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ブロセリアンドの森―――通称暗黒の森、そう呼ばれている理由を昨晩、佐和はイウェインから聞いていた。
何でもこの森には主がいるそうで、その主が人間が森に入る事を拒むらしい。
主は不思議な力を使い、人間に幻覚を見せて道を惑わせ、追い返してしまうのだと言う。おとぎ話のような話だが、実際ブロセリアンドの森を通り抜けた者は未だかつて一人もいない。それゆえにアストラト家の城は背後から敵襲を受ける事が無いのだと言う。
軍の隊列はエクター領を進んでいた時とは変わる。未開の森を進むためアーサーは列の中央、佐和やマーリンのいる荷馬車と同じ場所で指揮を執る。
実際に道を切り開いて行くのは先遣隊で、佐和の知っている騎士はほとんどいないので本音を言うと少し気が楽だ。
何が起こるかわからないもんね……。
先遣隊の出発から少し時間を置き、本隊も出発した。マーリンが手綱を引き、佐和の乗り込んだ荷馬車もゆっくりと動き出す。
ケイの言った通り森の中には街道が通っていた。荷馬車が走っても少し余裕があるくらいの幅だ。長年使われていないせいで草は伸び放題な上に、地面もでこぼこに荒れているが、進めない事はない。
それよりも……森の雰囲気が名前に合いすぎ!!
街道以外には木が覆い繁り、陽の光がほとんど射さない。キャメロットの王族の狩猟場の森も確かに木が多かったが、こんなに薄暗くはなかった。
「まるで夜みたいだな」
「うん……不気味だね……」
佐和は荷馬車の中から、御者台にいるマーリンと声を潜めて言葉を交わした。。
しゃべってないと叫びそう……。
何を隠そう、お化けや怪談は佐和の最も苦手とする物である。
本当なら今すぐマーリンの腕に抱きつきたいくらいだけれど……私の事、好きかもしれない相手にそんな事できないぃぃ!!
とにかく気を紛らわせようと佐和はマーリンに背後から話しかけ続けた。
「マーリン……変な気配とかする?」
もし暗黒の森が本当に不思議な力によって支配されているなら、創世の魔術師である彼なら何かを感じ取れるかもしれない。そう思っての質問だった。
それならお化けじゃないしね!うん!
「……うまく言えないけど、混ざってる感じがする。禍々しいのと清々しいのが」
「うそぉ?!この暗さで清々しいってどういう事!?」
佐和にはどう見ても、今まさにこう……何か出そうな雰囲気にしか感じない。だが、マーリンはそうは感じていないらしい。
マーリンってこういうのに敏感かと思ったんだけど……。
だが、言われてみれば確かに、他の兵士の様子を見てみると平気そうに道を進む人と怯えたり、顔を青くしている人は半々ぐらいだ。
「サワ、マーリンの言う事を真に受けるなよ。こいつが鈍感なだけだ。そんなに怖いならガウェインでも付けてやろうか?」
前を馬で歩いていたアーサーが振り返った。意地悪そうな笑みをマーリンに向けている。
「なんでガウェインですか?」
「一番幽霊と縁が無さそうだろう?」
佐和が振り返ると荷馬車の後ろをガウェインが馬に乗って付いて来ている。佐和と目が合った瞬間、にかっと楽しそうに笑って手を勢い良く振ってきた。
確かに……。
佐和も苦笑しながら手を振り返す。途端、ガウェインの手が勢いを増した。
暗い森の中でもガウェインは全然変わんないなぁー。
ふと前に向き直るとマーリンが不満げな目をアーサーとガウェインに向けている。それを見たアーサーは、してやったり顏だ。
わ、わざと煽ったな!こいつ!
最悪!引っ掻き回さないでよ!
その時、森の奥深くから高い笛の音がか細く響いて来た。その音を聞きつけた騎士全員の顔に緊張が走る。
「これ……」
「先遣隊の合図だ」
「おい、ガウェイン!何があったか把握して来い!」
「わかった」
アーサーの命令でガウェインが馬の手綱を強く引いた。ぐんぐんその背が遠のいて行く。ガウェイン付きの兵士も荷馬車を越えてその背に付いて行った。
「殿下」
「ガウェインの報告をとりあえずは待つ。一度、全軍停止せよ!」
「全軍!停止!」
アーサーが側に駆けつけたケイに頷き、アーサーの号令で軍が停止する。ケイがアーサーの命令を繰り返し伝え、後続まで伝わっていく。
「そう簡単に通らせてはくれないみたいだな」
「あぁ、やはり何かあるようだ」
ケイとアーサーが進行方向を睨みつけた。
進軍が止まってしまうと、この森の異常な静けさがよくわかる。木の葉が掠れ合う音が不気味にざわめき合い、それが兵士に伝染していく。
どれくらい待っただろうか。
しばらくしてからガウェインが戻って来た。その少し後ろに兵とそれから確か、先遣隊だったはずの騎士が遅れて付いて来ている。
「どうだ?ガウェイン」
「先遣隊の何人かが消えた」
短いガウェインの報告にアーサーが目線で続きを促した。ガウェインは怯んだ様子もなく強い眼差しでアーサーに報告を続けた。
「残ってた奴の話によると、先遣隊の何人かがいきなり消えたらしい。何が起きたのか全くわからなかったって言ってる。かなり混乱してるみたいだ。今こっちに来る」
兵士に伴われた騎士は三人。三人ともどちらかといえばアーサーに友好的な騎士だ。
「殿下……申し訳ございません」
「何があった?」
「道を進んでいた最中、突然数えきれぬほどの蝙蝠に囲まれまして……いなくなったと思ったら騎士が二人消えていたのです。しかも騎士が乗っていた馬は平然とその場で大人しくしていました。一体何があったのやら……」
「馬が反応していない?」
それはおかしな話だ。馬は人間以上に臆病な生き物なのに、蝙蝠に囲まれて取り乱さなかったなんて。
「一緒にいた兵士もか?」
「私達付の者は皆無事でしたが、いなくなった騎士付の兵士も同様に姿を消しました」
先遣隊の報告に後続の騎士がざわめきだした。小さな声だが「やはりこの森は呪われて……」「きっと森の化け物に……」等憶測が飛び交っている。
「……アーサー」
「ああ、まずいな。士気に関わる。ここは」
「やはりこの森を進むべきではなかったのだ!!」
ざわめく人々の中で一際大きな声を張り上げたのはアーサーの後方にいたカンペネットだ。
密談していたアーサーとケイが振り返ると、カンペネットの周りの兵士もその言葉に頷いているのが見える。
「この森は古くから魔法と所縁があるとされている場所。そこを進軍する等正常な判断では無かったのだ!やはりエクター領に戻り、準備を整えカメリアド領を進軍すべきだった!」
「カンペネット卿、今の発言は指揮官である殿下の判断力に疑問を唱える旨と取っても構わないか?」
アーサーを庇うようにケイがカンペネットとアーサーの間に割って入った。その目が厳しくカンペネットを射抜くとカンペネットが顔をしかめた。
「私は最初からこの作戦には反対していましたよ!今さら何を!会議できちんと提案したではないか!」
「最終的には殿下のご判断を支持したはずだ。貴殿も賛成の意を示していたのを私はこの目で見ている」
「私も最初は陛下の意に添い、魔法と関わり深いこの森を切り開いてこそのキャメロット軍だと考えた!だが、実際はどうだ!殿下がこの森に入った事で、異変は起きた!やはり殿下は魔法の申し子なのだ!」
あのくそ野郎、またごちゃごちゃとアーサーの生まれを揶揄して……!
佐和は馬車の中から喚き叫ぶカンペネットを睨みつけた。しかし、よく見ればカンペネットの様子がいつもと違う。
おかしい……。
元々アーサーの事を快く思ってはいないし、言っている事は本心だろう。だが、それにしては取り乱しすぎているように見える。
まるで見えない何か、恐怖に突き動かされるように声をヒステリックに張り上げているのだ。
「おい!カツラ!それ以上アーサーの事ごちゃごちゃ言うならぶっ飛ばすぞ!!」
「今私の髪の事は関係ないだろう!!」
割って入ったガウェインの言葉に緊張も吹っ飛んで佐和は口を必死に抑えた。
何、あいつカツラなの!?いや、そうじゃなくて。ガウェイン、今それ、絶対言うべき場面じゃないから!!
カンペネットは完全にヒステリーに陥っている。不思議なのはガウェインの今の発言に驚いたり、吹き出しそうになったりしている兵士や騎士が半数ぐらいしかいない事だ。他の者はカンペネットと同じようにアーサーを睨みつけている。
「そうだ、やはり殿下は魔法の申し子……!」
「この森を利用して我らを淘汰するつもりなのだ!」
「私達を殺すためにこの森を進路に!」
「殿下になんて口を聞く!分をわきまえろ!」
「皆の者!落ち着け!!」
アーサーの必死な声は反対派にも、それに怒り始めたアーサーに友好的な騎士にもどちらにも届かない。アーサーの横にいたケイが腰に差していた剣を抜いてアーサーを守るように馬を進めた。ガウェインもその横に並ぶ。
「様子がおかしい」
「ああ、狂っちまってるとしか思えねぇな」
状況は一触即発だ。誰かが動けばすぐにでも軍はアーサー派と反アーサー派、そして戸惑い動けなくなる中立派に分かれてしまうだろう。そうなれば、この森を抜けられたとしても軍の数は劇的に減ってしまう。
「どうしよう……マーリン!……マーリン?」
荷馬車の手綱を握ったままマーリンは空を仰ぎ見ている。その目が何かを探している。こんな状況だというのにマーリンは落ち着きはらっていた。
「マーリン?」
「……何か来る」
マーリンの言葉の意味は佐和にもすぐにわかった。突然、視界を真っ黒に染め上げるほどの蝙蝠が空から軍に向けて降ってきたのだ。
「何だ!?これは!?」
「やはり魔法の!!」
佐和の荷馬車には屋根が付いている。おかげで被害は受けていない。
混乱しながらも馬車の中から様子を見ると、降って来た蝙蝠は不思議と全てアーサーを非難していた者たちにまとわりついていた。それを他の者達はただ呆然として見ている。
「何だ!!止めろぉお!!」
「殿下!あの時と同じです!先遣隊の騎士達が消えた時もこのように!」
先遣隊の生き残りの発言を聞いたアーサーは馬から飛び降りると上着を脱いで、一番近くにいたカンペネットに群がっている蝙蝠を上着で追い払おうとした。
「アーサー!?」
蝙蝠に群がられていない人達は皆、アーサーの行動に驚き、動けずにいる。それを見たアーサーが鋭い命令を飛ばした。
「何をしている!!仲間の危機だ!身近な者を助けよ!!」
「ですが、この者達は殿下を!」
「その事は後で追及すれば良い!目の前で救いを求める者を見捨てるなど騎士ではない!!」
アーサーは必死に腕や上着で蝙蝠を追い払うが、何度やってもまたカンペネットにまとわりつく。カンペネットが反乱狂になって振り回している腕がアーサーの頬をかすめた。
「殿下!!」
「何をしている!!それでもお前らは騎士か!!」
アーサーの怒号に我に返った騎士が手短な者を助けに馬を下りた。剣を使って払えばまとわりつかれている人間まで一緒に斬ってしまうかもしれない。皆、アーサーのように上着を使ったり、腕で必死に追い払っている。
そのうち、兵士や騎士にまとわりついていた蝙蝠が離れ始めた。蝙蝠にかじられたせいで傷だらけだが、解放された人達は安堵したように地面に寝転がっている。
だが、離れた蝙蝠は全てアーサーが追い払おうとしているカンペネットに集まっていく。
「くそ!!」
「アーサー!下がれ!」
「だが!!」
ケイがアーサーを無理矢理カンペネットから引き剥がす。もはやカンペネットの姿は蝙蝠に覆われてしまってほとんど見えない。
他の騎士も兵もそれを見る目は冷たい。
どの人の顔も自業自得だと語っている。
それもそうだ。アーサーを真っ向から非難したのだから。
「殿下、カンペネット卿に蝙蝠が集中している間に進みましょう。さすれば軍に被害が及ばずに済みます」
「仲間を見捨てるというのか」
「殿下、カンペネット卿は殿下に暴言を吐かれたのですよ?!なぜ庇うのですか!?」
他の騎士がアーサーを宥めにかかる。だが、アーサーは頑として譲らなかった。
「俺を非難する権利は民ならば誰にでもあるからだ!大切なのは俺を非難したかどうかじゃない!俺を非難してでも正しい事を行おうとしたかどうかだ!反対意見を述べる事は悪ではない!それを許さないならば、俺はただの暴君だ!!」
それはまさに―――ウーサーの事だ。
どれほど正しい事であったとしても反対意見や批判を述べればすぐに罰せられる。それに最ももどかしい思いを抱いていたのはアーサーなのかもしれない。
「しかし!」
「殿下」
騒然とした空気を凛とした声が鎮めた。その声の主に全員の視線が集まる。
この声……。
聞き覚えのある声。そこに立っていたのはローブに身を包み、目深までフードをかぶった兵士だ。
「どうか、私にカンペネット卿救出の命を」
その声の主が誰か、アーサーにもケイにもわかったようだ。落ち着きを取り戻したアーサーがその兵士に力強く命令を下した。
「……カンペネットを救い出せ、イウェイン!」
「はっ」
アーサーの命令を受けたイウェインが腰から細身の愛剣を抜き、真っ直ぐにカンペネットへと突き進む。その風圧でイウェインのフードがとれ、水色の長い髪が風になびく。
イウェインの突きが幾度もカンペネットに降り注いだ。
すごい……!!全然見えない……!!
まるで霧雨のようなイウェインの突きを幾度となくカンペネットの周りにいる蝙蝠が浴びる。その度に確実に一匹ずつイウェインの斬撃によって蝙蝠が打ち落とされていく。
「はあ!!」
一際大きく剣を引いたイウェインの最期の斬撃でカンペネットにまとわりついていた全ての蝙蝠が地に落ちた。
地面に丸まって半泣きになった状態のカンペネットは傷だらけだが、それはイウェインの突きではなく蝙蝠にやられた物だ。息も切れ切れにこちらを見上げるその姿は無様としか言いようがない。
蝙蝠を全て地に落としたイウェインは剣を鞘に収め、アーサーに向き直った。
「殿下……申し訳ございません」
「……アストラト卿は、お前が来ている事を知らないんだな?」
アーサーの追及にイウェインは正直に目を伏せた。
「はい。父は何も。私の独断で兵に紛れ込んでおりました。どうか……お許しを」
「……まぁ、いい。いや、本来は良くないが。よくカンペネットを救ってくれたイウェイン」
アーサーと言葉を交わすイウェインは困ったように、だが、嬉しそうに微笑んだ。その表情を見ると佐和まで嬉しくなる。
「意外と無茶するんだなぁ……イウェイン」
「それが姫様の良い所でもありますよ」
「ぎゃ!リュネット!?」
荷馬車に乗り込んできたのはイウェインの侍女のリュネットだ。彼女も動きやすいようズボンを履いている。
「リュネットも付いて来たの!?」
「姫様の向かう所に私在り、ですよ。サワ殿!」
この主人在りにしてこの従者在りだ。
どうやらリュネットも雇い主であるアストラトよりもイウェインの意向を一番に考えているらしい。そのままいそいそと佐和の隣に座り込んだ。
「私も同乗させていただいて構いませんか?マーリン殿。殿下の許可は得たわけですが……マーリン殿?」
リュネットの言葉にマーリンは全く反応していない。張り詰めた様子で周囲に隙のない目を向けている。
「マーリン?どうしたの?」
「……まだ、終わってない。……また来る…………アーサー!!上だ!!」
マーリンの勧告にアーサーがはっとした顔つきですぐに剣を抜いた。
上空から再び蝙蝠の群れがアーサー目掛けて降り注ぐ。横にいたイウェインも素早くその攻撃を回避した。
地面すれすれを飛行した蝙蝠たちは臥せていたカンペネットに再び覆いかぶさり、甲高い音で喚き始める。
「うおおおお!!!……くそおお!!……コロス……コロス……メザワリダ……オウハオレガ……オレガシキヲトルハズダッタノニ!!」
正気とは思えない叫び声。
全員が何も出来ず、ただ静観する中、蝙蝠とカンペネットが一体化していく。
「何……あれ……?」
愕然とする皆の前でカンペネットと蝙蝠が一つとなった。禍々しい黒い肌。もはや人の形は残っていない。蝙蝠の羽を持ち、三つの蛇の頭と一つの胴体。どう見ても怪物としか形容できない。
大きさも大の大人が立ち上がったぐらいで恐ろしい。サイズもそうだが、何よりぎょろぎょろと忙しなく動く爬虫類特有の黄色の眼が不気味だ。
「何がどうなっているんだ……?カンペネット!!」
「やはりこの森は呪われて……」
「怯むな!しっかりと構えろ!!」
アーサーが発破をかけるが、そう言っているアーサー自身の横顔にも焦燥が現れている。
目の前の化け物は見る影もないが、間違いなくカンペネットだったはずなのだから、当たり前だ。
「殿下!ご命令を!怪物を退治いたします!」
「……だが!元は、父上の騎士だ……!」
「元に戻れるとは思えません!」
他の騎士からの提案にアーサーの顔が苦々しげに歪む。
単なる怪物であれば迷うことなくアーサーは戦う。しかし、大勢の前でカンペネットはこの化け物に変化してしまった。
ここにいる全員があの化け物はカンペネットだと知っている。その状態で怪物を倒せば、国王の騎士を切ったと残った反対派に追及されるかもしれない。だが、倒さなければ進めないのも事実だ。
どうするの……?アーサー……!
「………皆の者、」
アーサーが決死の決断を下そうと小さく声を吐き出したまさにその時、軍を飛び越え、怪物に躍りかかった影があった。