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ネントレスに渡した短剣はかすり傷でも致命傷を与えられる。
人の波の中、影響されることもなく事の成り行きを見ていたモルガンの前で、ネントレスはその短剣を取り出した。
死よりも辛い苦しみを味わえるよう作った魔法具。
しかし、その矛先は予想とは違う人物に向いている。
透き通る水色の髪、ライトグリーンの瞳。
あの人と同じ色をした―――女騎士。
その胸に今、短剣が突き刺さらんとしている。
「―――!」
気が付けばモルガンは無我夢中で手を伸ばしていた。
***
「止めてええええ!!!」
佐和の絶叫がこだまする。その先でイウェインの胸元に振り下ろされようとした短剣が、突然止まった。
「な!」
「なぜ!?」
イウェインだけでなく、ネントレスも驚いている。
何度も力を込めるが短剣はぴくりとも動かない。ネントレスの腕はまるで周囲の空気に縛られてしまったようだ。
「なぜ動かない!なぜ……!?」
「イウェイン卿!!」
戸惑うネントレスの隙をつき、ランスロットが呪の短剣を剣で弾いた。禍々しい剣は宙を舞い、会場の端に突き刺さる。
「ランスロット!取り押さえろ!」
「はい!」
アーサーの命令に素早く反応したランスロットが、驚いて動きが硬くなったネントレスを地面に押し倒した。上に乗り、身動きが取れないように腕を拘束する。
「よくやった!」
「ありがとうごさいます」
「糞おおお!!」
地に伏してなお、ウーサーに怨念を送るネントレスの視線を遮るようにアーサーが立ちふさがった。
これなら一安心だ。
目の前で起こった捕物帖に、ようやく逃げ惑っていた人々も落ち着き、今度は野次馬として事の成り行きを見守ろうとしている。
ようやく、人波にもみくちゃにされていた佐和とマーリンも合流できた。
「サワ」
「マーリン、とりあえずよかったけど……モルガンの居場所、わかりそう?」
「……いや、姿を隠してるみたいだ」
混乱の収まった人混みの隙間からケイやガウェインも見えるが、彼らもまだ周囲を詮索している。モルガンを見つけられてはいないようだ。
「なら、とりあえずエクター卿の蔦、外してあげて」
「わかった」
マーリンが人混みから抜け出し、人目につかない木陰に移動したのを見送った佐和は、会場に目を戻した。
イウェインもすでに立ち上がり、盾から愛剣を抜いてネントレスに油断なく構えている。
「貴様は一体何者だ!?ウルフィン卿も貴様の仕業か!答えろ!」
「この者は……もしや……」
「エクター卿、魔術の拘束は?」
アーサーの問い詰めに答えようとしないネントレスの顔をエクター卿が覗き込んだ。マーリンの魔法で拘束は解けたようだ。
「それが、今しがた消えました。それより殿下、問題はこの者の素性ですが……」
「殺せ!!」
エクターの声に被せるようにウーサーが叫んだ。
唐突な命令に全員が戸惑う。
「何をしている!早く首をはねるのだ!アーサー!」
「父上?何を。相手は最早抵抗できません。それほどまで」
「五月蝿い!余の命令が聞けぬか!?」
ウーサーの様子がおかしい。
あきらかに焦っている。まるでネントレスをすぐにでも消そうとするかのように。
「誰でも良い!エクター!速くしろ!」
「く……あはは!やはり!貴様は暴君だな!ウーサー!」
ウーサーの焦燥している様子を見てネントレスが高笑いをあげた。
ランスロットに押さえ付けられているというのに、その顔は狂喜に歪んでいる。
「そんなに隠し通したいか!自らの過ちを!ならば、貴様に変わって私が世に知らしめてやる!皆のものよく聞け!この男、ウーサー・ペンドラゴンは王国建設時、盟友だったゴルロイス公の奥方イグレーヌ様に横恋慕し、卑怯にも魔術師を使って我が物としたのは、民もよく知るところだろう!」
そこまでは、佐和もマーリンから聴いている。マーリンが知ってたということは、一般市民も知っている事だ。
だが、続けられた真実は信じられない物だった。
「しかし、如何にしてという事を知る者はいまい!こいつは……ウーサー・ペンドラゴンはよりにもよって、ゴルロイス公の姿に化けて城に乗り込み、イグレーヌ様をゴルロイス公の姿のまま己が物にしたのだ!」
「なっ……!」
ほとんどのことは国民の暗黙の了解事項だ。しかし、佐和にとって初耳だったことが一つ。
ウーサーはゴルロイスのフリをして、イグレーヌを自分の物にしたってこと……?
そして、その事は別の世界から来た佐和だけでなく、他の人も……この国の人も知らない事実。ネントレスの言葉は正しかったようだ。
誰も彼もが驚愕し言葉を失っている。
民衆だけでは無い。ガウェインも、イウェインも、ケイも―――アーサーですらも。
「それだけでは無い!その間、本物のゴルロイス公を呼び出し、ウルフィン卿という自分の騎士に密命を下して、ゴルロイス様を卑怯な手で殺したのだ!」
「違う!!あれは奴の先走った行動だ!あやつは権力を手に入れるために」
「嘘をつくな!!そうやって思い込み、全てをウルフィン卿の責任にし、罪の意識から逃れようとしているようだが、無駄だ!!」
「やはり……貴殿はゴルロイス公の騎士……まさか、生きておられたのか」
ゴルロイス公の騎士……?
それならウーサーを恨んでいてもおかしくない。
素性を明かされたネントレスはエクターを見上げ、睨みつけた。
「そうだ、エクター卿。貴殿とは幾度か同盟として戦場を共にしたな。しかし、貴殿のような誉れ高き騎士が、未だにこんな男に仕えているなど……」
「……もしや、昨晩のウルフィン卿殺害も……」
「そうだ。私だ。あの者は和平の使者と偽りゴルロイス様を騙し討ちした……!自分の権力と欲のためだけに、何ら罪の無いあのお方を!!私はそれを目の前で…………救う事ができなかった……!」
「エクター!何をしておる!アーサー!その者の首を跳ねろ!」
ウーサーの怒号が飛ぶ。
その事が余計にネントレス、いや本当の名も語らないゴルロイス公の騎士の言葉に真実味を与えている事に本人は気がつかないのだろうか。
「アーサー!」
「わかるか!そこにいる王は自分の望みのために!ただ女を手に入れたいという理由だけで、和平を結んだ盟友を騙し討ちしたのだ!!」
「黙れ!」
「……父上、今の話は本当なのですか?」
アーサーはランスロットの捕らえている騎士からウーサーに視線を移した。
その瞳が揺れている。
「アーサー!刑の執行を!」
「父上!」
アーサーの問いかけにウーサーは答えない。
それどころか、業を煮やしたウーサーは貴賓席から会場に降り立ち、自ら剣を抜いた。
「もう良い!私自ら執行する!」
「父上!」
アーサーがウーサーの前に立ちはだかる。
あの時と同じだ。
バランとバリンの時と。
あの時は迷うアーサーの前でウーサーは二人の首を躊躇なくはねた。そして、それがどれほどの重さの決断かわかる時が、いずれアーサーにも来る。そう言って。
何、それ……単に自分に都合の悪い事を隠そうとしてるだけじゃない。
他人を批判して、自分を正当化して。
でも、そんなのこの王だけじゃない。佐和の世界でだってそうだ。
仕事でミスをすれば押し付けられたり、言っていることとやっていることが違う人がいたり、自分さえ良ければ良くて、他人を踏みにじっていることにすら気づかない。
そんな人間は山のように溢れている。そして、そういう人間ほど他人の人生を左右できる立場にいる。
憤るウーサーをアーサーが止めた。
「父上!落ち着いてください!」
「黙れ!」
「……殺せ、若き王子よ」
アーサーの背後で捕らわれたままのネントレスが悔しそうに吐き出した。
「何を言って……」
「殺せ!そんな男に……私の敬愛していたゴルロイス様を、主君を殺した男に殺されるくらいなら!貴様の方がマシだ!」
「ネントレス……」
「貴様もまた、この男の我が儘によって人生を狂わされた被害者の一人なのだから!」
「そんな事は……」
「無いと言い切れるか!?大方産まれでも揶揄されて来たのではないか!?魔術によって産まれし忌み子と!本人の意思を無視し、ゴルロイス様の姿でイグレーヌ様に貴殿を産ませた!!そんな男を守る必要がどこにある!!」
そこでアーサーの肩がぴくりと反応した。
図星だ。
そう。あの騎士の言う通り、アーサーはそれを知る古参の騎士から影口を言われ続けて来た。そして、彼は不遜で高慢で周りを嘲笑う王子になってしまった。
あんなにアーサーに対する揶揄が酷かったのは……その事実を知っていたほんの一握りの王位を狙っていた人間が、ウーサーへの嫌味を込めていたからなのかもしれない。
国王の悪口を直接言う事は叶わない。でも、アーサーは違う。
まだ王子であり、若く、経験も不足し、そして事実を知らず、産まれの事を取られれば反論ができない。彼らにとってアーサーは安心していじめられる弱者だった―――彼の誠実さ故に。
なんて……酷い……。
会場中がネントレスの次の言葉に耳を澄ました。
「ウーサーとキャメロットに破滅を!」
その瞬間、ネントレスの言葉が途切れた。