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「これは……!」
想像以上の戦況の悲惨さにアーサーは言葉を失った。
高台のここからは戦況全体を見渡す事ができる。野には折れた武器が突き刺さり、馬が倒れ、数え切れぬ程の人が死んでいた。
砂塵が死の重苦しい気配を運んで来る。暗黒の森の進行で高まった士気が停滞するのを肌で感じるほど、戦況は芳しくない。
これほどまでとは……。
アーサーの横についたイウェインもケイも言葉を失くしている。誰もここまでの被害は予想していなかった。
「……皆、よく聞いてほしい」
アーサーは馬の手綱を引き、自軍に向き直った。
不安げな目をする者、燃え盛る炎を宿す者、憎しみに飲まれそうな者、全ての者へアーサーは語りかけた。
「この光景を……決して、忘れるな。目に焼き付けるんだ。この戦い。我らが敗れれば、アルビオン全土に同じ状況が広がる。そこに倒れている者達は―――貴殿らの家族、友人、恋人、愛しい者達へと変わるだろう……だからこそ、ここで食い止めなければならない!行くぞ!アルビオンのために!!」
「アルビオンのために!!」
アーサーの激励に全騎士と兵士が剣を掲げた。
***
「酷い……」
佐和とマーリンは後衛に設置された拠点のテントの中で並んで座り、ブレスレットのガラス玉に映るアーサーと戦況を見守っていた。
ゴーレムの時と違い、ガラス玉の映像は映りが悪い。それでも、充分わかるほど荒野には味方が倒れていた。
「こんなに負けてたの?」
「いや。アーサーの話じゃ、少し押されてる程度だった……急に戦況が変わった?」
マーリンの推測に佐和は不安になりながら、ガラス玉を再び覗き込んだ。アーサー達は馬で駆け、前線を目指している。
「……おかしい」
「何が?」
マーリンは真剣な表情で、もっとガラス玉をよく見ようと佐和に近寄った。その目はガラスの向こうの景色に固定されているが……。
そんな状況じゃないのに、触れた肩が熱い。
「普通、短時間でこんなに戦況は変化しない。それにやられた兵士達の様子がおかしい」
どういうことか佐和が聞き返そうと口を開いた瞬間、マーリンが何かに気付き、顔をあげた。
「サワ!!」
次の瞬間、テントが崩れた。
***
「殺せたと思ったのに……!」
びびび、びっくりした……!
テントの崩れた残骸の中でマーリンに抱きしめられた佐和は身を縮めたまま、声の主を見上げた。
佐和たちの頭上からゴーレムの肩に乗った少女がこちらを睨みつけている。見た事のある黒髪のツインテール。確かメディアと呼ばれていた。
「Sクラスの魔術師……!」
マーリンは掲げていた杖で自分たちの上に乗っていたテントの残骸を払った。最初に海音が使っていたのと同じ結界の魔法で佐和を咄嗟に守ってくれたようだ。
「ちぃ!やれ!!」
「ディファンドール!」
メディアの命令でゴーレムが手を振りかざす。それを見たマーリンがもう一度結界を張った。
怖いっ…!!
ゴーレムの拳は見えない壁を殴っただけで終わったが、ガラスが砕けるような音が響く。恐らくマーリンの結界を一撃で壊した音だ。
海音が使った時は岩がたくさん当たっても大丈夫だったのに……!
響き渡る破壊音がゴーレムのパンチの威力を物語っている。
「ふん……!!」
メディアは苛立っているようで、ゴーレムの肩で爪を噛んでいる。
一方、マーリンは佐和の肩を抱いたまま立ち上がり、油断なく杖を構えてメディアの様子を伺っている。
「マーリン!まずいよ、こんなに派手な音出したら、人が来る!」
今にもこの衝撃音に異常に気付いたほかの兵士が駆けつけるはずだ。
そうなれば戦力的には有利になるが、マーリンが魔術師だとばれてしまう。
「安心したら?誰も来ないから」
「……どういう事だ?」
さっきまでとは違う余裕の表情で、メディアは佐和達を見下した。
「ここにいる全員、私が眠らせてやったから。だから、バレるのを心配する必要が無いどころか、助けが来る可能性もないわけ」
今いる場所は拠点の端だ。だから、兵士が来るのが遅いのかと思っていたのだが……。
眠らせた?全員?それ……ヤバいじゃん!
もう少しでアーサーが前線に辿り着く。戦いが始まれば、負傷兵は全てこの後衛の拠点に送られて来て手当を受けることになっている。それなのに動ける人員が佐和とマーリンしかいなければ、どうすることもできなくなってしまう。
「お前が大国と蛮族に手を組ませてアルビオンを襲うように仕向けたのか?」
「何?あんた、ほんとバカなんだ。そんなの私じゃない。モルガンに決まってるでしょ」
……モルガン!
最後に協会で会った時に佐和を睨んでいた憎悪の目が蘇る。
また、モルガンの陰謀……。
「どういう事だ?モルガンはウーサーに復讐したかったはずだ。それなら今回、目的は果たせない。来たのはアーサーだ」
マーリンの返答に突然、メディアがお腹を抱えて笑い出した。状況についていけない佐和たちを放置し、しばらく笑っていたかと思うと目に浮かべた涙をぬぐった。笑いすぎたようだ。メディアは勝ち誇った表情を浮かべている。
「はぁ、おかしい。あんた達、本当の自分達の敵が誰かもわかってないんだぁ?」
「モルガンじゃ……ないの?」
佐和がこちらに来てからの事件、全てに関わっていたのはあの魔女だ。
ウーサーを憎み、殺したいと考えているあの人物が……黒幕じゃ、ないってこと……?
「私があんなおばさんの言う事、聞くわけないでしょ。あー、おかしい」
「なら、戦況をひっくり返したのはお前か?」
マーリンの投げかけにメディアは冷ややかな目でマーリンを見下ろした。
「あの短時間であんなに戦況が劇的に変化するわけない。魔術を使って殺されたとしか思えない人もいた。……お前がやったのか?」
「私とモルガンだけど、それが何?」
あっさりと返されて、マーリンは口を薄く開いたまま動かなくなった。
言葉もない。
目の前の彼女は人の命を奪う事に何の戸惑いも覚えていないのだ。
「あんな虫けら、死んで当然」
「人の命を何だと思って……!」
「それはあんた達の方でしょ!!」
憤ったマーリンに唐突にメディアのたががはずれた。喚き散らし、深い憎しみを佐和達に向けて来る。
「私はあんた達を絶対に許さない……!モルガン達の目的なんてどうだっていい!絶対にあんた達を殺す!―――マーリンを殺したあんた達を!!」
叫んだメディアの両目は憎悪と悔しさで滲んでいる。その表情にすぐに佐和には彼女の言葉の意味がわかった。
彼女の指す『マーリン』は今ここにいるマーリンの事じゃない。
彼女が指しているのは……。
メディアの恫喝に明らかに横にいるマーリンが動揺した。
「待って!あなたの知ってるマーリンは本当はミルディンって言うの!それにミルディンを殺したのはマーリンじゃ」
「うるさいっ!!そんな事は知ってんのよ!」
佐和の声を遮り、メディアは皮肉げな笑みを浮かべた。
「何?何にも知らないとでも思ってた?残念、知ってて言ってんのよ。名前、入れ替えてたんでしょ?……でも、そんな事関係ない。私にとってマーリンは彼だけ、彼だけが私を救ってくれたの!!直接手を下さなきゃ、殺した事にはならない?そんなの関係ない!マーリンを殺したのは間違いなくあんた達よ!だって、あんた達さえ来なきゃ、マーリンはマーリンでいられたんだもん!!」
メディアは涙を目に浮かべ、悲鳴のように叫び続けた。
「『マーリン』を返して!!私の『マーリン』を返してよ!!」
「でも、ミルディンは、最後にマーリンに」
「その名前でそいつを呼ばないで!!」
涙に濡れたまま、メディアは烈火のように燃え盛る怨みを今度は佐和にぶつけてくる。
「あんた!あんた、自分は悪くないって顔してるけど、あんたも彼を殺したのよ!!」
「サワはちが」
「違くない!!あんたが彼をマーリンに選んでれば、死ぬのはこの男の方だったかもしれないじゃない!」
そんな事、考えた事も無かった……。
もし湖の乙女としてミルディンをマーリンとして選んでいたら、ミルディンがマーリンになったかもしれない。
初めて指摘されたその選択肢。その未来を選んだ場合を思い浮かべようとして、佐和は頭を振った。
そんなのは……多分、あり得ない。
マーリンはマーリン以外の何者でもないし、ミルディンはミルディン以外の何者でもない。
代わる事も変える事も佐和になんてできるはずがない。
「メディア、それは」
「うるさいっ!!」
まるで否定されるのがわかっていたようだ。メディアは佐和の言葉に耳を傾けようとはしない。
「私の一番大事なもの。奪っておいて、幸せになんかさせてやるもんか!モルガンには創世の魔術師の方は殺すなって言われてるけど、そんなもんくそくらえだ!二人とも私が殺して仇を打つ!」
迫り来るゴーレムの足が佐和達めがけて振り下ろされた。
「ディファンドール!!」
もう一度マーリンが結界を張る。同じように一撃で結界は粉々に砕け散った。
片足を上げているゴーレムはバランスを取ろうともがいている。動きは遅い。
その隙にマーリンが佐和を放した。
「サワ!離れて!!」
突き飛ばされるような形でマーリンから離れた佐和はすぐにゴーレムとは反対方向に駆け出した。
私がいたら足引っ張るだけだ……!!
体勢を立て直したメディアは逃げる佐和を目ざとく見つけ、叫んだ。
「あんたにとって、そいつってすっごい大事みたいだね!だったら、その女殺して同じ目に合わせてやる……!!」
「……させない」
佐和に向かって突き進もうとしたゴーレムの前にマーリンが立ちはだかる。
「マーリン!!」
佐和の背後でマーリンは杖を持ち直し、メディアと正面から向き合った。