはお金を払う必要がないことと建物からカウンターまで全部木造という点ぐらいだ。
佐和も例に倣って列の後ろに並ぶ。カウンターに置かれたメニューはやっぱり洋食だ。別に和食じゃないとだめだというタチでもないのでパンとベーコンと卵焼き、サラダを取っていく。
空いている席を探して歩き出した佐和は、カウンター横のテーブルに座っている少女に気が付いた。昨日イグレーヌに手を取られていた女の子だ。確かニーナという名前の。
ニーナは泣きながらパンを頬張っている。それを取り囲む何人かの黒いローブを着た女性があやすように彼女の背中をさすっていた。
「大丈夫。大丈夫よ。誰も盗ったりしないから」
「かわいそうに。今までまともな食事にありつけなかったのね」
「わ……わたし、こんな、ちゃんとした……食事、はじ、めてで」
「私もそうだったわ。大丈夫よ。ここにいる限り、侮蔑も差別も苦痛も空腹もない。イグレーヌ様のおかげで、私たちははじめて人としていられる場所を手に入れたのだから。あなたも、もうその一員よ」
涙でぐしゃぐしゃになりながら、それでもニーナはパンを頬張るのをやめない。
佐和にとって貧困など遠い世界の話だが、この世界ではきっとまだ身近な問題なのだろう。中世ヨーロッパといえば、明日食べるパンも貧民には手に入れられないイメージだ。まさにこの世界はその時代なんだろう。
すこし離れたところに空いている席を見つけた佐和はそこに座り込んだ。
パンを食べようとした時、目の前を通り過ぎようとした人物に佐和は声をかけた。
「あ、ミルディン。おはよう」
声をかけられたミルディンもトレーを両手で持っている。空いている席を探していたのだろう。辺りを見回しているところだった。
「……お……おはよう」
なせか声をかけられたミルディンは戸惑っている。
いきなり声かけて驚かせちゃったかな。
ミルディンは佐和の前で立ちすくんでしまった。
「どうしたの?席探してたんじゃないの?」
「……いや……」
「あ、ごめん、それとも誰かと食べる約束してる?邪魔してごめんね」
基本的によほど親しくない限り佐和から食事に誘う事なんてしない。けれど、この心細い状況で見知った顔に声をかけないでいられるほど、佐和の精神は太くない。
本音で言うと一緒にいてくれたらそれだけで心細くないけど……ミルディンの迷惑になるようなことはできないしな……。
「いや、約束はない。予定もない」
そう言いながらなぜか焦ったように急いで佐和の前の席に腰掛けた。
やっぱりこの少年は優しいのだ。
断られなかったことに内心安堵して、改めてミルディンを見た。ミルディンのトレーの中身は佐和とほぼ同じ朝食の内容だが、量はさすが男子というボリュームだ。
「……本当に食事も無償なんだな」
呟いたミルディンは感慨深げにパンを手にした。
佐和からしてみれば困っている人に食料を配給することなどあってしかるべきものだが、そういう情勢ではないのだろう。
「そうみたいだね。どう?ミルディン?大丈夫だった?」
女子寮の方では淡々と施設の案内とこれからの流れを説明され、割り当てられた部屋に移動して就寝するだけという驚くべき平和っぷりだった。
本当に単なる保護施設らしいと思ったが、巻き込んでしまったミルディンが安らげているかはずっと気になっていた。
「……だから、どうして……」
「え?ごめん?変なこと言った?」
「いや……お前の……奇特さに驚嘆していただけ」
「何それ!?けなしてる!?」
どうして調子を聞いただけでこんな風に言われるのか理解できないが、ミルディンは本気で言っているらしい。
「だって、いきなり保護施設だなんて言われても、信用していいかわからないのに。私のせいでミルディン捕まっちゃったわけだし。変な目にあってたらヤだから……何でそんな見つめてくるの?」
なぜかこちらを見て固まっていたミルディンは佐和に声をかけられるとようやくはっとしたように動き出した。
「……いや。特筆すべきことは何もない。大丈夫。俺も……驚いたくらいだ」
「そっかー。よかったー」
不安事が一つ片付いたところで食事を再開した佐和を見ていたミルディンも食事を開始した。
「いただきます」
一度パンを皿に戻したミルディンが両手を合わせるのを見て佐和は目を丸くした。
「……なんだ?」
パンを頬張ったミルディンが睨みつけてくる。
「いや、意外だなって」
「何が?」
不機嫌そうにミルディンは二口目を頬張った。
「ミルディン。ちゃんと挨拶して食べるんだなーって」
この性格なら無言で食べ始めそうなものである。ちょっとキャラとは合わない。
「……昔から食事の挨拶は叩き込まれた」
孤児院で育った。というミルディンの言葉が唐突に蘇る。佐和の背中からさっと血の気が引いた。
なんつー地雷を踏むんだ!自分!
けど、ここでごめんはだめだ。絶対言っちゃだめだ。慌てて言葉を探すが、良い話題は見つかりそうにない。
「どうした?」
一つ目のパンを飲みこんだミルディンが二つ目に手を伸ばしながら佐和の顔色を伺ってくる。
「だ、だって……」
孤児であるミルディンにさっきの言葉はまるで「親がいないのに挨拶はできるのか」という風に聞こえたに違いないと思うと心が痛む。
そんなつもりで言ったのではないが、弁解すれば泥沼にはまるような気がして何も言えない。
「……よく、わからないが、普通じゃないか。お前の国では挨拶せずに食べるのか?」
どうやらミルディンは佐和が文化の違いに驚いていると勘違いしてくれたらしい。これに乗らない手はない。
「そ、そう。私の国は違うんだよねー。挨拶の仕方」
「そうなのか」
「そう。いただきまーす」
話題をそらせたところで佐和もパンを食べ始める。
食事が始まってしまえば話題も流れるだろう。流れるだろうと思っていたのに。
「……同じ挨拶?」
しまったあああああ。
自分のうかつさが憎い。
「ミルディンの真似してみた。これでいいんだよね?」
ああ、こんな時こんなすらすらとウソが出てくる自分も自分だな。半羽呆れながらも佐和は内心冷や汗をかきながら笑った。
少しのウソは世渡りのコツだと佐和は思っている。昔から自分に有利にことが進むようにばれない程度のうまいウソをつくのは得意だ。本当のことを軸に少しだけウソを足す。ばれないウソの付きかたはもう習性のように体に染みついている。
まあ、それが大人になるってことなんだよなあー。悲しいかな。
「うん。そうだ」
「そっか。そっか。私もこれからはこっちで食べよー」
視線がもう佐和から皿のベーコンに移っているところを見ると、ミルディンは佐和の言い分を信じてくれたらしい。内心冷や汗をぬぐいながら佐和も食事を再開した。
しばらく他愛もない雑談をしながら食事を味わった。といってもミルディンは基本しゃべらないので沈黙に耐えかねた佐和が「寮の部屋割りがブリーセンと同室だった」とか「まだ一言もブリーセンが口を聞いてくれない」とか一方的にしゃべっているだけだが。
「ご馳走様」
「食べるのはやっ!」
佐和が三分の二ぐらい食べ終わった状態でミルディンは既に完食していた。
まあ、佐和がしゃべりながら食べていることも原因にはあるが、やっぱり男性は食事が早い。
あー、こっからは一人で食事か。
そう思った佐和は目の前のミルディンを見た。食べ終わったミルディンはトレーを置いたまま、席を立つ様子もなく静かに座り続けている。
あれ?
「何、呆けてるんだ」
「えと……ミルディン、授業は?」
ミルディンはAクラス。佐和はアンノンクラス。授業は違うはずだ。
「初めは共通授業。紙に書いてあった」
怪訝そうな顔をしたミルディンに、佐和はそういえばそうだったねーとお茶を濁した。
こちらの世界の文字が読めないなどとばらすわけにもいかない。
どういう仕組みか言葉は通じるのに、配られた紙の文字は全く読めず、かろうじて食堂の位置は地図でナイフとフォークのマークが描いてある場所が食堂じゃないかとあたりをつけて来ただけだ。
「だから……」
だから。なんなのだろう。
そう思ったがミルディンは言葉を続ける気はないらしい。何も言わずに頬杖をついてそっぽを向いてしまった。
……ああ、もしかして。
「待ってくれてる?」
「……待ってない」
そう言った耳が少し赤い。
おお、生ツンデレ。
やっぱりミルディンって優しい人だなー。
そんな変な感動を味わいながら佐和はなるべくミルディンを待たさないように食事の手を早めた。