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ずもももももも。
と、いうのがたぶん、今この部屋を支配している沈滞した空気を表すのにふさわしい表現だ。
重苦しい不機嫌オーラを放っているのは、執務用の席に座ったアーサーだ。いつも以上に機嫌が悪い。
「殿下、失礼いたしま……す……」
アーサーの不機嫌を見慣れていないイウェインは、部屋に足を踏み入れるのを躊躇しているが、マーリンと佐和は最早慣れっこだ。ずかずか部屋に入り込む。
それにしても……今日はまた一段と荒れてるなぁ……。
「アーサー、何かあったのか?」
こういう時、明け透けに聞けるのはマーリンの強みだ。
アーサーは顔を上げ、溜息をついた。
「何だ、お前らか」
「何か……あったんですか?」
佐和も恐る恐る事情を伺う。アーサーは椅子に仰け反った。
「あるも何も……父上……!」
どうやらウーサーにまた何か言われたらしい。
この前のカメリアドの報告以来、ウーサーの機嫌はかなり悪い。比例して八つ当たりを受けるアーサーの機嫌も悪い。
「今度は何言われたんだ?」
「……女を騎士にするなどと、文句を言われた」
アーサーはちらりとイウェインを見たが、そう吐き出した。
珍しい。
アーサーは基本的に我儘で高慢だが、部下を思い遣る上司としての器は確かだ。こんな風にイウェイン本人に聞こえるところで陰口を正直に言い出すとは思わなかった。
「……申し訳ございません。殿下。私のせいで殿下の名誉に傷を……」
「イウェイン」
案の定、申し訳なさそうに目を伏せたイウェインをアーサーは厳しい目で見ている。
「これから先、このような野次などいくらでも付く。それはお前もわかっていたはずだ」
「……はい」
「そして、俺はお前が騎士に相応しく無いなど微塵も考えていない」
「……殿下」
「誹謗中傷は気にするな。しかし、俺の名誉を、と考えてくれるなら、全力を尽くせよ?」
「……必ずや」
アーサーがふと笑みをこぼした。
どうやらイウェインに覚悟を決めさせるためにわざと言ったらしい。
その言葉にイウェインも嬉しそうに決意を改めている。
「国王に文句を言われても騎士には就任できるのか?」
空気も読まず疑問を挟んだマーリンにアーサーは腕を組んだ。
「できる。国王と王子の騎士任命権は完全に分離しているからな。俺は誰が何と言おうとイウェインを騎士にする」
「殿下……」
感極まっているイウェインの前でアーサーは怪しげな笑みを浮かべた。
「だが……これはイウェインの言う通り不名誉だ……。父上め……イウェインの剣技や人格も知らず……!それに、俺の騎士は父上の一部のおかしな騎士に比べれば皆、純潔なる戦士だぞ……!心構えも剣技もあいつらが足元に及ぶものか!」
佐和とマーリンは互いに顔を見合わせた。
これほど直接的にウーサーや、嫌らしい性格のウーサーの騎士をアーサーが直接非難するのは珍しい。
これは……よっぽどムカつくこと言われたんだろうなぁー。
「何ならイウェイン、お前、今から挙げる名の騎士に決闘を挑んでボコボコにして来い」
「えっ……は、はい。殿下の命ならば」
「ちょっ……、イウェインだめだからね!アーサーのこれは冗談だから!真面目に聞いちゃだめだよ!」
紙に騎士の名を連ねようとしていたアーサーが佐和の言葉で動きを止めた。舌打ちのおまけ付で。
「とにかく!父上が何と言おうと明日の騎士就任式は執り行う!その後は宴も開くからな。こういった祝いの席は士気の鼓舞にも繋がる。イウェイン、礼を言う」
「いえ」
今はカメリアドでの事件の衝撃や、相変わらず解決しない食糧問題、何よりウーサーの機嫌の悪さが伝染したように王宮は沈んだ空気で満ちている。この前の戦に勝った時の高揚感はあっという間に消えてしまった。
その空気を軽くするためにも、明るい話題がアーサーとしては欲しかったのだろう。
「だがなー、何か父上達をあっと言わせられるような案があれば、良いのだが……」
アーサーのつぶやきを佐和は独り言として捉えて聞き流していた。
あんな人たちをぎゃふんと言わせる方法……ねぇー……。
***
謁見室の玉座の前を右往左往しながら考え込んでいるウーサーのことを一人、部屋に残っていたエクターは様子を見守っていた。
確実に以前よりもウーサーの暴虐ぶりは目に余るものがある。
これではまるで昔、大きな過ちを犯した『あの時』と全く同じだ。
あの時は知らなかったとはいえ、この主君を止めることができなかった。今に至るまでエクターがウーサーに献身的に仕えているのは、あの日の自分の無力さを恥じているからに他ならない。
もう二度と、あのような過ちを友が犯さぬよう。止めるのが自分の役割だと考えていた。
「陛下……いや、友よ」
国王に対してではなく、かつて共に戦場を駆け抜けた戦友に話していた口調でエクターはウーサーに語りかけた。
「……何だ」
「何があった?私には話せないか?」
「……」
ウーサーの足が止まった。しかし、一向にエクターの顔を見ようとはしない。
それこそが彼の後ろめたさを表す証拠だと、本人は気付いていない。
「……何も無い。ただいつも通り、魔術師がキャメロットを脅かしていることに胸を痛めている。それだけだ」
そんなはずはない。
自分の友人は、主君は、たかが一介の魔術師に怯えたりなどしない。
怯えるとすれば、それは『あの事件』に関わる事だけだ。
「偽物のゴルロイスのことは私も聞き及んでいる。もしや……」
「奴なわけが無い!」
エクターの言葉をウーサーが乱暴に止めた。その必死さがエクターの仮定を確信に変える。
「奴は死んだ……!死体も確認しておる!!」
「なら……」
「一人にしてくれ。エクター」
「しかし、ウーサー……」
「国王の命令が聞けぬと申すか!?」
「……」
「……もうよい」
エクターが出て行かない事を悟ったウーサーが、自ら謁見室を後にした。
謁見室に残ったエクターはかつての友の背を見送り、思案に暮れた。
もしも、自分の仮定が正しいのだとすれば。いや……本来、その仮定は成り立たぬものではあったが、ウーサーがそう感じているのだとすれば、早々に手を打つ必要がある。
「……誘き寄せてみるか」
ウーサーの右腕と呼ばれた彼の脳裏に一つの策が浮かんでいた。