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アーサーや兵を下がらせ、謁見室に一人残ったウーサーは玉座に肘を着き、考え込んだ。
ロデグランスの口から聞いた時は正直、赤の他人が勝手に名を語っているだけだと考えていた。しかし……。
身体から力が抜けそうになるのを堪え、ウーサーは謁見室を後にした。
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ひどく久しく訪れていなかった王宮の離塔。
まるで足が鉛のように重くなっている事に気がつくと、腹の底がふつふつと沸き立ってくる。
何を怯む必要がある?
自分はこのアルビオンを治める国王であり、この場所にいるのは『自分の物』なのだから、何も躊躇する必要は無い。
ウーサーはいつもと同じように威厳ある態度で人気の無い廊下を闊歩し、目的の部屋の前で立ち止まった。
「こ、これは……陛下」
「少し、話す。この階から全ての者は立ち去れ」
扉の前で警備にあたっていた兵に命令を下すが、兵は突然の王の出現に戸惑っている。
「し、しかし……」
「余の言葉が聞こえなかったのか?」
冷たい声に兵が竦み上がり、すぐに背筋を伸ばし敬礼した。
「し、失礼いたしました……!」
ばたばたと忙しない足音を残し、兵が慌てて立ち去る。その背中を見て、ようやく溜飲が下がった。
人気の無くなった廊下は静まりかえり、ウーサー自身の動く音がよく聞こえる。ノックをしようと挙げた拳をウーサーは下ろし、ドアノブに手をかけた。
開いた扉の先でベッドで上半身を起こしている部屋の主は、こちらに背を向けている。白い神秘的な長髪がそよ風に揺れている。
「……イグレーヌ」
ウーサーの呼びかけでイグレーヌが振り返った。
出会った時と何も変わらぬ若さと美貌。アイスブルーの瞳が温度も無くウーサーを見つめている。
ウーサーは部屋に足を進め、扉を閉めた。
それ以上は歩み寄らない。
互いに見つめ合うだけの時間が流れる。しかし、そこに甘さや愛、感情と呼べるものは何も存在しない。
そよ風だけが二人の間を不釣り合いに穏やかに吹き抜ける。
「……あなたが、こちらにいらっしゃるなんて。何かあったのですか?」
鈴の鳴るような静かな問いかけに、一気にウーサーの頭に血が上った。
荒い足取りでイグレーヌに歩み寄り、イグレーヌの腕を乱暴に掴んだ。イグレーヌが痛みに目をつむる。
まるで被害者のような表情がまた腹立たしい。
「わかっておるのだろう……!」
「……何の事か……」
「余に嘘をついても無駄だ!」
ウーサーは無理矢理イグレーヌの頤を鷲掴み、顔を自分に向けた。
「お前は知っておるのではないか……?」
「私には何のお話か……さっぱり……」
「とぼけおって……!」
ウーサーはイグレーヌの腕を払った。その拍子に倒れ込んだイグレーヌが片手をベッドにつく。
自業自得だと、ウーサーは振り返りもせず扉へと戻った。
「今一度問う。イグレーヌ、『ゴルロイス』がどうしているか、知っておるのではないか?」
ウーサーの問いかけにもイグレーヌの表情は何一つ変わらない。ただ静かにウーサーを見上げた。
「……あの人がどうなったかなど、あなたが誰よりもご存じではないですか」
その返答にウーサーの怒りは頂点に達した。
そのまま部屋を後にする。
「イグレーヌの警備を今よりもさらに強固にせよ!蟻の子一匹通すな!」
「は……はいっ!」
階下にいた兵に命を下し、ウーサーは私室へと引き返した。
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「サワ」
もう聞き慣れてしまった声に背後から呼び止められ、佐和は廊下で足を止めた。
マーリンが佐和に近寄って来る。
その表情は最初と出会った頃と変わらない、何を考えているのかいまいちわかりづらい無表情なはずなのだが、今の佐和にはマーリンがどんな気持ちでいるのか手に取るようにわかる。
まるで、待ち兼ねた飼い主に駆け寄る忠犬。
それだと語弊がある。
雰囲気はそうだが、マーリンが佐和に向けているのは主従愛ではない。
「今からアーサーの部屋に戻る?」
「うん、戻るとこ。マーリンはもう武具しまってきたの?早いね」
「サワを手伝いたかったから」
マーリンが佐和に向けているのはあくまで異性への恋情だ。
言われた言葉は、何て事のない同僚を気遣う台詞。
それなのに、そこに含まれた意思に佐和はのぼせそうな自分を懸命に律した。
ダメダメ……!!これぐらいで、動揺してちゃ……!
諦めない、と言ったマーリンの猛攻は凄まじかった。
その宣言をされたのが一昨日、アーサーの前で恥ずかしい告白を事もなげにしたのが昨日、そして今日ももう終わりに近い時間だというのに、この短時間でも繰り広げられたマーリンの佐和への徹底的な甘やかしは凄まじかった。
とにかく自分の仕事をさっさと終わらせ、佐和を手伝ったり、本人は無自覚だろうが、何かあれば歯の浮くような事を言ったり。
結局、昨日の晩など、その様子を一日中見ていたアーサーに「鬱陶しい!!」となぜか佐和が八つ当たりを食らい、結局昨日言っていた「お楽しみ」が何かは教えてもらえなかった程だ。
でも、本当に、心臓に悪い……!
海音とマーリンの関係を知ってしまった以上、もう佐和に『マーリンを好きになる』という選択肢はほぼ無い。
しかし、そう思っているのは佐和だけで、マーリンは決して諦めようとはしなかった。
普段の佐和だったら、そこまで愛されていることを嬉しいと思いながらも、罪悪感で疲労するはずだが、そんな余裕も思考も吹っ飛ぶくらい、とにかくマーリンが佐和に向ける目も、かける言葉も、仕草も、何もかもが――――――甘かった。
「そ、そっか……ありがと」
「俺が好きでやってる事だから」
「えーっと……」
この場合、何て返せば良いのか。
もう一回、お礼でも言って誤魔化せばいいのかなぁ。
返答に窮した佐和の様子に、何か勘違いをしたらしいマーリンがいたく真面目な顔つきで説明を付け足した。
「誤解させた?正確に言うと『俺がサワが好きでやって……」
「いやいや!もうわかった!だいじょぶ!ありがと!!」
それ以上言われたら心臓が持たない!
必死に言葉を遮った佐和に、マーリンは不機嫌になることもなく、「そっか」と満足そうに微笑んだ。
ど、どうしよう……私、もしかして、とんでもないモンスターを産み出しちゃったんじゃ……!?
今も佐和の中でマーリンは海音と結ばれるべきだという考えは変わっていない。
けれど、マーリンが言っていた通り、これだけの猛攻を受け続けて、マーリンに対して何も思い続けずにいられるかは怪しい。
とにかく、一番手っ取り早いのは二人きりにならない事だよね!うん!
どうしても避けられない時はあるものの、やはりアーサーの前と二人きりの時ではマーリンの攻撃の質も変わる。
誰かがいてくれた方がまた手緩い。
そう思案していた佐和の視界に、向かいから歩いてくる人物はまさに救世主だった。
「……イウェイン!」
「サワ……!」
さっきまでの悶々とした気持ちも忘れ、佐和はイウェインに駆け寄った。イウェインも嬉しそうに駆け寄った佐和の手を握ってくる。年齢も忘れて二人ではしゃいだ。
「見ていてくれたのだろう?」
「うん、見てたよ!騎士就任、おめでとう!イウェイン!」
「ありがとう、サワ達のおかげだ」
そう言った彼女が本当に嬉しそうで、向かい合っているこっちまで幸せな気分になる。
久しぶりにアーサーが外出しなかった理由。
それは、午前中に行われた騎士の試練のためだった。
そして、その試練を受けに来たのは他の誰でもない。こちらの世界での佐和の唯一の友人、イウェインだったのだ。
「私は何にもしてないよー、イウェインの力なんだから自信持って!」
「ありがとう……」
照れてはにかんでいる表情からは想像もつかないが、アーサーと対決したイウェインは気迫凄まじく、しっかりとアーサーと渡り合った。
結果、制限時間内の勝負はつかなかった。
しかし、アーサーからすればイウェインの騎士の素質は充分量れたらしい。すぐに合格の旨が伝えられた。
これで晴れてイウェインはアーサーの第三の騎士となる。
「どこか行くところだったんですか?」
佐和とイウェインの仲が良い様子にマーリンが意外そうにしている。
よく考えたら、アストラト家でのイウェインとの事はまだマーリンに言ってなかった。
マーリンはイウェインとの距離を測りかねている。
「マーリン殿、サワは私と友情の契りを交わしてくれたのだ。故にマーリン殿も私にそこまで堅くならず、どうかいつも通りの態度で接してほしい」
「イウェイン様がそう言うなら」
「様も非公式の場では外してくれ」
「わかった」
マーリンのこういった適応能力は異常に高い。あっさりと快諾した。
「で、マーリンの言う通り、イウェイン、どっか行くつもりだったの?」
「ん?あぁ。私の騎士称号を認めた事を国王陛下に殿下がご報告に向かわれてな。そろそろお部屋に戻っていらっしゃるのではないかと思って、今からお伺いしようかと」
アーサーの騎士試練に合格した場合でも、その場で騎士任命というわけではなく、まず、アーサーはウーサーに報告する。そして、翌日改めて騎士就任式が行われるらしい。
「じゃあ、一緒に行こっか。私達もちょうどアーサーの部屋に戻るとこだから」
イウェインが一緒ならマーリンの猛攻も止むだろう。
そんな打算もあって三人は共に廊下を歩き出した。