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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第六章 獅子の秘密
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page.141

       ***



 まだ眠るのには早い時間とは言え、アーサーは風呂から上がった後も地図を睨みつけたり、ケイが持ってきた報告書に目を通すのに余念がない。

 その姿勢からは肌に刺さるほど、今回の戦を勝つという意志が伝わって来るようだった。

 アーサーの明日(あす)の支度をしながらマーリンは主人の様子をこっそり観察していた。

 軍の指揮を取ると決まってからのアーサーの動きは目まぐるしい。普通の人間なら挫折しても、役目を放棄してもおかしくない重圧と環境。

 それでも、アーサーはその責務から目を逸らす事を決してしようとはしない。


「そんなに勝って王に褒められたいんですか?」


 その質問はほとんど無意識にアーサーに向けられていた。

 アーサーの横で書類をまとめていたケイはマーリンを見返したが、書類に目を落としたままのアーサーは短く頷く。


「あぁ、負けるために戦をする者などいない」

「……犠牲者が出ても、ですか」


 マーリンの一言にアーサーが顔をあげた。真っ正面からマーリンと目を合わせる。


「……そうだ」


 マーリンの出身地であるカーマーゼンは戦火の煽りを受けた村だ。戦争によって土地は荒れ、飢饉が起こり、そして―――例の疫病が流行った。

 今回の戦はあの時とは違い、貴族の利権などが絡んでいるわけではない。それでも誰かが犠牲になるのだと思うと正直、気が乗らなかった。

 今日、自分が点検した武器が誰かの大切な物を奪うのかもしれない。

 それがすごく嫌だった。それなのに、目の前の自分の主人は平然とした顔をしている。

 それがマーリンには不服だった。


「カーマーゼンの事を反省していないじゃないかとでも言いたげだな」


 あっさりとマーリンの考えを読み取ったアーサーが書類を置き、マーリンの顔を見つめ直した。


「そんなことは……」

「誤魔化さなくともいい。しかし、今回とあの時では訳が違う。あれは内部の抗争で、武力以外にも解決の方法はいくらでもあった。だが、北の異民族と大国は違う。奴らの狙いはアルビオンの土地だ。交渉はできない。向こうもする気が無いしな」


 魔術師の呪いで収穫量が落ちていると叫ばれてはいるものの、他の国に比べればアルビオンの食糧事情はかなりマシな部類だ。元々の土壌がかなり豊かな上に大陸中を川が流れている。環境としてはこの上ない国なのだ。


「わかってます……でも、誰かが犠牲になるのかと思うと」

「……俺だってもっと良い解決方法があればとは思う。だが、相手は待ってはくれない。自衛するしかないんだ」


 本当にそうなのだろうか。もっと良い解決案はどこかにあるんじゃないんだろうか。

 そう思うが、マーリンにだってその方法はわからない。まるで雲を掴むような話だ。


「それに、何もしなければ確実に今よりも多くの犠牲者が生まれる。マーリン、お前はそれで良いと思うか。甘んじて敗者である事を受け止められる人間がもしいるとするならば、その者は偉大だ。だが、逆に言えばそいつは、何も持っていない奴だ」

「持っていない?」

「例えば、だ。お前の護りたい物に危害を加えようとする者がいたとしよう。お前は無抵抗を貫けるか?」

「……無理だ」


 マーリンの心に、笑いながら振り返る佐和の姿が浮かんだ。

 佐和の笑顔を想像するだけで最近はあったかい気持ちになれる。あの笑顔を悲しませるような人間がいれば迷う事なく自分は戦うだろう。


「この戦はそういう事だ。初めに、お前は俺に父上に褒められるために戦をするのかと問いたな?……完全には否定しない。だが、それ以上に俺はアルビオンに住む民を守りたい。そう思っているし、それは兵に対しても同じだ。だから、最善を尽くす。……それでいいだろう!」


 アーサーの顔がどことなく赤い。そんなアーサーを見てケイがなぜか笑いを堪えている。

 突然の会話の切れ目が不可思議でマーリンは続きを促した。


「でも、その相手にも大事な物があるんだろ。それを踏みにじる事に変わりはない」

「お前な……そんな事、夜通し語ったって解決する話じゃないぞ。とにかく、俺達は俺達の大切な物を守る。そういう事だ!」

「けど……」


 まだ聞き足りないマーリンにアーサーは髪をかきあげると、困ったように付け足した。


「……俺だって、そんな方法があるなら知りたいぐらいだ。だが……俺一人で思いつく物でもないだろう。だから……」

「だから?」

「……俺に聞いてばかりいないで、お前も知恵を絞り出せ!この馬鹿!」

「いたっ」


 アーサーに丸めた書類で頭をはたかれる。殴られた部分を(さす)りながら、マーリンは考えを巡らせた。


「俺は国と言われてもピンと来ない……」

「もっと短かなところで考えてみればいいんじゃないか?」


 ケイのアドバイスにマーリンは耳を傾けた。

 その横でアーサーは立ち上がり、水をごくごく飲み干している。


「マーリンにとって一番大事な物で置き換えてみればいいんじゃないかー?マーリンにとって絶対譲れないものは?」

「サワ」


 その途端、アーサーが飲んでいた水を全て吹き出した。

 汚い。


「お、ごほっ、お、お前なぁ!!」

「何むせてるんだ?」

「お前がむせさせたんだろうが!」

「俺はサワが大切って言っただけだ」

「……最近、様子が変わったとは思っていたが、ようやく自覚したのか」


 なぜか疲弊しきったアーサーが椅子に座り直した。額に手を当てて苦悩している。


「自覚?」

「俺に言わせる気か!?何の罰だ!?」

「まぁ、まぁアーサー」


 机に拳を振り下ろしたアーサーをケイが宥める。そのままマーリンにケイはアドバイスを続けた。


「それでさ、良いから。例えば誰かがサワを殺そうとしたらマーリンはどうするかって考えてみれば良いんだよ。でも、その相手にも家族がいるだろ?それで想像してみなって。はい、これ宿題。思い付いたらアーサーに言ってなー」

「わかった」

「……もう、お前も今日は下がれ」


 疲れ切った様子のアーサーが手の平でマーリンを追い払った。

 だが、アーサーが眠りにつくまでがマーリンの仕事だ。


「でも、まだ」

「いいから寝ろ!」


 半ば強引に部屋から追い出されたマーリンは従者部屋に戻りながら、宿題に思いを巡らせていた。



       ***



「いやー、あっついねぇー」

「あいつ……恥ずかしげもなく暴露しやがって……」


 ケイと二人きりになったアーサーは頭を抱え直した。

 ガウェインが来てからどこかマーリンの様子がおかしくなった事にも、ここ最近やたらとサワを気にかけていた事にも勘付いてはいたが、真っ向から宣言してくるとは予想だにしなかった。


「全く、それだけじゃない。よくもあんな青臭い事をぽんぽんぽんぽん口にできる物だ。言っていて恥ずかしくないのか!あいつは何だ!哲学者か!」

「でも、良いだろ?」


 ケイの含み笑いにアーサーは一気に不機嫌になった。後に続く言葉はわかっている。

『まるで昔の自分を見ているようで』だ。

 理想は今も確かにこの胸にある。しかし、現実は思うようにはいかない。その重みに負けそうになるたびに、まるで昔の自分が責めるようにマーリンがアーサーに問いかけるのだ。

『それで良いのか』と。

 まるでマーリンは自分を映す鏡のようだ。だから、苛立つし、尋ねたくもなる。

『お前はどう思うんだ』と。


「何が良い物か!あの鈍感!それにしてもサワとは……本当にあいつは趣味が悪いな。あの賢しい女相手じゃ、苦労するだろうに」

「まぁ、恋愛感情は損得でするもんじゃないだろうし。いいんじゃないかー?」


 アーサーと違い、ケイはただ面白そうにしながら書類を片付け始めた。アーサーも読み終わった書類をケイに手渡す。

 恋愛……か。

 王子である自分の婚姻は恋愛感情で行われる物ではない。故にアーサーには正確にその気持ちを(いだ)く機会は訪れないだろう。

 それを悲しいとは思わない。むしろ、アーサーはウーサーの悲劇を知っている。恋愛感情に取り付かれた結末を。だから、それを避けるためにも知らないままで良い物だとすら思っている。


「俺には理解できないな」

「別にお前だって心の中で想う分には相手がいたって良いと思うけどなー。騎士は敬愛を捧げる女性がいて、一人前だぞー」


 騎士道には宮廷愛という考え方がある。騎士は主君の他に愛を捧げるべき貴婦人がいて、はじめて本当の騎士だという考えだ。

 その相手は別に恋人や妻君である必要はない。心の中で捧げる愛だ。故に人妻でも相手のいる女性でも構わない。


「俺には必要ないな」

「心の中に、この女性に恥じない騎士でありたいと思わせる人がいるかいないかは大きいと思うけどなー。そういう意味じゃ、マーリンの方がアーサーより一歩先行ったな」

「そういうお前も半人前だろうが」


 マーリンより遅れていると言われ、思わずむっとして言い返したアーサーに、書類をまとめ終わったケイはあっさりと返した。


「俺?いるけど」

「は!?」


 初耳の情報にアーサーは目を丸くした。

 最も付き合いの長い男だし、女性の影があった事もある。だが、この騎士に敬愛を捧げさせる程の貴婦人はアーサーには思い当たらない。


「……そうか」

「……そうだぞー」


 誰か言わなかったという事は事情があるのだろう。聞くのは野暮という物だ。

 心の中で愛を捧げる相手だ。身分も思想もそれは自由だ。

 愛すべき心にいる人間か……。

 恋愛感情という物を向ける貴婦人はアーサーにはいない。だが、瞼を閉じればいくつもの笑顔を思い浮かべる事はできる。

 ―――その者たちに恥じぬ、今できる最善の行いを。


「ケイ、敵の前線が想定より進軍して来た場合の作戦の書類を見せてくれ。もう少し想定の幅を広げておきたい」


 アーサーの要望にケイは笑った。


「付き合うよ、アーサー」


 少しでも多くの民を守れるよう、自分にできる事はまだまだある。

 アーサーは書類を見つめ直した。




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