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創世の傍観者とマーリン  作者: 雪次さなえ
第五章 特別な存在
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page.129

       ***



 アーサーに任されたというより押し付けられた三人は書記室の一階、最も奥まった所にあるテーブルに座って作業を開始した。一階部分の本棚は壁に沿ったものだけでなく、独立した本棚が並べられた通路がいくつもある。上から見ると歯車のような形だ。

 ガウェインはその腕力を生かし、とにかく伝説の生物とか神話とかそのあたりの本を山ほど抱えテーブルに置くとまた書記室のどこかへ消えて行く。佐和はガウェインの持ってきた本から怪しそうな物をマーリンに渡し、マーリンが精査する役割はかなり効率良く回っていた。


「というか、マーリン読むの早!」

「そう?」


 マーリンの本を読むスピードは常人からかけ離れていた。ぱらぱらと本を一通りめくったらもう読み終えているのだ。

 こういうの速読術って言うんだっけ……。


「それは、魔法?」

「いや、先生に習った」


 ガウェインもちょうどいないので佐和が聞くと、マーリンは本から目を離さずにそう答えた。読み終えた本をどんどんテーブルの横に積み上げていく。

 すごいな……。マーリンってほんと、ハイスペックだなぁ……。

 遠くの窓から入る日差しが暗くなっていく事から時間が刻一刻と過ぎていっている事がわかる。黙々と作業をしていたが、気付けば佐和が選別し終わった本をマーリンは全て読み終えていた。追加分はまだ来ていない。


「あれ?ガウェイン遅いね?」

「遠い所まで取りに行ってるのかも。俺も自分で探しに行く。サワはここで続きを」

「うん」


 書記室の造り的には階段を昇らなければならない。足を痛めている佐和が付いて行くのは足手まといだ。マーリンに言われた通り自分の担当分の本を探すことにする。

 簡単な文法しかわからない佐和には所々わからない部分もあるけれど、この地の伝説に触れているのは少し、楽しい。

 妖精とか私が知ってるのもいる……。

 不謹慎だが楽しんでいるせいもあって作業は思ったよりもはかどった。だが、佐和が担当していた残りの本に該当しそうな文献は見つからなかった。

 ……マーリンもガウェインも戻って来ないなぁ。

 あれから結構時間が経ったはずだが、二人とも一向に戻ってくる気配がない。

 しょうがない。

 佐和は松葉杖を取ってゆっくり階段を昇った。

 二階に上がり、幾つか通路を覗いていると、何本目かの通路の奥にガウェインが座っていた。


「……寝てる……」


 どうやらガウェインも自分なりに頑張ろうと思ったらしい。本を開いたところで床に座り居眠りしてしまっている。

 気持ちは評価するけどさ……ガウェイン。もう、ほんとに……。

 アーサーが毎回ガウェインをどついてしまう気持ちもよくわかる。だが、佐和が同じようにすれば発疹が出かねない。マーリンを先に探さなければ。

 書記室に入り込んでくる日差しはすでに薄暗い。窓から遠のけば遠のくほど本に囲まれた通路は不気味な暗闇を作っている。その中でも窓から一番遠い通路の奥にマーリンが立っていた。ひたすら辺りを厳しい目つきで見渡している。


「マーリン」

「サワ」


 呼びかけるとマーリンがこちらを向いた。その顔色を見て佐和はマーリンのいる通路に足を踏み入れた。


「どうしたの?」

「サワこそ」

「ガウェイン、寝ちゃって……」


 マーリンも呆れ返っている。

 無理もない。国家の一大事によく高いびきをかけるものだと佐和も思うが、あの動じなさがガウェインの強みだとも思う。


「それよりマーリン、こんな所でどうしたの?ここの棚あからさまに関係なさそうだけど?」

「……何だか。微かに、魔法の気配を感じて」

「ほんとに?お城に魔法なんて変だね。どこから一番感じるの?」

「あそこ」


 マーリンが指指(ゆびさ)したのは二人がいる本棚でできた通路の突き当たりの扉だ。両開きで装飾の少ないシンプルな木造の扉が閉じている。


「あの扉?開けてみたの?」

「扉?何を言ってるんだ、サワ。あそこには壁しかないだろ?」

「え?」


 そうは言われても佐和の目にはしっかりと扉が映っている。だが、マーリンが嘘をついているとは思えない。

 私にだけ、あの扉は見えてるの?

 創世の魔術師であるマーリンに見えなくて、自分にだけは見える扉。

 佐和の鼓動が速まった。


「私には扉が見えるんだけど……」

「……もしかしたら、結界が張ってあるのかもしれない。サワ、ドアノブの位置を教えて」

「……あれ?おかしいな。ドアノブがない」


 近寄って見たが、扉にはドアノブがついていなかった。佐和が試しに押してみるがびくともしない。佐和に扉の位置を聞いたマーリンも押したり引いたりしてみたが、扉はぴくりとも動かなかった。


「どうしよ……開かないね」

「もしかしたら……」


 マーリンは懐から杖を取り出し、元の大きさに戻した。小さく呪文を呟くとそよ風が通路を吹き抜ける。その風が一点、佐和から見て右側上段の本棚だけを避けて吹き抜けて行った。


「やっぱり……」


 杖をしまったマーリンは台に乗り、風を避けた部分に置かれていた本を手に取った。その本を広げた途端、木が軋む音が響き、扉がゆっくりと開いた。


「な、開いた……どういうこと?」

「恐らく隠し部屋だ。扉を見えなくする目隠しの魔術と、この本を使わなければ開くことのできない施錠の魔術だと思う」

「さっきのはなんで風がこの本の所だけ吹かなかったの?」

「たぶん、この本が壊されたりしないように結界が張ってあるかもしれないと踏んで、わざと通路いっぱいに魔法をかけてみた」


 なるほど。魔法が効かない所つまり大切な物がある場所となるわけだ。


「今は俺にも見える。行ってみよう」


 私にだけ見えた扉。

 その向こうには何があるのか。

 怖さと興奮が入り混じる。

 マーリンの後に続いて佐和はその部屋に足を踏み入れた。



       ***



 扉の向こうは乱雑とした小部屋だった。右手にテーブルが一つとイスが二つ適当に置かれている。その上には埃を被った本の山。床の上にも本の山がいくつもあり、同じように埃を被っている。

 壁際には火の入っていない暖炉。部屋は薄暗く、埃が舞っているし、蜘蛛の巣もある。けれど、おどろおどろしい雰囲気はなかった。

 博物館とか、図書館とかと同じ空気がする……。

 マーリンに続いて佐和も足を踏み入れた。途端に扉がゆっくりと閉まる。


「し、閉まっちゃったよ……!?」

「中にも同じ仕掛けがあるだろうし。ガウェインに見られるわけにはいかないから、良いと思う」

「そ、そうだね……」


 マーリンってこういうところ、肝太いよなぁ……。

 おっかなびっくりする佐和と違い、マーリンはテーブルの上に置いてあった埃まみれの本をなんの躊躇もなく手に取った。その中身を開きページをめくっていたマーリンの表情がみるみる驚きに染まっていく。


「どうしたの?」

「これ……魔法について書かれた本だ」

「え!?」


 佐和も後ろから覗き込む。不思議な草や生き物の挿絵に、佐和には読めない文字が羅列してある。この世界の言葉ではない。


「マーリン、読めるの?」

「うん」


 マーリンの目が輝いている。保護施設にいた時にも感じたが、魔術師は魔法の勉強をするのが本当に大好きなのだ。マーリンもそこは例外ではないのかもしれない。


「でも、どうして燃やされたはずの魔法の本がこんな所に?他のもそう?」

「他の本も……見る限り魔法に関する書物だ」


 その時突然、佐和は何かに押されたようにバランスを崩した。後ろに転びそうになる。


「ぎゃ!」

「サワ!」


 慌てたマーリンが近くにあった椅子を意志魔術で引き寄せ、佐和の後ろに移動させてくれた。おかげで転ぶ事なく、椅子に尻餅をついた。


「な、何?今の?」

「侵入者だ!侵入者だ!」


 突然甲高い声がキィキィと鳴き叫んだ。声は床から聞こえてくるが、床の上には何もいない。佐和は座ったまま目を凝らした。


「やっつけろー!」

「やっつけよう!やっつけよう!」

「どうやってやっつけるー?」


 舌ったらずな声からしゃがれた声まで様々な声が思い思いにしゃべっている。佐和は唖然としたまま、部屋中を見渡したが、やはり声の主の姿は見えない。


「こいつ、俺たちが見えてない!」

「見えてない!見えてない!」

「マーリン!何この声!わかる!?」


 佐和は離れた所に立っていたマーリンに救いを求めた。マーリンは呆然としながら佐和の足元辺りを見つめている。


「マーリン?」


 佐和の呼びかけに姿の見えない声が反応した。


「マーリン?」

「マーリン!」

「創世の魔術師?」

「創世の魔術師だ!」


 声がわちゃわちゃと歓声をあげている。

 もう何がなんだかわからない。


「マーリン!何これー!?」

「……サワの足元に毛むくじゃらがいっぱい」

「何それ!?私には見えないよ!」


 毛むくじゃらと聞いて、とりあえず佐和は両足を根性で浮かせた。

 どうやらマーリンには声の正体が見えているらしい。戸惑いながら説明を続けた。


「多分……だけど、お前らブラウニーか?」


 ブラウニー。

 ファンタジー小説大好きな佐和には馴染み深い名前だ。確か、ヨーロッパの妖精で家に住み着き人の手伝いや、時にいたずらをしたりする妖精だったはず。


「創世の魔術師だー!」

「そうだぞー!俺たちだぞー!」

「サワ、大丈夫。こいつらは危害を加えるような妖精じゃない。してもいたずら程度だ」

「こっちの国ではブラウニーは普通にいるものなの?」

「……いや、俺も本物を見るのは初めて」

「あ!忘れてた!この女やっつけなきゃ!」

「そうだ!そうだ!」


 ひぃ!

 どうやらブラウニーに佐和だけは敵として認識されたらしい。姿が見えないので逃げようもない。


「かかれー!」

「待て!…こいつ甘い匂いがするぞ」


 襲われるかと思ったが、突然ブラウニー同士で何かひそひそ話をし始めた。

 といってもひそひそしているつもりなのは本人達だけで、佐和にもマーリンにも丸聞こえだ。


「甘い物持ってるのかな?」

「持ってたらいいなぁ……」

「サワ……何か持ってる?」

「え、ええっと……」


 マーリンの確認で佐和は慌ててポケットをひっくり返した。その中に小さな包みが一つ入っている。


「それだ!」

「それくれ!」

「甘いの!」

「ぎゃあああ!!」


 姿は見えないが、どうやら佐和にブラウニーが群がっているようで、(おろ)した足の辺りが異常にもふもふする。見えないせいで気持ち悪い。


「サワ、それは?」

「これ?ケイが時々くれるの。お菓子とか。ポケットに入れっぱなしだったやつだ……」


 包みを開くと二つ、キャンディーが入っている。

 この世界で甘い物は稀少価値が高い。後でマーリンと食べようと思って持ち歩いていたのだ。


「欲しいの?」

「くれ、くれ!」


 恐る恐る、佐和は見えない床に向けて摘まんだキャンディーを一つ差し出した。途端、佐和の手からキャンディーが奪われ、空中を何度も跳ねる。


「マーリン。ブラウニー達どんな反応?」

「喜んで跳ね回ってる」

「甘いの!甘いの!」

「お礼しなくちゃ」

「お礼、お礼!」


 ブラウニー達の言葉の真意を佐和が考える間もなく、突然瞼に何か水のような物が当たった。驚いた佐和が瞼を閉じ、もう一度目を開けると、足元で何匹もの茶色い毛むくじゃらの生き物がこちらを見上げている。


「ぎゃあああ!何これ!?これがブラウニー!?」

「お礼!お礼!」


 佐和の肩から毛むくじゃらが一匹するすると降りていった。その手に小さな筆と、瓶を抱えている。


「な、何で急に見えるように……」

「それ、妖精の塗り薬だ」

「何それ?」

「妖精が見えるようになる薬。瞼に塗ると効果を発揮するって」


 という事はこれがキャンディーのお礼という事か。

 ……正直、見えなくても良かったかも。

 ブラウニーは佐和の想像していたファンシーな姿よりも、モグラが毛むくじゃらになったようなちょっとグロテスクな見た目をしている。さっきこれに足を囲まれていたかと思うと生理的にぞっとした。


「まだ、匂いする!」

「甘い!甘い!」


 もう好きにしてくれ。という心地で佐和は最後の一個のキャンディーもブラウニーに差し出した。やはり喜び勇んで佐和の指からキャンディーを奪って行く。


「お礼!お礼!」

「え、いいよ……って!」


 佐和が辞退するよりも先にブラウニーが一斉に動き出した。怪我をした佐和の足を何人かのブラウニーが持ち上げ、残りのブラウニーが包帯を解いていく。


「え?ちょっと……!」

「おい!」


 さすがに見兼ねたマーリンが仲裁に入ろうとしたが、その前にブラウニー達はどこかから別の包帯を持ってくると、それを佐和の足首に巻きつけた。マーリンが駆け寄って来たのに驚いて散り散りに逃げ出す。


「サワ、大丈夫?」

「……」

「サワ?」

「マーリン……すごい……。足、痛くなくなった……」


 包帯を変えられた途端、信じられない速度で足の痛みが引いていった。もう杖なしで立ち上がる事も走る事もできそうだ。


「うわ……何これ……凄すぎ……」

「……怒鳴って悪かった。ブラウニー。出て来てくれ」


 散り散りになってテーブルや椅子の足に隠れていたブラウニーがぞろぞろと出てくる。二十匹ぐらいだろうか。皆、マーリンの事を見上げていた。


「サワの怪我を治してくれてありがとう。ところで、教えてくれ。この部屋は何なんだ?」

「守る部屋!」

「魔法の部屋!」

「俺たちの部屋」

「俺たちのじゃないだろ」


 ブラウニーの答えはバラバラだ。どうやらあまり語彙力が無いらしい。


「……お前らの中で一番人間と話せる奴を連れて来てくれ」


 マーリンの頼みを聞いたブラウニーが互いに顔を見合った。暫くすると一匹が思い出したように大きい声をあげた。


「創世の魔術師!」

「そうだ!創世の魔術師だ!」

「知らせなきゃ」

「呼ばなきゃ!」


 誰を?と佐和たちが首を傾げている間にブラウニーが何処かへもさもさと一斉に移動し出した。部屋の奥、暖炉に向かっているようだ。

 床の上のブラウニーを目で追っていた佐和はその進行方向に白い足が見えて、飛び上がった。


「創世の魔術師よ」


 暖炉の前にはいつの間にか少女が立っていた。透き通るような白い肌に白いワンピース、黄金の長い髪にスカイブルーの悲しげな瞳。あまりの浮世離れした雰囲気に佐和は急いでマーリンの背後に隠れた。

 ゆ、ゆゆゆ、幽霊……!?

 だが、足はある。しかし、幽霊だとしても不思議はないほど少女の存在は希薄だ。


「ま、ままま、マーリン……私、虫と幽霊だけはダメなの……!」

「サワ、落ち着いて。幽霊じゃない」


 マーリンの腕を必死に掴んでいた佐和をマーリンが宥める。少女はこちらに近付いて来ようとはしない。それがせめてもの救いだ。


「君は?」

「私はペンドラゴン家のバンシーです」

「バンシー?名家に仕える妖精の?主人が亡くなる時に泣くっていう妖精なのか?」

「はい。そうです。創世の魔術師よ」

「なんでそのバンシーがこんな所にいる?どうしてここには焼かれたはずの魔法の本がたくさん置いてある?そもそもここは一体何なんだ?」


 マーリンの矢継ぎ早の質問にバンシーは一つずつ丁寧に答えた。


「まず、この部屋ですが。ここは以前ペンドラゴン家に仕えていた魔術師が作った隠し部屋です。ウーサーが魔法に関する書物全てを焼き尽くすと決めた時、反対した魔術師がいました。その者が魔術書を救い、この隠し部屋に隠したのです。その時、城の中で魔術を淘汰するのに巻き添えを受けていたブラウニー達と私をその魔術師は助けてくれました。お礼に私たちはこの部屋を守るとその魔術師に誓いました。以上がこの部屋のできた経緯となります」


 そういえば以前、イグレーヌをウーサーが求めた時にも魔術師が手を貸していた。もしかしたら昔は王宮にも複数の魔術師が仕えていたのかもしれない。


「どうして、俺の事を?」

「多少でも魔に通ずる者であれば、あなたの存在を認知していない者はいません。あなたは私たちの希望なのです。……しかし、不思議ですね。この部屋の扉はあなたには見えなかったはず……」


 バンシーの静かな瞳が佐和を捉えた。その目が微かに(すが)められる。

 ……私?


「そうですか……あなたが」


 マーリンにバンシ―の呟きは聞こえなかったようで、話を続けた。


「バンシー、ここにゴーレムに関する本はないか?今、キャメロットの森で三体も暴れているんだ」

「あなたならば、私に聞かずとも探し当てられましょう」


 そう言われたマーリンは多少面を食らったようだったが、すぐに切り替え凛々しい顔つきで部屋中を見渡した。


「……あれ、か?」


 壁の本棚にささっていた一冊の本をマーリンが取る。その本の中にゴーレムの挿絵の入ったページがあった。


「マーリン!あるよ!でも……読める?」


 やはり魔法の書物はこの国の言葉では書かれていない。見た事も無い文字が綴られている。


「何とか……。ゴーレム、土でできた戦闘用の傀儡。魔術により生成することが可能だが、魔術師の死後も活動を続ける。なお、ゴーレムを止めるためにはゴーレムの身体のどこかにある魔力痕を消せば良い」

「やったね……!マーリン!でも魔力痕って」

「魔法道具を作る時には何処かに魔力痕を刻むんだ。サワのブレスレットにも入ってる」


 サワはマーリンからもらったブレスレットを掲げた。

 そういえばピンクのガラス玉の部分に読めない文字が刻まれていたことを思い出す。


「創世の魔術師。この部屋の存在はどうか内密にお願いいたします」

「わかってる」


 ウーサーが知ればたちまちこの部屋は燃やされてしまうだろう。なんとかアーサーには誤魔化して伝えるしかない。


「私はペンドラゴン家のバンシー。あなたの道と私の道は重なり合うもの。あなたの行く末に幸多からん事を」

「ありがとう」


 マーリンは元の位置に本を戻すと、今度は別の本を開いた。閉まっていた扉が開き出す。


「行こう、サワ」

「う、うん。失礼しました」


 先に出たマーリンに続いて佐和も部屋を後にする。元の書記室に戻ると背後で扉が閉まる所だった。


「湖の乙女―――その代行者よ」


 頭の中で鈴の音が鳴る。先を行くマーリンは気付いていない。佐和は閉まりかける扉を振り返った。

 僅かに残された隙間からバンシーのブルーの瞳が悲しげに陰るのが見えた。

 バンシーの声は佐和にだけ、佐和の頭の中にだけ響いて来る。


「どうか、あなたの役割と立ち位置をお忘れ無きよう。あなたが望む運命の祝福が成されん事を切に願います」


 扉が音を立てて閉まる。書記室にしんと静まり返った空気が戻ってきた。

 まるで横っ面を殴られたような気分だ。

 見えないはずの扉を見つけ、はしゃぎ。もしかしたら自分にも特別な役割があるのかもしれないと浮かれた佐和を現実に戻すのに充分すぎる言葉。


 バンシーの一言はまるで鉛のように、佐和の心の奥深くに静かに沈んでいった。




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