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城までは何の障害もなく、進む事ができた。
本来なら活気付いているであろう市場や通りには人影が無い。どうやら市民は家に篭り、怯え震えながら隠れているようだ。
六人になった佐和達は山を下り、人影のないカメリアドの城下町を城に向けて進んでいた。
「大丈夫ですか?姫」
「はい……」
グィネヴィアは正真正銘のお姫様だった。
着ているドレスのせいも多少はあるだろうが、山を降りるのも、市街地をこっそり進むのも、とにかくグィネヴィアの速度に合わせて進むのでじりじりとしか進めない。
文句を言わない分だけカンペネットなどの貴族と比べれば頑張ってはいると思うものの、ガウェインやマーリンは多少そのおっとりとした様子に焦れているようで、なるべくグィネヴィアの行動を直視しないようにしている。
まぁ、ケイの話じゃ本当に大切に育てられたお姫様みたいだし。仕方ないよね。
しかし、グィネヴィアをどこかに置いて行くわけにはいかない。それをガウェインもマーリンもわかっているから文句は言わない。
「あれがカメリアドの城か……」
ようやくの思いでたどり着いたのが、城下町の真ん中にまるで時計塔のように建っているカメリアドの城だった。
中央に高い塔があり、その周りに円形に形作られた城は真っ白で、綺麗な協会のようにも見える。
城壁にもやはり見張りはいない。先行してケイが周囲を確認し、アーサーがグィネヴィアを連れて歩く。それに佐和、マーリン、ガウェインが続く。城門にも、入口までの道にも、案の定見張りも人もいない。
「姫、謁見の間はどこになりますか?」
「あっちです」
ケイの質問にグィネヴィアが指差した方向を目指し、全員で城を駆け抜ける。城の中はまるで雪が降ったような静けさで張り詰め、冷え切っていた。
佐和達の足音だけが小さく廊下を先行する。
「その先が謁見の間です」
「開けるぞ!!」
アーサーの掛け声のまま、大きな両扉を開き、全員が剣を構えた。キャメロットの王宮よりは規模の小さい玉座の間だ。緑の絨毯が敷かれた先に質素な玉座。そこへ続く道の途中に誰かが倒れている。
佐和の背後に下げられたグィネヴィアが、小さく悲鳴を上げた。部屋の中で倒れていた人物を見た途端、佐和を押しのけ、アーサーを追い越して駆け寄る。
「お父様……!」
「姫!いけない!」
アーサーが止めようとしたが、一歩間に合わず、突如姿を現した男にグィネヴィアが捕えられた。
「姫!」
「はじめまして、アーサー殿下」
グィネヴィアの腕を捕まえた男は40代後半ぐらいだろうか。灰色の髪に淡い黄色の瞳、猛禽類のような目をしているのに、とてもグィネヴィアを捕らえているとは思えないほど穏やかな口調に声。微笑を携えた魅力的な男性だ。
「お前がカメリアドを占領した男か!?」
アーサー達が一気に剣を男に向けた。確かにグィネヴィアの証言通りの貴族風の男だ。
捕えられたグィネヴィアがアーサーに目で助けを求めている。
「占領……そんな気はありませんでしたが、ロデグランス卿にはご協力を頂いたんです」
「協力……?一体何のだ!?」
「皆を救うための、ですよ。このままでは多くの人間が不幸になる。それを止めるための準備が必要だったのです」
「どういう事だ!?」
「貴方が王位を継げば多くの者が悲しむ結末を迎える。私はそれを変えるために戻って来たのです」
男の言葉が佐和の耳を通り抜けて行く。
言っている内容や口調はすべて穏やかで、まるで良い事を述べているようですらある。
けど、この人、違う。
何が違うのか、具体的にはわからない。
だが、この男の言葉、態度、表情、全てが浮いている。本心と言葉が乖離しているのだ。
思ってもいない事を思っているように、至極当然のように振る舞っているのが不気味で、佐和は身震いした。
この人、すごく……嫌だ。
カンペネットに対する不快感でも、ウーサーに対する憤りでもない。
嫌だ。
この人本当に嫌だ。
でも、その気持ちを的確に表す言葉が見つからない。
「戻って来た、だと……?」
「アーサー、ごちゃごちゃ意味わかんねぇ事言ってお前を騙そうとしてるだけだろ!捕まえてから話聞きゃあいいんだ!」
「待て!ガウェイン!」
アーサーが制止するより速くガウェインが男に切りかかった。グィネヴィアには当たらぬよう反対側を狙って振り下ろされた剣が途中で止まる。
その剣の先に黒い肩。
「女性を斬れないというのは本当のようね」
男とガウェインの間で漆黒のドレスを纏ったモルガンが両手を広げて立っていた。ガウェインの剣はモルガンの肩の上で止まっている。その切っ先が震えた。
「どうしたの?ほら、斬れば良いのよ」
「モルガン……!?ガウェインやれ!」
魔女の登場にアーサーが新たにガウェインに命令を飛ばした。しかし、ガウェインは微動だにしない。
「ガウェイン!」
「……っ!」
……ガウェイン?
様子がおかしい。
ガウェインの剣は異常に震え、ガウェイン自身も動揺し、モルガンを恐怖の目で見つめている。普段ならあれほど女性に近付けば飛び上がって逃げるはずのガウェインが、縫い付けられたようにその場から動けなくなっている。
ガウェインの瞳はモルガンの瞳の向こうに、何か恐ろしい物を見たように揺れている。
「さようなら、勇猛なる騎士」
「ガウェイン!!」
モルガンがガウェインに何か攻撃を加えようとしたのを察知したケイがガウェインを突き飛ばして、モルガンから距離を取った。
モルガンは結局手を下さず、楽しそうに床を転がった二人を見下している。
「モルガン……!また貴様か!」
「ご機嫌よう。光の王よ。前回は殺し損ね、大変申し訳ありませんでした」
「今回も、の間違いだろう?」
モルガンの皮肉にアーサーも皮肉を返した。モルガンの眉が微かに動いたが、すぐに余裕のある笑みを浮かべる。
「ご安心を。本日はそなたと戦うつもりはありませんから」
「……何だと?」
モルガンは謎の男の後ろに大人しく下がった。どうやら本気でアーサー達と戦うつもりがないらしい。訝しむアーサー達の前で男が優雅にお辞儀をした。
「さて、我々の用事は済みましたので、失礼しますよ。アーサー王子」
男が握っていたグィネヴィアの手を離した。慌ててグィネヴィアがアーサーに駆け寄る。
グィネヴィアを背に庇ったアーサーの前でモルガンがペンダントを掲げ、呪文を唱えはじめた。少しずつ風が巻き起こり、二人の姿を消して行く。
どうやら逃げるつもりらしい。
「待て!お前は一体何者だ!?」
「……私の名はゴルロイス。それでは殿下、姫君と仲良く」
ゴルロイスが微笑みかける。しかし、その目は全く笑っていない。
ゴルロイス……?どっかで聞いた気が……。
唐突な展開に誰もが動けずにいる。その中で佐和の横からふらふらとマーリンだけがアーサーに近づいた。その目はゴルロイスに釘付けになっている。
マーリン……?
佐和は横のマーリンの表情に釘付けになった。見たことがないほどマーリンはゴルロイスのことを穴が空くほど目を見開いて見つめている。
「…………アーサー、斬れ……」
「何だ!?マーリン、一体どうし」
「早く!あいつを斬れ!アーサー!倒すんだ!!」
珍しくマーリンが声を張り上げた。必死の言葉に一瞬だけアーサーは戸惑ったが、剣を構え直し、姿を消しかけているゴルロイス達にすぐに切りかかった。
「はぁ!」
しかし、アーサーの剣は虚空を切っただけだ。
どこからともなくそよ風が吹く。その風に乗ってゴルロイスの穏やかな声が運ばれて来る。
「また会おう。必ず」
全員に困惑と混乱を残し、ゴルロイスとモルガンは姿を消した。