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「サワ?どうした?」
佐和ががむしゃらに走り、たどり着いたのは人通りの無い廊下の一角だった。廊下の温かな灯りに照らされたマーリンの顔が心配そうに佐和を覗き込んでくる。
「サワ?」
「マーリン……ダメ……」
「何が?落ち着いて」
走ったせいで佐和は息も絶え絶えだ。それでもマーリンに懸命に伝えようと決心し、口を開いた。
「マーリン、私もマーリンと同じ意見なの。あの人、絶対良くない……ダメだよ……アーサーとグィネヴィアを一緒にしちゃ、絶対良くない」
自分は傍観者だ。
脇役ですら、ない場外の人間。
でも―――彼なら変えられるかもしれない。
創世の魔術師であり、もう一人の主人公であるマーリンになら変えることができるかもしれない。
「サワ?なんで急に?」
「この二日間、グィネヴィアに仕えてみてわかったの……」
唐突な佐和の申し出に、マーリンは戸惑いながらも優しく話に耳を傾けてくれている。
「私、いやだよ。あのお姫様がアーサーの隣にいるの。それは絶対アーサーの目指す場所への邪魔になる……。グィネヴィアはアーサーが好きなんじゃない。王子様っていう立場のアーサーが好きなの。それを受けて、王妃様になれる自分が好きなの。そんな人がアーサーを支えられるとは思えない」
「サワ……」
「私、アーサーにはたくさんの味方がいてほしい。誰にもできない事を成し遂げようとするのは本当に大変で、アーサーがやろうとしているのはそういう事だと思うから」
世の中には思い通りに行かない事や、理不尽な事は山ほどあって。
それをどうにか変えようともがく内に人は皆疲れ切っていく。
そうして折れどころを見つけ、自分に対する言い訳がうまくなる。それが大人になるということだと思う。
それでも、それはとても悲しい事で。
だけど、変えることなんてできない。
少なくとも佐和には。
でも、あの王子様は違う。
この閉鎖された重苦しい『世の中』を変えられる人だ。
けれど、そのためには、あの人にはたくさんの味方が必要になる。
それなのに最も傍にいる人が彼を『思いやる』ことすら知らない人物だなんて、絶対にあっちゃいけない。
「……サワの言いたい事はわかった。でも……どうして、それを俺に?」
「私に……アーサーとグィネヴィアを止める力なんて……無いよ。変えられるのはきっとマーリンだけ……だから……」
「……理解者が隣にいる大事さは、よくわかる」
全てを出し切って疲弊している佐和にマーリンが一歩、歩み寄った。
「……マーリン?」
「俺も、そうだから。俺が……やろうとしてる事は絵空事なのかもしれない。そんな風に不安に思う時もある」
マーリンのとび色の瞳が佐和の瞳を真っ直ぐ覗き込んでくる。
「でも……俺には、サワがいてくれた。だから、頑張れた。でも……グィネヴィア姫はアーサーにとってそういう存在じゃない。それは、俺もサワと同意見」
マーリンの気持ちの吐露に、佐和の身体が固まった。
目の前の光景を他人事のように、遠くから眺めているように感じる。
それなのに、耳元で警鐘だけが五月蠅く鳴り響く。
「なら……アーサーにとってそういう女性は他に誰がいる……?」
「それは……きっと、他に誰かが……」
「……サワが、そうなるんじゃないのか?」
マーリンの質問はほとんど断言に近い。
「何言って……マーリン、そんなのありえな」
突拍子もない妄想だ。
真剣なマーリンの眼差しを佐和は笑い飛ばそうとした。
警鐘が大きく、近づいてくる。
「在り得ないって言い切れる?さっきの言葉を聞いたら、どれだけサワがアーサーの事、考えてるのかわかる。ただの他人をそこまで想う?」
「ち、違うよ。私はマーリンと一緒に、アーサーが王様になるのを見届けるためにここにいるんだよ」
「なら、俺を支えてほしい」
マーリンの熱い視線が佐和を捉えた。後ずさろうとした佐和の腕をマーリンが掴む。
「ま、マーリン……」
逃げられない。
止めて。お願い、言わないで。
どうしてこうなってしまうのか。
そんな話をするために連れ出したわけではないのに。
警鐘が鼓膜を、鼓動を震わせる。
言ってしまったら、もう戻れない。
あの居心地のいい『同志』という関係でなくなってしまう。
そんな佐和の願いを、マーリンはかなぐり捨てた。
「……好きだ」