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「あの……それで、結局私は何で呼ばれたんでしょうか?」
イウェインの私室で紅茶を一口すすった佐和はおずおずと切り出した。向かいに座ったイウェインは気まずそうにちびちびと紅茶を口に運んでいる。
「い、いや……その、サワ殿えっと……」
「実はサワ殿にお願いしたい事がございまして」
「お願い、ですか?」
リュネットが紅茶とともに美味しそうなクッキーを出しながら頷いた。
「リュネット!」
「諦めてください、姫様。本日一日、サワ殿の様子を観察させていただきましたが、サワ殿は感の鋭い方です。絶対にもうお気付きですよ」
リュネットの宥める言葉にイウェインの顔が赤くなった。視線を彷徨わせ、何かを言い淀んでいる。
「サワ殿、今朝方、井戸の側にいた姫様を目撃されていらっしゃいますよね?その時、どのような事をお考えになりましたか?」
ここで誤魔化す事は簡単だ。
けど、それで良いのかな…………。
リュネットの目は真剣そのもので、佐和の価値を量るように見つめてくる。
この目。
この目には……嘘をついちゃいけない。
リュネットは真摯に佐和の答えを待っている。一瞬悩んだが、佐和は腹をくくった。
「……イウェイン様がケイを見つめてるって思いました」
その言葉にイウェインが真っ赤な顔で俯く。その表情のあまりの乙女感に佐和は思わず立ち上がった。
「ってことは、やっぱりイウェイン様ってケイの事好きなんですか!?」
「ふぁ……!!」
やばっ!思わず言っちゃった……!
失言だとは思ったが、佐和にはっきりと指摘されたイウェインは手短にあったクッションを抱き寄せた。その隙間から見える肌がどこもかしこも赤い。
うわぁ、じゃあ、やっぱり……!
見ているこっちが照れてしまうほどイウェインは恥ずかしがっている。
「ほら、姫様気付かれていたではないですか」
「……サワ殿、頼みがある!この事は誰にも決して話さぬと誓ってほしいのだ!!」
クッションを抱きしめたまま、勢いよくイウェインが頭を下げた。
その余りの迫力に気圧されてしまう。佐和は力なくソファに座り直した。
「そりゃ、ぺらぺら喋ったりする気はないですけど……何か事情があるんですか?」
別に片思いを秘密にする事自体は普通だ。だが、イウェインの気迫にはそれ以上の事情があるとしか思えない。
「アストラト家とエクター家の関係をもうサワ殿もご理解されましたよね?」
「あの、領地の問題で恨んでるっていう……」
「……詳しく話すと、我が一族から以前、魔女に誑かされ謀反を企てた人間が出たのだ。その時、一族にも処罰として領地の没収が下された。その取り上げられた領地は、隣のエクター家に渡された。当時からエクター卿は陛下の信頼の厚い人物だったからな。領土の約半分を失ったアストラト家は没落し、汚名を受けた。そういう経緯があって、父上は謀反人の事はもちろん、どうしてもエクター卿に対する怨み……というよりは対抗心が消えないのだ。アストラト家の最終的な目的は、汚名を雪ぎ、失われた領地を取り戻す事にある」
「はぁー、なるほど……。つまり、家同士が敵対しているから、ケイが好きだってバレるわけにはいかないって事ですか?」
なるべく平静に尋ねようとは思うものの、興奮は抑えきれない。
これじゃ、まるでロミオとジュリエットじゃん……!
聞かれたイウェインはさっきまでの明解な説明とはうってかわって口ごもった。
「そ……そういう事だ。それに父上は私にも、エクター家の後継にだけは負けるなと仰る……それなのに、こ……こんな想いを抱いていると知れば……だから……」
イウェイン様、かわいそうだな……。
貴族というのは恋愛一つ自由にする事はできない。それでも感情というのは自分で制御できるものでもない。
佐和は不安げなイウェインにしっかりと頷いてみせた。
「わかりました。約束します。イウェイン様の秘密は誰にも言いません」
「……ありがとう」
「じゃあ、今日手伝ってほしい事があるっていうのは建前で、この話をするために呼ばれたって事なんですよね?」
「はい。ですが、手伝っていただきたい事はもう一つあるんです」
「もう一つ?」
「リュネット!もういいからっ!」
リュネットの袖をイウェインは慌てて引いているが、全く気にせずリュネットはにこにこしている。
どうやらここの主従関係も少し変わっているようだ。
「ほら、姫様!こんなに信頼の置けそうな方が他に王都にいますか!?しかも、サワ殿は殿下付きの侍女で、貴族ではないんですよ!こんな好条件滅多にありません!」
「うっ……」
リュネットに押し切られたイウェインがおずおずと佐和に向き合った。その様子を見ていた佐和は、まだ何か話があるらしいと感じ、大人しくイウェインの次の言葉を待った。
「…………もし、よろしければ。サワ殿。私はほとんどアストラト領から出ないため、あまりその……会う機会がなくて……王都での話などを聞かせては……いただけないかと……」
か。
可愛いいい!!何なのこのギャップ!イウェイン様可愛すぎ!
イウェインの言葉には肝心の単語が抜けているが、要するに王都にいる間のケイの話が聞きたいという事だろう。
本当に恋する乙女だ。とても盗賊まがいの騎士を凛として討伐していたのと同一人物だとは思えない。
「いや!明日も早いし、決して、無理にとは!」
「大丈夫ですよー、私で良ければいくらでも」
佐和の返事を聞いた途端、イウェインの顔が輝いた。花が咲いたようなその表情は見ているこっちまで嬉しくなってしまう。
「では、さっそく。ご準備いたしますね!サワ殿、よろしければ本日はこちらにそのままお泊まりください。寝着もこちらでご用意いたしますので」
リュネットが手を叩きテキパキと支度をし始める。完全なる女子会の準備だ。
……こういうの久々かも。
こちらの世界に来てから同性、同年代の人と雑談をする機会なんてほとんどなかった。
マーリンはいつだってサワの話を聞いてくれるが、やはり女同士の会話が恋しいと思う事はあった。
やばい、私、今わくわくしてるかも。
「あの、サワ殿」
リュネットが支度に走り回っている横で、イウェインが決死の表情で話を切り出した。
どうやらまだ何かあるらしい。
「何ですか?」
「その……サワ殿は異国の出身だと伺っている。身分制度の無い国だと」
「ええ、まぁ」
佐和の返答に、イウェインは大きく息を吸うと懸命に言葉を紡いだ。
「……もし、良かったら、私の……友人になってはくれまいか」
「え?」
思いがけない提案に目を白黒させている佐和を、困らせたと思ったらしいイウェインは慌てて付け足した。
「貴族というのは利権や政権が絡む。純粋な友情というのは得難い。それに私は貴族の子女の中では異端扱いをされているので、と、友達もいなくて……サワ殿なら、ケイの話もできるし、それに話していて、心地良いというか……」
佐和はイウェインの付け足された言葉をどこか遠くで聞いているような感覚に陥った。
いい……のかな……。
バンシーの蒼い瞳が蘇る。
佐和は本来ならこの世界にいない存在。脇役ですらない場外の人物。
それなのに、ここでイウェインと友情を結ぶ事は正しい選択だとは思えない。
でも……。
「……私、なんかで良いなら」
佐和の返事にイウェインが嬉しそうに頷いた。初めて見る満面の笑みはお姫様なのだと実感させるくらい可憐だ。
本当はいけないのかもしれない。でも、友達になってほしいなんて、口にするのすごく勇気がいる事だもん。断れないよ。
普通、友達とは気付けばなっているような物だ。だが、その最初の一歩を踏み出すのがどれほど怖い事か、人見知りの佐和にはよくわかる。
崖の上で一歩踏み出すような感覚。しかも、その次の一歩が地に足つくとは限らない。そこには何もなくて落ちていく可能性だってあるのだ。
その恐怖を知っていてイウェインを谷底に突き落とすなんてできなかった。
それに……私、イウェイン様すごく好きだ。
話せば話す程仲良くなれる確信が高まる。こちらの世界に来て、自分も本当はこんな風にしゃべれる女友達が欲しかったのかもしれない。
「あ、ありがとう!サワ殿」
「友達なら呼び捨てで良いですよー」
さらにイウェインの顔が輝く。全身からわくわくしているのが伝わってくる。
「な、なら……サワも私の事はイウェインと。あと、敬語も使わず」
「わかった。よろしくね、イウェイン」
「さて、姫様。サワ殿。準備が整いましたよ。それでは、始めましょうか」
リュネットの合図で美味しそうなお菓子が追加される。三人は目を輝かせながらお互いを見合った。
久しぶりの女子会は楽しくなりそうな予感しかしなかった。
***
「それでね、部屋中お酒の空き瓶だらけで、三分の二はガウェインだって言うんだけど、三分の一はケイが飲んだってことでしょ!酒豪過ぎって言って。しかも、起きないガウェインの顔に水ぶちまけるし、ガウェインびっくりしすぎて『敵襲かぁ!』って言ったんだけど、それに平然と『違うぞー』とか言ってんの」
佐和の話にイウェインが楽しそうに口元を抑えた。三人でソファに座り、美味しいお菓子と紅茶で話す恋愛話はどんどん盛り上がっていた。
いつもなら人見知りの佐和は会ってすぐの人間とこんなに話が弾んだりしない。
でも……何でだろう。イウェイン、すごく話しやすい。
「相変わらず酒豪なんだな」
「あれって昔からなの?」
「あぁ、騎士学校時代卒業パーティーがあったんだが、あいつも相当飲んでいたはずなのに、最後には泥酔した同期をしれっと介抱する方に回っていたからな」
「やっぱそうなんだー。ケイがお酒に呑まれるって想像つかないもんねー」
イウェインは懐かしそうな目を浮かべ、足元のレオの毛並を優しく撫でた。その様子を見ていた佐和の脳裏にアストラト領最初の村でイウェインと出会った時の事がよぎった。
「もしかして、イウェインの二つ名って……」
「姫様が『神速の獅子』と呼ばれている事ですか?お察しの通り、レオを連れて神速の剣筋を操る姿からきている名ですよ」
「リュ、リュネット!!」
「やっぱりー」
他愛もない会話は本当に楽しい。穏やかに時間が過ぎて行く。
すっかり打ち解けた雰囲気となり、そこでようやく佐和は聞きたくてたまらなかった事を聞いてみることにした。思わず身体を乗り出してしまう。
「ねぇ、イウェインはケイと騎士学校の同期なんだよね?その頃にはもうケイの事、好きだったの?」
「うっ……!」
紅茶を飲もうとしていたイウェインの動きが止まった。
本当にわかりやすい。
「やっぱ、そうなんだ〜?」
「ち、違う!途中からだ!」
「え、じゃあ何がきっかけだったの?聞かせて、聞かせて!」
「うっ……うう……」
紅茶を持ったまま、もだもだしていたイウェインだったが、今まで話せる相手がいなかっただけで、本当は喋ってしまいたいという想いがあるのは明白だ。
これ、どう見ても照れてるだけだもんね。
「その……どこから話せばいいのか……」
「全部、ぜんぶー。夜はまだ長いよー」
佐和の促しにイウェインは話を組み立てているようで、少し沈黙していたが、やがて語り出した。
「その……そもそも、騎士に女性はほとんどいない事をサワは知っているだろうか?」
「言われてみればそうだね」
ケイの話から騎士に関する話に移ったからかイウェインは多少落ち着いた声で話を続けた。
「女性の騎士というのは歴史上かなり少ない。普通ならば貴族の娘は貴族同士で嫁ぐのが一般的な将来設計だ」
「じゃあ、イウェインは何で騎士学校に入ったの?」
「私が騎士を目指す理由なのだが……先ほど少し話したな。アストラト家の願望は失われた領地の奪還と家督の再興だ。そのために最も良いのは男児が跡目を継ぎ、陛下の騎士となって功績を上げる事なのだが……私のお母様は私を産んですぐに亡くなってしまったんだ」
「……ごめん」
「いいんだ。サワには聞いてほしい。それで、父上は大変悩み苦しんでいた。だから、私は女の身ではあるが、騎士となってアストラトの汚名を雪ごうと決意し、騎士学校への入学を決意したのだ」
「そんな理由があったんだ……」
佐和の世界では基本的に男女平等はかなり声高に叫ばれている。男性の多い職業に女性がついても多少は目立つが、こちらの世界に比べればマシな方だろう。
きっとイウェインも心ない中傷や非難を受けて来たに違いない。
さっきもイウェインは自分は貴族の子女の中では異端扱いされていると言っていたし、アストラトに滞在したのは数日だけだが、イウェインの姿に様々な関心が向けられているのは佐和も感じとっていた。
「始めは父にも反対されたが、騎士学校の同期にエクターの長子がいると知った途端、絶対にそいつには負けるなと送り出してくれてな」
「それが、ケイだったんだ」
イウェインは頷いた。懐かしそうに目を細め、紅茶の水面に浮かんだ自分を見つめている。
「故に入学当初から私は一方的にケイを敵視していてな。それに同期に女性は私一人だったから肩肘を張らずにはいられなくて、かなり苛立っていたと思う。だが、なぜか奴はへらへらと笑いながら私にやたらと絡んで来て、しょっちゅう怒鳴り散らしていたものだ」
「すごい簡単に想像つく」
苛々しながら歩くイウェインとそれを適当な態度で追いかけ回すケイ。
村で見たあの時とほとんど同じような状態だったんだろう。
「じゃあ、その時はまだケイの事好きじゃなかったの?」
「う……うん。どちらかといえば倒すべき敵、乗り越えるべき壁だったな。今からすれば想像がつかないだろうが、当時のケイは……すごかった。同期で最も人望の厚い人間だったし、勉学でも、剣技でも奴に並ぶ者はいなかった」
「そ、そうだったんだ……」
今の適当な態度からは想像もつかない。けれど、きっと嘘ではない。
佐和もあの早朝の剣を一心に振るケイの姿を目撃している。あの姿を見た今ではわかるような気がした。
当時の話をするイウェインの瞳は輝いていて、まるで自分の事のように誇らしげだ。
「私は悔しくて、悔しくて、しょうがなくてな。何度も勝負を挑んだ物だ。あれは騎士学校に入学して二年目だったか。一度もケイに勝てていなかった状況で、父が騎士学校を見学しに来た事があって……しかも偶々、父が見ている前で私とケイが模擬決闘を行う事になったんだ」
「え!?それどうなったの?」
イウェインは苦笑した。紅茶をテーブルに置く。
「私は必死に渡り合った。今までで一番良い勝負だった。そして……私は、勝負には勝った」
勝負には、という言い方がひっかかる。どうやら話には続きがあるらしい。
「奴は最後の最後で誰にもわからぬように……手を抜いて私を勝たせたんだ。結果、父には褒められたが、私は悔しくて泣いてしまいそうだった。それで、すぐに奴を追いかけて、人気の無い場所で問いただしたんだ。どういうつもりだと。奴は、始めは誤魔化していたが、私がほだされない事に気付くとただ一言こう言ったんだ。『今日は負けるわけにはいかなかったんだろ?俺の気迫負けだよ』と」
ケイらしいと言えばらしい。恐らくイウェインの事情を知って、勝ちを譲ったのだろう。だが、直接剣を交えていたイウェインだけがそれに気付いてしまった。
「……本当に悔しくて、情けなくて。私、泣いてしまってな。情けをかけられた事だけじゃない。私は騎士としてこいつに相手にもされていなかったのだと気付いてしまって。……あんなに取り乱したケイを見たのは後にも先にもあの時だけだな。とにかく私を泣き止ませようとしていたんだが、やがて諦めて誠心誠意謝罪してくれたんだ」
「何て言ってたの?」
「自分にも、譲れない騎士として掲げた誇りがある。同じように侮辱されれば黙ってはいられないだろう、と。それを自分はしてしまった。私にとって家督の再興はそれと同じくらい大切な物のはずなのに、自分は私の誇りを穢した、と」
イウェインの瞳は本当に大切な宝物を見つめるように優しい。
「今まで私はケイの事を、ただエクターという名門に生まれ、才能だけで人の上をへらへら馬鹿にして笑って行く奴だと思っていた。でも、その言葉を聞いてから気が付けば目が奴の姿を追っていた」
ケイの誇りというのは多分アーサーへの忠誠の事だ。以前、アーサーとの思い出を語ってくれた時、騎士学校で訓練に明け暮れる日々の中でアーサーとの約束はケイの原動力だったと言っていた事を佐和は思い出した。
「そして、気付いたんだ。奴が誰よりも早く起床し、毎日剣の鍛錬に一人励んでいる事に。空いた時間は全て勉学や読書に当て、知識を身に着けていた事に。殿下に忠誠を誓い、そのために己を厳しく律する姿は―――清廉な私の憧れた騎士像そのものだった」
「……じゃあ、それがきっかけだったんだ」
イウェインは恥ずかしがりながらも小さく頷いた。また紅茶をちびちびと飲み出す。
「……誰かにこんなに話したのは初めてだ。すごく恥ずかしいものなのだな……」
「へへーん、まだまだ。私は聞き足りないぐらいだよー」
「なっ!」
イウェインは素直に佐和の軽口に飛び上がった。
ケイがイウェインをからかってしまう気持ちがよくわかる。彼女は反応がとても素直なのだ。
「ねえねえ、気持ち伝えないの?」
佐和のその質問に初めてイウェインの表情が曇った。
すぐに自分が聞いてはならない事に踏み込んだのだと気付く。
「ごめん、イウェイン……」
「いや、いいんだ。……そうだな。貴族の結婚というのは恋愛感情でする物ではない。きっとこの想いが成就されることはないだろう。第一、私がエクター家に嫁いでしまったらアストラトの領地を取り戻すどころか、差し出す事になってしまうし、アストラトの名を継ぐ者もいなくなってしまう。おそらく私は、最終的には有力貴族の次男や三男に婿に入ってもらう形を取るだろうな」
「そうなんだ……」
なんか悲しいな。いくらここが昔の世界とはいえ、身分のせいで想いを伝えることすらできないなんて。
「でも、それでもいいのだ。サワは宮廷愛という考えを知っているか?」
「なあに?それ」
「騎士は心の中に敬愛を捧ぐ相手がいて一人前という考えだ。私はまだ騎士ではないが……それでも、私の中で、奴はそういう存在なんだ」
「そっか……」
もちろんそういう愛の形もあるのかもしれない。佐和だって人の事を偉そうに語れるような恋愛遍歴を持っているわけではないし、恐らくイウェインと同じ立場なら、同じように心の中で思うだけに留めるだろう。
自分だけではない。言葉にすれば相手にも周りにも迷惑をかける。それがわかっていて自分の想いにだけ忠実に突っ走るような事は佐和には無理だ。
小説ならきっとそんな状況が引っくり返ってハッピーエンド。でも。
この世界は現実だ。現実なんだ……。
思い通りにいかない事だらけの。
「でも……さ。私に言うだけはタダだよ、イウェイン。私に、ケイがこんな風にかっこよかったとか。どうしようもない気持ちになった時は言っていいんだから」
そうやって佐和だって元の世界では友人に助けられてきた。だが、イウェインにはそういった話ができる相手も少ないだろう。それを思うと心が苦しい。
「私で良ければ、だけど……」
佐和の提案にイウェインは目を何度か瞬かせていたが、やがて嬉しそうに笑った。
「ありがとう、サワ。嬉しい。……こんな話、リュネット以外にしたのは初めてだ。話すとこんなにも楽になるものなんだな」
「おしゃべりって大事だよねー」
「さ、ところで姫様の話は一段落しましたけど、サワ殿はどうなんですか?」
「は!?」
今まで大人しくしていたリュネットの突然の横やりに佐和は完全に不意を突かれた。意地の悪い笑みを浮かべ、リュネットは佐和の顔を覗き込んでいる。
「姫様にだけ話させるのは不公平という物ですよ?」
「サワ?サワも想いを寄せている相手がいるのか?」
途端にイウェインが興奮した様子で乗り出した。
まずい。完全に流れが私の話だ。
「いやー、私は無いですよー。だって、この国出身じゃないし。それに普段はアーサーに仕えるので忙しいし」
「そうなのか」
「マーリン殿なんていかがです?かなりいい雰囲気だったようにお見受けしましたが」
リュネットの指摘に思わず佐和は固まった。
さっき言った言葉に嘘はない。こちらの世界に好きな人はいないし、元の世界でも失恋している。だが、恋愛ごとで悩みが無いと言えば嘘になる。
「いや……その、マーリンと私は同志っていうか。だから……そういうんじゃ」
「でも、私も今日仕事をしているマーリン殿とサワを見かけたが、マーリン殿はかなりサワに心配りしているように見えたが」
「嘘!?イウェインにもそう見えたの?」
ということはやはり自分の勘違いではないという事だ。
じゃ、じゃあ、やっぱりマーリンの最近のやたらと優しいのって。私の事好きだからなの?本当に?
「サワ?」
佐和の顔色に気付いたイウェインが心配げに様子を伺ってくれる。その思いやりに佐和はたまらなくなった。
「サワ?どうしたんだ?」
「イウェイン……」
ずっとずっと。ここ最近、佐和の中で暴れている疑惑。日に日に大きくなる感情。
それは膨らんで、膨らんで、胸の中をいっぱいにして―――苦しい。
「や……やっぱり、マーリンって私の事……好き……なんだと思う?」
顔が熱い。
仲の良い友達にだってこういった話をするのは佐和はすごく苦手なタイプなのだ。
けれど、もう一人で抱えるにはマーリンが向けてくる気持ちは佐和の容量をオーバーしていた。
「思います」
「むしろ、サワが気付いていないわけがないと思っていたのだが」
明解な二人の答えに佐和はがっくり肩を落とした。
やっぱりそうなんだ……。
「マーリン殿の気持ちは迷惑なのか?サワ」
「……ううん。そういうわけじゃ……ないんだけど」
むしろ―――嬉しい。
この世界で独りぼっちの佐和にとってマーリンは唯一無二の存在だ。マーリンがいなくなってしまったら途方に暮れてしまうぐらい。いなくてはならない存在。
でも……私は、海音を生き返らせるためにここにいる。そんな中で、海音の命と引き換えに生きているような状況で恋愛事にうつつを抜かすなんてできない。
「私が異国出身っていうのは知ってるよね?あのね、ちょっと、こっちの国で私、どうしてもやらなくちゃならない事があるの。それなのに、恋愛事にうつつを抜かしていられないっていうか……罪悪感が先立っちゃって」
罪悪感。
そうだ。ずっとマーリンの気持ちをほとんど確信していながら疑いのままにしておいたのは海音の命を踏みにじってここにいる自分が、マーリンに好意を向けてもらえるなんて幸せを享受する事に罪悪感を覚えたからだ。
今も海音はあの暗く冷たい洞窟の泉に浸っている。それに対して自分は温かなソファに座り、紅茶を飲んで楽しく話している。
本当はこんな事、許されない。
「事情は……あまり詳しく聞かない方が良いのだろうか?」
イウェインの確認に佐和は静かに頷いた。
「ごめんね……イウェインは全部話してくれたのに」
「いいんだ。だからこそ、わかる気がする。私は吐き出す機会をサワのおかげで得る事ができたが、サワは以前の私と同じで、言えない苦しみを抱えているんだな」
「イウェイン……」
「私はマーリン殿と直接言葉を交わした事があまり無いから何とも言い難いが、きっとマーリン殿もサワが好き好んでマーリン殿の気持ちを宙に浮かせているわけではない事ぐらいわかっているだろう。サワはそんなことできる女性じゃない。それはこの数日、共に過ごしただけの私でもわかる事だ。マーリン殿ならきっと痛いほど理解してくれている。だから、そんなに罪悪感を抱える必要はないと思う。私だって父を裏切って……ケイに想いを寄せていると思うと苦しくなることがある。それをサワはどう思う?」
「……人の気持ちだもん。どうしようもないと思う。理屈で我慢できることじゃないし、それにイウェインはちゃんと現実を見てる。苦しいのはどうしようもないと思うけど、ケイを好きな事自体が悪いことだとは誰にも言えないと思う」
「……ありがとう。やっぱりサワは優しいな。そう思うなら、その優しさを自分にかけてあげて良いと思う」
「自分に?」
「サワは自分に手厳しすぎる。もっと甘くても良い。話せる範囲なら私にぶちまけてくれ。……と。友達だし」
「……イウェインがそれ言うかな」
佐和以上に自分に手厳しい人が言っているのがおかしい。言われた本人も自覚しているようで佐和と同じ困った笑顔を浮かべた。
ああ、そっか。私達、似た者同士なのかもね。だから、こんなに気が合うのかもしれない。
「思い通りにいかない事、多いね」
「ああ、大変だな」
そう言いつつもどこか心は軽くなった気がする。
明日も早いというのにこのおしゃべりをまだ続けたい自分がいる。それはイウェインも同じようで、どちらからも終わりは切り出さない。
もう少し、このままで。
マーリンの気持ちは佐和にはどうする事もできない。けれど、佐和がどうするかは佐和が決めなければならない。
ちゃんと考えよう。罪悪感とかそういうの、抜きにして。私が、マーリンをどう思うのか。
その後も女子会は夜が更ける中、長々と続いた。