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「これは、これは。殿下。よくいらっしゃいました」
「久しいな。此度は迷惑をかける」
「とんでもございません。アルビオンの民として、また領主として殿下にお力添えでき光栄です」
城の玄関ホールでアーサーを出迎え、握手を交わしたアストラト卿の様子に、佐和はケイの言っていた事を実感した。
確かにアーサーに好意的っていうよりも、下心ありきって感じだなぁー。
イウェインの父と言うのも納得できる。かっちりとした着こなしに整えた水色の髪。瞳はイウェインとは違って黒色だ。
だが、カンペネットのようないやらしい印象は受けない。私腹を肥やす事や、己の自尊心を満足させるためでなく、ただ家の繁栄を願っての行動という点で、アストラト領主は貴族としてはできた人間なのかもしれない。
「詳しい話をさっそくしたいのだが……」
「勿論です。お部屋に参りましょう。イウェイン、後は」
「お任せください。父上」
アーサーとアストラトは談笑しながら一階の奥の部屋に向かって行く。取り残された佐和とマーリンの前にイウェインが立ち直した。
「数日はこちらに留まる事になるかと思う。城の物は好きに使ってくれて構わない。リュネット」
イウェインの呼び声に応じてホールの隅から一人、侍女が進み出た。栗毛の髪を一つのお団子にまとめた優しそうな女性だ。たぶん、年齢は佐和よりも少し上くらいだろう。
「こちら、リュネット。私の侍女です。滞在中何かわからない事があれば、この者にお尋ねください」
「リュネットと申します。さっそくですが、城内をご案内させていただきますね」
他人の城に滞在中もアーサーの面倒をみるのは基本佐和達だ。どこに何があるかなどは覚えなければならない。
「よろしくお願いします」
佐和とマーリンのお辞儀を受け取ったリュネットの目が怪しく光った気がした。
……ん?
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「以上で城内のお使いになられるであろう場所は全てご案内いたしました」
キャメロットの城と比べればもちろんこの城はかなり小さい。それでもお城というには充分な広さで、案内にはなかなか時間がかかった。
アストラトの城は入口に大きな玄関ホール、その奥に大階段、そこから左右に廊下が伸び、部屋がいくつもある全体的に長方形の形をしている。覚えやすい造りだ。
「こちらが殿下にお泊まりいただくご予定の客室となります。何か不都合がございましたら、すぐにお申し付けください」
最後に訪れた二階の客室はキャメロット城の物と比べればもちろん劣ってはいたが、綺麗に整理が行き届き、真っ白なシーツが輝く天蓋つきのベッドと、優しい木目のテーブル。申し分ない部屋だった。
「大丈夫だと思いますよ」
アーサーはかなりわがままだが、例えこの部屋に文句があっても立場を考えて不服など言ったりしない。
……代わりに私とマーリンがいびられるんだけどね……。
「お気に召していただけて何よりです」
「あの……同じ侍女ですし、そんなに固くならなくても大丈夫ですよ」
さっきからリュネットの態度はまるでアーサーと接するようだ。見ていて申し訳ない気持ちになる。マーリンはともかく佐和にそこまで礼を払う必要はない。
そう思っての提案だったが、リュネットは不思議そうに小首を傾げた。
「同じ侍女でも、殿下お付きと一領主の子女付きでは身分が違います。それにサワ殿もマーリン殿も貴族……ですよね?」
「え?違いますよー。私もマーリンも貴族じゃないですよー」
マーリンはともかく佐和がそう見えていたのかと思うとおかしい。
先入観入りすぎだって。
佐和の暴露にリュネットは目を丸くしている。
「そうなのですか?てっきり私は名家のご子息、ご子女かと」
「なんで、そう思ったんだ?」
マーリンに問われたリュネットは先ほどまでとは違い、気楽そうな様子で語り出した。
「普通、殿下付きの従者は貴族ですから」
「そう言えば前の従者は貴族だったってケイが言ってたなー」
「そうだったのか。知らなかった」
「ケイ様?お二方はケイ様をご存知なのですか?」
「知ってるも何も、俺たちを従者にしたのはケイです」
その途端、リュネットが何かを考え込んだ。その瞳が初めて会った時と同じように光った気がする。だが、佐和が確かめる間もなく、すぐに顔をあげてにっこりと微笑んだ。
「そうだったのですか。では、サワ殿、マーリン殿も、遠慮なくわからない事があれば私にお尋ねください」
「ありがとうございます」
その時、遠くから馬の嘶きが聞こえてきた。馬車の車輪の音もする。
「どうやら軍がご到着されたようですね。私達も参りましょう」
リュネットに続いて二階の吹き抜けから一階ホールを覗き込むと、ちょうど玄関に騎士勢が入って来る所だった。
ホールの大階段の前ではアストラト領主とアーサーが並んでそれを待っている。
「ようこそ、お越しくださいました。殿下から全て事情は伺っております。私からも兵力と装備、食糧をお貸しいたします。準備に多少のお時間をいただきますので、それまで皆様は英気を養ってください」
アストラトの合図ですぐに侍従がそれぞれ騎士を客室に案内して行く。誰もいなくなったホールに残ったのはアストラトとアーサーと、騎士の最後尾にいたケイだ。
ケイと目が合った途端、アストラトのこめかみがぴくりと痙攣した。
ケイは人ごみに紛れて消えようとしていたようだが、アストラトに見つかった事にすぐに気が付き、苦笑しながらアストラトに近付いた。
「お久しぶりです。アストラト卿」
「これは……ケイ卿。お久しぶりですな。此度の戦の進路、何でもあなたの案だとか。施しのつもりですかな?」
あからさまにアストラトが苛立っている。それに対してケイはいつも通りの笑顔だ。
「いえ、そんなつもりは毛頭ありませんよ。単に他の進路よりも進軍の可能性が高かっただけです」
「……そうですか」
なんか……アストラト様、すっごく苛々してるみたい……。
そう言えばケイとイウェインは昔からすこぶる仲が悪かったとアーサーが言っていた。
佐和はリュネットには聞こえないようにマーリンに耳打ちした。
「あの二人空気悪くない?」
「アストラト家が謀反人を出して取り上げられた領地はエクター家に渡されたってアーサーが言ってた。それかも」
見えない火花を散らしていたアストラトはケイが笑顔を崩さないのを見て、諦めたのかアーサーに向かいなおった。
「では、殿下。共にご夕食でもいかがでしょうか?」
「ありがたく頂こう」
アストラトに連れられてホールを後にするアーサーとケイが互いに目配せしている。ケイは苦笑したままアーサーを見送った。
佐和たちも階段を下り、誰もいなくなったホールに一人で残っていたケイに声をかけた。
「ケイ」
「お、サワー、マーリン。それから久しぶりだな、リュネット」
「お久しぶりでございます。ケイ様」
「あれ?二人って知り合いなの?」
「まあな、エクター領とアストラト領は隣同士だから何かと顔を会わす事があってな」
「昔からイウェイン様と知り合いっていうのもそれか」
「その通りー。騎士学校に入る前から顔見知りなんだよ」
「それにしてはアストラト卿、ケイの事すごい嫌ってるみたいだったけど……」
「あー……」
言葉を濁したケイに代わって、横にいたリュネットがあっさりと佐和の疑問に答えた。
「旦那様はケイ様個人を嫌っていらっしゃるのではなく、アストラト家が一方的にエクター家を敵視しているのです」
「リュネットー」
ケイが軽く諌めたがリュネットは「別に皆さんご存知の事ですから」と軽く付け足してそのまま話を進めた。
「アストラト家の謀反人のお話しはご存知でしょうか?」
「昔、家から魔女に誑かされて謀反を企てた人間が出たってやつか?」
「はい。その罰としてアストラト家は領地を取り上げられ、取り上げられた領地は当時最もウーサー王の信頼が厚く、なおかつアストラト家の隣領地であったエクター家に譲渡されたのです」
「やっぱり領地を取られてエクター家を憎んでるのか。ケイ自体が悪いわけじゃないのにな」
「まあまあ、貴族社会なんてこんなのしょっちゅうある事さ」
「それは否定しないが、またお前、どうせ父上を煽るような言い方をしたんだろう?」
会話に凛とした声が割って入った。ホールに入って来たのはイウェインだ。ケイの事を呆れながら睨みつけている。足を止めたイウェインは腕を組みケイを見上げた。
「俺は穏便に済ませようとしたってー」
「その笑顔自体が父上からすれば侮辱だ。少しはエクター卿を見習え。貴様の表情筋は死に絶えているのか」
「酷いなー。確かにぷりぷりほど顔動かしてないけどさー」
「また!貴様!!そのあだ名はやめろと!!」
イウェインがケイを掴みにかかるが、ケイはひらりとそれを交わした。楽しそうにイウェインをおちょくっている。
その様子を見ながら佐和は考えをめぐらせた。
つまり、この二人は家同士がライバル……というよりも一方的にアストラト家がエクター家を目の敵にしていて、だから跡継ぎであるイウェインもケイを敵視しているって事なのかな?
楽しそうにじゃれ合っている二人を見守っていた佐和は、ケイの笑顔が突然固まった事に驚いた。次の瞬間、ケイが慌てて何かを避けた。
「うおっ!」
「え!?何今の!?って、ぎゃああ!!」
ケイに跳びかかったのはライオンだった。まだ完全に大人になりきってはいないサイズだが、鬣はもう立派に生えそろっている。
テレビで見ると大きい猫ぐらいにしか思ってなかったけど、本物こわっ!!
実物を目の前にすると、とてつもなく大きく見える。佐和はすぐにマーリンの背後に隠れた。
「何でライオン!?」
「安心してくれ。サワ殿。この子は急に人を襲ったりはしない」
イウェインが手招きするとそれに気付いたライオンがイウェインに身体を摺り寄せた。ごろごろと気持ちよさそうに喉を鳴らして甘えている。
「いや、今、ケイを襲ってた」
「こいつだけは別だ」
マーリンの突っ込みをばっさりと切り捨てたイウェインがライオンの顔をサワ達に向けた。
「この子はレオ。私がブロセリアンドの森の入口近くで怪我していたのを見つけてな。それ以来、我が家によく尽くしてくれている。噛んだりしないから安心してほしい」
そうは言われても肉食獣だ。怖い。
「で、でもマーリンの言った通りケイには襲いかかってましたよ?」
「大丈夫ですよ。サワ殿。レオが飛びかかるのはイウェイン様が命じた時かケイ様を見た時だけです」
「変なとこ主人に似ちゃったよなー」
「うるさい。レオに噛ませるぞ」
「ごめんってー」
怯えているのは佐和だけで、リュネットもレオの頭を撫でている。見ればマーリンも怯えている様子は無さそうだった。
「……マーリンも触れそう?」
「平気」
すたすたと近寄るマーリンの背から佐和もレオを覗き込んだ。マーリンが手を指し出すとその匂いを嗅いでいる。
百獣の王というより、普通の猫と同じ仕草だ。匂いを嗅ぎ終わったレオの頭をマーリンが撫でる。その顔がちょっと楽しそうに鬣に触れた。
「意外とふわふわ」
さ……触りたい。
生唾を飲み込み、佐和も慎重に手を指し出した。マーリンの時と同じように鼻を近づけて佐和の匂いを嗅いでいる。
わー、鼻おっきいー!真っ黒―。濡れてる……なんか、大きいのに可愛い……。
レオは匂いを嗅ぎ終わると佐和にゆっくりと近付いて来た。頭を佐和のお腹にこすり付け、甘えるような仕草ですり寄ってくる。
「か……可愛い……」
すごい!私、ライオンに触ってる!!
元の世界では絶対にできない、というかしない体験だ。
無我夢中で鬣や頭を撫でまわした。
「こいつ、女性にだけ甘くないかー?」
「騎士道を体現しているだろう?」
ケイの文句にイウェインが得意げに鼻を鳴らした。
そう言えば聞こえはいいが、単にこの子がオスだから女性が好きというだけな気がする。
「とにかく、ケイ。お前はなるべく父上の事を逆撫でするなよ。いいな」
「俺が逆撫でるのはイウェインだけだってー」
「不名誉だ!!」
また言い争い始めた二人のケンカをリュネットが笑ったまま見守っている。本当に顔を会わせればいつもこんな状態なのがその表情からもよくわかる。
その後もケイにからかわれたイウェインの怒鳴り声がしばらくホールに響き渡っていた。