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「ふぅ……」
ようやく自室に戻れたイウェインはドレッサーの前のイスに腰掛けた。
ずっと立ちっぱなしだった足が安らぐのを感じる。今日は、朝から人目があるのを感じて心休まる暇が全くなかった。
「リュネット、すまない。着替えたいのだが」
後ろで控えていたリュネットが笑顔のまま近づいてくる。
「まぁ、まぁ、姫様。もう少しこのままでもよろしいんじゃないでしょうか?とてもお美しいですよ」
そう言いながらリュネットはイウェインの肩に手を置いて、鏡に向き合わせた。
確かに鏡に写った自分は隅々まで磨き上げられ、丁寧に着飾っている。
自分が可愛いとは思わないが、滅多に着ない可愛らしい服装にときめいてはいた。
「そ、そうかな?」
「はい。とてもお似合いです」
小さい時から仕えてくれて、一番の理解者でもある侍女はきっと、イウェインが素直に喜べるように人払いをしてくれてたのだろう。
薄暗い部屋に誰かが入ってくる気配は全くなかった。
「じゃ……じゃあ……」
立ち上がったイウェインは全身が映る鏡の前に移動した。普段は結んでいる髪を、生花で結い上げているいつもと違う自分に思わず鏡の前でくるくると回る。
可愛いなぁ……。最初は恥ずかしかったけど……。
くるくると回っていたイウェインだったが、途中で視界に入ってきた人物のせいで完全に動きが止まった。
「よう」
バルコニーにいつの間にかケイが寄り掛かっている。いつも通りの気負わない挨拶だが、いつからいたのか、にやにやと笑っていた。
み、み、……見られた!!
「な、な、貴様!何でそんな所に!?」
「窓から入るためー」
動揺したまま窓に近寄ると、こともなげに答えたケイは変わらず笑っている。
「た、確かに貴様が正面から来ても今日は取り告げないが、だからといってなぜ窓から来る!?非常識にも程が!!」
「ほいっ」
文句を続けようとしたイウェインにケイは何かを投げ渡してきた。慌てて受け取ったイウェインはそれをまじまじと見つめた。
「なんだ?この紙袋」
「サワーから。体裁気にして渡せなかったらしいけど、お前にお祝いのプレゼントだってさ」
「……」
「開けてやれよ。多分本当は自分で渡して開けた時の反応見たかったと思うぞ。けど、メイドの自分が渡すとイウェインに迷惑がかかるからって言ってた」
「……そうか」
始めてもらった純粋な友人からの贈り物に思わず鼻の奥がつんとなる。
嬉しい……。
「だから代わりに俺が反応見て、事細かにサワーに伝えてあげるんだー」
「……誇張するなよ」
睨みつけてやったが、へいへーいと返事したケイはイウェインの眼力など気にしていないようだ。
包みを開くと中から小さなノートが出てきた。茶色のシンプルな表紙にレースやリボンが手製で着けられ、可愛く仕上がっている。佐和が手作りで作ってくれたらしいそれは中の紙も書きやすい紙質のものだった。
「嬉しい……」
思わず素で頬を赤らめて喜んでしまったイウェインは、目の前でケイがそれを見ていたのをはっと思い出した。
「ち、違うからな!今のはサワに対してだからな!!」
「はい、はい」
苦笑して返事をしたケイはそのまま手すりに寄りかかったまま動こうとしない。
これを渡すためだけならもういなくなっても良いだろうに、なぜかその体制のままイウェインを見つめている。
「な、なんだ?」
思わずたじろいだイウェインにそっと近づいて来たケイは、窓と部屋の境目まで来てようやく足を止めた。
「これ」
差し出された手には上品な白い小箱が乗せられている。
まるで郵便屋だと思い、くすりと笑いながらイウェインはそれを受け取った。
「今度のは誰からだ?」
「俺から」
思いがけない言葉にイウェインはケイの顔を見上げた。
夜の帳に照らされた表情がいつもより優しい気がして、一気に心臓が落ち着かなくなる。
「な……エクター卿からも贈り物はもらったはずだが……?」
「それは親父だろ?ま、俺も選んだけどな。そっちはお前好みの書物だから、それはそれで楽しみにしとけよ」
「え……じゃあ……これは……」
ケイの真意を測りかねて見つめ直すと、いつもより穏やかな茶色の目が見つめ返して来る。
「だから、俺からだって」
馬鹿にするでもなく、ケイは笑っている。
個人的なプレゼント。
ようやくその意味がわかって、一気に頬が熱くなるのがわかった。
「な……」
嬉しすぎて言葉が出ない。どうしたらいいのかもわからない。
ただ手に乗せた小箱を見つめたまま動けなくなったイウェインに、ケイはいつものへらへらとした笑顔を向けた。
「そゆことで、じゃ」
「待って!」
立ち去ろうとしたケイの服の裾を思わず掴んで引き止めた。イウェインの予想外の行動にケイが驚いた顔で振り返る。
佐和からの誕生日プレゼントを渡した時、ケイはきっと開けた所を見たかったと言った。
それがもし―――ケイも同じなら。
「……どうしたー?」
「開けても……良いだろうか?」
振り返ったケイの目が一度丸くなると、細められた。
その眼差しが、いつもより優しく見えるのは私の願望だろうか。
「いいよ」
箱を開けると中に入っていたのは深い青色のリボンだった。可愛らし過ぎない程度にあしらわれたレースは非常に繊細で、一目で高級品だとわかる。
こんな良い作りのリボン見たことがない。どう見ても職人に作らせた一点物だ。
「これ……!」
驚いたイウェインの顔を見てもケイの表情は変わらない。ただただ微笑んでいる。
震える手で小箱からリボンを取り出し、結っていた髪の髪飾りを取って、代わりにもらったリボンを巻いた。
「……あ、ありがとう……」
消え入りそうな声でなんとかお礼を絞り出すが、ケイの反応は無い。
に、似合わなかったのだろうか……!?
嬉しくて、恥ずかしい気持ちを懸命に押し殺してお礼を言ったのに、いつまで経ってもケイはぴくりとも動かない。
「ケ、ケイ……?」
見上げた先にあったケイの顔はなんだか呆けている。
驚いているような、ぼーっとしているような顔つきのまま動かない。
「ケイ……?」
「いや……似合ってる」
いつものふざけた様子からは考えられないほどそう言って穏やかに微笑んだケイが、イウェインの目の前でそっとリボンの先を取って口づけた。口づけたまま見上げてくる瞳に熱が宿っている気がして目が逸らせなくなる。
「じゃ」
気づけば、するりとリボンから手を離し、バルコニーから颯爽と去って行く。
いつもとは違う彼の表情、仕草。
そのどれもが瞼に焼き付いて、イウェインはしばらくの間そのまま動けなくなっていた。